1月最後の日曜日、銀座に行った。 チョコレートを予約しに、ピエールマルコリーニへ。 最近付き合い始めたばかりの恋人、美童の為ではない。 悠理のためだ。 彼女は、あそこのシャンパントリュフが大好きだから。 「私とあなたの平衡感覚」 BY ルーン様 「野梨子」 月曜日の放課後、生徒会室でお茶を飲んでいると、清四郎と悠理が入ってきた。 「今日は、悠理と出かけるので。野梨子は、何か予定ありますか?」 嬉しそうに、清四郎が言う。 まあ、無理もない。2人は付き合っているけれど、ほとんど一緒に出かけることはないから。悠理はいつも気侭。清四郎は、いつも空回り。 「図書館に返却する本がありますの」 笑いたくなるのを堪え、微笑みを返す。 「冬はすぐに陽が落ちて、危ないですから。美童と一緒に行ったらどうです?野梨子は、本を読んでいるとすぐ時間を忘れますからね」 言いながら、心ここにあらずといった感じだ。よっぽど、悠理と出かけるのが嬉しいのだろう。 それでも私に、美童と一緒に帰れと言う。 清四郎は不安なのだ。 私の身の安全も、もちろんだが。 悠理と私の関係に、清四郎と美童は気付いているに違いない。 だから何かと、私と悠理を引き離す。 図書館からの、帰り道。 「野梨子、僕を愛している?」 美童は、何回も私の目を覗き込む。 私の心の奥を、覗こうと。 青い瞳を、不安そうに揺らして。 私には、美童のいない生活など考えられない。 本当に、心からそう思う。 だから私は答える。 「愛していますわ。本当に」 と。 私と悠理は、不安なのだ。 恋愛に関して、美童と清四郎が経験している半分も、私たちは経験していない。 だけど、誰にもどんな感情にも、支配されたくはない。 だから悠理と過ごすことで、私は平衡を保っている。 そうでもしないと、彼らの過去に嫉妬して、私たちは気が狂ってしまいそうだから。 2月14日は、私も悠理も、それぞれの恋人と過ごす。 今日は13日。 悠理に、用意していたチョコレートを渡す日。 清四郎も美童も、今日はいない。 可憐と魅録は、デート。 午後の光が差し込む生徒会室で、私が紅茶を淹れていると、人の入ってくる気配がした。 気配で、それが分かる。 それが、誰であるのかも。 それを予想していたから、私はとっておきの紅茶を淹れているのだ。 「イイ匂い」 恋愛は、多く愛した者が負ける。 この法則に、私と悠理は忠実なだけ。 私は美童に負けたくないから、悠理は清四郎に愛されたいから、私たちはこうしている。 「フランボワーズですわ。心なし…チョコレートの香りもしますでしょ」 私がそう言うと、悠理はニヤリと笑い、大股でこちらに近づいてきた。 「嬉しいな。バレンタインだから?あたいに淹れてくれてんの」 私も負けじと微笑を返し、ティーポットをテーブルに置いた。 「違いますわ。私が飲みたかっただけですのよ。それに、今日はバレンタインじゃありません。バレンタインの前日ですわ」 そんな私の意地悪な物言いにも動じず、悠理は私の髪を手に取り、少し笑った。 「うん、知ってる」 悠理はそう言いながら、私の制服のリボンをするりとほどき、指に絡めた。 ゆっくりと悠理の顔が近づき、口付けられる。 いつだって悠理のキスは、泣けるほど優しい。 粗雑ないつもの所作からは、想像もできないほどに。 甘く私に舌を絡める動きが、少しずつ激しくなり、私は声を漏らす。 柔らかな舌が、口内をまさぐる。何度も何度も吸い上げられ、自分が融けていくような気がした。 「愛してる、野梨子」 心までとろけさせるような言葉と吐息が耳にかかって、私の膝が震えた。 悠理が軽く、私の耳たぶを噛んだ。そこから、じわじわと甘やかな感情が広がっていく。 悠理はまぶたや頬にもキスをくれる。そして左手が、私の胸に触れた。 悠理には、何度もこの生徒会室で抱かれた。 巡る季節と共に、悠理と抱き合った記憶がそこかしこにある。 だから美童と付き合い始めても、悠理とのこの関係を止める気なんてなかった。 悠理の匂いが鼻の奥に香って、眩暈がした。 鎖骨に舌を這わせられる感触に、ぞくりとする。 ボタンがひとつずつ外されていく。 これから与えられるであろう快感を予想して、胸が高鳴る。 「悠理…私も」 スカートのホックが外され、床にスカートが落ちる音がした。 音と共に、身体がふわりと宙に浮く感じがして、私は目を閉じた。 不道徳だとか、裏切りだとかはまったくの的外れな意見だ。 ちっとも私たちのことを分かっていない。 こうすることで、私は悠理が清四郎を心から愛しているのだということが分かるし、悠理は私が美童なしには生きられないのだということが分かる。 行為の後、床でカーテンに包まりながら、チョコレートの箱を開けた。 「あ、シャンパントリュフ」 悠理は嬉しそうにそう言って、チョコレートをひょいと摘み、口へ放った。 何故カーテンに包まっているのか、というと。 ミセス・エールが生徒会室にと、カーテンをオーダーして下さったことがあった。 深緑のベルベット素材なのだが、それを見た悠理が、どうしてもそれを欲しいと言って聞かなかった。 最初は、何故カーテンなんか、と思ったのだが。 生徒会室で抱き合った後、包まるのにちょうどいいから、と言うのだ。 結局、悠理はミセス・エールが下さったのと同じカーテン購入し、生徒会室に持ち込んだ。 ドレープの大きく取られた、深緑のカーテン。縁には、薄いグリーンのレースが付いている。 実際そのカーテンの手触りはすばらしく、2人でいるときにはいつもこのカーテンに包まっている。 でも、悠理はどうしてこのカーテンにこだわったのだろう。 他のものだって良いはずなのに。 いつだったか私が尋ねると、悠理は照れたように、 「だって、肌触りが野梨子に似てたんだ」 と言った。 その言葉が、妙に嬉しかった。 悠理の家の車で自宅まで送ってもらった。 明日はバレンタイン。 自室で鞄を机に置き、息を吐いた。 私は美童のためのチョコレートを箱に詰め、リボンをかける。 巧妙に、罠を仕掛ける手つきで。 だって、私には美童が必要なのだから。 彼を愛している。 きっと彼は喜んでくれるだろう。 マルコリーニのチョコレートよりも、素人の私が作ったこのチョコレートの方を。 それでも私は嫉妬する。 あなたが過去に貰った、チョコレートのひとつにですら。 だから。 平衡を取りながら、転ばないように。 愛してる。 愛してる。 愛してる。 何回でも言う。 だから、あなたも私に言って。 愛している、と。
FIN |