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『お前と恋愛の方が楽しそうだよな』
その一言は、ほんの冗談のつもりだった。
その言葉を受けた清四郎すら
『その手の冗談には暴力で対抗しますよ』
と、返したくらいだ。
あの会話はいつのことだったろう・・・？
雪に閉ざされた城の中。
あれほど激しかった吹雪も段々と収まってきた。
そんな中で清四郎の寝息を聞くとも無しに聞いていたら、不意にそんな記憶が甦った。
なぜ今、そんな事を思い出すんだ。
清四郎と二人きりで一つの部屋に眠ることなど珍しいことじゃないのに。
なかなか寝つけない。
寝返りをうって清四郎の姿を視界から締め出した。
目を固く閉じ、心の中で羊の数を数える。
声を出して数えた方がいいんだろうが、それじゃあまりにも間抜けだ。
だが、俺の努力も空しく瞼の裏には羊どころか清四郎の姿が浮かんできた。
洗いざらしの髪を額に下ろし、くつろいでいる湯上がりの姿が。
着痩せする体には彫像のような筋肉の隆起が見え、均整の取れた体躯はヤツがいかに鍛練しているかを物語っていた。
男の俺でも惚れ惚れしてしまうようなシロモノだ。
ヤツは別に見せびらかしている訳ではない。普段通り。
意識している俺の方が明らかにおかしい。
紅潮しそうな顔を悟られないよう、必死にしかめっ面を作った。
気が付けば頭の中が清四郎で占められている。
目を瞑ったまま苦笑する。
なぜ今日に限ってこんなことを考えてしまうんだろう。
これじゃ、まるでスターに憧れているオンナノコのようだ。
命が掛かっているとはいえ、女装なんかしたせいだろうか・・・。
そういえば、さっきはマジでびびった。
女装した自分の姿を鏡に写し、にっこりと微笑む“菊正宗清四郎”
という、世にも珍しい物を見てしまった。
マジでヤツがその道に目覚めてしまったかと悠理と二人で蒼褪めた。
しょうがない事とはいえ、もう見たくない。
もちろん、自分の女装姿もだが。
女装をするのもここを出るまでだ。
明日には帰れるだろう。
そうすれば、また雪道の運転が待っている。
少しでも眠っておかないと・・・。
頭ではそう思っているのに、なかなか寝つけない。
いつまでも眠れない事に焦れた俺は、寝るための努力を放棄した。
シーツがずれる音をたてないよう、体を起こし慎重にベッドから足を降ろす。
しばらくその状態のまま息を潜め、清四郎の寝息を探る。
その規則正しい呼吸にほっとしながら、足に体重をかけ立ち上がった。
武道に精通している清四郎は気配に敏感だ。
だが、俺だって伊達に『泥棒に向いている』と言われた訳ではない。
息を潜め、忍び足で歩き出した。
離れたソファで煙草でもと思っていたのに、つい清四郎に目が行ってしまう。
ちゃんと眠っているか、確かめたかっただけだ。
それだけだ。
なのに俺の足は清四郎へと向かって進んで行った。
まるでそうするのが自然なことのように。
カーテンの隙間から差し込むほのかな雪明かりの中、清四郎の寝顔がはっきりと目に映る。
通った鼻筋。一文字に結ばれた唇。閉じられた切れ長の瞳。長い睫毛。
そのどれもが俺を引きつける。
まるで清四郎という引力に捉えられてしまったように。
清四郎との距離が縮んでいく。
５０センチ、・・・２０センチ、・・・１０センチ・・・・・。
清四郎の吐息を肌に感じ、首筋がぞくりとする。
今までだって清四郎に接近した事は何度もあった。
でも、それは今のように無防備な姿じゃない。
俺は妙な衝動に駆られた。
清四郎の唇から目が逸らせない。 ・・・唇を触れ合わせたい。
もしも口付けたら、こいつはどんな顔をするんだろう。
いつも取り澄ました清四郎をうろたえさせてみたい。
驚くだろうか、それともいつものように冷静に対処するだろうか。
あの時の言葉通り俺を殴るだろうか。
そんなバカな事を考えてしまった自分を嘲い、清四郎から離れようとしたその時、空気が動き布の擦れる音がした。
体に緊張が走った瞬間、そのまま体が引かれ天地がひっくり返る。
気が付いた時には清四郎に組み敷かれていた。
膝から下をベッドからはみ出させたまま仰向けにされ、少し不機嫌そうな顔をした清四郎に見下ろされる。
力で押さえ込まれている訳ではない。
けれども要所を押さえられているのか起き上がることができない。
「襲われるのは趣味じゃ無いんですよ。」
俺が言葉を発するより早く清四郎が口を開いた。
その表情はいつものポーカーフェイスだが、声音には怒りを含んでいる。
怒らせちまったかと身構えた。
「でも、嬉しいですよ。・・・魅録も同じ気持ちとは・・・。」
だが、清四郎の続けての言葉に俺は戸惑った。
同じ気持ち？同じって何が、と口を開こうとした時には清四郎の唇が俺の唇に・・・重なった。
俺は目を閉じる事もできず、固まってしまった。
ただ、唇を合わせただけのキス。軽く触れた唇はすぐに離れる。
が、再び重なった。今度は長く。
清四郎の唇の熱が俺の唇に移る。
形を確かめるかのように、清四郎の唇が俺の唇に触れるように動く。
「ん・・・」
ようやく発する事ができたのは小さな呻き。
その声を抵抗ととらえたのか、清四郎が唇を離した。
「嫌ですか？
・・・でも、最初に仕掛けたのはあなたの方だ。」
顔がカッと熱くなった。
そうだ。
二人でこの部屋にいるのがなんとなく落ち着かなかったのも、清四郎の姿を目で追っていたのも、清四郎のことを心に描き切なく感じた事も、清四郎に近づいて行ったことも。
俺はただただ清四郎を求めていただけ。
俺の表情から抵抗が無くなったと判断したのか、再び唇が重なった。
唇の隙間から清四郎の舌が入り込む。
無抵抗の俺の唇を愛撫し、歯を撫で、舌を絡め、吸い上げ、なぶる。
俺の意識はもはや酩酊寸前、何も考えられない。
いつの間にパジャマのボタンが外されたのか、清四郎の手が俺の肌を撫でる。
武道をやっている割に繊細な清四郎の手。その手から軽い刺激を受ける度に俺の体に緊張が走る。
「う・・・」
「感じることを我慢しなくていいんですよ。」
くすりと笑いながら清四郎は俺の首筋に顔を埋める。
首筋に触れる唇が、吐息が熱い。
「・・・ほら、・・・ここはもう、こんなだ。」
清四郎の手が胸から腹をたどり、パジャマの上から俺自身に触れる。
言われる迄もなく解っていた。
これ以上無いくらい昂ぶっている自分自身を。
「素敵ですよ、・・・魅録。」
清四郎は胸にキスをしながら、俺に添えた手を大きく動かし始めた。
俺は金縛りにあったように、体を捩ることも、手先や足先をぴくりと動かす事もできなかった。
呼吸が乱れる。
清四郎からもたらされる刺激に、目の前が赤くなる。
「や、やめ・・・」
ようやく出せた声は思いの外、大きかった。
・
・
・
・
自分の声に跳ねるように起き上がった。
汗で背中にパジャマがべったりと貼りついている。
俺は喘ぐように酸素を体に取り入れた。布団を掴んでいる手が震える。
「魅録・・・？」
清四郎がナイトスタンドを点け、こちらを見ている気配を感じる。
「・・はぁ・・・はぁ・・・・」
何がどうしたんだ、頭にモヤがかかる。
「どうしました？」
肌のあちこちに清四郎の感触が残っているのに、その声に距離を感じ、俺は戸惑った。
「悪ぃ、起こし、・・・ちまったな。
・・・何か、変な、・・・夢、見てよ・・・。」
切れる息の合間をぬって、現実に戻ってくる。
夢？ ・・夢・・・か・・・？本当に・・？
自分で言いながら、あまりにもリアルな感触に本当に夢だったのか確認せずにはいられない。
いつの間に寝入っていたのだろう。
夢と解ると同時に疑問が涌く。
なんて夢見てんだ俺は・・・。
欲求不満か・・・？ それ以前になんで清四郎なんだ？
呼吸が落ち着いてくると同時に大きな溜息が出た。
「大丈夫ですか？」
清四郎が水の入ったコップを持って来てくれた。
差し出されたコップを受け取り水を口に含む。
カラカラになった喉に水が染み込み、熱くなった体が徐々に冷めていった。
「ああ、サンキュ。
・・・・もう大丈夫だ。」
呼吸は整ったが、まだ清四郎の顔を見ることができない。
先程の疑問がぐるぐると頭の中を回っている。
「女装なんかしたから、疲れたんでしょう。」
清四郎が同病相憐れむといった声を出した。
「そうかもな・・・。
俺、汗かいたからシャワー浴びて寝るわ。悪かったな、起こしてよ。」
「いえ、いいんですよ。
じゃ、おやすみなさい。」
清四郎はベッドへと戻って行った。
俺はシャワーを浴び、清四郎のベッドから一番離れた場所にあるソファに腰掛けた。
煙草に火をつけ深く吸いこむと、溜息と共に煙を吐き出した。
やけに煙草が苦く感じられ、その後は吸うでも無く闇の中にともる炎をぼんやりと見つめた。
この炎のように、何かが俺の中で燻り続ける。
この炎を俺は燃やしたいのだろうか、消したいのだろうか。
その日、再び俺が寝つけたのは空が白み始めた頃だった。
* * * * *
答らしきものが出たのは数日後。
いよいよ女の城から出られるという時。
バーニーズマウンテンドッグの子犬を追って、遊び場だった洞窟の中を進んだ。
岩壁の穴に何かを見つけ、子犬が尻尾を振る。
それを一緒に覗きこんだ悠理が叫んだ。
「ぎゃ！！
な・・・なんだあ！？ 清四郎が女二人と一緒に死にそうだぞ。」
そんな馬鹿なと思いながら、ほんの少しの岩の隙間から清四郎の姿を捜す。
岩の向こうは温泉のせいか、蒸気で見ずらくなっていた。
「清四郎！」
清四郎が呼びかけに反応しゆっくりと顔を上げる。
「魅・録・・・」
俺の名を呼ぶ、その弱弱しい声に俺は背筋が寒くなった。
もう会話もできず、途切れ途切れに言葉を発するだけだ。
『早く助け出さなくては』 その思いと、
『清四郎が死んでしまう』
そんなとてつもない恐怖と戦いながら、手段を考える。
歩くこともままならないスカートを引き裂き、俺は走り出した。
『落ち着け、魅録、良く考えるんだ』
自分で自分に言い聞かせ、記憶を呼び起こす。
何があった？ 何が使える？
子犬を捜した事が役に立ち、解決策が思い浮かんだ。
急場しのぎのダイナマイト。
いつもならば計算し尽くしてのそれを、勘に頼って作る。
岩の厚みに対し火薬の量が足りるかどうか、逆に破壊力が大きすぎて、向こう側に崩れないか、それは一か八かの賭けだった。
そして、運は俺達に味方した。
破壊した岩壁の向こう側から清四郎を救い出す。
抱き支えた清四郎は信じられないくらいに頼りなかった。
頭から血を流していたが、血はほとんど止まっていて致命傷ではない。
中にいた全員をひとまず安全な場所へと運ぶ。と岩に亀裂が入り湖の水が噴き出した。
まずい事をしたかもと思ったが、清四郎の命には代えられない。
清四郎が目を覚まし、悠理が泣いて喜んだ。
俺も泣きたいくらいだった。
清四郎が生きてそこにいる。それだけで良かった。
「助かったのか・・・。正直、・・・だめかと思いました。」
そんな弱音を吐く清四郎にさっき感じた恐怖が甦りそうになる。
俺は自分を叱咤し、いつも通りを振舞った。
「何がどうなったのか教えろよ。
頭のケガ、誰にやられたんだ？」
「この いまいましい スカートの せいで ６７歳の お姉さんに 」
息苦しそうに服の衿を広げ、大きく呼吸しながら答えた清四郎に、俺も悠理も驚きを隠せなかった。
「カツラをかぶってて良かったですよ。」
キズの手当てを受けながら笑って話す清四郎に、ぎこちない笑みを返す。俺の中ではまだ笑い事にはできなかった。
俺は清四郎を失いたくなかった。
あの時の気持ちは、友情という言葉だけではくくれない何かがあった。
この想いは一過性のものなのか、一生涯のものなのか・・・。
それから俺は不安定な気持ちのまま、親友としての位置を保ち続けた。
* * * * * * *
そんな俺の想いが成就する事も無く散っていったのは、それからしばらくたった頃のことだった。
悠理がアスレチックの事故で頭を打ち、その後予知夢を見るようになった。
最初は笑い事のような夢だったが、ついには命に関わる夢を見てしまう。
自分と可憐が死んでしまうと途方に暮れた子どものように泣き喚く悠理。
そんな悠理を清四郎は慈しむように頭を抱き、宥めるように声をかける。
『大丈夫だ。
絶対おまえは死なないから。
飛行機で落ちようが、ビルから落ちようが、絶対 死なない。
保証してやるよ。』
絶対的な自信を持って言われたセリフは他のヤツが言えば、ただの戯言に聞こえたかもしれない。
だが、清四郎が言うと、真実味を増す。
それはまるで自分がお前を守るとでも言いたげな言い方だった。
俺の認めたくない“愛”ってやつが、そこに存在した。
あのバカで口より先に手が出て食欲しかない悠理にも、その想いを気付かせるのに十分な程・・・。
それまで悠理と清四郎の関係を『孫悟空とお釈迦様』と思っていた俺は、思い違いをしていた事に気が付いた。
暴れ者の孫悟空と、その首根っこを掴み、たしなめるお釈迦様ではない。
『お釈迦様の掌』は自由に飛び回る悠理を包み込む清四郎の包容力そのものだという事に。
あのシーンを見せられたとき、
“ああ、この二人の間には入りこむ隙間なんてねえな。”
そう思った。
* * * * * * *
そして、今、俺の隣には野梨子がいる。
悠理と清四郎が付き合いだして、美童と可憐は相変わらずデートに忙しく、自然と部室でも俺と野梨子だけの時間が増えた。
清四郎に頼まれて野梨子を家まで送る事もあった。
二人の時間を持つうちにお互いに相手を想う気持ちに気が付いた。
俺は野梨子を大切に想っている。
その気持ちに嘘は無い。
ただ、時々、・・そう本当に時々、消えかけた炎が燻る。
幼なじみとして長く同じ時間を過ごしてきた清四郎と野梨子。
漆黒の髪、引き込まれそうな黒い瞳。
凛とした強さ、潔さ。
豊富な知識も、思いも掛けず強い意志も。
とても似ている二人。
俺は野梨子を想って清四郎にあの不思議な感情を抱いたのか。
それとも、清四郎を想って、今、野梨子に惹かれているのか・・・。
俺の中で消えることのない炎が燻り続ける。
0wari
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