針仕事

 

「わぁぁっ」

窓から身を乗り出した悠理が、体勢を崩した。

「きゃぁ!」

一番近くにいた野梨子の悲鳴。

窓枠から、悠理のスカートが消える。

駆けつけ腕を伸ばした清四郎だったが、その手は空を切った。

 

「悠理!!!」

 

部室内の全員が、悠理の落下を確信して凍りついた。

 

しかし。

 

さすがの反射神経。悠理は自ら手を伸ばし、清四郎の制服の袖をかろうじてつかんでいた。

清四郎は渾身の力で悠理の手を引き上げる。

ふたり、転がるように部室内に腰をついた。

「・・・ふぅ」

悠理の腰にしっかりと腕を巻きつけ、清四郎の口から安堵の息が漏れる。

悠理は清四郎に抱きついたまま、まだ息が荒い。

 

「やばかったなぁ」

「気をつけてよぉ」

 

仲間たちの言葉で、やっと悠理は清四郎の胸に伏せていた顔を上げた。

「ごめんな」

「まったく、いくらあなたでも、ここから落ちたら無傷とはいきませんよ」

「うん・・・ありがと」

悠理はへへ、と照れ笑い。

「えと・・・あのさ、清四郎」

「はい?」

「腕、放してくんない?」

「あ、ああ、すみませんね」

清四郎は悠理の華奢な体に回していた腕を解いた。

悠理はぴょんと起き上がり、清四郎から離れる。

清四郎も腰を上げながら、悠理を抱きしめていた自分の手をじっと見つめた。

 

「おや」

清四郎は眉を上げた。

「ありゃ」

悠理も気づいて、こちらは眉を下げる。

「ごっめーん、破いちゃったか」

その言葉で、仲間たちも清四郎の制服の袖が破れていることに気がついた。

 

「まぁ、清四郎。縫って差し上げましょうか?」

野梨子の親切な申し出に、清四郎は頷きかけたが。

「いえ、悠理に責任を取ってもらいます」

ニヤリと笑って、悠理に視線を移した。

「げっ」

悠理が顔色を変える。

「悠理も、家庭科は必修でしょう?」

清四郎は悠理の目の前に裁縫箱(生徒会室備品)を置いた。

そして、制服を着たままの腕を、彼女の前に差し出す。

 

誰の目にも、無謀な行為であることは明白だった。必修の家庭科を悠理が乗り切っているのは、よってたかって悠理の世話を焼きたがる女子連のおかげであることは有名な事実だ。

悠理は針仕事をしたことなど、ないに違いない。

しかも、清四郎は制服を脱ぐことすらしていないのだ。

 

「うへっ、それは自殺行為だぜ、清四郎さんよ」

「あ、あぶないわよ、清四郎!」

「流血の惨事だよぉ」

仲間たちそれぞれが止めるが、清四郎は平気な顔。

「ほら、悠理、数センチだけです。縫ってください」

馬鹿にしているのか悠理が泣きを入れるのを待っているのか、挑戦的な笑みを浮かべている清四郎を、悠理は睨んだ。

ごくんと唾を飲み込む。

「よ、よし、やってやらぁ!覚悟はいいか!」

ちゃ、と針を構えた悠理に、仲間たちは息を飲んだ。

 

ぶす。

 

勢いよく針を突き刺した途端、清四郎はわずかに顔を歪めた。

「・・・せめて糸を通してください、悠理。それに、僕の腕に刺さっています」

「わぁぁぁっ!ごめん〜〜」

 

 

 

それから30分後。

破れた袖5センチばかりはなんとか縫い合わされた。

テーブルから裁縫箱が退かされると同時に、今度は救急箱(備品)がドサリと置かれる。

 

清四郎は沈痛な面持ちで、薬箱を開いた。

「悠理、手を出してください。消毒します」

悠理は俯いて半ベソだ。

「・・・ごめん。おまえも血が出てっだろ?」

「僕よりも明らかにおまえの方が治療を要します」

 

清四郎のワイシャツの手首と、縫い合わされた制服の袖には数箇所血痕が付いている。

シャツのそれは清四郎の、そして制服に付いた血は悠理のものだ。

清四郎は慣れた手つきで悠理の傷を治療した。

 

「・・・悪かった」

清四郎がポツリと呟いた。

「・・・なんで、おまえが謝るんだよ」

気まずそうに黙々と包帯を巻いている清四郎と、うな垂れた悠理。

 

仲間たちはため息をついた。

「清四郎が無茶なのよ。こうなることは予想できたじゃない」

「だけど、悠理はがんばりましたわ。ちゃんと・・・とは言えませんけど、投げ出さずに縫い上げましたもの」

「余計なところも縫ったり切ったりしてたけどな」

「すごいカギギザだよね、あれ修復できんの?」

清四郎の制服の袖は、血痕よりも目立つ縫いあとが残っていた。

「おばさまは洋裁がプロ級ですもの、なんとか・・・・なんとか、なりませんかしら?」

 

 

 

しかしその後、悠理の苦闘のあとは、いつまでも清四郎の袖に残ったままだった。

悠理は「嫌味かよ」とオカンムリ。

日頃の言動が響き、仲間たちの誰もが悠理と同じ感想。

悠理に刺された手首が痛むフリをして、自分の袖に口付ける清四郎の目尻が下がっていようとも。

 

菊正宗夫人の名誉のために追記しておくと、彼女は息子に制服を触らせてさえもらえなかったという――――。

 

 

 


哀しいことに、ほぼ実体験ネタ。私はもう信じられないくらい裁縫が苦手!子供の雑巾縫ってて、裁ちばさみで切腹。体操服のゼッケンは血染め。

悠理のようなお嬢に生まれたかった〜〜(号泣)

おかげで我が家では、針仕事(とアイロンかけと洗い物)は、ダンナの仕事です。

 

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