あのこにそっくりだ。
そう思った途端、彼女に無性に会いたくなった。


サクラサク 冬の日

          by 千尋様




男山との散歩中、普段は通らないその古びた石段をふと上る気持ちになったのは、その先に神社がある為だった。
一昨日の土曜日、第一志望校である聖プレジデント学園の高等学部入試を受けたばかりの俺は、最終的な結果がわかるまで、できる限りのことは全てやり尽くそうと決めていた。

カーキーのマフラーに埋めていた顎を上げて、俺は石段を見上げた。
踊り場を数に入れても三十段あるかないか、そのくらい微妙な段数の石段の前で、俺は左手のリードを軽く引く。
「男山、ストップ」
俺の歩調に少し遅れて立ち止まった相棒が、俺の足元で小首を傾げて俺を見上げる。

「男山。いつものコースじゃなくて悪いけど、ちょっとだけ付き合ってくれないか?」
愛犬の頭を撫でながらそう言うと、俺の意思を感じ取ったのか、男山は石段に自らの前足をのせ、軽々と先に上がりはじめた。
「おい。俺を置いていくなよ」
俺のことなど忘れたように前へと進んでいく男山の後ろ姿に、笑いが込み上げてくる。
先を行く男山に引っ張られ、少し前のめりになりながら、俺は石段を駆け上がって行った。
一つ段を上る度、徐々に姿が見えてくる頑丈そうな鳥居が再び俺の視界から消えるまで、男山と俺は走り続けた。

 



*********

 



その桜の木は、師走の空の下、冴え渡る空気を身に纏い、鳥居の右側に、凛と立っていた。
そして、桜の木のすぐ側には、品種名と解説が書かれた木製の看板が立てられていた。
俺は看板の前へ立ち、身を屈めた。

冬桜、という名のその桜は、看板の説明書きによれば、時期外れに花をつけた桜なんかでは決してなく、れっきとした、冬に花を咲かせる品種の一つであるということだった。
そして、冬桜の説明書きはこれだけに留まらず、別名を小葉桜(コバザクラ)ということ。
マメザクラとヤマザクラの自然交配種であるということ。
さらには、冬の間の一月ほどを咲き続けた後、翌年の春にまた再び花を咲かせる二度咲きの桜であるということ。
そういった類の解説を、冬桜の側に看板を立てた人物は、簡潔に書いて見せていた。

俺は看板から離れ、改めて冬桜をじっくりと眺めた。

冬空に枝葉を伸ばし、一重咲きの白い花を咲かせて、冬桜は誰にも臆することなく、真っすぐ立っている。
そんな桜の姿を眺めているうちに、俺は一人の女の子のことを思い出していた。
来春、聖プレジデント学園の高等学部に進学するその女の子は、愛らしい容姿に冷静な雰囲気を湛えた小柄なお嬢様で、そのたたずまいはまさに、今目の前にある冬桜そのものだった。

俺はジーンズのポケットに右手を突っ込み、携帯電話を取り出した。
電話帳から登録済みの彼女の名前を捜し出し、携帯の決定キーをプッシュする。

お互いの名前を知ってから半年以上。
近頃ようやく俺の名前を自然に呼べるようになった彼女が、携帯電話の向こう側に現れる。
「魅録?」と、ためらいがちに俺の名前を呼んだ後、彼女は、何かありまして、と、やわらかなトーンで言葉を続けてくる。
澄み切った空の下に咲く、小さな白い冬桜を見上げながら、俺は静かに口を開いた。

「野梨子、あのさ。野梨子に、見せたいものがあるんだ ――」

 

 



−了−

 

作品一覧 

 

  

 

背景:空色地図様