6.
「・・・もう十分ですわ。ここまでされて、大人しくしていることはありません。」 それまで黙ったまま囚われていた友人が、初めて口を開いた。
「こんな屑、話し合う価値もないですわ!」
野梨子は蔑みに満ちた視線で、池亀を睨んでいた。 池亀は無害な人質だと侮っていた美少女の発言に、驚いて息を飲む。 「なにを・・・」
「屑でご不満なら、汚物でも害虫でも結構ですわ。」 野梨子の周囲の屈強な男達も、小柄なか弱い囚人を驚いて見つめた。
「イボ亀だかヒキガエルだか知りませんが、可憐を純粋に想っての行為なら、タチの悪いストーキングもまだ許せました。けれど、毒を盛ってまで自分のものにしようとするなんて、言語道断、犯罪以下の行為です!」
野梨子の大きな黒目がちの瞳が、怒りに燃えている。 苛烈なオーラが見えるようだ。
野梨子の見事な喝に、清四郎は眉を下げ、美童は音を出さず小さく口笛。
「・・・母ちゃんも怖いけど、野梨子も怖ぇえ・・・・」 悠理の呟きに、魅録も無言で頷く。
決して大声を上げているわけではないのに、野梨子の静かな怒声は、周囲の男達を竦ませた。 真っ直ぐに睨みつけられている、池亀はことさらに。
それは、さながら、蛇に睨まれた蛙。
「じ、自分の立場をわかっているのか!有利なのはこちらの方・・・」
それでも、池亀が手にした小瓶を掲げようとした時。
「犯罪の証拠は、もう十分揃っていますでしょう。何をグズグズしているんですの、清四郎、悠理!」
名指しされた清四郎と悠理は、野梨子の言葉と同時に動き出していた。 悠理は池亀に飛び掛り、パンチ一発。なんなく解毒剤を確保する。
清四郎は野梨子の周囲を固めていた男達を、手足を一閃させるだけで昏倒させた。
可憐を腕に抱いた魅録に、悠理の手から小瓶が投げ渡される。
清四郎が叫んだ。 「魅録、どんな毒かもわからないが、とりあえず一口飲ませてください!」
空中で解毒剤をあぶなげなくキャッチした魅録は、 「・・・ええい、ままよ!」
小瓶の中身を口に含むと、可憐の上に顔を伏せる。 口移しでほんの一口。 わずかに開かれた可憐の唇に、魅録は自分の唇を重ねていた。
含ませた液体を、頭を持ち上げて飲み込ませる。
事態の成り行きを見守っていた仲間達に間から、安堵とも落胆ともつかぬため息が漏れた。
もちろん、可憐は口づけで目覚める眠り姫ではなく――――依然として、意識を失ったままだった。
「・・・・あれは、本来なら僕の役得のはずですがねぇ。」
清四郎は腕を組み肩を竦める。 「っ!」 池亀を蹴りつけていた悠理は、その言葉に足を取られて体勢を崩した。
「おっと、」 清四郎はタイミングよく手を差し伸べ、転びかけた悠理を支えた。 「ガマの油にでも滑ったんですか?」
クスクス笑う清四郎を、悠理は睨みつける。 真っ赤に顔を染めて。
瞬時にカタがついたとはいえ、会場の片隅で行われた乱闘に周囲は騒然としはじめた。
「は、はは、あんたら傷害罪で訴えてやる!ボクが毒を盛ったという証拠など何もないが、あんたらの行状は目撃者も多いからな!」
悠理にボコられながらも、しぶとく死んでなかったヒキガエルが減らず口を叩いた。 「なにをっ、もっかいぶちのめして欲しいか!」
悠理はもう一度戦闘態勢を取って拳を固めたが、私設SPらしき男達が坊ちゃんの一大事と駆けつけ、周囲を取り囲んだ。
一触即発の緊張が走った一同の中。
美童と野梨子は、落ち着いた笑みを交わしあった。 「証拠など何もないとおっしゃいました?」
周囲を敵に囲まれているとはいえ、清四郎、悠理、魅録にしっかりと守られている。彼らの表情に不安はない。
「そうだっ!あんたらの証言など、ひねりつぶしてやる!」 口から泡を飛ばす池亀の醜さを厭うように、美童はハンカチを取り出し優雅な所作で振った。
「残念でした〜。可憐の腕時計には盗聴器が仕掛けてあったんだよ。僕達の会話はすべて録音されている。ヒキガエル君の、悪事の告白もね。」
携帯を開いて救急車を要請していた清四郎が、美童の言葉に片眉を上げた。彼も知らなかったのだ。
「・・・魅録、すぐに菊正宗病院から医師と救急車が来ます。ここなら5分ほどしかかからない。可憐を運び出しましょう。」
清四郎に促され、可憐を抱いたまま魅録は立ち上がった。
「この屋敷には警察の内偵が入ってる。証拠なんざ、ほかにもすぐに出てくるだろうぜ。いくら親馬鹿の父親を頼っても簡単にもみ消せるとは思わねぇこったな!」
内心の憤怒を抑えつつも、魅録の睨みつける双眸は静かな迫力を湛え、ヒキガエルを圧倒した。
抱き上げられた可憐のドレスが、ふわりと揺れる。 パーティ会場の人波が割れた。
仲間達は、可憐を抱いた魅録を中心に、堂々と広間を横切り屋敷の出口に向った。
池亀は悔しげに踏み潰された蛙そのものの異音を発したが、誰一人振り返りもしなかった。
*****
「救急車の中でも処置ができるよう、医師と看護士が乗っています。全員は乗れませんから、可憐に付き添うのは魅録一人でいいでしょう。」
大物政治家宅の大仰な門前で、可憐と魅録を乗せた救急車を残る四人は見送った。 「タクシー呼ぶ?」
「ちょっと歩けば、流しのタクシーもつかまりそうですわね。」
「そうですね。野梨子は着物だし、この寒さですから、大通りでタクシーを拾いましょうか。」
「おまえらはそうしなよ。あたいは歩くよ。菊正宗病院まで、車で5分の距離なんだし。」
乱闘の興奮冷めやらぬ悠理は、一人先頭に立って早足で歩き出した。 「待ってください、道をわかってるのか?僕も付き合いますよ。」
清四郎が悠理を追う。 白いファーのついた短いジャケットの隣に、黒い長身のコートがすぐに追いつき並んだ。
美童と野梨子は、ふたりの背中を見て、顔を見合わせ微笑みあう。 今日、何度目かの視線が絡んだ。
共犯者めいた微笑は、だけど少しでも艶めいた色を乗せれば、すぐに曇ってしまうだろう。
それをわかっている美童は、笑みを交し合うだけで満足していた。
一歩一歩間を詰めればいい。
なにしろ彼の想い人は、飛び切りの箱入りの上、頑なで情の強いお姫様だから。
そうして、もう一組は。
「・・・なにか、怒っています?」
肩をいからせて大股に歩いてゆく悠理の顔を、清四郎は覗き込んだ。 「可憐を心配してるだけだっ!」 悠理はプイと顔を逸らす。
「きっと大丈夫ですよ。池亀の言葉通り、可憐がすぐに快復しない毒など盛っても、彼に益はありませんからね。」
「・・・役得、魅録に奪われて残念だったな。」 ボソボソ呟かれた悠理の言葉に、清四郎は苦笑した。
「今回の一件で、誰が一番可憐を案じているかバレてしまいましたね。魅録も不器用ですな。そういうことなら、僕がわざわざ恋人役などしなくても良かったのに。」
「・・・おまえは、それでいいのかよ・・・?」 「いや、参りましたね。まさか盗聴器まで仕掛けているとは、僕も気づかなかった。」
「そーゆーんじゃなくて・・・可憐と・・・その、結構良いムードだったじゃん?」 悠理の言葉に、清四郎は片眉を上げた。
「さては、盗聴器で聞いていましたね?・・・まぁ、楽しかったですよ。可憐は可愛いイイ女ですから、男なら誰だって演技に熱が入るってもんです。」
清四郎の軽い言葉に、悠理はジロリと視線を尖らせる。
「はん、演技が本気になったりして?」 やっと清四郎に顔を向けたものの、非友好的な悠理の視線にも何処吹く風。
「もともと、演技力を買われての抜擢でしょう?」
清四郎は愉快気な微笑を返した。
「僕もたいがい、色々な役割を演じてきましたからね。可憐の彼氏役のほか、刑事役やら、百合子おばさんの秘書というのもありましたし・・・そうそう、剣菱の放蕩娘の口煩い執事役、なんてのもやりましたっけ。」
「へ?そんなんあった?」 「ほら、修学旅行で裏オークションに乗り込んだとき。」 「ああ、そんで一緒にとっ捕まったっけ・・・・」
悠理は目を細めて思い出を手繰る。 「色々、あったよなぁ・・・・」 これまで様々な事件を一緒に乗り越え、たくさんの思い出を重ねた。
きっと、これからも。 もし、今回のことで可憐と魅録の関係に変化が訪れたとしても、仲間達の絆は変わらないだろう。
恋愛に縁のない、清四郎と悠理はことさらに。 ちくん――――と。 時折、胸を刺すこの痛みのわけに、悠理が目を瞑り続けているうちは。
カツンカツンと、悠理のブーツのヒールが石畳を打つ。 清四郎の革靴の立てる靴音と、不規則に重なり合う。 冬の夜の冷たい風に、悠理はファーの襟の中でわずかに身を震わせた。 気温が下がっている。今にも、雪が降りそうだ。
「・・・そうそう、剣菱財閥の後継者兼ご令嬢の婚約者、なんていうのも、ありましたっけ。」 清四郎は話を続けていた。
悠理は眉をしかめる。 「・・・やな、役割だったよな。」 悠理にとっても、清四郎にとっても、苦い思い出だ。
「まぁ、確かに。」 清四郎は肯定して苦笑した。 「おまけに演技じゃなかったから、笑い話にもできないな。」
「笑い話だよ、今じゃ・・・」 悠理は唇を尖らせて呟いた。
剣菱への野望の付録として扱われた一件は、清四郎が悠理のことを何とも思っていない証明にしかならない。
トンガリ口の悠理を見て、清四郎はクスクス笑っている。
悠理は咎める気にも笑う気にもなれず、寒風を避けて首を竦めた。
ふいに、暖かな重みが肩にかかる。
清四郎がコートを脱いで悠理の肩に着せ掛けたのだ。
「寒そうですよ。冷やしちゃいけない。」 「なんだよ、女扱いすんなよ。おまえだって寒いだろ。」
「鍛え方が違います。それに僕は辛抱強いんですよ。」
しかめっ面の悠理に対し、清四郎は何がおかしいのか、まだ笑っている。
「・・・・・確かに、笑い話かもしれないな。悠理、おまえは信じないだろうが、それでもあれが僕が自分の意思でしようとした、唯一の役割だったんですよ。」
「へ?」
「リベンジできるものなら、将来してみたい。馬鹿だしドーブツだし大食いだし・・・・可愛いイイ女とは程遠いのに、ね。」 悠理はポカンと口を開けた。
清四郎の言わんとすることがよくわからなかったから。
足を止めた悠理は、清四郎を見上げた。 清四郎も足を止めて、悠理を見つめていた。
清四郎の顔から、笑みは消えていた。悠理をからかうような笑みは。 優しい黒い目の中に、悠理の顔が映っていた。
「リベンジって・・・・」 「今すぐに、じゃありません。将来、ですよ。僕は辛抱強いんです。」
清四郎は悠理の背中をポンと叩いて、歩き出した。
悠理はまだ足が踏み出せず、目の前の広い背中を唖然と見送る。
清四郎は後ろ手にヒラヒラ手を振った。
「その時には、いつかのように決闘なんて事態は避けたいもんですな、願わくば。可憐の恋人なんていう王子役のせっかくの経験も、姫君との決闘を本番にしては、物語にもならない。」
清四郎は悠理を振り返らないまま、軽く言う。
その口調は、あいかわらず皮肉でふざけていたけれど。 「はぁ?本番?決闘?・・・だいたい、誰が王子だよっ!」 悠理は肩に掛けられたコートを胸の前で握り締めた。
前を歩く背中を追って駆け出す。
「野梨子が、可憐はヒキガエルに求婚されたおやゆび姫で、おまえは可憐を助けるツバメみたいなもんだって言ってたぞ!」
「おや、じゃあ花の国の王子は、他にいるわけ・・・だ。」 追いついた清四郎の背に、悠理は拳を入れた。 「笑いすぎだ、この!」
族上がりのピンク頭の友人を清四郎は連想したに違いなく、肩を震わせて笑っていた。
「お、おまえはさしずめ、『眠り姫』・・・は言いすぎだから『みにくいアヒルの子』なんて、どうでしょうかね?」
清四郎は身を二つ折りにせんばかりに笑っている。
悠理もつられて笑い出した。 「だから、わけわかんねーこと言って爆笑してんな!」
最初の雪のひとひらが、ひっそりと夜空から舞い落ちる。 しかし、寒さなど吹き飛ばす勢いで、ふたりは笑っていた。
騒動の夜の、幸福な結末まで、もう少し。
*****
病院の窓からは、降り始めた雪が見えた。
しかし、おやゆび姫が目覚めて最初に目にするものは――――。
まだ冬の寒さは去らないけれど、おやゆび姫は待ち望んだ幸福を見いだすに違いない。 心から彼女を愛する男の、真剣な眼差しに。
春色の髪の、彼女だけの王子様に。
END
(2008.1.7)
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