春・ららら

     BY フロ

 

 

春。

凍りついた川面は溶け、草木も芽吹く季節。

太陽は雲間から顔を出し、再び大地を照らす。

それを疑ったことはない。

移ろう季節に、心が揺れても。 

 

 

「明日からの春休み、どっか行こうぜ!」

大学生活で根城にしている学生棟の豪華なサンルーム。まったりのんびり集っていた仲間達の中、悠理の呼びかけに、いち早く答えたのは魅録だった。

「あ、俺はパス。親父のFBI視察にくっついて行くんだ。」

将来インターポールに入ることを希望している魅録は、最近猛勉強している。

「あたしも、遊んでいる暇ないわ。ジュエリーデザインの講習が入っているのよね。」

母親の店を本格的に手伝い始めている可憐も同様。

悠理はつまらなそうに、隣でPCを開いている清四郎に初めて顔を向けた。それまで無視していたわけではないが、背を向けていたのだ。

「清四郎は?」

ちろんと半眼で悠理は問いかける。

猛スピードでキーボードを叩きながら、清四郎は冷たく言い放った。

「僕も無理です。親父が珍しい症例の手術に立会わせてくれる予定だし、そもそも学生には春休みでも、世間は年度末の決算月ですからね。」

「って、おまえ、学生だろー?!」

清四郎はPCに向けていた顔を上げた。

「悠理、知らないんですか?剣菱商事の株がこのところ変動しているんですよ。決算の結果を相場は注視しています。」

「なになに、清四郎も株売ろうとか思ってるのかい?」

美童の質問に、清四郎はため息をついた。

「そりゃ、多少の株を持っていますがね。僕が剣菱の株を動かしたら、問答無用、インサイダーに引っかかりますよ。」

清四郎は高校時代に悠理と最初の婚約をして以来、剣菱の経営に首を突っ込んでいる。当然のように剣菱家のコンピュータルームにはフリーパスだし、万作や豊作から相談を持ちかけられることも多々。剣菱家には清四郎専用の部屋まであるのだ。

「とにかく、僕は無理です。」

清四郎は会話さえ終了、と言わんばかりにPCに顔を戻した。

悠理の頬がぷぅと膨れる。

「つまんねー!どっか行こうよぉ!」

たんぽぽの綿毛のような髪が、地団太を踏むたびぴょんと揺れた。

 

悠理が駄々をこねるのも無理はなかった。

つい先日まで、悠理は両親の企画した『婿選びバトルロイヤル』のせいで、遊ぶ暇もなかったのだ。

清四郎と悠理の三度目の婚約が決裂した直後から、剣菱夫妻は悠理の結婚相手を公募し、選別方法として、勝ち抜きプロレス大会を実施した。

仲間達はお祭り騒ぎをおおいに楽しんだが、当の本人はそうもいかない。

結局、勝ち残った候補者を悠理自身が蹴り飛ばして退けたが、この時点で悠理のストレスはマックス値。

その後すぐに学期末試験になだれ込み、元婚約者の鬼家庭教師に絞られたのだから、悠理がヒス一歩手前で遊びを主張するのも無理はなかった。

「清四郎のケチー!ドケチー!」

悠理の非難の矛先が、元婚約者の清四郎に向うのも。

 

仲間達は悠理に同情の目を向けた。清四郎は少し冷たすぎはしないか、と皆は顔を見合わせる。またもや、悠理に結婚を拒否されたとはいえ、彼らの間に恋愛感情がないのは周知の事実。清四郎がそんなことで拗ねているとも思えない。

悠理と清四郎の婚約破棄もすでに三回目。彼らにとってもすっかり日常茶飯事だ。

 

野梨子が慰めるように悠理に微笑みかけた。

「悠理、私は予定がありませんわ。」

「僕も付き合えるよ。ま、デートの予定もないことはないけど。」

携帯メールをチェックしていた美童も悠理に顔を向けた。不自然に強張った表情から察するに、デート相手から振られたらしい。 

「じゃ、三人で旅行でも行くか!」

悠理は清四郎にくるりと背を向けて、野梨子と美童に向き直った。

「あたい、カナダで春スキーしたいな♪」

「私は春の京都で寺院めぐりをしたいですわ。」

まったく互いの趣味を無視した女性二人の希望にめげず、美童はにこやかに纏めた。

「春のヨーロッパなんてどう?古城めぐりもできるし、アルプスで春スキーもできるよ。」

その提案に、悠理と野梨子は同意。

「それにしようぜ!」

「私もいいですわ。」

きゃいきゃい盛り上がった三人に、清四郎は大きくため息をつき、PCを閉じた。

背後からのもの言いたげな圧力に、悠理は振り返る。

「なんだよ、清四郎?」 

「いえ、あなた方三人で海外旅行とは・・・やめた方が賢明ではないですか?」

「あら、どうしてですの?」

「以前、ヨーロッパに行った時の騒動を覚えてないんですか。しかも古城に春スキーですって?霊避雷針の悠理に、巻き込まれ名人の美童、それと運痴の野梨子なんて、最悪の組み合わせじゃないですか。」

その言葉に、もちろん三人は猛反発。

「馬鹿にすんない!」

「自分が居ないと駄目だとでもおっしゃりたいの?」

「美貌と知性と財力は揃っているじゃないか!大抵のことは、乗り越えられるよ!」

もちろん、美貌=自分、知性=野梨子、財力=悠理のつもりの美童の弁である。

「そうですわ!それぞれ一人では不安かもしれませんが、三人揃えば心・技・体も揃います!」

心=自分、技=美童、体=悠理、のつもりで野梨子も声を荒げた。

が。

「・・・まぁでも、古城は諦めてもいいですわ。」

「春スキーもやめた方がいいかも、ね。」

それでも、数多の経験から学習したのか、野梨子と美童は顔を見合わせて苦笑した。

友人達から財力体力のみ保障された悠理は。

「いいよ、それでも!ヨーロッパを三人で遊び倒しちゃおうぜっ!」

ふたたび清四郎に背を向け、悠理は拳を天に突き上げる。

意気揚々、元気が弾けんばかりの彼女の背に、清四郎は呆れ顔で肩を竦めた。

 

 

*****

 

 

それから、わずか数日後。

いきなりノックもなしに開かれた扉に、清四郎は振り返った。

「・・・・・・・・・・・。」

そこには、苦虫を噛み潰したような顔をした彼の元婚約者が仁王立ち。

予想していた清四郎は、さして驚きもしなかった。指紋と虹彩認証システムを導入している剣菱家のコンピュータルームに出入りできる人間は、彼を含め極少数しか居ないだけでなく。

「お早いお帰りで。」

「・・・・・ふん。」

旅行用ボストンバッグを持ったまま、悠理はモニターの前に座る清四郎の隣の椅子を引いた。

恐ろしく憮然とした表情でドサリと腰を下ろす。

「とんだ旅行になったようですね。お疲れ様。」

清四郎の言葉に、悠理は思いっきり深いため息を吐いた。

「”とんだ旅行”どころじゃねーよ。飛んでねーもん!」

清四郎は苦笑。

「成田空港に爆弾情報が入って、すごい騒ぎだったそうですね。でも愉快犯の犯行だったんでしょ。フライト延期になったくらいで良かったじゃないですか。」

「どこが良かったんだよ!そりゃ爆弾はガセネタだったけど、大勢の人間がパニックになって逃げまどうから、阿鼻叫喚の大混乱だったんだぜ。野梨子は逃げ遅れて踏み潰されそうになるし、美童は役にたたねーし。」

「その後、京都に行き先を変更して新幹線に替えた際、東京駅で野梨子とはぐれたのは、不運ではなく自業自得でしょう。」

「あたいは、弁当買いに行っただけだ!美童の奴が階段から落ちなきゃ、新幹線に乗り遅れることはなかったんだ。」

「おまえが時間ギリギリまで弁当を山ほど買い込んでいたせいでしょう。通り魔に突き落とされた美童と財布も切符もなく名古屋から引き返した野梨子は、不運ですけどね。」

「ふうん。野梨子は名古屋から引き返したんだ?」

「知らなかったんですか?」

「だって、美童と警察行ってたもん。その後、病院行ってたし。」

清四郎は窓のない部屋にかかる各国の時間を示した時計を見上げる。東京時刻は夕刻を示していた。きっと春の穏やかな夕暮れが空を覆っていることだろう。

「菊正宗病院に着いたのは昼過ぎでしょう。そこで美童を下ろして、悠理は伊豆の別荘に向ったと聞いてたんですけど?」

一人になっても春の旅行を遂行する、と意地になっていた悠理だったが、疲れた顔で唇を尖らせる。

「東名高速が事故渋滞で入れなかったんだ!」

「都内も結構渋滞のようでしたけど、よく明るいうちに帰りつきましたね。剣菱会館から地下道路を使ったんですね?」

悠理はむくれ顔で頷く。

「・・・・それにしても、なんでおまえそんなにあたいの一日を把握してんだよ。」

清四郎は自分の携帯を取り出し、メール受信履歴を悠理に見せた。ずらりと並んだ、『野梨子』と『美童』の文字。その数、10以上。

「全部、SOSコールですよ。」

結局、彼ら仲間達が頼るのは、いつだって清四郎なのだ。

悠理もまた同様に。

「だったら、早く助けに来い!」

悠理はふくれっつらで清四郎を睨みつけた。

「仕方ないでしょう。午前中は親父と手術室に詰めてたんですよ。メールに気づいたのは、午後になってからです。美童が病院に来た頃には、こちらに移動してましたし。それに・・・」

清四郎は携帯を閉じて、悠理の目をじっと見つめる。

「・・・・おまえからは、一度も連絡がありませんでしたしね。」

 

ふたりの視線がぶつかる。

強い視線。

意地と意地のぶつかりあい。

 

「・・・・・だって・・・・・」

先に崩れたのは悠理だった。

くしゃりと顔をゆがめる。

「あたいの携帯、空港での騒ぎのとき、壊されちゃったんだもん!」

清四郎は目を見開く。

今日一日の悠理の行動をほぼ把握していた清四郎だったが、これは知らなかった。

てっきり、悠理が意地を張っているものと思っていたのだ。

「じゃあ、公衆電話でも自動車電話でも・・・・」

「おまえの携帯番号なんか、覚えているもんか!」

登録してしまえば番号を打つことなどないから、当然といえば当然なのだが。清四郎は、呆れたように、ふぅと息を吐いた。

「この前教えたばっかりじゃないですか。090の後は僕の誕生日、下四桁はおまえの誕生日だ。」

「あ、あれ?そだっけ?」

「まさか、僕の誕生日を覚えていないとか?」

目を細めた清四郎に、悠理はあわてて首を振る。

「あ?」

しかし、ハタ、と思い至って顔色を変えた。

「・・・・・もしかして、おまえの誕生日って、もうすぐ?」

清四郎はプイと悠理から目を逸らす。

「そうですよ。予定通りなら、おまえはヨーロッパで食い歩きしている頃ですね。」

「あちゃ・・・」

それぞれの誕生日にお祝い会を開くような習慣は、彼らにはない。プレゼント交換すらろくにしない。有閑倶楽部はクールで独立独歩なのだ。

それでも、悠理の眉は下がった。

「だって、おまえどっかのサラリーマンみたく、春は忙しいって言うから・・・・」

「忙しいですよ。」

清四郎はそう言って、目の前にずらりと並んだモニターに視線を戻した。剣菱財閥の事業資料がそこには映し出されている。

シッシ、と追い払わんばかりに、悠理を拒絶した清四郎の横顔。整った白皙の面が無表情なのは、結構、怖い。

「ごめんって、清四郎ちゃ〜ん!」

悠理は猫なで声をあげ、めげずに椅子を動かして清四郎との間の距離を詰めた。清四郎の肩に頬をすり寄せて懐く。

「あたいだって、本当はおまえと一緒にヨーロッパ行きたかったんだよ〜。」

柔らかい頬を押し付けられ、清四郎の表情がほんの少し和らいだ。

「今さら、見え透いてますよ。」

しかし、声は冷たい。

「本当だって!おまえと一緒だと、スキーだってできたしさ〜。ヨーロッパでなくても、どこだっておまえと一緒のがいいに決まってるよ〜〜。」

すりすり。

清四郎の視線が、モニターから悠理へと動いた。

 

たんぽぽのような髪からは、陽の匂い。

肩に押し付けられた温もりが、清四郎の鉄壁のはずの心にまでじわりと染み入る。

 

清四郎は悠理の顎に人差し指をかけ、上を向かせた。

無意識の行動だった。

「?」

無邪気な瞳に見返され、清四郎は動きを止めた。

引き寄せられるように、悠理に向って体が傾いでいたのだ。

 

――――今、思わず悠理にキスしかけなかったか?

 

ふたりはもう婚約者ではない。ただの友人に過ぎない。

悠理に口づける口実も権利も、彼にはない。

 

清四郎は上体を引き起こし、悠理に触れていた手も離した。

しかし、しばしの躊躇ののち、悠理へ再び手を伸ばす。ふわふわの髪に長い指を絡ませる。

清四郎がくしゃくしゃ髪をかき混ぜると、悠理はくすぐったげに首を竦めた。

 

「・・・・今度のゴールデンウイークは、一緒にどこか行きますか。その頃になれば暇も作れるだろう。」

「うん!」

悠理は清四郎の肩に抱きついたまま、目を輝かせた。

パタパタ揺れる尻尾さえ見えそうな態度に、清四郎はついに笑みを浮かべた。

「しかし、トラブルメーカーの悠理のことだから、今度はどんな事件が起こるやら。」

 

たんぽぽの綿毛のように、飛んでいってしまいそうな悠理。

だけど、それを追うのも楽しいと、清四郎はクスクス笑う。

 

「おまえと一緒なら、何があっても大丈夫だもん!」

そんな悠理の言葉に相好を崩す清四郎も、結構、単純かもしれない。

 

ふと、思いついたように、

「・・・・・まさか、空港へ爆破予告したの、おまえじゃないだろーな?」

なんて、疑いの言葉を悠理が口にしようとも。

「・・・・随分ですね。どうして僕がそんなことを?」

清四郎の笑顔は曇らなかった。

結局、悠理は彼の隣にいるのだし。

 

 

うららかな春。

冬の寒気は去り、草木は萌え水も温もる。

婚約は破棄したとはいえ、雪解けと同時に、ふたりの仲も元通り。

病める時も健やかなる時も、太陽の光は変わることなく大地を照らす。

それを疑ったことはない。

移ろう季節に、心は揺れても。

 

今は、春。

 

 

END(2008.4.28)

 


恋愛感情のないままに婚約破棄を繰り返している、ららら大学時代編です。小ネタなのにたらたら書いてたら、GWに突入しちゃった〜(汗)GW旅行編は、また来年?←殴

あ、いくら手段を選ばない清四郎でも、空港爆破予告は冤罪でしょう。(笑)

 

 

 

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