日本の六月に、ジューンブライドなどという風習は似合わない。 案の定、空は鉛色の雲に覆われ、今にも泣き出しそうな天気である。 それでも君は、青空よりも輝く笑顔を控え室じゅうに振り撒いている。 それはそうだろう。今日は君が待ちに待った門出の日。 君が、嫁ぐ日なのだから。 僕が控え室に入ると、中にいた君は少し照れ臭そうに俯いた。 その拍子に純白のヴェールが垂れて、君の顔を隠してしまう。 おめでとう、と僕が祝いの言葉を述べると、君はようやく顔を上げた。 「こういうとき、ありがとう、って礼を言うべきなのか?」 ウエディングドレスを纏っていても、口調は普段のままなので、僕は少し苦笑いする。 「普通はそうじゃありませんか?」 「普通じゃなくてもいいや。やっぱり礼を言うのって恥ずかしいもん。」 いつもの君なら、そこで栗色の髪をくしゃりと掻き揚げるだろうが、生憎と今日は、一本の乱れもなく結い上げられている。仕方なく君は真っ白な手袋を引っ張ったり抓んだりして、手持ち無沙汰を解消する。 僅かな沈黙。ほんの少しの気まずさを味わいながら、僕は君の晴れ姿を眺めた。 大きく肩の開いたドレス。裾にはレースがたっぷりあしらわれ、普段のボーイッシュな姿からは想像もできないほど女らしく見える。健康的な肌色に、薔薇色のルージュがよく似合うことを、残念なことに僕は今はじめて知った。 そして、君の笑顔は、いつもよりずっと輝いていた。 僕がいつも見ていた笑顔と違うことが、少しだけ哀しかった。 まさか、君の花嫁姿を見る日が本当に来るなんて。 ひとのものになる君を見る日が来るなんて。 あの頃は思いもよらなかった。 君の初恋の相手は、僕だった。 自惚れではなく、本当に。 僕の腕の中で眠る君は、本当に幸福そうだったし。 何より君も、僕と離れるなんて考えもしていなかったし。 でも君は今、僕ではない男と将来を築こうとしている。 それが、君の選んだ答え。 だから僕は、何も言わずに微笑んでいる。 君の幸福を願いながら。 軽やかなノックを合図に、僕の仲間たちが現われた。 君の艶姿を見て、一様に驚きの声を上げる。 「すっごい綺麗じゃない!やっぱり女が人生で一番美しくなるのは、ウエディングドレスを着たときよねえ。」 「本当に綺麗ですこと。そのまま飾っておきたいくらいですわ。」 「うわ、その格好を見ると、何だか照れ臭くなるな。まあ、とにかく、おめでとう。」 「ああ、どうして今まで放っておいたんだろ?その美貌に今まで気づかなかったなんて、一生の不覚だよ。まあ、結婚式の当日になって美しさに気づいても遅いか。」 気のいい仲間たちの、少し屈折した祝いの言葉に、君は声を立てて笑った。 彼らの登場で、少し緊張が解けたのだろう。君は粗雑な仕草で椅子に腰掛け、訪れた招待客のために用意された菓子を、花嫁とは思えないほど口を広げてぱくりと食べた。 「なんだよ。やっぱり中身は野生の王国のままか。」 あまりの姿を見て、メカとロックをこよなく愛する友は大袈裟に顔を顰めた。 大和撫子を地で行く友も、呆れた様子で君を眺めている。 「あら、変にしおらしいほうが気持ち悪いじゃない。普段どおりが一番よ。」 「そうだね。借りてきた猫みたいに大人しかったら、こっちが不安になるもの。」 花嫁に対して言いたい放題だ。 流石の君もムッとしたらしく、僕の仲間たちに向かって思い切り舌を出した。 菓子を両手に持ったまま歩き回る君に、僕は少し慌てた。 「ほら、あまり動き回ると、せっかくのドレスが汚れてしまいますよ。」 僕が嗜めると、君は菓子を頬張ったまま、くちびるを尖らせた。 「もう、こんな日まで口煩く言うなよ。」 「こんな日だからです。汚れた花嫁なんて、洒落にならないですからね。」 口ではそう言いながらも、本当は溌剌とした君を見るのが大好きだった。 仔犬のように、僕にじゃれつく君。 無茶をして傷だらけになっても、ガキ大将のように胸を張っていた君。 大粒の涙を零しながら、僕の胸に飛び込んできた君。 いつでも真っ直ぐで、自分の心に正直だった君。 そのせいでボロボロになっても、明るさを失わなかった君。 そして僕は、そんな君を影になり日向になり、今までずっと守り続けてきた。 辛いこともあったけれど、どれもこれも、珠玉の思い出だ。 式場の係員が、間もなく時間になります、と知らせてきた。 それじゃあ一足先に、と仲間たちが部屋から出て行く。 残されたのは、僕と君のふたり。 また、少し気まずい沈黙が流れた。 「あのさ、あの・・・」 か細く掠れた声。 僕は振り向いて、驚いた。 強気を映した君の瞳が、いっぱいに涙を湛えていたから。 僕は君に歩み寄って、ハンカチを差し出した。 でも、君は手を出そうともしない。 だから僕は仕方なく、君の涙を拭った。 「今から泣いてどうするんです?せっかくの化粧が台無しになりますよ。」 僕が微笑んでみせても、君は表情を固くしたまま。 ただ、じっと僕の顔を見つめている。 「ずっと、言わなきゃ、って、思ってたんだ。」 また、君の眼から涙が溢れてきた。 「ごめん・・・それから、ありがとう。」 短い謝罪と感謝。 僕には分かる。いや、長年にわたって君を見守り続けてきた僕だからこそ、分かった。 その言葉には、人一倍に不器用な君の、万感の想いが籠められていると。 だから僕も、本当の心を打ち明ける。 「・・・幸福になりなさい、誰よりも。そうならないと、許しませんよ。」 頷いた君の瞳から、真珠よりも清い涙が零れた。 ドアの向こう側から、喧しい足音が響いてきた。 それはどんどん近づいてくる。 そして、ノックもなしにドアが開いて、彼女が現われた。 上品な留袖を身に纏いつつ、小脇に幼児を抱え。 はっきり言って、恐ろしく奇異な格好である。 「待たせてごめん!こいつが厨房に入り込んでて、探すのに苦労したんだ。」 彼女は袴でも履いているのかと疑いたくなる、大胆な裾捌きで部屋に入ってきた。 本気で追いかけっこをしたのだろう。せっかくセットした髪が、あちこち解れている。 「だから眼を離すなと言ったんです。こいつはお前のDNAを濃く受け継いでいる。」 僕は彼女の脇に挟まれた子供を抱き上げて、やれやれと呟いた。 「人にばっかり責任を押しつけるなよな。責任の半分は、お前にあるじゃん。」 「はいはい。それは失礼をいたしました。確かに責任の半分は僕にあります。」 溜息を吐きながら空いている片手を上げて、降参の意思を示す。 意味のない言い合いなら、僕が折れたほうが早く片づくと、経験上分かっていたから。 その様子を見ていた君は、本当に可笑しそうに、笑って―――― また、新しい涙を零した。 「やっぱ、さっきの約束守るの無理かも。」 君の口から弱気が漏れて、僕は少し慌てた。 「何を言うんです?」 「だって、父ちゃんと母ちゃんより幸福になるの、難しそうだもん。」 君の言葉に、僕は彼女と顔を見合わせて苦笑した。 そして、ふたりで君を囲み、ぎゅっと両手を掴む。 僕に抱かれていた小さな子も、小さな腕を伸ばし、大好きな姉の手に触れる。 「大丈夫。お前なら誰よりも幸福になれます。」 「何しろ、あたいとコイツの子供だからな。」 君の両親は、最強で最高のタッグ。 どんな困難にもふたりで立ち向かい、決して挫けなかった。 ふたりの血を受け継いだ君が、幸福にならないはずがない。 今度は自分で涙を拭い、君はきっと顔を上げた。 タフで、負けず嫌いの性格は、母親である彼女から。 辛抱強くて、努力家の性格は、父親である僕から。 そんな君なら、きっと、僕たちよりも幸福になれる。 「じゃあ、行きましょうか。」 お手を、と言って手を差し伸べると、君はまるで女王のような仕草で僕の手を取った。 まだ涙の跡が残っているけれど、その表情に迷いはない。 そして、僕たちは歩き出した。 僕の大事な娘を奪う、憎い男が待つ、ヴァージンロードを目指して。
文章は真面目ですけど、内容は相変わらずお馬鹿です。ゴメンナサイ。 タイトルも、内容からすれば村田ひでお(字が分からない・・・)の「娘よ」がぴったりですけど、読む前からネタバレじゃあんまりだろうと(笑) と、いうことで、懐かしの名曲、「ウエディング・ベル」にしてみました。 「青い珊瑚礁」のときは、固有名詞は『清四郎』しか使いませんでしたが、今回はあえて一切の固有名詞は使いませんでした。なので、もしかしたら『僕』も、『君』も、『彼女』も、ご想像の方々とは違うかもしれませんよ(笑) 意表を突いて、実は千秋ちゃんの結婚話かも(爆)
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背景:Four
seasons様