<2> 数年後。 悠理は二週間前から清四郎とは会っていない。 彼からのメールは毎日のように届いていたが、悠理は返事を出さなかった。 今日入ったメールには、悠理に会いに来ると書いてある。 悠理は慌てて可憐に電話をして在宅を確認すると、彼女の家へと急いだ。 五代には『出かけてくる』とのみ伝え、行き先は誰にも言わずに。 「ふぇ〜ん…可憐〜!」 会うなり泣き出し、しがみつく悠理に驚きながらもしっかり抱きしめ、可憐は悠理を自室へ招き入れる。 「どうしたのよ、一体?! ああ…、落ち着いてからでいいわ。今、お茶でも入れるわね。」 可憐はよしよし、と悠理の背中を慰めるように叩いてから、ティッシュの箱を渡し、お茶を持ってくるために部屋を出た。 まだ目に涙を浮かべてはいるが、可憐が持ってきてくれたハーブティーを飲んで先程より落ち着いた悠理は、 二週間清四郎と連絡をとっていないと話した。 そして「このメール見てくれないか。」と言って、可憐に自分の携帯を渡す。 その画面には、どことなく野梨子を思わせる、肩に届かない位置で切りそろえられた黒髪と大きな目の女の子を 抱いた知的な面差しの女性が映っていた。 続いてメールの文字を追う。 >今日、親父から紹介された母娘です。この麗しい女性は『麗子』さん。“名は体を現す”とは、 こういう人を云うのですね。娘さんの名前は『香奈』ちゃん。とても可愛らしいでしょ。 子供の頃の野梨子を思い出しましたよ。そのうち悠理にも紹介しますね。 「なっ…?!」 可憐は思わず大声を上げそうになったのを抑えて、悠理を見た。 真っ赤な眼をした悠理は「まだ先がある。今日の分まで、全部見て。」と言う。 「いいの?」 可憐が綺麗な眉を顰めながら聞くと、無言でこっくりと悠理が頷いたので翌日のメールを開いた。 >三人で万作ランドに行って来ましたよ。香奈ちゃんが欲しいと言うのでタマとフクの風船を買ってあげました。 ここを造ったのは僕の友人の父親で、この風船のモデルは友人のペットだと話したらビックリしたようです。 二人共とても楽しんでくれて「こんな素晴らしい遊園地を作れるなんて素敵な人なんでしょうね」と言って ましたから自信を持っていいですよ。おじさんにも、よろしくお伝えください。 可憐はますます険しい顔になりながらも、次の日のメールを開いた。 >今日は麗子さんの都合で僕と香奈ちゃんの二人で出かけたのですが、彼女は僕にとても懐いてくれましたから 特別困ることもなく過ごせました。いい子にしていたご褒美にアイスクリームを買ってあげたのですが、 そこのおばさんに「素敵なパパと二人でデートなんて、いいわね」と言われましたよ。こんな言葉を嬉しく思うなんて、 僕にも父性愛があったんですかね。 可憐の手がワナワナと震え始め、顔が紅潮してくる。 次の日も、その次の日も、そのまた次の日も……… 『仕事の帰りに麗子さんと待ち合わせをして、食事をして…ウンヌン』 『香奈ちゃんが保育園で…ウンヌン』 と、その親子のことばかりが書いてあった。 「なんなの、これは!! 悠理、あんた清四郎とどうなってるのよ?」 恋愛とはかけ離れた位置にいると思っていたふたりの付き合いに、驚きとともに不安もあったが、 いざ実際のふたりを見てみるとなかなか似合いのカップルだとみんなが感心していたのだ。 清四郎が悠理を見つめる優しい眼差しや、悠理の表情の輝きに、そろそろおめでたい報告があるのではとも思っていた。 なのに、このメールはなんなのだ! 恋人宛にこんなものを送る男が何処にいる?! 「二週間前、清四郎がうちに来たとき暫く会えないって言ってたんだ。おじちゃんに頼まれたことがあるからって。」 俯き加減で力なく話す悠理。 「それが、…これ?」 「たぶん。」 「で、その二週間前までの清四郎の様子は?」 「…それまでと変わんなかった。だからあたしは……。いつのまにかあたしは清四郎が大好きで、 ずぅっと一緒にいられるもんだと思ってた。でも、あいつは違ったんだ。あいつは付き合いだしたときと同じで、 仕方なくあたしの傍にいただけなんだ……」 その言葉に可憐は驚いた。 「ちょっと、それ、どういうことよ?」 「……あたしたちが付き合いだしたの、四人に気を使わせないためだったんだ。六人で一緒に遊ぶとき、 恋人同士になったおまえたちがあたしたちに気兼ねして楽しめなくなるかもしれないからって、清四郎が 『僕たちもつきあいましょう』って……」 いま、聞き捨てならないことを言われた気がする。 可憐は再度問いただした。 「なんですって? そんなこといわれて、あんた、断わらなかったの?!」 「だって、あたし清四郎のこと嫌いじゃないし、可憐や野梨子たちが楽しそうにしてるの見るの、あたしも嬉しかったし。 だから、いいかなって。」 力なく俯いたままの悠理。 それは、可憐がここ数年見てきた彼女の姿とは余りにも違う。 「でも、ちょっと待ってよ。それは最初だけでしょ? 何年も付き合ってたんだから、お互いに恋人としての気持ちの確認があるでしょう?」 「恋人としての? あたしは清四郎のこと好きだって、さっき言った……」 「そうじゃなくて、清四郎から『好きだ』とか『愛してる』って言葉を言われたことあるでしょ?」 「…言われてない…」 「え?一度も?」 「ん…」 再び涙ぐむ悠理を胸に抱き、可憐は手に力を込める。そして、悠理の携帯を握っていたことを思い出した。 まだ、今日の分のメールを開いてはいない。 とりあえず、冷静になることを心がけながらメールを開いてみる。 >僕は決意しました。僕の人生にかけがえのない人なのだということがはっきり分かったのです。 悠理、女性にこんなことを聞くのはどうかとも思いますが、初めてのことなのでどうしていいか戸惑っています。 プロポーズの時は『結婚してください』だけでいいのでしょうか?それとも、もっと他の言い方がありますか? 僕はどうしてもYESの返事が欲しいのです。悠理、どうか僕にアドバイスをお願いします。今日のお昼には剣菱家に行きますから、その時に教えてください。 「な、な、なっ!!」 可憐は顔を真っ赤にして携帯の画面を睨みつけている。 「なんなのよ、これは?! 清四郎のやつ、許せない!」 可憐の怒鳴り声に、彼女の婚約者である魅録が部屋に飛び込んできた。 「おい、どうしたんだ?」 鬼のような形相で全身を震わせている可憐と、その胸に抱かれて泣きじゃくる悠理が目に入った。 「何があったんだよ?」 再びの問いに、やっと可憐が返事をした。 「魅録、あたしこれから野梨子に電話するから悠理をお願い。」 「え?ちょっと…」 「悠理のこと、頼んだわよ。」 いつになくドスの聞いた声で念を押されると、無言で頷く以外、何もできない魅録だった。 可憐の緊急な呼び出しに応えて、息を切らせて飛んできた野梨子と美童。 二人が目にしたのは、怒り震えてブツブツ言いながら歩き回る可憐と、眼を真っ赤に腫らした悠理をオロオロしながら慰めている魅録の姿。 「一体、何がありましたの?」 「どうしたのさ、悠理。そんなに泣いたら、目が溶けちゃうよ?」 野梨子と美童、そしてふたりが来るまで何も教えてもらえなかった魅録に可憐が今までのことを話す。 「嘘でしょ?まさか、そんなひどい…」 青くなる野梨子に可憐は悠理の携帯を渡す。それを覗き込むようにして見る男性二人。 可憐の言葉が本当だと確認したその時、野梨子の携帯が鳴った。 着信表示に『清四郎』の文字。 魅録が「俺に貸せ」と言ったが、野梨子は首を横に振る。 「わたくしが、出ます。」 有無を言わさぬ口調だった。 「はい。」 「野梨子、悠理がどこにいるか知りませんか?今朝メールしたんですが、返事がなくて…携帯に電話しても出てくれないんですよ。 それで今、剣菱邸にいるんですが行き先を言わずに出かけたようで、居所がわからないんです。」 「…それで? わたくしが知っていたら、どうしますの?」 「どういう意味です? 知っているんですね。今、一緒にいるんじゃないですか?」 「ええ、おりますわ。」 「どこにいるんですか? 悠理と換わってください。」 「悠理は今、話せる状態じゃありませんの。それに、たぶん清四郎とは話したくないんじゃないかしら。」 「なんですって?それは……いや、それよりお願いですから悠理と換わるか、場所を教えてください。…………野梨子!!」 野梨子は全員の顔を見渡した後、言った。 「ここにいらっしゃるなら、それなりの覚悟をしたほうがよろしくてよ、清四郎。わたくしたちは、可憐のところにいます。」 清四郎が可憐の部屋に到着すると、厳しい顔をした野梨子と可憐が立ち上がった。 同じく清四郎に睨むような視線を向ける魅録と美童の間に、眼の腫れあがった悠理が座っていた。 「悠理?」 異様な雰囲気の理由が分からず、清四郎は悠理に問いかける。 ビクッと身体を震わせる彼女を両側に座った男二人が、抱きかかえるように宥めた。 その光景に、眉を顰める清四郎。それでも、悠理に問いかけた。 「悠理、なぜ僕のメールに返事をくれなかったんですか?このところ、ずっと連絡をくれませんでしたよね。 今日は返事をくれとはっきり書いたのに、なぜなんです?」 悠理に近づこうとしたら、野梨子と可憐に邪魔をされた。 「…さっきの電話、随分好戦的な態度でしたよね、野梨子。可憐も御同様みたいですけど、理由を言って欲しいものです。」 さすがの清四郎も、不機嫌な顔になる。 「あんたの胸に聞いてみなさいよ。悠理があたしのところに駆け込んで、あんなになるまで泣く理由。あんたに覚えがないなんて、言わせないから!」 余りの怒りに、可憐の瞳に涙が浮かぶ。 野梨子も、震えながら発する声に怒りが含まれていた。 「清四郎がこれほど残酷な人だとは思いませんでしたわ。」 清四郎の不機嫌な顔に、煩わしさが加わる。 「もっとはっきり言ってもらえませんか。僕が悠理に何をしたというんです?」 そして悠理に向かって手を伸ばし、優しい声で名前を呼んだ。 「悠理。」 悠理が目を見開いて、僅かに首を横に振る。 「悠理?おいで。」 両手を出しても、彼女は立ち上がらない。魅録と美童も悠理の肩から、腕をはずそうとしない。 「魅録、美童。悠理から手を放してくれませんか。」 清四郎の声が、低くなった。 「断わる。」 「悠理には、僕たちの友情が必要だからね。」 「いい加減にしてくれ!」 清四郎が怒鳴った。 長い間一緒にいた五人も、あまり聞いた事のない清四郎の怒声。 周りの空気がビリビリと震えるようだ。 「僕は今日、大事な用があって悠理に会いに来たんです。邪魔をするなら、あなたたちこそ覚悟してください。 この件に関しては、例えあなたたちでも容赦しませんよ。時間もあまり、ありませんしね。」 凄みのある眼で睨みつけられ、四人はビクリと身体を震わせる。 腕力で清四郎に敵うものなどいない。 尻込みしそうになる気力を悠理の泣き顔を見て奮い起こし、魅録が立ち上がった。 「女性陣を前にしてそこまで言うなら、清四郎は本当にわからないんだろうな。」 言いながら野梨子と可憐を自分の後ろへとさがらせる。 「魅録? あなたが説明してくれるんですか。」 まだ、怒りの抜けない声で問う清四郎。 「ああ。俺達はおまえが悠理に送ったメールの内容を読ませてもらった。親父さんから紹介されたっていう親子に会ってから二週間、 それ以外お前からなんの連絡もないことも聞いた。」 「それが何か?」 相変らず不機嫌な顔で問い返す清四郎に、魅録がキレた。 清四郎の胸倉を掴み、至近距離に顔を寄せる魅録。 「『それが何か』だと?! 俺達はみんな、おまえと悠理は恋人同士だと思ってた。俺は悠理を託すのにおまえ以上の男はいないとも思っていた。 それをおまえは…!! もし、他に好きな女ができたのなら仕方ない。人の心はどうしようもないからな。悠理の傷が癒えるまで、 俺達が力になることも考えるさ。だけどな、つきあっていた女に、他の女へのプロポーズの言葉を考えてくれって頼む男なんか、絶対許せねぇ!」 BACK<1> TOP |