<3> 「…………………」 眉間に皺を寄せたまま暫く動かなかった清四郎が、胸元を掴む魅録の手首を握り、くいっと捻って自分の服から彼の手を離した。 「っつ…、痛てーな、放せ。」 魅録は捻られた手を振り上げるようにして、清四郎の手から自由にする。 「あなたがたは……悠理も、それで僕に怒っていたんですね?」 先ほどまでとは違う、静かな声で清四郎は訊いた。 「あたりまえでしょう?! そんなことされて、怒らない女なんかいないわよ!まして、悠理はあんたを愛してるんだからね! 好きな男にそんな仕打ちをされて……悠理がかわいそうよ!!」 最後は悲鳴に近い声で叫んだ可憐は、そのまま泣き崩れてしまった。 「可憐…」 野梨子も涙を流しながら可憐の傍にしゃがみこみ、彼女の肩を抱く。 涙に濡れた眼は、ひしっと、清四郎を睨みつけて。 清四郎は三人を手でどかしながら、悠理が座るソファに近づく。 彼女の傍にいた、美童が正面に立って清四郎を見据えた。 清四郎は美童の手に悠理の携帯があるのを見て言った。 「美童、その携帯を見せてくれませんか?」 「え?」 想定していたどの言葉とも違う清四郎の問いに、気がそがれた。 「悠理の携帯ですよね。」 そういって、美童の手から抜き取り、なにやらチェックしている。 「…清四郎?」 「…………なるほど。あなたがたの立場なら、このメールはとんでもない内容にとれますね。」 ぼそっと疲れたように呟いて、清四郎は悠理の前に跪く。 「悠理。今日のメールの返事、聞かせてくれませんか?あなたは、どんな言葉でプロポーズをされたいと思いますか?」 悠理の目にまた、涙が浮かぶ。 怯えたように首を振り、唇をワナワナと震わせる。 「まだ、わかってくれないんですね。僕は、あなたからYESの返事をもらいたいだけなのに…」 静かに、優しい響きをもった清四郎の声が微かに震えていた。 「せ、せ……し…ろ…?」 一つ溜息を吐いて、清四郎は言葉を続けた。 「あの母娘のことは後で詳しく話しますけど、遊園地に行ったり、他人から仲のいい親子だと言われたりしたのが嬉しかったのは、 あなたとの未来を重ねていたからです。僕にもそんな感情があるんだとあなたにわかって欲しかった。そして、絶対に悠理と結婚したかったから、 悠理が言って欲しい言葉でプロポーズをしたかったんです。…でも、あなたが教えてくれないなら僕の言葉で言いますから、 今度こそ返事をしてくださいね。いいですか?」 悠理の涙に濡れた目には、清四郎の姿が滲んでしまってよく見えないけれど、彼の真剣さが悠理の心に突き刺さる。 真剣に、誠実に、心を込めた自分のプロポーズに悠理がどう返事をしてくれるのか……… 99.5%は『YES』を確信し、だが残り0.5%の不安を胸に秘め、清四郎はひたすら彼女だけを見つめて想いを口にした。 「悠理。婚姻届を出せば法的に夫、妻と言う立場が保証されます。例えどちらかに浮気の疑いが掛かったとしても、 いきなり喧嘩別れをしてそれで終わりというわけにはいきません。別れるまでにはそれなりの時間と手続きがいりますし、 その間に冷静になれば誤解がとけることもあります。もし本当だったとしてもやはりお互いが一番だという結論がでることもあるでしょう。 恋人などという口先だけの関係ではなく、しっかりした契約を結びましょう。」 時間が止まったようだった。 誰も身動きせず、言葉も発しない。 息をするのも忘れたようだ。 その沈黙を破ったのは、可憐だった。 「何よ、今の! そんな言葉に喜ぶ女なんかいないわよっ!!」 叫びながら、清四郎に近づこうとするのを魅録が羽交い絞めにする。 「おい、落ち着け。」 「止めないでよ!一発殴ってやらなきゃ、気がすまないわ。」 「だから、落ち着けって…」 魅録は嫌がる可憐をとりあえず清四郎たちから引き離し、そのまま動けないように拘束した。 「ねぇ、清四郎。そのプロポーズはあんまりだよ……」 ふたりに一番近い位置にいた美童が、小さな声で言ってみた。 「美童にしたわけじゃありませんから、安心してください。」 清四郎は悠理から目を離さずに答える。 「ムダですわ、美童。自分の気持ちをこれまで一度も悠理に伝えられない清四郎に、人並みのプロポースなんてできるわけありませんもの。」 冷たい野梨子の声が響いた。 「僕が悠理に気持ちを伝えていない? 何を言ってるんですか。伝えてますよ、毎日のように。ねぇ、悠理。」 清四郎は野梨子を一瞬睨み反論してから、再び悠理に向き直り優しい声で名前を呼んだ。 悠理は、まだぼんやりしている。 清四郎に名前を呼ばれても、なんの反応も示さない。 これには清四郎の不安指数が跳ね上がった。 自分のこれからの人生を左右する大事な女性。 プロポーズの返事もさることながら、まさかこれまで自分の気持ちをわかってくれてはいなかったのか? 「悠理、…悠理! 僕の気持ち、解ってくれましたよね? 悠理!!」 「……家、帰る…」 清四郎が悠理を揺さぶるようにして、必死に呼びかけた返事がこれだった。 「悠理? 返事は? 僕と結婚してくれますよね?」 いくぶん青ざめた表情で訴える清四郎に、悠理はゆっくりと目を向けた。 「清四郎も一緒に来て。 ………みんな、心配かけてごめん。清四郎とふたりきりで話したいから、家に帰る。今日はホントにごめんな。ありがとう。」 力のない声でそれだけ言うと、悠理はソファから立ち上がる。 が、ふらりと体が傾き、慌てて清四郎が支えた。 「悠理…」 「帰ろ。」 清四郎に支えられながら、悠理は可憐の部屋を後にした。 ハリケーンに見舞われたような気分で取り残された四人。 「…どうなるんだろ?」 美童の呟きに 「あんな台詞で、結婚するわけないでしょ?!」 まだ怒りが収まらないのか、可憐が鼻息も荒く応える。 「でもプロポーズの言葉はともかく、清四郎が心から悠理のことを愛しているのは本当のようですわ。」 可憐を宥めるように、彼女の腕に触れながら野梨子が言った。 「まったく人騒がせだよなぁ…。あいつはズバ抜けて頭が良いくせに、妙なところで莫迦なことやるんだから。あーあ、あいつらが結婚するまで、俺達これからも振り回されるんだろうか……」 「「「冗談じゃない(わ)(ありませんわ)!!!」」」 三人の剣幕に、腰を抜かしそうになる魅録だった。 剣菱邸に帰ったふたりは、五代に人払いを頼んで悠理の部屋へ行った。 帰路の間も口をきかない悠理に、清四郎の不安は限界を超えそうだ。 扉を閉めると同時に清四郎は呼びかける。 「ゆ…」 「清四郎、聞きたいことがある。」 清四郎の言葉を遮って、静かな声で悠理は話し出した。 「なんですか?」 まだ赤いままの瞳を真っ直ぐ清四郎に向ける。 「清四郎は、あたしとなんで結婚したいんだ?」 「え?」 「『浮気』をしたいのか? 『契約書』ってのを正式に書きたいだけか?」 「な、なにを言ってるんです、そんなわけないでしょう?!」 「じゃあ、なんで法律の立場がどうの、ケンカがどうのって言うんだよ。」 「…僕のプロポーズが気に入らなかった、ということですか?」 「そんなんじゃない。なんで、プロポーズする気になったかを聞きたいの!」 今回のことがあるまで、清四郎はどんなに忙しくても毎日必ず、声だけは聞かせてくれた。 少しでも時間があれば悠理に逢いに来てくれた。 可憐が憤慨していた『愛してる』という言葉を言われてなくても、清四郎が言うように悠理は彼を信じていた。 でも、その気持ちが揺らいでしまったのだ。 それに、『結婚』は式を挙げれば済む、とか、婚姻届を出せば終わり、ではないはずだ。 今まで生きてきたよりも、ずっと長い時間をふたりで過ごすということ。 それをまるで今までの付き合いの責任をとるだけのように清四郎が考えているなら、結婚はできない。 「悠理と一緒にいたいからです。」 さっきまでの、悠理が何を言い出したのかわからず途方に暮れたような声ではなく、いつもの落ち着きのある声で清四郎は答えてくれた。 「けじめをつけるためじゃなく?」 どう答えるのか、聞くのが怖い。でも、聞かなきゃいけない。 相反する気持ちの揺らぎが声にでる。 清四郎は答える前に悠理を抱きしめた。 「もちろんそれもありますよ。いつまでも、悠理をひとりにはしておけませんからね。」 その言葉に悠理の身体がビクリとする。 身体を離そうとしたら、更に強く抱きしめられた。 「この二週間、おまえのことばかり考えてました。……例のメールで話していた麗子さんはあまり身体が丈夫ではなくてね。ご主人が海外に単身赴任しているんですが、香奈ちゃんのことも考えて長い間離れていたくないと親父に相談に来たんですよ。向こうでの生活が可能か、信頼できる医療機関があるか、とかね。そんな話を聞いていたら、僕が忙しさで身動きがとれないとき、悠理はどんなふうに過ごしているんだろうって、不安になったんです。彼女がご主人の傍にいたいと思っているように、悠理も僕の傍にいたいと思ってるだろうか、僕のことを少しは考えてくれているだろうかって。」 一旦話すのをやめて悠理の頭のてっぺんにキスをする。 「最初はいろいろ忙しくて本当に電話をする暇もなかったけど、あまりにもおまえが何も言ってこないから僕も意地になって連絡するのをやめようと思ったんですよ。でも、せめて僕が何をしているかくらい知っていて欲しくてずっとメールを送ってたのに、おまえときたら全然返事もよこさないで……まぁ、僕の配慮が足りなかったせいだと今では反省してます。…それで……ね、悠理…」 悠理の身体に廻された腕から少し力が抜けて、するするとその位置が下がる。 それと共に悠理が見上げていた清四郎の顔も徐々に降りていく。 清四郎を上から見下ろすのは初めてだった。 清四郎は両膝をついた姿勢で悠理を見上げる。 悠理の身体を抱いていた手が、今は縋るように彼女の手を握り締めていた。 「…そろそろ返事を聞かせてもらえませんか?可憐たちの言うように、さっきのプロポーズの言葉に怒っているなら、どんな台詞でもいい。おまえの言って欲しい言葉を贈りますから。僕と結婚してくれませんか?」 清四郎の目は悠理の心を探るように、彼女の瞳を見つめている。 その表情は不安げだった。 可憐の部屋でプロポーズしてきたときとは、まるっきり違う。 『いとしい』 悠理の心に、そんな言葉が浮かんできた。 「清四郎、大好きだよ。ずっと、一緒にいたいよ。おまえの傍にいたい。」 清四郎の顔が喜びに輝いた。 「それは、僕と結婚してくれるってことですよね?!」 「ん。」 にっこり笑った悠理の顔を見て、清四郎は立ち上がりざま彼女を抱き上げた。 「あぁ、悠理。愛してる!!」 そのままクルクルと踊るように廻りながら、部屋の中央にあるベッドへ近づく。 悠理をそっとベッドに横たえると覆いかぶさるようにして彼女の額に、瞼に、頬にそして唇に口づけた。 「悠理。おまえの全てが欲しい………」 熱に浮かされたように囁きながら、もう一度口づけようとした清四郎の頬に悠理の両手が伸びる。 バッチーン! 派手な音と共に、清四郎の身体の下から悠理がするりと抜け出した。 「ゆ…悠理?」 何が起こったのかわからず、清四郎はズキズキする両頬を押さえ、惚けたように悠理を見つめた。 「結婚するまでは、ダ・メ。 可憐と野梨子が教えてくれたんだ。結婚するまでは、キスから先に進んじゃいけないって。」 「あいつら…、なんて余計なことを………」 恨めしげな目をする清四郎に悠理は“チュッ”とキスをした。 にこにこ笑う愛しい彼女を前にして、いつまでも不機嫌ではいられない。 「はあーーーーっ」 と深い溜息をひとつ吐いて、悠理を抱き寄せた。 「悠理、できるだけ早く結婚しましょう。」 「あたしはそうしたいけど、とうちゃんとかあちゃんの結婚式って準備で一年掛かったって聞いたぞ?」 その言葉に、清四郎は目眩を覚えた………… |