後編 悠理は携帯を取り出した。 その電源を 入れる。 「・・・・せーしろ、あたい。迎えにきてよ。・・・・えぇ〜っと、この中で一番空に近いとこ。」 パタリとそれをしまって大きく息を吸い込んだ。 瞳を閉じる 耳を澄ます しばらくすると遠くの方で勢いよくドアの閉まる音がした。 慌てて階段を駆け上る音が近づく。 立ち上がり音のほうにくるりと背をむけた。 大きく息を吐いて瞳を開くと、背中の向こうに清四郎が来たのが分かった。 乱れた呼吸 余程慌ててきたんだろう そんな清四郎が名前を呼んだ。 「・・・悠理・・・」 その声に悠理は体を回し彼の方を向いた。 真っ先に見えたのは心配そうに見つめる清四郎の黒い瞳。 しかし、一瞬あったその視線はすぐにそらしてしまった。 「 」 「えっ。」 そう清四郎が聞くと彼女は大きく頭を下げた。 「ごめんなさい。急に居なくなったりして。」 「悠理?!」 まだ頭を下げたままの彼女にもう一度聞いてみる。 「ごめんな。いきなり走り出したりしてさ。」 そういって、漸く頭は上げてくれたものの視線を合わすことさえせずに話す悠理の目はまだ赤く腫れていた。 そんな彼女に、胸が痛む。 しかし、悠理は何も口に出さない。 あの女のことも、何があったかも。 触れようとさえしない。 そんな彼女に清四郎は一歩ずつ近づいた。 今だ目さえあわそうとしない悠理を腕の中に閉じ込めた。 あちこち飛び跳ねているやわらかい髪を撫ぜる。 「・・・ いいですよ。 ・・・・・ 悠理が走り出したりするのはいつものことですからね。」 その言葉に腕の中の彼女は小さくコクリと頷いた。 そのまま清四郎の肩にその頭を預ける。 「・・・・せーしろぉ。・・・あたいのこと・・・さ・・・そ・・・の・・・すき?」 途切れ途切れに話される震えるその声に清四郎はまわした腕に力をこめた。 「えぇ、好きです。愛してます、おまえだけを。」 その返事に悠理は彼の胸に顔をうずめた。 小さな声が聞こえる。 「 ・・・ なぁ、 ・・・・・ギュってして ・・・」 その声に、清四郎が悠理を一層強く抱きしめた。 腕の中の彼女はじっとしている。 静かな時間が流れていく。 長いような短いようなその時間の後、悠理の腕がゆっくりと清四郎の背中へと回された。 清四郎も強く抱きしめ返される。 悠理は彼の腕の中でその香りを吸い込むように大きく息をしたあと、漸く顔をあげた。 今度は真っ直ぐに彼の瞳を見つめて。 まだ赤みの残る瞳に、笑顔を作って。 「よし、帰るか!」 「そうしますか。」 そんな笑顔に答えながら、彼女の前髪をかきあげた。 悠理は瞳を閉じその手を待っている。 髪からゆっくりと頬へと滑り落ちたその手は涙の跡を拭うと、そのまま悠理の手を取った。 「ィタッ 」 その声に視線が彼女の手へと移る。 赤く腫れ、血も滲むその白い手に清四郎の顔が歪んだ。 悠理は気まずそうにその手を隠しながら 「ちょ、ちょっとぶつけたんだ。」 と言って、反対の手を差し出した。 彼女の手が、ちょっとぶつけたなんてものじゃないことくらい一目でわかっていた。 しかし、何事もなかったかのように振舞う彼女に清四郎も言葉を飲んだ。 帰りの車の中、赤くなった手を隠すように自分の手を重ねる悠理を、清四郎は何も言わずただ抱きしめた。 結局、あのことには触れぬまま2人は部屋へと着いてしまった。 静かな2人きりの部屋で、清四郎が漸く切り出した。 「 ・・・ あの女性と 何か、話したんですか。」 その言葉に悠理の肩がピクリと揺れた。 沈黙が部屋を包む。 「・・・ 話したよ。んで、ビックリして逃げ出しちゃった。でも、でもさ・・・」 悠理の視線が清四郎へと移った。 その瞳が真っ直ぐに彼を見ている。 「あたいはお前を信じてる、世界中の誰よりも。今までに、何があったとしても。今 目の前に居るお前を信じてる。」 「・・・大好きだよ、清四郎。」 「・・・ こんな返事じゃ、ダメか?」 表情に 強さが戻る。 意思を宿した瞳が、清四郎を射る。 かなわないな・・・ 完全無欠のあの清四郎がそう思った。 彼女の言葉に、彼は動くことさえ出来なかったのだ。 静まり返る部屋。 黙ってしまっていた彼が、漸く口にしたのはこの言葉だった。 「ありがとう。ありがとう、悠理。」 そんな彼に悠理は照れたような笑みを返した。 清四郎が手を伸ばし、少し傷の残る悠理の手を包んだ。 なんともいえないその視線に、悠理が下を向く。 「 ・・・ 後で手当てしましょうね。」 「こんくらい大丈夫だよ。」 顔をあげてそう答えた悠理は清四郎と目が合った。 絡み合う視線。 ほんのり頬を染めた悠理が、不意に立ち上がった。 「あ、あたい、風呂入ってくるよ。」 しかし、そういって歩き出そうとした彼女を後ろからのびてきた腕が捕まえた。 逞しい腕が彼女の胸の前で交差される。 「僕も一緒に入ります。」 「な、な、何言ってんだ!ちょっ、せーしろー」 そんな悠理の言葉にもその腕が放されることはない。 「 ・・・離れたくないんです・・・」 清四郎のその声に悠理がぴたりと止まった。 普段とは違う甘いその声。 振り返った彼女の瞳に写ったのは、少し照れたような顔の清四郎だった。 「離したくないんです、ダメですか?」 はじめて見るようなそんな彼に少し驚きながらも、悠理は赤く染まったその顔を大きく横に振った。 それを見た清四郎は少年のような笑顔で笑った。 嬉しそうに 幸せそうに 「・・・良かった。」 と言うと、2人は手を繋ぎバスルームへと消えていった。 この日から、悠理の部屋で過ごすときは清四郎は悠理を放すことはなくなっていった。 常に絡みつき、包み込まれる大きな手。 それを少々うっとうしいと思っている悠理が、当たり前と思うようになるのは、もう少し先のお話です。
のりりんさまコメント
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