思惑

BY トモエ様

SIDE:S



 「野梨子、明日の晩は暇ですか?」
 野梨子との帰り道、清四郎が突然尋ねた。
 「え、ええ。暇ですけれど…?」
 「じゃあ、家に来て頂けませんか?
  …実は、悠理の課題をみてやることになっているんですが、生憎面白い小説を切らしてましてね。悠理が解くのを待っている間、囲碁のお相手をお願いできないかと」
 予め用意されていたセリフのように、よどみなく言葉を並べていく。
 「…いいですけれど」
 勘の鋭いこの幼馴染みは少し訝しげな顔をしているが、それには気付かないフリをしてにっこり微笑む。
 「では、明日の晩6時に」
 その言葉に、野梨子は同意の笑みで応えた。
 

 パチリ、パチン、パチリ、パチ、パチリ、………。
 小気味良いテンポで打たれていた石の音がふと止まる。
 カリ…カリカリ……ゴシゴシゴシ…カシ…ガリガリ、わしゃわしゃわしゃ。
 こちらは悠理。計算式を書いては消し、計算が合わないといっては、頭をかく。
 (全く、簡単な計算ミスなんてするんじゃないですよ。ああ、ほら、分からないからといってそんなに頭をかき回すんじゃない!)
 「…清四郎、いつまで見ているおつもりですの?」
 腕を組み、さも次の一手を熟考しているかのようだが、その目は悠理の後ろ姿一点を見つめていた。
 「えっ、ああ、すみません」
 パチン。
 「いくら清四郎といえども、片手間で勝てるほど、私弱いつもりはありませんのよ」
 パチリ。
 「すみません」
 パチン。
 カリ……ガリ、わしゃわしゃわしゃ!
 「トイレ!」
 痺れを切らしたように悠理が立ち上がった。
 明らかに逃げるための口実だが、清四郎は止めなかった。
 今まで文句も言わずに頑張ったご褒美の意味を込めて、勉強机の引き出しを開けて煙草とライター、携帯用の灰皿を取り出し、悠理に「ほら!」と言って放り投げる。
 それを受け取った悠理は意外かつ嬉しそうに、清四郎と煙草の箱とを交互に見、何かを考えている風だった。
 (魅録と同じ銘柄がそんなに嬉しいですかね)
 「一本だけですよ」
 そういって清四郎は柔らかく微笑む。
 「サンキュ」
 悠理は、にかっと笑って部屋を出ていった。
 

 パチリ、パチ、パチリ、パチン。
 部屋には碁石を打つ音だけが響く。
 「清四郎、煙草吸ってましたの?」
 パチリ。石を置くのと同時にさり気なく尋ねる。
 「ごくたまに。月に一回あるかないかですよ」
 カチ。
 (嘘、ですわね)
 野梨子の部屋からは、割とはっきりと菊正宗家の庭が見える。夜な夜な庭に立つ長身の男が赤い火を携えているのも、当然見える。
 月に一回どころか、ここ数日は連夜、小さい火が見えていた。
 理由にも大体の見当がつく。
 …ため息がひとつ重なった。
 「何故、私を呼んだのですの?
 そんなに悠理のことが気になるなら、私など呼ばず、ずっと悠理の隣にいらっしゃればいいのに」
 パチリ。
 「気になる?悠理のことが?」
 パチン!
 「今さらとぼけるおつもりですの?」
 パチリ。
 「とぼけると言われても」
 肩を竦めて石を打つ。パチ。
 (自分の気持ちに気付いていないわけないと思うのですけれど)
 パチリ。
 「そんなに見つめられても何も言いませんよ」
 パチン。
 (あんな目で悠理のことを見ておいて、ばれないと思っているのかしら)
 パチリ。
 野梨子の無言の圧力に負けたように清四郎が口を開いた。
 「…野梨子は、僕の気持ちに気付いているのでしょう?」
 苦笑と共に石を置く。パチン。
 「…ええ」
 パチリ。
 「…まだ、言えませんよ」
 パチン。
 次の一手を打とうとして、悠理が出ていってから10分以上経過していることに気付く。
 「…悠理、遅くありませんこと?」
 「ちょっと、見てきます」
 そう言って、清四郎は立ち上がった。


 部屋を出ると、階下から悠理と母親の笑い声が聞こえる。
 額に手をやりひとつ息を吐くと、清四郎は階段の方へと歩いていく。
 案の定、悠理は居間でお茶菓子を食べながら、彼の母親と歓談中であった。
 「悠理、おやつまで許した覚えはありませんよ」
 「えーっ。清四郎のケチ!おばちゃんからも言ってやってよー」
 猫背になりながら湯呑みを両手で持ち、拗ねる悠理。明らかにこの部屋に居たがっている。
 (そんなに僕と一緒に居たくないですか)
 「清四郎、悠理ちゃんだって頑張っているじゃない」
 「駄目ですよ。こいつを甘やかしちゃいけません」
 母の言葉を無碍に返し、悠理の手から強引に湯呑みを外して立ち上がらせ、抱きかかえるようにしてこたつから出す。
 あからさまに未練を残す悠理を、ずりずりと引きずるように階段を上る。あと3段というところで、悠理が呟いた。
 「野梨子と一緒にいたいなら、あたいのこと呼ぶなよなー…」
 ずきん、と胸の奥が痛む。
 「は?…野梨子とは幼馴染みでいつも一緒にいますから、別に悠理が居ても気にしませんよ」
 (本当は悠理と一緒に居たい、って言ったら何て顔するんですかね)
 「…ふうん」
 気にもしないような返事をされて、またひとつ、胸が痛む。
 「さあ、今日のノルマはあと5頁ありますよ!そうすれば後が楽になります」
 痛む胸をごまかすように声を出し、悠理の背中をポンと叩いて部屋へと押し入れた。


 煙草とお茶菓子に少し元気を取り戻したのだろう。悠理は黙々と机に向かっていた。
 「そろそろ、私は家に戻りますわ」
 野梨子がそろりと腰を上げる。日付が変わるまであと1時間とちょっと。明日も学校だ。
 「家まで送りますよ」
 いつものように清四郎も腰を上げた。
 「隣ですのに」
 ふふ、と鈴を転がすように野梨子が笑う。
 「悠理、ちょっと出てきますね」
 悠理は頬づえをついていた左手をひらひらと振る。
 (大概僕も嫌われたもんですねえ)
 「おやすみなさい、悠理」
 野梨子が声をかけると、悠理は肩ごしに野梨子の方を向き「おやすみ」と短く呟いた。
 
 春とはいえ、夜は結構冷える。
 「野梨子、今日はすみませんでした」
 白鹿家の玄関先に着き、清四郎が詫びる。
 その真意は賢い幼馴染みなら判ってくれるだろう。
 「いいんですのよ。おやすみなさい、清四郎」
 慣れない感情に戸惑う幼馴染みを励ますように野梨子は微笑む。
 「…おやすみなさい。また明日」

 戻ってきた清四郎が、自室のドアノブに手をかけようとしたその時、ゴンッ!という音が部屋から聞こえてきた。
 「悠理っ!?」
 勢いよくドアを開けると、そこには額を机につけて眠りに落ちている悠理の姿。しかも、なにやらぶつぶつ言っている。
 「悠理、悠理っ!ちょっと起きてください、悠理!」
 「んーーーー」
 「まったく…」
 教科書を枕に、完全に寝入ってしまった悠理の髪をそっと撫でる。

 もっと僕を見てくださいよ。

 いつも撫でていたいのに。
 悠理が欲しいのは僕の手じゃない。
 
 わかっていても、それが悲しい。








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