SIDE:Y
「悠理、今晩は家で勉強会です」
放課後、ふたりきりの生徒会室で清四郎が告げる。
「えーっ!なんでだよぉ。試験はもう終わったじょー!!」
ようやくあの悪夢のような日々から解放されたのに冗談じゃない、とばかりに頬を膨らます悠理。
「何言ってるんです!今回補習がないのは、先生が課題に切り替えてくれたからだろう!さっさと課題を出した方が賢明だとは思いませんか?」
清四郎の言葉はどこを切ってみても正論で、悠理はぐっ…と返答に詰まる。
「それに、今晩は野梨子と碁を打つんです。試験前のようにずっと張りついていませんから安心して下さい」
清四郎は、悠理をあやすようにその頭を手のひらでぽんぽんと叩く。
妙に子ども扱いされたことと、野梨子と碁を打つその片手間に自分の勉強みてやると言われている気がして、悠理は少し面白くなかった。
パチリ、パチン、パチリ、パチ。
悠理が必死に数学と格闘している背後から、碁石を打つ音が軽やかに聞こえてくる。
(あの石を打つときの清四郎の指、長くてキレイなんだよなー)
あの白と黒の石を打っていく以外、碁とやらのルールは全く分からなかったが、碁に打ち込む清四郎の顔や石を打つときの指に見惚れたことは一度や二度ではない。
うっかり他のことを考えていた悠理は、途端に計算式が分からなくなる。
書いていた計算式をゴシゴシと豪快に消していき、再び初めから。集中しているばずなのに式が合わない。おかしいなぁ…とばかりに頭をかく。
「…清四郎、いつまで見ているおつもりですの?」
「えっ、ああ、すみません」
少し慌てたような清四郎の声。「見ている」というからには「何か」を見ていたのだろう。野梨子にとがめられるような「何か」。
(目の前の野梨子だろ)
それしか考えられない。
「いくら清四郎といえども、片手間で勝てるほど、私弱いつもりはありませんのよ」
「すみません」
野梨子と清四郎の会話に集中力が乱される。
わしゃわしゃと頭をかいても、必要な公式がちっとも浮かんでこない。おまけに何だか気分がむしゃくしゃしてきた。
そういうときは逃げるに限る、という結論に達した悠理は、「トイレ!」と叫び立ち上がった。
明らかに逃げだと分かる口実に嫌味のひとつでも返ってくるかと内心肩を竦めていた悠理に、清四郎は意外なものを投げてよこした。
魅録の愛煙する銘柄の煙草にライター。それと、携帯灰皿。
(野梨子とふたりっきりになりたいから少し外に出てろってことか?)
「一本だけですよ」
そういって清四郎は柔らかく微笑む。
(へーへー)
思わず邪推してしまったが、タバコは素直に嬉しい。
「サンキュ」
にかっと笑って礼を言い、部屋を後にした。
これでトイレなんて言い訳をしなくても正々堂々と休憩ができる。
家の中で吸うわけにもいかないので庭に出ることにして、茶の間にいた清四郎の母親に声をかけた。
「おばちゃーん、ちょっと庭、散歩してくんね」
「はいはい、どうぞー。あ、悠理ちゃん、おやつあるわよー」
悠理の何故だか晴れない心とは裏腹に、返ってきた声はどこまでも明るかった。
カチッ。
おもむろに火を点け、ひとつ大きく煙を吸いこむ。
20本入りのタバコの箱に、残っているのはあと6本。
「あいつ、タバコなんて吸ってたっけか?」
悠理は、じっとタバコの箱を見つめた。
魅録が忘れていったものかとも思ったのだが、それなら次の日にでも生徒会室で返せばいいことだ。
そう考えると、これはやはり清四郎のものなのだろう。
ぼんやりと考えていたら、あっという間に短くなってしまっていた。
短くなったそれを携帯灰皿にねじ込み、新しく火を点ける。
春先の夜は冷える。
何も羽織ってこなかった悠理は身体をぶるりと震わせ、タバコを勢いよく吸うと、家の中へと戻っていった。
勝手知ったる菊正宗家。2階の洗面所で手を洗って口をゆすぐ。タバコの匂いのしない清四郎の部屋に、悠理がその匂いを持ち帰るわけにもいかない。
清四郎の部屋の前に来ると、ぼそぼそと話し声が聞こえる。
部屋に入るタイミングを計りかねていると、
「…野梨子は、僕の気持ちに気付いているのでしょう?」
おそらく苦笑しながらであろう、清四郎の声がやけにはっきりと聞き取れた。
(何であたいを呼んだんだよ。こんな中に入っていけないよ)
理由もわからないまま絶望的な気分になってしまった悠理は、再び階段を降りると、ひょいと居間に顔を出した。
「おばちゃーん、おやつちょーだい」
「あら。やっぱり来たわね。どうぞ、いらっしゃい。今日は花冷えですものね。おこたに火が入っているわよ」
悠理を導くように、掘りごたつのふとんを捲りあげる。その気遣いが嬉しい。
「はい。おやつは栗かの子よ」
目の前に艶やかな茶色に光る栗かの子と、温かな湯気を出している日本茶が置かれる。
「わーい♪いったらっきまーす」
満面の笑みで美味しそうに頬張る悠理を見ていると、清四郎の母の顔まで綻んでくる。
「美味しい?」
「うんっ、すっごく美味しいじょー!」
あっという間に3つ平らげたところで、上の方から声が降ってきた。
「悠理、おやつまで許した覚えはありませんよ」
清四郎は、柱に軽くもたれ、腕組みをしている。
「えーっ。清四郎のケチ!おばちゃんからも言ってやってよー」
少しでもこの温かい空間に居たくて、あの2人がいる部屋に一緒に居たくなくて、悠理は湯呑みを包みこむように両手で持った。
「清四郎、悠理ちゃんだって頑張っているじゃない」
「駄目ですよ。こいつを甘やかしちゃいけません」
母の助け舟は悠理に届くはずもなく、悠理の手からは強引に湯呑みが外された。挙げ句、抱きかかえられるようにしてこたつから出される。
こたつとお菓子に未練たっぷりといった感の悠理をずりずりと引きずりながら階段を上がる。
階段をあと3段残すところで、悠理が呟いた。
「野梨子と一緒にいたいなら、あたいのこと呼ぶなよなー…」
「は?…野梨子とは幼馴染みでいつも一緒にいますから、別に悠理が居ても気にしませんよ」
(別にあたいがいても気にしない、か)
ずきん、と胸の奥が痛む。
「…ふうん」
気にしない風を装った返事をしながら、またひとつ、胸が痛む。
「さあ、今日のノルマはあと5頁ありますよ!そうすれば後が楽になります」
悠理の胸の痛みなんて知るはずもないのであろう。元気そうな声の清四郎に背中をポンと叩かれ、悠理は部屋へと押し入れられた。
タバコと栗かの子に少し元気を取り戻した悠理は、あれから大した不満不平も言わず、黙々と数式と格闘していた。
「そろそろ、私は家に戻りますわ」
野梨子が突然そう言った。いくら清四郎の家にいるとはいえ、明日も学校だ。
「家まで送りますよ」
野梨子の言葉に促されたように、清四郎も腰を上げた。
「隣ですのに」
ふふ、と鈴を転がすように野梨子が笑う。悠理には絶対に真似の出来ない笑い方。
(野梨子も清四郎が好きなんだな〜。ホント、何してんだ、あたい)
不意に涙が出そうになり、慌てて気持ちを引き締める。
「悠理、ちょっと出てきますね」
今、不用意に2人の方を向くと泣いてしまうかもしれない。そう思った悠理は、頬づえをついていた左手だけで「了解」の合図をする。
「おやすみなさい、悠理」
野梨子には同じことはできない。それでも、肩ごしに野梨子の方を向いて「おやすみ」と言うのが精一杯だった。
お目付け役が居なくなると、途端に悠理の瞼は重くなってくる。
(うう〜、もうダメだぁ〜〜)
睡魔に負けて意識を手放すと、ゴンッ!と額が机にぶつかった。
「悠理っ!?」
(…清四郎の声が聞こえるー。あー、野梨子帰っちゃダメだよう。せーしろーはのりこと一緒にいたいんだよう…)
「悠理、悠理っ!ちょっと起きてください、悠理!」
「んーーーー」
(もーなんだよ。いーから寝かせてよ)
何だかわからないけれど、気持ちが沈んでしまった時は寝てしまうに限る。
「まったく…」
半分以上夢の世界にいる悠理であったが、清四郎が苦笑している顔が瞼の裏に浮かぶ。
そして、悠理は完全に寝入ってしまった。
清四郎があたいの髪を撫でてくれる夢を見た。
いつも撫でてほしいのに。
その手はあたいのものじゃない。
なぜか、それが悲しい。
←SIDE:S
はじめまして。トモエと申します。
フロさまの書かれる、清四郎と悠理のもどかしい(あるいは当てられまくりの)恋模様が、私の妄想に火をつけました。
どきどきしながらメールを送り、温かいお言葉に誘われるままに拙作を送りつけてしまいました。勇気を出してメールを送ったあの日からまだ数日…。勢いって怖いと心底思う日々です。
改めて、受けとって頂いたフロさまに感謝です。
そして、読んで下さった皆様にも感謝を。
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