Weak Point
うぃーく・ぽいんと   by jenny様


悠理のトラウマ



3歳の時、家族で行った冬の湖で初めてアイス・スケートをする。
一人で豊作と悠理の面倒を見ていた万作(百合子はコテージで優雅にティータイム)が、転んだ豊作が起き上がるのに手を貸そうと悠理から手と目を離した隙に、傍で転倒した成人男性が豪快に悠理のいる方に向かってスライディングしてきた。まだ、立っているのがやっとの状態の悠理は逃げることができない。
周りの悲鳴に万作が素早く娘を助けようとするが、悠理の顔の高さで迫るスケート靴の刃を腕で受け止めるのが精一杯となり、男のぶつかってくる勢いまでは止められずに幼い悠理の体が吹っ飛ぶ。
氷に叩きつけられ泣き叫ぶ娘を抱き上げる万作の袖と手袋は見事に切り裂かれ、そこから覗く傷口から血が流れて手袋が見る見る赤く染まっていく。
父親に宥められ、興奮状態から徐々に落ち着いてきた悠理が見たのは、そんな父の手。
怯えるように目を見開く娘を慰めるべく、手を顔に近付けたことがますます悠理を怯えされることとなりそのまま彼女は気を失ってしまう。



悠理と一番古いつきあいの魅録は、その付き合いの間にバイク仲間たちと悠理をアイス・スケートに誘おうとして彼女からスケートリンクに行きたくない理由を聞いたことがあった。






1.


「ねぇ、今度の土日、アイス・スケートに行かない?」
可憐が右手に三枚の紙をヒラヒラさせながら訊いてきた。
「なんだぁ?」
魅録がそのうちの一枚を引き抜きながら呟く。
「うちのお客様から頂いたの。宿泊券つきのペア・チケット、ぴったり六人分。 どお?」
「ふぅ〜ん。スケートなんて、久しぶりだなあ。」
美童がもう一枚、可憐の手からチケットを取る。
「温泉付きよ。それなら行くでしょ、野梨子?」
「…でも、わたくしスケートなんて…」
眉を顰めて、気が進まないことを示した。
「あら、清四郎が優しく教えてくれるわよ。いつものように、ね?」
最後の『ね』を新聞から顔を上げない男に向かって、強く言う。
「いつ、僕が『行く』と言いました?」
パサリ、と新聞を机に置いて清四郎は可憐を見る。
「あら、今度の週末には皆でどこか出かけようって、昨日話したばかりじゃない。それとも、急に予定がはいったのかしら?」
ずずいっと顔を近づけて可憐が睨むと、清四郎は身を引いて両手を挙げ、降参のポーズをとった。
「野梨子。スケートなら僕が教えてあげるよ。これでもインストラクターになれるくらいには滑れるからさ。」
「へぇ〜。さすが、女にモテそうなスポーツを網羅してるだけはあるな。」
感心したように魅録が言った。
「悠理は、行くわよね。」
先程から一言もしゃべらない悠理に確認をとろうと声をかけたが、返事がない。
「何よ、あんたもイヤなの?」
「……………」
手にあるチケットを眺めるばかりで、何も言わない悠理をみつめていた魅録が「あっ」と声を上げた。
「どうしたの?」
全員が魅録をみつめる中、悠理が顔を顰めて小さく首を振る。
「あ…いや、…えっと、車で行くのか? 道路の状態はどうなんだ?」
「そこまでは、まだ考えてないの。じゃあ、みんな参加でいいのね。」
可憐は嬉しそうに言って、目的地までの交通手段を相談しだした。

清四郎は魅録が言葉を濁したのを不思議に思いながらも、はしゃぐ可憐に阻まれて問いただすことができなかった。ただ、悠理がいつもより元気がなさそうに見えることが、関係しているのではないかと考えていた。



* * * * *




「きゃあー!!広ぉ〜い。 見て見て、真ん中の大きな木。きっと夜は綺麗でしょうねー。」
屋外のスケートリンクは、中央に二本の巨大な木がある楕円形をしていた。それほど混雑もしていないし、閑散としているわけでもない。可憐の言うように、木には無数の電飾が絡み付けてあり、夜になるとライトアップされるのだろう。
「ほらほら、早く滑りましょうよ。」
ウキウキとした可憐に促されるものの、残りの女性二人はスケート靴をもたもたと履いている最中。
「もう!先に行くわよ。美童、行きましょう。」
「待ってあげなよ。リンクは逃げやしないんだから。それに、僕、野梨子に教えてあげることになってるし。」
苦笑しながら言う美童に、
「構いませんのよ。先に滑ってらしてくださいな。わたくしなら、清四郎にでも教えていただきますわ。」
「おぅ。お前ら、先に行けよ。可憐も楽しみにしてたんだしさ。」
魅録も靴紐をきゅっ、と結びながら声をかける。
「ん…。じゃ、先に行くね。」
若干、物足りなさそうに、美童は可憐とリンクへ向かった。

「ふふ〜ん。公明正大に野梨子の手を握ろうとでも思ってた?」
ニヤつく可憐に、
「まあねー。ついでに、腰にでも手を廻してさ、優しく口説こうと思ったんだけど…」
「あっは… 残念でした。あの子は、あんたにはなびかないわよ。」
「ふん。知ってるよ。だから、ふたりきりになってちょっと探りを入れようかと思ってたのに。」
軽く可憐を睨んでから、ウィンクをする。
「あら、知ってたの? じゃ、相手もわかる?」
ちょっと、驚いて美童を見上げた。
「う〜ん… あいつらのうちのどっちかだとは思うんだけど…」
「だって、以前あたしが『野梨子は清四郎に惚れてるのか』って聞いたら、『あれはブラ・コンだ』ってあんたが言ったんじゃない。」
「今でもそう思ってるんだけどさ。あまりにも野梨子は清四郎の傍にいるから……魅録とは接点が見つからなくて。」
「他の男の可能性は?」
「皆無だね。もしそうなら、今回参加しなかったろうな。」
「…そうね。 ふ〜ん…この旅行で何か進展があるかもね。」
ふたりで滑りながら、ちらちらとまだリンクの外にいる四人を見ていた。


「これでいいのかしら?」
靴紐を結び終えた野梨子が、誰にともなく呟く。
すかさず、清四郎が野梨子の履いた靴を持ち上げ、前後左右に振る。
「靴があたるような感覚はないですか?じゃあ、立ってください。」
野梨子は手を添えてもらいながら、恐る恐る立ち上がった。
「ちょっと、歩いてみてください。」
そろりそろり、と足を出す。
「靴の中で足が動いたり、足首がぐらついたりはしませんか?」
「ええ、大丈夫ですわ。」
少し青褪めた顔色ながら、しっかり頷く。
「では、行きましょうか。」

野梨子の手を取ってリンク内に向かおうとした清四郎は、魅録と悠理に声をかけようと振り向いた。
「先に……  悠理、なんだその紐の結び方は!」
野梨子から手を放し、悠理の足元に跪いて彼女が時間をかけて通した靴紐を解きにかかった。
「魅録、野梨子をお願いします。僕は、こいつの靴紐を結び直しますから。」
「な…、自分でできるよ!」
悠理が慌てて脚を引っ込めようとするが、既にしっかりと清四郎の手に掴まれていた。
「できるなら、最初からして欲しいもんですね。じっとしてろ!お前に任せていたら、いつまでたっても滑れないからな。」
魅録は何か言いたそうな顔をしていたが、溜息をつくと立ち上がった。
「じゃあ、悠理を頼んだぞ。清四郎。」
「おい、魅録!」
袖を掴んで引き止める悠理に、笑顔を向けて軽くその手を叩いて言った。
「ムリはするなよ。」
「…………」

「野梨子、俺でも構わないか?」
近付きながら問う魅録に、野梨子ははにかんだ笑顔で「はい」と答えた。
ふたりは手を取り合って、リンクに向かう。
魅録が先に氷の上に立ち、野梨子は片手を魅録に預け、もう片方はリンクの手摺りをしっかり握りながら氷に片足を乗せる。
「大丈夫だよ。俺がしっかり支えてるから。」
緊張している野梨を見て、魅録の顔には自然と微笑が浮かぶ。
今の彼は、先程まで気がかりだった悠理のことなど、すっかり忘れてしまっていた。
「魅録。絶対ですわよ、手を離さないでくださいね。」
力を込めすぎて震える野梨子の手を、ぎゅっ、と握って「任せろ」と笑った。
漸く両足で氷の上に立った野梨子と向き合い、手摺りを掴んでいた手も魅録が握る。
「野梨子、まず片足で立ってみてくれ。
……膝をあまりつっぱるな、少し曲げる程度……いや、そんなに曲げなくても…リラックスする程度でいいよ。
……そう、今度は反対
……うん。じゃあ、歩いてみよう。できるだけパタパタと足を上げるようにして…
……ふーん、これはOKだな。
今度は右足に重心を乗せて、左足で氷を斜め後ろに蹴るんだ。そのまま左足は浮かせておけよ。
……よし、次は反対。左足に重心を乗せて右足で蹴る。それを繰り返して……
………………なんだ、上手いじゃないか!」

野梨子は魅録の言う通りに身体を動かしながら不安定な自分の足元に視線を向けたていたが、彼の誉め言葉に嬉しくなって顔を上げた。
魅録は野梨子の両手を握ったまま、後ろ向きに進んでいる。彼は楽しそうな笑顔で野梨子を見つめていた。
「魅録は本当に優しいんですのね。」
魅録の笑顔がまぶしくて、頬を染めて目を伏せる。そんな野梨子の仕草が、魅録の心を震わせた。
「本気で言ってるんだぜ。この調子なら、すぐに一人でも滑れるようになるさ。」
「え?魅録、お願いですから手を離さないでくださいな。」
彼の言葉に慌てて、繋いだ手に力を込めた。
「心配するなよ。今すぐに手を離したりしないさ。もう少し、慣れてから………」
「イヤですわ。ひとりでなんてムリですもの、お願い。」
魅録の言葉を遮って、必死で頼む。
「野梨子……」


「これでよし!悠理、きつくないですか?どこか痛んだりすることは?」
「……大丈夫。」
「じゃあ、行きましょう。」
清四郎は悠理の前に手を差し出した。
彼女はじっとその手と清四郎の顔を交互に見つめた後、そっと自分の手を載せる。
「どうしました?元気がありませんね……体調が悪いんですか?」
いつもとは違う彼女の様子に、眉を顰める。
「なんでもない。」
「…本当に?」
「……うるさいな。なんでもないったら!」
手を振り払って顔を背けた悠理に、一瞬清四郎もムッとした。
「分かりました。うるさくしてすみませんでしたね。」
そう言うなり、悠理を置き去りにしてリンクに降りた。そのまま、後ろも見ずに滑り出す。

悠理は先に行ってしまった清四郎の後姿を、ほっとしたような、呼び戻したいような、複雑な気持ちで見ていた。








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