Weak Point


(偽)うぃーく・ぽいんと
     「もう少し、このままで」 前編   by フロ






雪が降りはじめた。
大きな結晶がゆっくりと空から落ちてくる。
清四郎は暖かなロビーから、窓の外を眺めていた。
「あれ、清四郎。一人か?」
「あら、雪が降り出したのね!ニアミスだわ。もう一回入り直そうかしら。 雪の露天風呂なんて素敵じゃな〜い。」
ほこほこと湯気を立てながら、声をかけてきたのは悠理と可憐。
このホテルには、露天風呂付きの温泉がある。
すぐに踵を返そうとする可憐に、清四郎は微笑を向けた。
「予報では、今夜一晩中雪らしいですよ。」

「魅録と美童は?」
「魅録はカラスの行水。美童は反対に長風呂です。」
「協調性ないやつらねー。」
「魅録が飛んで出たわけは、わかりましたよ。」
清四郎は窓の外を指差す。
促され、外を眺めた可憐と悠理は目を見開いた。
「ま!」
「ありゃ」
この二階のロビーからはホテルの入口が見える。 そこに見知ったふたつの人影。
ピンク頭のその横には。
「・・・ははん。どぉ〜りで温泉誘っても、後にしますわ、 なんて言ってたわけね。」

「ああああああっ!野梨子!!」
バン、とガラスに手をついて声を上げたのは金髪を三つ編にした美童だった。
「おや、やっと上がったんですか。女性陣よりも長風呂でしたな。」
「って、清四郎、いいのか?!あれは抜けがけだろぉ!」
「抜けがけねぇ。誘ったのは、野梨子からのようですよ。」

舞散る雪のなか。
ホテルの傘を広げた野梨子は、魅録にもう一本の傘を渡そうとする。 魅録はジャケットのフードを被って断ったようだ。
代わりに、野梨子の首に自分の巻いていたマフラーを巻き付けてやっている。
「くそぉ・・・魅録のやつ・・・風邪ひいてしまえ!」
美童はギリギリ歯噛みする。
ギャラリーの存在に気づきもしていないのだろう。
野梨子はそのまま魅録に自分の傘を差しかけ、一緒に傘の下に収まった。
遠ざかる二人の影。

悠理が清四郎の脇を突付いた。
「いいのか?清四郎。」
「なにがですか。」
無言で窓に人差し指を突き立てる悠理に、清四郎は肩をすくめた。
「ま、正直、魅録が湯冷めすればいい、ぐらいは思いますけどね。」
しかし、口元には微笑。
「おまえこそ、どうなんです?」
「あたい?」
「魅録を野梨子に取られて、淋しくはないんですか?」
「よせやい、あたいは金魚のフンじゃないぞ。おまえらみたく。」
「いつの話ですか、それ。」
清四郎は悠理の額を人差し指で弾いた。
思わず目を閉じた悠理の、薔薇色に上気した頬。
蒼ざめ震えていた姿はもうそこにはない。すっかり体調も戻ったようだ。
清四郎は悠理の濡れた髪を撫でた。
「野梨子より、おまえの方がよほど手が掛かりますな。」
その清四郎の言葉に。
悠理は顔を歪める。
少し細められた意地悪そうな目はいつもの清四郎だが、悠理がつらかったときには、もっとずっと優しかった。
温かな大きな手。
悠理は頬が熱くなるのを感じていた。
この手に、ずっと抱きしめられていたのだ。
すごく安心できた。皆の優しさが嬉しかった。
あのときは、あんなに素直になれたのに。
「・・・あたいが野梨子の代わりかよ?」
今は、いつものように意地を張ってしまう。
悠理は清四郎の手を振り払った。
一歩、彼から離れる。

清四郎は思わず追うように、悠理に手を伸ばした。
「まさか。おまえが、誰かの代わりになれるようなタイプか?」
「けどっ!」
ガラスに背を押し付けた悠理の横に手を突き、清四郎は笑みを浮かべた。
「しかも野梨子と?あえて言うなら、万作おじさんですかねぇ。似てるのは。」
「お、親子だからあたりまえだろ!」



* * * * *




色気があるんだかないんだか、なふたりの会話に、蚊帳の外に置かれた可憐と美童は顔を 見あわせる。
「・・・・倶楽部内カップルやっぱり成立よね。少なくとも、一組は。」
「・・・・あまり認めたくはないけどね。」
「もう一組も、時間の問題に見えるけど?」
「認めざるを得ないね。」
難しい顔で厳かに頷く美童に、可憐は呆れ声。
「やーね、苦虫噛み潰した顔して。野梨子狙いだったんだから、しょうがないか。」
「べつに狙ってたわけじゃ。・・・・ねぇ、可憐。」
「なによ。」
「この際、僕らも付き合わない?」

バシン!

美童の背中が思い切り平手で叩かれた。

「・・・あ〜あ、バカバカしい。もう一回温泉入って気分変えようっと。」
「バ、バカバカしいってなんだよっ!殴らなくてもいいじゃないかぁっ!」
浴場へと向かう可憐を美童は追った。
「どこまでついて来る気よ、バカッ!」
女湯の前で、ふたたび平手打ちの音が響く。

しかし、残されたふたりは、友人たちが姿を消したことにも、気づいてはいなかった。



* * * * *




悠理は近すぎる距離に戸惑っていた。
物理的距離――――心理的距離。
清四郎は、いつも野梨子の隣にいるはずなのに。
今日は調子が狂ってしまう。
至近距離で絡む視線。
「顔は似てませんが、悠理は中身はおじさん似ですよね。万作おじさんは、 本気で僕がかなわないと思う数少ない人物なんですよ」
クスクス笑う清四郎に見つめられ。
今日の出来事が、脳裏を過ぎった。
「父ちゃん・・・。」
悠理の瞳が揺れた。

幼い頃の思い出。
血まみれになった父親の手。
悠理の弱点。トラウマ。

「悠理?」
悠理の表情の変化を、清四郎は見逃さなかった。
「また、気分が悪くなったのか?」
悠理はそれには答えず、覗き込むような清四郎の視線を避けた。
「・・・・おまえのトラウマを、取り除く方法はあるんだが・・・。」
悠理が顔を上げると、清四郎が心配そうな目で見つめていた。
「僕が催眠療法で、忘れさせてやろうか?」
「・・・・!」
悠理はするりと、清四郎の腕の間から抜け出た。
「嫌だ!」
清四郎に背を向けて駆け出そうとする悠理を清四郎の両腕が追う。
拘束しようとするその腕を悠理はつかみ、胸元で自ら抱きしめた。
「おまえの、その傲慢なところ、あたい嫌いだ!あたいの思い出はあたいのもんだ。 それに・・・」
背後から悠理を抱きしめる形になった清四郎も動けない。
拒否する言葉と反対に、悠理が腕を離さないから。
「それに、今日皆で滑ったから。すごく楽しかったから。」
「悠理。」
「あたい、もう大丈夫だよ。忘れたくないよ。あたいを守って怪我をした父ちゃんのこと。」
悠理は振り仰いで、清四郎を見上げた。
「忘れたくないよ。苦しかったことも楽しかったことも、今日のこと全部。」
清四郎をこうして独占できるのは、今日一日だけかも知れない。
そう思うと、少し淋しくなってしまった。

悠理の揺れる瞳に。
清四郎は困った顔を向けた。
「・・・・僕は、その顔に弱いんですよね・・・。」
「え?」
「悠理はいつも元気なのが一番です。今日のような悠理は、あんまり見たくありません。」
悠理はビクリと身を竦ませた。
「ご、ごめ・・・迷惑かけちゃったよな・・・。」
清四郎の腕を放し、離れようとする悠理を、清四郎は強い腕で抱え直した。
「そんな意味じゃない。」
かがんだ清四郎は、悠理の耳元に顔を寄せる。
「おまえのそばを不用意に離れて、苦しんでいる姿を見て・・・あんな思いはもうしたくない。 おまえは鉄砲弾みたいな奴なのに、捕まえておきたいと思ってしまう。だから、そんな顔をするな。」
「清四郎・・・?」
いつも静かな男の、声音に含まれた熱い温度。
悠理は驚いて動けない。

「悠理・・・          ・・・ですよ。」

小さな声で囁かれたその言葉は、昼間、悠理が清四郎に告げた言葉。
彼には聴こえなかったはずの言葉。



* * * * *




はらはらと降る雪に。
ライトアップされたスケートリンクが人影もないまま煌いていた。
「綺麗ですわね。」
「ああ。」
魅録と野梨子は、雪の中佇んでいた。
傘を持つ魅録の腕に、わずかに野梨子の肩が触れるほどの距離。
「寒くありません?ごめんなさい、つき合わせてしまって。」
「野梨子こそ、寒くないのか。」
そう口に出しても、おたがいに少しの寒さも感じていなかった。
「魅録のマフラーがありますもの。」
野梨子はマフラーに顔を埋め、クスクス笑う。
胸の中がほこほこと暖かった。
「今日はとても楽しかったですわ。魅録のおかげです。まさか本当に滑れるようになるとは思いもしなかったんですもの。」
雪の精のような野梨子の微笑みに、魅録は頬を染めた。
夜の雪と静かなスケートリンクが現実感を喪失させる。
「え、お、俺はべつに・・・。」
いつもの気のおけない友人との会話のはずなのに、どこかぎこちなく魅録は答えた。
「清四郎だったら、もっと上手く教えられたと思うぜ。悠理があんなことになって、 あいつ今日は付きっきりになっちまったから。」
「そんなことはありませんわ。清四郎はそりゃあなんでも上手にこなしますけれど。」
野梨子は雪景色に目を移し、遠くを見つめた。
「私、清四郎とは生まれたときからの付き合いですが、スキーもスケートも水泳も、あなたがたとお付き合いするようになって 初めて挑戦しましたのよ。あなたや悠理や可憐や美童、皆と出会って、どんどん新しい自分を発見します。」
「・・・たしかに。」
水泳の猛特訓をしていた野梨子を思い出し、魅録は思わず吹き出した。 剣菱家のプールで猫や犬と共に、ほとんど溺れかけていただけだが。
「・・・なにを笑ってらっしゃるかは、想像できますわよ。」
野梨子は眉を寄せて頬を赤らめた。
だけど、魅録と目が合うと口元には笑みが浮かぶ。
「そろそろ戻りましょうか。このリンクをもう一度見たかっただけですの。」
「ああ、本当に綺麗だったな。その・・・誘ってくれて嬉しかったよ。けど、これ以上 雪の中にいたら確かにマズイな。野梨子に風邪ひかせたら、清四郎に怒られちまう。」

普段はあまり接点のないふたり。今日、今夜、こうしていることが不思議な気がする。
ホテルに戻る道をたどりながら、ゆっくりと足を進めた。
こうしてふたりいるこの時が、得がたい時間のような気がして。

ぽつりと野梨子が呟いた。
「・・・私、今日の悠理の気持ちが、わかるような気がします。」
「え?」
清四郎に抱き上げられすがり付いていた悠理の姿が魅録の脳裏を過ぎった。
彼の腕の中で、震えていた悠理。だけど、過保護な自分が止めるのも聞かず、清四郎の手をとってリンクに滑り出した。
清四郎が彼女に与えた、安心感と勇気。
トラウマを克服し、笑みさえ見せて。
「やっぱり・・・。」
本当は清四郎と居たかったのかと、魅録の胸がちくんと痛む。
野梨子は魅録の心中にかまわず言葉を続けた。
「皆がいるから、強くなれるんですわ。本当に、自分が幸せ者だと思いますの。 あなたがたと巡りあって、こうしていられることが。」

違いすぎるふたり。重ならなかった世界。
だけど、偶然の出会いが仲間達を巡りあわせ、同じ時間を過ごせる奇跡。

「私、新しい自分が好きですわ。・・・ありがとう、魅録。」
野梨子の大きな瞳に見上げられ。
魅録は眩暈を感じた。
野梨子の言葉は、自分だけに向けられたわけではない。
そうわかっていても。
仲間達六人のバランスを心地良く感じながら、得がたいものだと感じながら。
心のどこかで、願い始めていた。
――――もう少し、こうしていたいと。

ふたりきりの時間。静かに雪が降り積もる。
いつの間にか、ふたりの足は止まっていた。








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