清四郎くんのためになるウンチク講座〜蜉蝣編〜 ベッドルームにぼんやりと灯る明かりに誘われたのか、一匹の羽虫がランプシェードにとまっていた。透明な翅が灯りに透けて、七色に煌めいている。 隣で規則正しい寝息を立てている清四郎を起こさぬように、悠理は細心の注意をはらってベッドに身を起こした。そして、何も身に纏っていないことを思い出し、ベッドを抜け出し床に投げ出してあった男物のシャツを手にすると、袖を通した。 サイドテーブルに置かれた水差しからグラスにミネラルウォターを注ぎ込み、一気に飲み干した。グラスを戻そうとした時に、それに気が付いた。 「きれいだなぁ・・・・」 息を吹きかけて驚かせては、目の前の宝石はどこかへ飛んでいってしまうだろうと、声を出したつもりはなかったのだが、不意に、優しい声とともに後から抱き寄せられ、ベッドに腰をかけたような体勢になった。 「カゲロウですね。窓を閉めるときにでも、舞い込んだんでしょう。」 「ごめん、起こしちゃって・・・・・」 「なかなか腕の中に戻ってこないから、不安で目が覚めてしまいましたよ。」 悠理の首筋に顔を埋め、清四郎が囁いた。 「あれ?さっきより黒っぽくなったぞ」 悠理が、カゲロウを指差して呟いた。 「しばらく、眺めていようか?面白いものが見られるかもしれない。」 悠理は清四郎の胸に体を預けたまま、黒さを増してゆくカゲロウを見つめていた。 「あっ!」 悠理が驚きの声を上げた。 一瞬、身を震わせたカゲロウは、少し離れたところに飛び移った。今までいたところに、黒い透明な抜け殻だけが残されていた。 「亜成虫が成虫になったんだ。」 耳元で、清四郎の声が聞こえた。 「あせいちゅう?」 「ええ、カゲロウの仲間にだけ見られる成長過程です。」 「?」 「カゲロウの仲間は、蟻地獄をつくるウスバカゲロウ科以外のものは川で育ちます。 カゲロウは儚いものと言われるけど、幼虫の期間は2〜3年もあるんです。石に付いたコケなんかを食べ、何回かの脱皮を繰り返して亜成虫になります。ここで、初めて飛べるようになるんです。そして、1〜2日くらいで最後の脱皮をして成虫になるんです。」 「・・・・・・・」 「暗くて分かりにくいけど、成虫の方が透明感のあるきれいな緑色ですよ。」 その言葉に悠理は顔を近づけて、カゲロウの成虫を見つめた。 清四郎の言うとおり、先ほどとは比べ物にならないくらいにその翅は煌いていた。 電球色の柔らかい光に浮かぶ悠理の肩にもたれるようにして、清四郎もカゲロウを覗き込んだ。 「外へ、放してやろう。」 清四郎が呟いた。 「もう少し、見ていたい・・・・」 悠理は命の煌きに魅せられているようだった。 「さっき、幼虫の期間は2〜3年と言ったけど、成虫の寿命はとても短いんだ。」 「短いってどれくらい?」 「長いもので、3〜4日。短いものは2〜3時間しかないんだ。その間、餌もとらずに命を未来へ繋ぐために、恋人を求めて飛び回るんだよ。」 「餌をとらない?」 食べることが生きがいの悠理にとっては、ショックだったのだろう。清四郎の瞳を見つめるその目は、驚きに満ちていた。 「絹糸をとるカイコガもそうだけど、カゲロウの成虫には口も消化器官もないんだよ。ただ、子孫を残す為だけに成虫になるんだ。交尾が終われば、オスは力尽き、メスは川を目指す。産卵が済めばそこで力尽きてしまう。 ねぇ、悠理。食べることを楽しむのも、男女の営みを楽しむのも、人間だけに与えられた特権のようなものなんだよ。」 気が付けば、悠理の視線はカゲロウに注がれていた。 「放してやろう・・・・今すぐ・・・・・」 悠理の声に迷いはなかった。 清四郎は両手でカゲロウを包み込むと、ベッドを離れ窓辺に歩み寄った。 「悠理、灯りを消して窓を開けてくれないか。」 その声に悠理は灯りを消し、清四郎の隣に立ち窓を開け放った。 清四郎がゆっくりと手を広げると、カゲロウは月明かりに導かれるように夜空へ消えていった。 悠理は、窓を閉めてもまだ外を見つめていた。月明かりに照らされ体の線が浮かび上がっているその姿は、喩えようもなく美しく、清四郎の中心に火をつけるには十分すぎた。 「さて、カゲロウも無事に恋人探しに旅立ったことだし、僕らは人間の特権を思う存分、楽しむとしようか。」 言うが早いか、清四郎は悠理を横抱きに抱えあげると、そのままベッドへと運んだ。 「何が、人間の特権だぁ!?さっきもさんざん楽しんだだろうが!!この変態!!」 悠理の悪あがきも、清四郎にとってはただの睦言にしかすぎなかった。 もうすぐ東の空が白んでくる・・・・・ |