清四郎の左手がぐっとそれを握り締める。 彼の真剣なまなざしが一点をじっと見つめている。 そばにいる悠理も思わず息を呑んでその光景を見つめた。 「それ、そんなして使うんだ。」 「そうですよ。このスタイルはもう長いこと変わってません。」 どんなに新しい機械が出来ても、アナログなこれが一番確実なのだ。 「和子さんとかも毎日使ってる?」 「ええ。普段は実はそうでもないんだけど、今は特別にね、たくさん使ってるわ。」 お茶をすすりながら和子は答えた。 清四郎はその会話を聞き流しながらそれを片付ける。 「ねえ。あたいもそれ、使ってみたい。」 と、急に悠理が言い出したので、清四郎は思わずその手を止めた。 「・・・は?」 「面白そうだもん。」 「これはそのスジの人間以外は使えなくても構わない道具ですよ。」 「でもお前だって使ってたじゃん。一回だけでいいからあ。」 清四郎は眉間に手を当てる。彼女がこう言い出したら聞かないのはよく知っているからだ。 「わかりました。でもこう見えて繊細な道具ですから、あまり乱暴に扱わないでくださいよ。」 「うん。使い方、教えてくれよ。」 おかしなことになったものだ。 今日は週末を利用して二人は菊正宗家に揃ってやってきていた。 そこで菊正宗夫人に言われたのだ。 いつも使っている機械が故障してしまったので、代わりにそのアナログな道具を病院から借りてきて欲しいと。 それが、これだ。 まさか実家でこれを悠理と二人で使うことになるなんて、ましてや悠理がこれ握る立場になるなんて思いもしなかった。 「く・・・悠理・・・締まりすぎだ・・・そろそろ、もう少し緩めてくださいよ・・・。」 囁くような声で言われて初めて悠理は、清四郎が眉を寄せて苦痛に耐えていることに気づいた。 真剣なまなざしで道具の方を見ていた悠理だったが、慌てて彼の表情を窺う。 「ご、ごめん・・・こんなに締まるなんて思わなくて・・・。痛いよな?」 彼女はらしくなく緊張している。 声が掠れているので、彼にもそれは知れた。 「大した痛みじゃないが・・・ああ、痺れてきた・・・。」 その言葉に悠理が慌てた。 「ど、どうすれば緩まるんだ?・・・あたい、わかんなくて・・・。」 軽くパニックになりかけている。だから清四郎はそんな彼女を落ち着かせるためにゆっくりと穏やかな声音で話しかけることにした。 「初めてでは知らなくて当然ですよ。そのツマミをちょっとだけ左に回して。」 「そんな・・・大声で言わないでくれよう・・・耳が痛いじゃないか・・・。」 そうだ。彼女は耳を澄ましている。 そのかすかな音を聞き逃さぬように言ったのは、清四郎自身なのだ。 「ゆっくり・・・ゆっくりだぞ・・・。」 「う、うるさい!黙ってろ!」 と、悠理の頬が赤らむ。緊張も限界に達したのだろう。 「あう・・・堅い・・・これ・・・。」 悠理の眉間にも皺が寄ってきた。 「締めたのは悠理でしょ?」 清四郎が囁いた途端、その瞬間は訪れた。 「ゆるん・・・あ、あああああああ!」 ぷしゅーーーーーーーーっ みるみる下がるボルテージ。 悠理はおのれの耳に差し込まれているモノを引き抜くと、 「だあああ!清四郎が話しかけるから失敗したじゃないか!」 と叫んだ。 「なに言ってるんですか。だからゆっくり回せと言ったんだ。」 最初に清四郎は説明したはずだ。ツマミをきつく締めすぎるなと。 清四郎はバリバリという音をさせて己を締め上げていたモノをはずす。 悠理は慌ててそれを止めようとした。 「なあ、もう一回やらせてくれよ。今度は失敗しないからあ。」 甘えたような声にも清四郎は耳を貸そうとはしなかった。 「ダメです。だいたい、僕の血圧は200もありません!一度お前も200の圧で締められてみろ!」 そう。二人の間に置かれているのは水銀血圧計。 聴診器で動脈の環流音を聞きながら血圧を測定する昔ながらの道具である。 本人は医者の不養生を体現しているような菊正宗修平氏だが、その妻は健康に気を使っていた。 夫の手本となるべく、毎日血圧を測定することを習慣としているのだ。隙あらば夫にも習慣づけさせたい、と思いながら。 市販の電子式のものであれば、自己測定は簡単に出来る。 だが、今日はそれが壊れていたのだった。 「とりあえず血圧計をめぐってこんな会話ができるなんてのは盲点だったわよ。」 現在多忙な研修医ではあるが、麻酔科をローテーション中のためこの週末はフリーである(勤務先の麻酔科は入院病床がない)和子はため息をついた。 「なにか言いましたか?」 「べーつにい。」 |