ペディキュア

BY ルーン様




やれやれ。と、清四郎は思った。
 台所で淹れてきたコーヒーをちゃぶ置く。
 時計を見ると夜中の3時。まあ無理もない。悠理にしてはがんばったほうだろう。
 昨日だってろくに眠らずに勉強していたのだし。
 ペンを持ったまま眠りこけてしまっているその友達を眺める。
 明日は中間テスト初日。今日は悠理が一番苦手とする数学を、例によってつききりで教えた。
 かち、かち、かち。すくーっ、すくーっ。
 静かな部屋に、時計の音と規則正しい寝息が聞こえる。なにかいい夢でも見ているのか、悠理はほんのり笑っている。
 ばかっぽい、といつもの清四郎なら思ってしまうのかもしれないが、今はなんだか違った。抱きしめたいような衝動に駆られる。
夜だからだろうか。相手は悠理なのに、と思った。
 風邪をひいてしまう。このままだと。
 急に、頭にそんな言い訳がひらめいた。ベッドに運んでやらないと。
 悠理の手からペンを取り、後ろから抱きかかえる。
 寝ていて全く力の入っていない身体はくにゃ、となんだか柔らかく、暖かい。ちゃぶ台の下から悠理の足をずるずると抜いたら、はだしのそれは細く、ちいさい。彼女の身体にこんな部分があったなんて、と思ってしまう。ふと爪先を見ると、ペディキュアが塗ってある。薄いピンク。淡い慎ましやかなその色は、数ヶ月前に散ってしまった桜を彷彿とさせた。奇抜なセンスを持つ彼女の選んだその色が、とても意外だった。
 抱き上げて、思った。ああそうだ、彼女の身体はこんなに軽いと。花びらのようだ。
 ベッドに運び、タオルケットを掛けてやる。頭を横たえるとき、自然と顔が近づいた。唇をつけたい衝動を必死で押さえつけてみる。でも、ああだめだ。自分を制することには自信があった筈なのに。磁石のように、引き寄せられてしまう。
 少し…だけ。
一瞬付けた唇は、甘い味。
そういえば悠理は問題を解きながらストロベリーキャンディーを食べていた、と思い出す。悠理の腹がへったと騒ぐ声をトイレに行こうとしていた和子が聞きつけて、清四郎の部屋に缶ごと置いていったのだった。この問題わかんない、と問いかける悠理の息は、こんな風に甘い香りがしていた。歯にキャンディーが当たってかちゃかちゃいう音に、子供ですか、と眉をしかめたのだった。
 ストロベリーの甘い香りに酔わされたのだろうか、それとも桜色をした爪先に?
 どっちにしても、このまま悠理の顔を眺め続けていたら、危ない。
 ぱちり、と電気を消す。
「客室で寝るとしますか」
 と呟いて、清四郎は部屋を出た。

「どうでしたか、試験は」
 試験が終わった後、生徒会室で。
 すでに一袋のせんべいを胃に収め、チョコレート、マロングラッセ、さらにまんじゅうにまで手を伸ばす悠理を眺めながら、聞いた。テーブルの隅では美童が野梨子に古典を教えてもらっている。
「んんん、出来たような気もする。とりあえず一番嫌いな数学が終わって肩の荷が下りたじょ」
 と、悠理は嬉しそうだ。頭使うと腹減るよな、と言いながらまんじゅうにばくりと食いつく。
「まだ食うのか!?」
 隣で魅録は呆れ顔だ。
「悠理は頭使っても使わなくてもいつもお腹すかしてるじゃない」
 と、コーヒーカップを持ち上げながら可憐。
「あれだけ苦労させておいて赤点なんかとったら承知しませんよ」
 ちらりと横目で悠理を見たら、べぇ、と舌を出された。かわいくない奴。
「さて、と。帰って寝ようっと。清四郎、今日も6時ごろお前ん家行くから」
 貢物の中から、ケーキの箱を取り、水平に持ちながら悠理が言う。まだ家でも食べる気なのだろう。
「だめです。今日はこれから僕のうちに直接行ってそのまま勉強しましょう」
 清四郎は立ち上がり、自分のかばんを持ちながら言った。
「あぁ?お前鬼か!あたい昨日も一昨日もろくに寝てないんだぞ」
「そのバケモノ並の体力があれば2,3日位寝なくても大丈夫なんじゃないんですか。でも昨日みたいに夜中の3時まで勉強はしませんよ。今からやり始めたら、夜には家に帰してあげますから」
 夜はだめだ、と清四郎は思った。夜に隣にいられたら、眠り込んだ悠理をまた抱きしめたくなりそうだ。そしてまた寝不足になる。
そんなことを考えている今は昼なのに、そして昨日からずっと桜色の爪先と悠理の寝顔が頭から離れないのだから、昼だからとか夜だからとかは関係ないことに清四郎は気付いていない。
「いやだ!!」
「なに聞き分けのないこといってるんですか。帰りますよ」
 清四郎は悠理の首根っこをつかみ、ひっぱる。
「清四郎のサド!鬼ぃぃぃ〜」
 2人が出て行った後、ドップラー効果で聞こえてくる悠理の叫び声に、残された魅録と可憐、美童と野梨子は苦笑いする。
「なんか注射に連れて行かれる子供みたいだな」
 と、魅録。
「清四郎ってさ、最近悠理にかまいたくてしょうがないって感じだよね」
 美童はくすくす笑う。
「今思ったのですけれど清四郎のあの態度って、悠理だけにですわよね」
 あごの下に人差し指を当てて野梨子が言う。
「そういえば…」 
 魅録と可憐は顔を合わせる。
「この試験が終わったら…面白いことになってるかもね」
 美童の言葉に、3人は新しいおもちゃを見つけた子供のような顔をした。

「痛い!もー分かった、あたいが悪かったです〜離してくれよぉ」
 という、悠理の言葉に。
 清四郎は立ち止まり、悠理の首根っこを掴んでいた手を離した。ふぅぅー、とため息をつく。
悠理は昨日ろくに寝てない、と言っていたけれど。寝ていないのは清四郎だ。なにしろあれから客室の布団に入ったはいいものの、悠理の寝顔が瞼にちらついて眠れなかったのだ。一昨日も悠理の勉強をみていたから4時間くらいしか寝ていない。
眉間を揉んでいる清四郎を見て、悠理はさすがに悪いことをしている気分になってきた。しゅん、としてしまう。
「お前さー、疲れてるんだろ?あたいこんなばかだし今更がんばったってしょうがないかもしれないし、さ…」
 申し訳なさそうにしている悠理の言葉に、清四郎はおや、と顔を上げる。疲れているのは悠理の勉強をみていたからじゃなく、桜色の爪先のせいだ。でもなんだか、しゅんとしている悠理はかわいい。
 こん、と軽く悠理の頭を小突く。
「悠理らしくないですよ、そんなこと言うなんて。遠慮しなくても今日はみっちり教えてあげます。覚悟してください」
 いつになく優しげな清四郎のまなざしと仕草に、悠理は少し、顔を赤らめた。
「遠慮じゃないやい。ほんとに勉強嫌なんだよっ。どーせあたいはお前と違ってばかだからな」
 なんだか恥ずかしくて、照れくさくて。悠理は口を尖らせ、そっぽを向いた。
「そんなことないですよ。悠理はばかなんかじゃない。やればできますよ。保証してやる」
 真面目な調子で清四郎が言う。
「…なんかいつもお前に保証してもらってるよな、あたいって」
「嫌ですか?」
 清四郎はそっぽを向いている悠理の顔を覗き込む。と、悠理、少し考えて。
「…んーん、安心する」
 まっかな顔でむこうを向いたまま、ぽつり、と言う。ふいに清四郎は悠理の細い肩を抱きしめたくなってしまう。明るい日差しと白い雲が窓に映る、学校の廊下で。
「ジェラード…」
 清四郎は気持ちを持て余し、窓に映る雲を見た。
「え?」
「ジェラード、食べながら帰りましょうか」
 清四郎の家までの帰り道に、イタリアンジェラードの屋台がある。
「うんっ!」
 悠理の顔がぱぁ、と明るくなる。
「そのかわり帰ったら、昨日よりもみっちり勉強しますからね。その頭に英単語を叩き込んでやります」
  明るくなった悠理の顔が、急にどんよりと曇った。
 …ほんとに表情がくるくる変わりますね。
 清四郎は口に拳をあててくっくと笑う。
そして、こんな悠理に対して抱く感情を、心地よい、と感じた。
悠理の桜色をした爪先に、思いがけずどきどきしてしまったと思ったけれど。
今日の空のような色のペディキュアでも、それは変わらなかったかもしれない。
 はじけるように笑う彼女から、目が離せない。
 夏はもう、すぐそこ。





END



清四郎くん、ちょっと君キモチワルイです。
女の子の足見て自分のコイゴコロに気付くなんて、少し変態入ってますよね…。寝ている無防備な悠理ちゃんの唇も奪ってしまうし、もうやりたい放題もいいところです。
でもでも、弁解させていただくとっ。ルーンがこないだバスに乗ってたらきれいにペディキュア塗ってサンダル履いたおねーさんがいまして。その足見てどっきん、てしちゃったのです。(え?変態なのは私?)それで、この話を思いつきました。
読んで頂いた方、初心者のこんな稚拙な文章を快くアップしてくださったフロさまに、たくさんの感謝を。ありがとうございました。


フロです。なんとも、ときめくお話をありがとうございますw
ほんのり女の子の悠理に、清四郎と一緒にドキドキ。「安心する」なんて かわゆく言われたら、ジェラートと一緒に食べちゃいたいです♪(大丈夫です、私の方が変態だわ/笑)
ルーン様、今後も清×悠を読ませてくださいませ!

 

 

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