「しまった…」 金曜日の午後7時。菊正宗清四郎は自宅に居た。 同居人の剣菱悠理は現在外出中。 今朝聞いた話からすると、あと30分もすれば帰ってくるだろう。 「アレがない……」 清四郎はしばし呆然とする。 アレがなくなっていたとは想定外。 ストックを切らさないことにかけては自信があったのに、どうも慢心していたみたいだ。 「さて…」 腕組みをして考える。 なくても出来る。それはもちろん。 悠理とてさして気にしないだろう。 「いや、しかし…」 変なところで敏感な悠理のことだ。 こちらが予想しないところで駄々をこねるかもしれない。: そうなると後が大変だ。それこそお楽しみが奪われてしまいかねない。 代用品がないこともない。 でもいつも使っているアレがやはり一番しっくりくる。 代用品を使って、「いつもと違う」なんて言われたときには…。 完璧主義を自他ともに認める清四郎のプライドが許さない。 今から買いに行くことも出来るが、それでは悠理が帰ってくる頃には間に合わない。 こういうことはタイミングの問題だ。 遅れてしまっては元も子もない。 「でも悠理ですからねえ…」 そういう部分にまで気が回るかどうか。 大体、清四郎の細やかなこだわりを知っているのかも怪しい。 清四郎は代用品を手に取った。 「待てよ…」 何もコレにこだわる必要はないのだ。 やり方を変えれば済む話。 結局は同じところに収まるのだ。 どうも最近考え方が固定化されてしまっているようだ。 清四郎は、いかんいかんと頭を振る。 心情として当初の予定を変えたくはなかったが、物事には時と場合というものがある。 今回はやむを得なし。 原点回帰もいいだろう。 そういう結論に達した清四郎が、代用品を置きなおしたとき、後ろから声がかかった。 「ただいま」 「…早かったですね」 振り向いて、悠理の髪を撫でる。 「うん。お前早く帰ってくんのに、あたしが遅いのもなんじゃん」 「嬉しいですね」 その言葉と一緒に両手を広げる清四郎に、悠理の身体がぽすんと納まる。 「せいしろー、今日は何?」 清四郎の胸に頬を擦りつけながら悠理が聞く。 猫に餌をねだられている気分にならなくもないが、懐かれていると思えば気分は悪くない。 「今日はですね、鯛のお刺身です」 「…カルパッチョじゃなくて?」 悠理が清四郎の得意料理のひとつの名を挙げる。 「…実はですね、オリーブオイルを切らしてしまいまして」 「オリーブオイルじゃないとダメなわけ?」 「出来なくはないですが…、それではいつもの味にならないんです」 「だから刺身かあ…!」 「嫌ですか?」 「まさか!」 悠理は満面の笑みで続けた。 「美味しけりゃ何でもいい!!」 その笑顔を受けて、清四郎も微笑む。 その晩の献立。最後を締めくくるデザートは…。 |