悠理が、その殻を破りつつある。
何千何万という賞賛の視線と声を浴びて。
青い空、白い雲。青い海、白い砂浜。太陽は頭上高く輝いていて、BGMは波の音。
ここはバミューダ諸島。魔のトライアングルで有名だが、世界有数のバカンス地でもある。
聖プレジデント学園大学部に進学した有閑倶楽部の6人は、照りかえる陽光もまぶしいプールサイドで、思いおもいにフレッシュジュースを飲んでいる。
淵に輪切りのパイナップルが差してある大きなグラスを抱えている悠理の爪に、可憐の視線が何気なく留まった。
「ねえ、悠理。たまには私と一緒にネイルサロンとか行かない?」
「はあ?ヤだよ。午後は熱帯魚見に、海に潜るんだい!」
清四郎と付き合い出して早一年。見た目は格段に女っぽくなった悠理だが、中身まではそう簡単には変わらない。
「そんなの明日にしなさいよ」
「えーーっっ」
熱帯魚をそんなの呼ばわりされた悠理は、明らかに不満顔だ。
「いいじゃない!あんたこの頃女っぽくなったし、更に磨きをかけるのよ!!」
着せ替え人形で遊ぶ感覚に似てないこともないが、可憐は密かに悠理の美をプロデュースする日が来るのを待っていたのだ。
「野梨子はもともと一緒に行くからいいとして…」
「ええ」
「…そうすると…」
走り出した可憐は止まらない。不満の声を上げ続ける悠理と、意見のいの字も挟ませてもらえない男たちを置き去りにして、頭の中で予定を組みたてる。
「今日のディナーは正装ね!美童、良いところ知ってるでしょ?清四郎、手配よろしくね!魅録、あんまり焼きすぎると後が大変よ!じゃっ、6時にホテルのロビーね!!」
ジュースを飲み干した悠理を急かすように立ちあがらせ、野梨子とひとつ頷き合うと、可憐はヒールの音も高らかにプールサイドを後にした。
「なんだあ?」
「中々に勢いがありましたな」
「そこが可憐の良いところ♪」
三者三様の感想を口にして、男たちはディナーの場所を相談し始めた。
「お待たせ〜♪」
待ち合わせの時間に遅れること5分。明るい口調と共にホテルのロビーに現れたのは、華やかに着飾った3人。
先頭を来たのは可憐。胸元に豊かなドレープのあるマーメードラインのドレス。シャンパンゴールドにきらめくそれは、可憐の身体をタイトになぞるデザインだ。
栗色の髪は右の耳元でゆるくまとめられ、空いた左の耳には長いピアスが揺れている。
「ワオ!可憐、綺麗だよ!!」
美童の賛辞を“当然”といったように受けとめて、可憐は自信たっぷりに微笑む。
可憐の後ろには野梨子。こちらは胸元を大きな黒のリボンで引き締めた、シンプルなAラインのサーモンピンクのドレス。髪に留められた、ドレスと同色のバラの生花が野梨子らしさを引き立てている。
美童に肘でつつかれた魅録は、顔を赤らめつつ「…似合ってるぜ」と呟くのが精一杯だ。
それでも野梨子は嬉しそうに微笑む。
そして、最後は少々ふくれっつらな悠理。
今日の悠理はいつものような常人離れしたセンスで身を包んでいない。
ごく薄く青みがかった白のIラインドレス。胸の部分に、濃さの違う青いリボンが3本斜めにあしらわれていて、それらは左肩の部分でひとつの大きな花を形作っている。飛び跳ねまくりの猫っ毛も、今日はすっきりと撫でつけられている。
てっきり悠理はいつも通りだと思っていた清四郎は、その予想外な姿に息を飲む。
悠理が近づいてくるなか、光沢のある生地の裾から悠理の足先が覗いた。ふとその足先に目をやった清四郎は再び息を飲む。
その爪は、深海を思わす深い青に蛍光の翠の粒子が光るネイルをベースに、爪先1/4ぐらいにだけ七色にきらめく貝の内側を薄く剥がしたような風合いの白っぽいネイルが重ね塗られていた。
清四郎は、弾かれたように視線を上げて悠理の手を見る。
手の爪は、使われている色はそのままに、配色だけを逆にして塗ってあった。
清四郎は戸惑いを隠せない。
ドレス姿の所為もあるだろうが、指先に纏う色だけでこんなにも受ける印象が違うものなのかと。
夏に、海に似合う色のはずなのに、いつもの悠理から発散される夏の匂いがしない。
普段の悠理は、言うなれば夏の真昼の太陽だ。常に明るく、乾いた匂い。
けれども。今、目の前にいる悠理は、夏は夏でも昼間ではない。気だるい熱さを引きずった、夏の夜の匂い。
一年前なら似合わなかったであろうその色を、今の悠理はこともなく身につけている。
自分が気付かぬ内に悠理は確実に大人の女性への階段を上っているのかと思うと、清四郎は内心面白くない。
でもそれは清四郎の我が侭で。悠理は誰かのために装うことはしない。悠理は、悠理のために装うのだ。
それでも発散される輝きは周囲の人々の視線を奪い、その場を一瞬静めるだけの力がある。
動かしがたい事実が、清四郎の中で、誰に向かうでもない嫉妬心へと変化する。
「…清四郎?」
「いえ…。行きましょうか」
清四郎は、渦巻くよろしくない感情を仕舞い込んで静かに微笑むと、悠理に左腕を差し出した。
悠理と清四郎が付き合い出してから、ホテルの部屋は3部屋取るということが当然となっていた(ちなみに、清四郎と悠理、可憐と野梨子、美童と魅録、という部屋割りである)。
部屋割りを聞くたびに、悠理だけは「気にしなくていい!っていうか気にするな!!」と抗議するのだが、それが受け入れられたことは皆無に等しい。
今回とてそれは変わらず、正装でのディナーを滞りなく終えた悠理と清四郎は、ふたりに与えられた部屋のドアの前にいた。
清四郎がカードキーを機械に通す。ピッと軽い電子音がして、施錠が解除された。
悠理は無言でドアを開けると、そのままバスルームへと向かう。
「悠理?」
「シャワー浴びる」
ロビーで待ち合わせてからというもの、どうにも悠理の機嫌が悪い。
普段と違うドレス姿に不満なのはわかるが、理由はそれだけではないようだ。
(何かしましたかね?)
思い当たる節の全く無いまま、いつものようにドレスを手伝うべく背中のファスナーに手をかけたものの、「1人で出来る」とあっさりあしらわれてしまった。
訳がわからないなりに、清四郎はむっとする。
悠理を残してバスルームを出ると、上着を脱ぎ捨てネクタイを剥ぎ取り、窓辺に置かれたソファーへと腰を下ろす。
悠理は知らない。清四郎がこんなにも妬いていることを。
清四郎の嫉妬の原因はあの爪だ。
あんな色を纏って、あんなに周囲の視線を浴びつつ、それに無自覚な悠理。
悠理への理不尽な苛立ちが、清四郎を実行行為へと移させる。
部屋にかすかに響く水音が止まるのを見計らい、清四郎はバスルームへと向かう。
ためらいもなくドアを開け、湯上りの頬を上気させてバスローブに袖を通している悠理を抱き上げる。
悠理の抵抗を完全に抑えつつ清四郎は悠理をベッドへと運ぶと、悠理をその端へと下ろした。
自分は悠理の足下に跪き、おもむろにその右の足先を手に取る。
「な、なに…?」
戸惑う悠理をよそに清四郎は爪先へと唇を寄せ、丁寧に施された親指のネイルに口づけると、そのまま舐め上げた。
「ちょっ…!」
清四郎の予想外の行為に、悠理は身体をこわばらせる。
「汚いってば!」
「汚くないですよ。バスルームから抱き上げてきたんですし」
清四郎は艶然と微笑むと、再び行為を開始した。
親指の腹を、清四郎の柔らかく温かい舌が襲う。
タマやフクに舐められるのとは訳が違う。明確な欲望を持った舌に、右足から左足へ一本ずつ弄るように舐められて、悠理の身体が融けてゆく。
清四郎は口づけを落とすことを止めない。爪先からくるぶし、ふくらはぎから膝へと舌を添わす。
バスローブの裾を割り、内腿にひとつ跡を残して、身体を起こした。
水気を帯びてぺたんと落ちている悠理の前髪から滴が落ちる。
清四郎は、悠理と一緒に抱えてきたバスタオルを広げると、悠理の髪を拭きはじめた。
「ふむ。こんなもんですかね」
そういうと隣のベッドにタオルを投げ、悠理の身体を押し倒す。
胸元に置かれていた左手を取ると、悠理と視線を合わせたまま指先に口づけ、口に含む。
「…っ」
一本ずつ、仕上げに手のひらにキスをして、今度は右手へ。
指先を舐められているだけなのに、悠理は身体が疼くのを止められない。
右の手のひらにキスが落とされるころには、悠理はその目じりを赤く染め、濡れたように目を潤ませていた。
「…そんなに煽るな」
悠理の瞳に誘われるまま、清四郎は唇を重ねた。
名実共に、気だるい夏の夜の空気が部屋を漂っている。
悠理は、その背中を清四郎の胸に預けるようにしてベッドに横たわっていた。
真っ暗な部屋にろうそくの火をひとつ灯すかのような静けさで、ぽつんと悠理が呟く。
「…お前に、褒めて欲しかったんだ」
「はっ?」
「清四郎はさ、あたしがどんなカッコしても褒めてくれるだろ?カワイイですねとか、キレイな色ですねとかさ」
「ええ、まあ…」
何を褒めたとしても、結局褒めているのは悠理自身のことなのだけれども。
「これも、褒めて欲しかったんだ」
そう言うと、両手を前に突き出して、手のひらを宙にかざす。悠理の指先が、窓から入る月明かりを受けとめ瞬いた。
悠理はただ清四郎に褒めて欲しかったのだ。
美童が可憐を、魅録が野梨子を褒めたように、悠理は清四郎に褒めて欲しかったのに。それなのに清四郎は何も言ってくれなくて。だから拗ねたのだ。
実のところ清四郎は悠理の姿に見惚れてしまっていて、言葉に出すのを忘れていただけなのだが。
「機嫌が悪かったのはその所為ですか…?」
「…子どもっぽい?」
褒めて欲しいだなんて、子どもでもあるまいし。
でもそれはネイルに限った話ではない。何を装ったとしても、何を身に着けたとしても、見て欲しいのは清四郎ただひとり。誰よりも清四郎に褒めて欲しい。
100万の賞賛よりも、ただ1つの褒め言葉が勝つのだ。そういう人を得てしまった。
悠理の問いかけには答えず、清四郎は素直な気持ちを口にする。
「綺麗ですよ」
伸ばされた手に、清四郎の手が重なる。
「どんな宝石よりも何よりも」
指先を絡め、手を引き寄せて抱きしめた。
「悠理が一番綺麗です」
耳元で甘く囁く。
「…そこまで言えとは言ってない!!」
甘い台詞の余韻はどこへやら。清四郎の腕の中で悠理が身体の向きを変え、清四郎を睨みつけた。窓からの明かりだけでも、悠理の顔が真っ赤になっているのがわかる。
「なんですか。照れなくたっていいじゃないですか」
「うっさい!!」
これ以上言われてなるものかといった感で、悠理は両手を重ねて清四郎の口を封じる。
塞がれたその下で、清四郎の口元が緩んだ。
(中身まで大人になるのはいつになるんでしょうね)
なって欲しいような、このままでいて欲しいような。男心も複雑だ。
でも、いつどんなときでも、悠理を褒めることを清四郎は誓う。
清四郎の想いが悠理を押し上げる。
自惚れても、それが事実。
君の為ならいくらでも。
1、大なり、1,000,000。
ヘンテコ題名ですよね…。でも思いついてしまったので…。
某ヌシさま(すいません!)にちょっと突つかれたのを機に、「そうか。Rか〜」と思い始めて書いてみたのですが…う〜ん…、これってRなんですかね?(人に聞くな)
というか、ゆるいRの部分の清四郎がねちっこくて…納豆ねばねば清四郎です。ふう。
ペディキュア好きとしては、これでひとネタ!と思っていたので、ルーンさまでペディキュアは既出だったのですが書いてしまいました。ルーンさますいません!!
受けとっていただいたフロさまと、読んでくださった皆さまに感謝を込めて。トモエでした。
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