〜第四章 後編〜 3日後、この日はカレン王女の十八歳の誕生日であった。 日が落ち、夕闇に包まれる頃には宮殿のあちらこちらで篝火が焚かれ、招かれた多くの客人たちが宮殿内をうろつき始めた。 今宵の主役、カレン王女は深紅の丈長いトゥニカに身を包み、肩に夕焼けの色のストラを掛けている。 すんなりとした腕には幾本もの金のブレスレットが通され、滑らかな首筋には紅玉の嵌った首飾りを着けていた。 まさに輝くばかりの美しい王女の姿に、大広間を埋め尽くす客人達は皆、感嘆の声を漏らした。 宴は夜遅くまで続き、多くの余興やダンス、各国の王達から届けられたお祝いの披露などが延々と続いていた。 だが、当の本人はこの宴を楽しんでいるようには余り見えない。 彼女は隣の玉座に座った義父が何かといえば彼女の手を取り、耳朶を噛むかのように顔を近づけて話しかけてくるのが煩わしかった。 早くここから逃れたい。その思いしかなかった。 「どうした、余り楽しんではおらぬ様だな」 猫の喉元を撫でるような義父の声に、身体が怖気立つような気分だ。 「いえ…少し疲れてしまったわ」 義父の視線から顔を背けるように俯きながら答えた。 「疲れたか…無理もない、少々余興が長すぎたな。少し気分を変えると良い。そうだ、あちらにお前に見せるものがある」 そう言うと王は玉座から立ち上がり、カレン王女にも立ち上がるように促した。 「どちらに行かれるのですか?客人方に失礼でしょう?」 そのまま有無を言わさずカレン王女の背に手を添えて出て行こうとするのをアキコ王妃が見咎め、引き止めた。 「姫が疲れたようなのでな…アキコ、お前はここで客人達のもてなしをせよ」 有無を言わさぬ調子でそう告げるとそのままカレン王女の手を取り大広間から出て行った。 後に残されたアキコ王妃の顔が血の気を失っていく。 誰か…声にならぬ助けを求めて辺りを見回す。と、客人がひしめくフロアで自分を見つめる人物と目が合った。 口元に微笑を浮かべる、白皙の顔の中の青い瞳。 彼は王妃に向かって頷くとそっと後を追うように出て行った。 カレン王女は怯えていた。 自分を見る王の邪な視線になどとっくに気付いていた。だけど、まさか… 寝台に倒された彼女の眼前には、王の欲情を宿した目があった。 この部屋に連れてこられ、テーブルにうずたかく積まれた色とりどりの衣装や装飾品を見せられた。 ぞっとするような甘い声音で話しかけられ、信じられぬように目を見張ったカレン王女を王は寝台へと誘ったのだ。 王の手が王女の亜麻色の髪に伸びた。堪えきれず悲鳴を上げる。 誰も来ぬように言いつけているだろうとわかってはいたけれど… 「嫌ー!助けて、お母様っ!」 多少の抵抗など王の欲情をそそるだけだ。 王が薄く笑い、王女の喉元に口づけようとしたその時、 「無粋だなぁ。嫌がる女に無理強いするなんて…」 およそその場にそぐわないのんびりした声が響いた。 「む……」 気がそがれたか、王がその声のする方に身体を向けた。 部屋の入り口に腕組みをして壁にもたれて立っているのは、濃い紫色の胴衣を着け紅のマントを纏ったまばゆい金色の髪をした男。 「ビドー!」 カレン王女がその名を叫び、王の腕の下から逃れて彼に駆け寄った。 「大丈夫?カレン」 抱きついてきた王女の髪を撫でながら優しく問いかけた。王女が無言で頷く。 「…無粋はそなたであろう?邪魔立てしおって。どうなるかわかっておろうな。衛兵!衛兵!」 怒りを抑え、王は声高く護衛の兵を呼んだ。 「お呼びでしょうか、陛下」 低い声で答えながら青い胴衣に濃紺のマント、長身の黒髪の男が入ってきた。 その後ろからもう一人、先程の男と同じ衛兵の制服に身を包んだ、淡い緋色の髪の男。 二人の顔を見て王は眉を顰めた。 「お前達だけか?他の者はどうした」 「ああ、皆気持ちよさそうに寝てるぜ」 片方の眉を上げ、緋色の髪の男―――ミロクが答える。 「な…何者だ!お前達…」 王が腰に差した剣を抜いた。 シャッ!剣を鞘から引き抜く音が響き、黒髪の男―――セイシロウが剣を目の前に斜めに構え、静かに告げる。 「陛下のお命を戴きに来ました」 カシンッ!セイシロウが繰り出した剣を、王の剣が跳ね返す。 すぐに体勢を整え、セイシロウが打ち込む。 ガンッ、カシィン、ガッ! アラク王とセイシロウの激しい打ち合いが続く。 ミロクは剣を構え様子を見守った。セイシロウの額に汗が浮かぶ。 「代われ!」 ミロクが叫び、セイシロウが身を翻すとミロクが取って代わった。 頭上から振り下ろされた剣を刀身で受け止める。衝撃で腕が痺れた。 ―――くそっ!なんて重い剣だ。 渾身の力で押し返すと同時に、王の腹に蹴りを入れた。 思わず後ずさった王がミロクを睨み付けた。 「お前は…護衛官の息子か!こんなことをして、父親が何と言うかな?」 「親父は喜ぶさ。あんたが死んだらな!」 斜めから切りつけた剣先は、王の剣によって跳ね飛んだ。 「ちっ!」 「代われ!」 セイシロウが代わる。が、勢いをつけた王の剣をかわす内に壁際へと追い詰められた。 「…思い出したぞ。お前は、医者の小倅か」 すっと剣先をセイシロウに突きつけ、王は言った。セイシロウがその顔を睨み付ける。 「はあっ!」 振り下ろされた剣を一瞬の差でセイシロウが横によける。 剣の切っ先が触れたか、セイシロウの胴衣の肩が切れ肌が覗いた。 「確か、奴隷の身に落とした筈だ。戻ってきたか?」 再びセイシロウに剣先を突きつけ、王が眼を細めた。その右目が緑色、左目は茶色の瞳に冷たい光が宿る。 壁に背をつけたまま、セイシロウは無言で王を見据えた。 不意に、幼い頃の恐怖を思い出して身体が震えだしそうになる。唇を噛み締め、必死で耐える。 ユーリ!心の中で愛しい人の名を呼んだ。震えが止まる。 「良い事を教えてやろう。何故お前の父を殺したか知りたいか?」 「…あなたが先王を毒殺した事を隠すためでしょう?」 「それもある。だがな…他にも理由がある。…お前が目障りだったからだ」 セイシロウの目が見開かれた。 「な…」 「わずか十歳にして剣の天才、神童と呼ばれたお前がな。捨て置いてはいつか厄介な存在になると思った」 あざ笑うように王は言い捨てた。 「やはり、あの時に父親と共に殺しておくべきだったな」 その言葉に、セイシロウの中で何かが弾けた。 カシィン!突きつけられた剣先を跳ね返し、斬り付ける。 「はぁーーーーーっ!」 そのまま激しく打ち込み続ける。王の身体が後退して行く。 「むっ!」 いきなり王が身を翻し、背を向けて大広間の方へと逃げ出した。 「待てっ!」 ミロクが、セイシロウが後を追う。大広間の入り口近くで追いついた。王が振り返った、その瞬間を捕らえた。 ザシュッ!セイシロウの剣が王の身体を左肩から斜めに切り裂いた。 グサッ!王の背後に回ったミロクが王の背を突いて止めを差す。 アラク王は大きく目を見開き、ゆっくりと倒れた。 「やったぜ!」 ミロクが固めた拳を突き上げた。セイシロウが大きく息を吐き出して剣を下ろす。 「陛下!」 大広間に集う客人の間から、ばらばらと衛兵が飛び出して来て、二人を取り囲んだ。 客人達の間から悲鳴が上がる。 「おいおい…どうする?」 「ちょっと…数が多すぎますね」 衛兵達に向かって油断なく剣を構えながら二人は言い交わした。 「万事休す。ですか…」 「剣を引け!静まれ!」 その時、彼らの後ろから威厳のある声が響いた。その声に衛兵達は剣を収めその場に跪く。 ビドー王子がゆっくりと歩いてきて、セイシロウとミロクの前で止まった。 二人も剣を収めてその前に片膝を突く。 王子はゆっくりと大広間に集う人々を見回しながら言葉を続けた。その青い瞳に浮かぶ確固たる尊厳。 「…王は逝去なされた。今日から私が王位を継ぐ。セイシロウ、ミロク」 「「はっ!」」 「…よくやった」 二人は無言で頭を下げた。 セイシロウとミロクが立ち上がると、大広間の人垣の中からこちらに向かってくる王妃の姿に気付いた。 ふらふらとした足取りで王の亡骸の傍へ来ると、そこに座り込んでしまった。 だが王の亡骸を見つめるその目に悲しみは無かった。ただ、全てが終わったという安堵感か? 「アキコ様…」 セイシロウは彼女に近づくとその前に膝を折った。 ぼんやりとした目で王妃が彼を見つめ、ふとその目が彼の腰に差した剣に止まった。 柄に彫り込まれた、羽を広げた黒鷲の意匠。 「その剣は…」 「ビドー殿下より賜りました。…先王がお使いになっていた物です」 答えを聞かずとも彼女にはわかっていた、その瞳に涙が浮かぶ。 シャッ!いきなり王妃がその剣を引き抜くと自分の胸元に突き立てた。 だが、一瞬早く刀身を掴んだセイシロウの手によってそれは止められた。 「アキコ様、6年前、僕はあなたに命を救われました。生きていたからこそ、僕は今日こうして父の敵を打つことが出来ました」 刀身を掴んだセイシロウの手からすうっと血が流れ滴った。 「だから、あなたも生きて下さい」 王妃の瞳から涙が零れる。 「お母様!」 カレン王女が飛び出してきて、王妃の首に抱きついた。 ほっと息を吐き出し、セイシロウは剣を鞘に収めた。 「終わったな」 ミロクがほっとしたように頭を掻きながら言った。その言葉に、セイシロウは微笑んで答える。 「何言ってるんですか。始まったんですよ。これから国を立て直していかなきゃならないんですよ」 「そうだよ。まだまだ二人には手伝ってもらわなきゃ」 ビドー王子がいつもと変わらぬ口調で同意した。 「そういうことはお前に任すよ。俺は戦ってる方が性に合うわ」 ミロクの言葉に、セイシロウは口の端を下げた。 「ビドー、ありがとう。借りが出来ちゃったわね」 王妃を支えながら、カレン王女が美しい笑顔を見せながら言った。 「どういたしまして。じゃぁさ、お礼に僕のお願い聞いてくれる?」 「なに?」 「僕と結婚してよ。皆僕がちゃんとやってけるかどうか疑ってると思うからさ〜。君と結婚してる方が臣民も安心すると思うんだよね」 とんでもないお願いにカレン王女は一瞬柳眉を逆立てたが… 「いいわよ。その代わり、もう夜遊びは許さないわよ」 そう言ってたおやかに微笑んで見せた。 「え〜〜」 唇を尖らせるビドーに、セイシロウとミロクは顔を見合わせて笑いあった。 都の西端にある大きな屋敷。 けだるい午後、そこに2人の騎士が入って行った。一人は栗毛、もう一人は黒褐色の堂々とした馬に乗っている。 庭を通り抜け、邸の近くで二人は馬を止めた。 一人は逞しい長身の男。黒い髪を後ろに撫でつけている。 彼は馬から降りるとゆっくりと邸内に向かって歩を進めた。腰に差した剣を留めた鎖帯がチャリ、チャリと音を立てる。 彼が通り過ぎるのを見た邸の奴隷や召使が驚いたように目を見開いて見送る。 邸に入るとこの侵入者を止めようと何人かの召使が出てきたが。彼の姿を見ると固まったように動かなくなった。 完璧な笑みを彼らに向け、その男は真っ直ぐにこの邸のお嬢様の居室を目指した。 ユーリは部屋で窓枠に足を伸ばして腰掛け、ぼんやりと物思いに浸っていた。すぐ傍で母の絶え間ない小言が聞こえてくる。 「いい加減に意地を張るのはおやめなさい!ユーリ。全く、こんなことになるなんて。ホウサク!あの男の行方はまだわからないの?!」 「ええ…探させてはいるんだけど…」 「か、母ちゃん、そんなにユーリを責めたらお腹の子に障るだがや」 「障ってもかまいません!奴隷の子なんて!」 「お、奥様、どうぞ落ち着いてくだされ…」 おろおろと取り成す父や兄、召使頭のゴダイのことも気にならない様子で、ユーリはスモモを齧っている。 少し大きくなってきた腹を愛しげに撫でながら。 不意に邸内が騒がしくなり、ユーリは何事かと訝しげに眉を顰めた。 「何なの、一体。騒がしい…」 小言を言い続けていた母も訝しげにゴダイに尋ねた。 「さ、さぁ…様子を見てまいりまする」 あたふたと部屋からゴダイが出て行った。 チャリ…チャリ…と何かの音が聞こえて来る。その音はかつてある人に出逢った時の事を思い出させた。 不審に思って戸口を何気なく見やったユーリの目が大きく開かれる。 ―――そこに、夢にまで見た人の姿を認めたから。 ユーリの居室の入り口に、穏やかな笑みを浮かべて彼は立っていた。 逞しい長身の体躯、白いトゥニカに黒い色の胴衣を着け、紺色のマントを羽織っている。 後ろに撫で付けられた黒い髪。秀でた眉、穏やかな光をたたえる黒い瞳に整った鼻筋。 微笑を浮かべた形の良い唇が、ゆっくりと動き愛しい人の名を形作る。 「ユーリ…」 その声が耳に届く前に、もう彼女は駆け出していた。待ち焦がれた男の腕へと。 「…セイシロウ…セイシロウ…セイシロウッ!」 彼の広い胸に縋りつき、温かな腕に抱きとめられながらただその名を呼び続ける。 悠理の瞳から透き通った涙が零れる。悲しみの涙ではなく喜びの、涙。 「ユーリ、待たせてすまなかった…あなたを迎えにきました」 柔らかな髪に顔をうずめ、彼女の背を優しく撫でながらセイシロウが囁く。 その言葉にユーリは何度も頷き、顔を上げて答えた。 「遅いぞ!」 「…って、たった3ヶ月ですよ。これでも頑張ったんですからね」 ユーリの言葉に苦笑しながらそう答え、彼女の瞳に溢れる涙を親指で拭ってやった。 「長かったよ…こんなに…こんなに離れてたことなんて無かったんだから…」 清四郎の胸に頬を擦り付けながら呟く。 「ユーリ…」 愛しくて堪らず、強く抱きしめる。 「いい加減になさいっ!セイシロウ、よくも戻って来れましたね。覚悟は出来ているんでしょうね!」 ユーリの母の怒声に部屋の中にいた皆が我に返った。 セイシロウはゆっくりとユーリの父母の方へ向き直り、低い落ち着いた声で話しかけた。 「勝手な事をしまして申し訳ありませんでした。旦那様、奥様」 凛とした表情で言葉を続ける。 「…ユーリ様を戴きにあがりました」 「な…何を言うんです!奴隷の分際で!」 あまりに不躾な言葉にユーリの母は激怒した。 「…奴隷じゃねーよ」 そう言いながら、抱き合う恋人達の後ろから部屋に入ってきた男がいた。 白いトゥニカに茶色の胴衣、深紅のマントを纏った淡い緋色の髪の男、ミロクだ。 「王室付き医師シュウヘイが息子セイシロウ、ビドー殿下の側近だ。おっと…陛下、だな。今は」 「な……」 「か、母ちゃん…」 その言葉に目を剥くユーロの母とうろたえる父の後ろから、朗らかな笑い声が聞こえてきた。 「やっぱりそうか!良かったね、ユーリ、セイシロウ」 ぱちぱちと手を叩きながら二人の前に歩いてくるのはユーリの兄、ホウサクである。 その様子にセイシロウは不思議な思いで尋ねた。 「ホウサク様…もしや僕の事を知っていたんですか?」 「僕だって貴族の端くれだよ。君の噂くらいは聞いたことがあったさ。 それに…邸に来た時の君の様子はとても生まれ付いての奴隷には見えなかったからね。少し調べさせてもらったんだよ」 何事も無いように口にされたその答えにセイシロウは驚いた。 「じゃあ、何故今まで黙って…」 「さぁね。でもなんとなく感じていたのかなぁ?こんな日が来る事を」 「ホウサク様…」 「兄ちゃん…」 言うべき言葉が見つからず、セイシロウとユーリはただホウサクの顔を見つめた。 「幸せになるんだよ、ユーリ。…母上、いいですよね?セイシロウはビドー陛下の側近ですよ。こんな良い縁談はないでしょう?」 ホウサクが呆然としている両親を振り返ってそう聞くと、二人は力なく頷いた。 両親の答えにユーリが満面の笑みを浮かべてセイシロウを見上げた。セイシロウが頷き返す。 「ユーリ、ビドー陛下から屋敷を賜ったんです。ここほど広くはないけれど…一緒に来てくれますか?」 「もちろん!」 「よかった。…じゃぁ、行きましょうか」 言うが早いか、セイシロウはユーリを横抱きに抱き上げた。 「ちょ、ちょっとセイシロウ!何すんだよ、恥ずいよ…」 「だって、歩いて躓きでもしたらどうするんです?お腹の子に障りますよ」 思わず顔を赤らめるユーリに、セイシロウはしれっと答えた。 「では、失礼します」 にっこりと笑って皆に一礼すると、踵を返して歩き出した。その後ろを顔を赤らめたミロクが顎を掻きながら続く。 廊下を通り抜け、邸の入り口を抜け庭に出る。 騒ぎを知った召使達が出てきて二人を見送ろうとしていた。どの顔にも驚きと感嘆があった。 庭ではセイシロウの愛馬、スクリオが待っていた。 「さぁ、行きましょうか」 ユーリをそっと立たせるとセイシロウはその手を取った。 「…って、スクリオに乗ってくのか?無理だよ…」 ユーリが柄にもなく尻込みをする。スクリオに振り落とされたのは一回や二回ではなかったから。 「大丈夫ですよ。…スクリオ!」 愛馬の名を呼ぶとユーリの両手をその首に置かせ、静かに言い聞かせた。 「僕の妻になる人だ。僕に仕えるのと同じ様にお仕えしろ。いいな」 スクリオはその聡い目でじっとユーリを見つめると、優雅に首を下げた。まるでお辞儀をするかのように。 「よし!」 悠理は瞳を輝かせてスクリオに跨った。 「こら!跨るんじゃありません!」 セイシロウが慌ててユーリを横座りにさせ、自分もひらりと後ろに飛び乗った。 「行きましょうか?」 先ほどから腕組みをして、呆れたように二人の様子を見ていた友に声を掛ける。 「…いや」 ミロクはすっと片方の眉を上げると右手を二人に軽く振って見せた。 「俺はこれからちょっと行くとこがあるんでな。またな」 セイシロウはしばらく友の顔をじっと見つめていたが、すぐににっこりと笑顔になった。 「そうですか。ありがとう、ミロク。では!」 軽く頭を下げると馬の腹に蹴りをいれた。 「ノリコによろしく!」 そう言い捨てて。 「ユーリ、しっかり掴まっててくださいよ」 片手で手綱を掴み、もう片方の手をユーリの腰に回してスクリオを慎重に駆りながらセイシロウがユーリに話しかけた。 「…大丈夫だよ」 言いながらユーリはセイシロウの首に回した腕に軽く力を込め、逞しい胸に頬を摺り寄せた。 ビドー陛下に賜った屋敷に着くと、ユーリを馬上から抱き下ろし、横抱きに抱いたまま邸内に入った。 庭を見渡す回廊に置かれたベンチにそっとユーリを座らせ、その前に片膝を着いてユーリの手を取った。 「ユーリ、あなたのおかげで僕は自分の運命と対峙し、それに打ち勝つことが出来ました」 熱を宿した瞳でユーリの顔を見上げ、話しかける。 「セイシロウ…」 ユーリも同じ熱を持った瞳で彼を見返す。 「…僕の妻になってくれますか?ユーリ」 ふわりと微笑んで、ユーリは首を縦に振った。その瞳に涙が浮かぶ。 「あたしはお前の身体に一生消えない刻印を負わせたのに?」 「僕は…この刻印を今は誇りに思っていますよ」 セイシロウはユーリの瞳を見つめたまま、その手にそっと唇を押し付ける。 「あの日、僕はあなたに所有されたんだ。ユーリ、永遠にね…」 そう言うと愛しい人をその腕に抱きしめ、優しく口づけた。 ―――運命を過酷だと思った時もあった。 だが結局はその同じ運命が二人を結びつけたのかもしれない。 セイシロウは己の運命に打ち勝ち、愛しい人をその腕に抱きしめた。 だから、彼の澄み切った夜空のような瞳に、もう悲しみは響かない。きっと永遠に―――
長かった…ようやく完結させることが出来ました。 |