銀の虎 〜完結編〜 作:千尋様 |
二人の男達が、吾妻橋の上から月を眺めた、その夜。 南町奉行所の内与力、大関主税を通じて、利助は小伝馬町の牢屋敷に送られ、その後、死罪に処せられた。 上役にあたる公議方には、大関の抱える八丁堀同心と岡っ引きが辻斬り犯利助を捕えた、という報告だけに留めた。 利助が処刑された日の、その二日後。 清四郎と魅録は、永代橋の袂に立っていた。 かわたれ時(=夜明け方)が過ぎて間もないせいか、橋を渡る人はあまりいなかった。 空に、有明(ありあけ)の月が白く光っている。 魅録が、川面を見詰めたまま、話し始める。 「清四郎。悪いな、こんな朝早くに付き合ってもらってさ」 「構いませんよ。魅録は、成政殿に利助のことを報告しにきたんですから。僕が同行するのは当たり前です」 清四郎もまた、川面を見詰めたまま、答えた。 そして、清四郎が微笑する。 「しかし、成政殿のお墓に、報告するんじゃないんですね? 実に魅録らしい」 「もちろんあいつの墓の方にも、話をしに行くさ。でもな。…ここの近くで、成政は斬られたんだ。だから、この場所で、成政に、伝えたいと思ったんだよ」 言い終わると同時に、魅録は左袖の袂から、何かを取り出した。 「…魅録…。その、箱は…」 魅録が袂から取り出したものに視線をおいて、清四郎が言った。 「ああ、これか? 成政のからくり箱、…じゃないぜ? 出来るだけそっくりになるように、俺が作った箱だよ」 魅録が容易く箱を開けて、苦笑する。 「…一応これも、からくり箱なんだぜ? あいつの形見の、からくり箱の仕掛けを真似するには、時間が足りなかったんだよ。…出来るだけ早く、成政に渡してやりたいものが、俺にはあるんだよ…」 魅録が箱を傾けて、中身を清四郎に見せる。 「…これは…」 それだけを、清四郎は呟いた。 常に持ち歩いている薬籠(やくろう/=携帯用薬入れ)を、清四郎が取り出す。 薬籠に括りつけていた根付を取り外して、左手の上にのせる。 清四郎が、箱の中のそれを、右手でそっと持ち上げる。 「おまえの持ってる虎に、そっくりだろ?」 魅録が、はにかんだ。 清四郎の手の中で、二匹の、銀細工の虎の根付が、眠っていた。 右手のものが新品である事を除けば、二匹の虎は、まったく同じものだった。 「…成政のやつ、自分のお守りを残して、遠くに逝ったから、さ…。…清四郎が持ってる、その虎の代わりに、こいつを送ってやろうって…」 魅録が、清四郎の右手にいる銀の若虎を箱に戻す。 箱の中で虎が眠っているのを確認して、箱を閉じる。 「成政〜! ちゃんと、受け取れよっ!!」 大川の中に、魅録が箱を投げ入れる。 大川をゆっくりと箱が下って行く。 朝の日差しに照らされて、川面が光る。 光る水面に包み込まれるように、箱は静かに沈み、そして、いつしか見えなくなった。 川面を見詰めたまま、二人の男達は、ただ黙って、ずっと、たちつくしていた。 永代橋を行き交う人波が騒がしくなる、巳の刻(=午前10時頃)が近付き始めた頃、ようやく、魅録が腰を上げた。 「…報告は、終わりましたか?」 清四郎が、魅録に訊ねた。 魅録が、軽く背伸びをする。 「おまえさんこそ、話は終わったのかよ?」 「ええ。充分話をしました」 「そうか。…じゃ、帰ろうぜ?」 まもなく、二人の男達は、永代橋を渡り始める。 時を同じくして、橋の向こう側から女達が、二人、永代橋を渡り始める。 橋の真ん中辺りで、男と女の、四人が、出会う。 その刹那、人波のざわめきが、遠くなる。 若衆姿の娘の顔が、綻びる。 娘を見詰めて笑っている男の側に、駆け寄って行く。 もう一方の、泣き黒子の娘が、やはり、もう一方の男を、少し離れたまま、見詰めている。 男が軽く頷いたのを見届けてから、男の隣に立つ。 二人の男達が、踵を返す。 二人の娘達と共に、男達は橋を再び、渡り始める。 橋を渡って行く四人の背中に、日の光が降り注ぐ。 四人の背中が、銀色に輝く。 そして、銀色は、褪せることなく、遠ざかっていく。 そして、かめおさまが色々設定して下さっ ているにも拘らず、私がもっとも生かした のは、最後にちょっとだけ出した内与力の 大関主税さんだったという…(汗)。 最後に。「小田政右衛門」の名前と役職に は、実在したモデルがいます。幕府の刀剣 試し斬りを行う浪人に、代々引き継がれた その名前をSSでそのまま使った場合、不都 合な点が多々生じました。ので、苗字も名 前も変えました。因みに、江戸中期の初 代〜幕末期の七代目まで、その通称名は引 き継がれました(ネット検索で引っかかり たくないので、その名前はここには書きま せん)。 時代考証など相当おかしい作品に、辛抱強 くお付き合い下さった皆様、本当にありが とうございました。 |