〜 後日談 〜 |
「やっぱ、ここは落ち着くな」 悠理が、根岸の寮の居間で、ぐっと体を伸ばした。 「夏じゃなきゃ、もっといいんだけどね」 美童が庭先を照らす日差しを見上げ、うんざりとした顔をする。 「ええ、ほんとうに。もう暑くて」 野梨子が、茶をいれながら呟く。 「みんな、そんな鬱陶しい顔してねえぜ、食おうぜ」 魅録が膳を運びながら、言った。 「そうよ〜。悠理のために腕によりをかけたんだから」 可憐が、悠理の前に特大の膳を置いた。 「ほう、美味しそうですねえ」 清四郎が彩りよく盛られた膳を見て、頷いた。 「いっただきま〜す」 悠理の明るい声で、みな箸を取った。 食後の茶菓を楽しんでいる時、魅録が急に笑い出した。 「何だよ、魅録。気持ち悪いなあ」 悠理が、きな粉餅のきな粉を吐きながら言う。 「あっは…思い出しちまってよ、昨日の白洲をさ」 魅録の言葉に、 「ああ、傑作だったよね」 「ほんと、面白かったですわ」 「あたしなんか胸がすっとしたわよ」 美童、野梨子、可憐が同時に口に出した。 「…僕は、困りましたよ…」 清四郎が苦虫を潰したような顔で呟いた。 「な、なんだよ。お前だって同じ気持ちだろ」 悠理は、不服そうに口を尖らせた。 南町奉行所での白洲で、悠理は被害者として立ち会った。 廻船問屋の近江屋は、元は大阪で名を成した大盗、戎の吉五郎と呼ばれた男だ。 見た目はよぼよぼした人のよさげなじい様だが、血を見るのも厭わない非道な男であった。 江戸に店を持ち、生業の廻船問屋を隠れみのに、異人相手に抜け荷、人買いなども行っていた。 悠理を売り飛ばす傍ら、剣菱屋からも金を引き出そうとしていたらしい。 観念してか、ぺらぺらと過去の罪状を喋る彼らに、悠理が切れた。 今までも、十何人もの娘が、彫り物をされ売られていたらしい。 悠理はいきなり立ち上がると、時宗奉行らの見ている前で彼らをぼこぼこにしてしまった。 隠し窓から白洲を見ていた清四郎と、魅録が飛び出して止めなければ、どうなっていたかわからない。 ふ〜ふ〜と荒い息を吐く悠理を押さえ込んだとき、呆然としていた時宗が、 「あ〜一味のものは市中引き回しの上、磔。彫り辰は遠島を申し付ける。引き立て〜〜」 と、裁きを下した。 戎の吉五郎一味は瘤だらけで引き立てられて行った。 「困ったって、何が困ったんだよ」 悠理の言葉に清四郎が懐から紙を取り出した。 「…?なんだこれ」 「あ、瓦版ね。なになに…白鹿清州が描き、江戸一番の若衆姿で有名な、剣菱屋の娘、悠理が、またまた大暴れ。白洲で戎の吉五郎一味を相手に大立ち回り…ですって」 「うへへ。なんか、恰好良いぞ」 「続きを読むわね…その悠理嬢、後は南町奉行、松竹梅時宗さまの子息、魅録さまの奥方と噂され…」 可憐が、絶句して、魅録を見た。 魅録は驚いて、ふるふると首を振る。 「いいかげんなこと書くね〜」 美童が笑い出し、 「でも、何で清四郎が困るの」 清四郎はうんざりしたように、 「今朝から他の瓦版屋がうちを訪ねてきて、本当か聞くんですよ。それに、彼らが言うには、これを読んだ娘が衝撃で臥せってしまうものが続出とか…」 「あの絵がものすごい人気なんですものね」 「美童の錦絵より売れているのですってね」 野梨子の言葉に、美童が不満そうに口を尖らせた。 「女だって分かってるのに、変だよ」 「あたいだって気持ち悪いぞ」 白鹿清州が悠理を描いた絵は三枚。 一枚は祖父の将軍へ、一枚は剣菱屋。 そして、もう一枚は版元を通して市中に流れた。 それが大評判なのだ。 悠理見たさに剣菱屋に客が殺到し、商売に支障が出るほどであった。 「悠理見たさに、ご大身や大名家からもお呼びがかかるんですってね」 「悠理は食べ物につられて、そういうところには行くのよね」 「すぐ餌付けされますからね、この人は…」 清四郎の言葉に悠理は怒ったように、 「なんだよ、餌付けって!人を猿みたいに言いやがって」 「なら悠理、昨日呼ばれたのは何家からですか」 「えっと…どこだっけ?」 「じゃあ、食べたものは?」 「すんごい美味い帆立の干し物があってさ〜。まろやかで、美味かったなあ」 「…食べたもんは覚えてるのね…で、清四郎、昨日はどこだったの」 「松前藩ですよ」 「あ、で、帆立ね」 五人は納得したように頷いた。 悠理を見て、 「餌で釣って、見物されるなんて…やっぱ、猿?」 と、可憐が呟くと、みな笑い出した。 「ひどいよ、みんな。清四郎だって、来世まであたいとって誓ったのに」 悠理が涙ぐむと、清四郎が困ったような顔をし、悠理の頭をよしよしと撫でた。 「そうよねえ。契りの桜ですものね」 「生涯、悠理一筋だもんな」 魅録と可憐の息の合った問いに、清四郎はいささか意地悪そうに、 「魅録こそ彫ったんですか?散らした桜を」 清四郎の言葉に、二人は真っ赤になった。 「?」 悠理と野梨子はぽかんとしたが、美童は可笑しそうに笑った。 「お前、俺が彫師まで紹介してやったのに。恩知らずめ」 「恩知らずとは心外ですね」 「なに喧嘩してんだ、お前ら?」 悠理の言葉に二人ははっとして、 「な、なんでもない」 と答えた。 「なあ、清四郎。あたいの彫り物が金太郎の頭や鯉の目玉でも、おまえは彫ってくれた?」 「ええ、もちろんですよ。この胸に熊でも鉞でも彫りましたよ。鯉だったら、悠理が目玉で僕がうろこですかね。金太郎ならおまえの首と僕の胴体で、一対ですよ…熊も左胸に入れましょうかね」 「ほんと〜」 「嘘なんかつきませんよ」 甘い言葉を囁き合う二人を見て、四人は同じことを思った。 (…嘘つけ。桜でよかったって清四郎がいちばん思っていたくせに…) 四人は立ち上がると、 「舞台があるから、これで」 「今日はお茶のお稽古ですわ」 「あたし、店番しなくっちゃ」 「道場にでも行くか」 と呟き、 「じゃあな、お二人さん」 と、笑みを残して出て行った。 「なんだよ〜。飯食ったら帰っちゃうなんて」 「みんな気を利かしたんですよ」 清四郎はそう言うと、悠理をぐいっと抱き上げ、隣室の臥所の上に下ろした。 「…って、いつのまに、布団なんか…」 「余計なことは考えないでください」 清四郎は真面目な顔で、 「備えあれば憂いなしです」 「?…それって、ちがくない?」 こうして、仲間すら涙にくれさせた契りの桜をいれた二人は、熱々な夜を迎えたとさ。
「契りの桜」を書いた後、その反動かお馬鹿で軽い話をかきた
くて一気に書いたのが後日談です。 |