大江戸有閑倶楽部幕末編
『一分の花』 池田さり様作


〜 序章 〜



徳川家を中心とし約三百五十年続いた侍の世は、慶応三年(1868)十二月、薩長を中心とした倒幕派の勢いをかわしきれず、王政復古の大号令によって終わりをつげた。
 今年正月三日に起こった鳥羽伏見の戦いでも幕府軍は大敗、徳川家最後の将軍となった慶喜は大坂城から江戸城に逃げ帰り、錦の御旗を掲げ官軍と名を変えた薩長軍が、まもなく攻め寄せてくるという不穏な噂が、江戸の町を風のように駆け抜けた。
 将軍を守るはずの旗本たちは、慌てて知行地に逃げる者もいれば、江戸に残って力の限り戦うと息巻く者もあり、江戸の町を火にかけられることだけは避けようと、陸軍総裁の勝海舟は恭順を説き、官軍代表の西郷隆盛と協議の結果、慶喜は水戸に蟄居し、江戸城は無血開城した。
 だが、江戸に入った薩長の連中は押し込みや火付け強盗を働き、それを鎮撫すべく、抗戦派の幕臣や一橋家の家臣たちが彰義隊を結成。つかの間、東征軍を押さえ込んでいたが、
今年五月に入ってからしびれを切らした新政府は、彰義隊を江戸市中警護の任から解き、立場は逆転した。
 彰義隊は勧告された武装解除を受け入れることなく、東征軍と各地で小競り合いが続いていたが、ついに新政府は武力制圧を決定。近々彰義隊が拠点とする上野を襲うという噂が流れ始めていた。
 時代が変わってゆく。
 否応なく、江戸で平穏な生活を営んでいた人々を巻き込んで。



 どうしよう……どうしたらいいのかしら。
 可憐は着物の裾をひるがえしながら、初夏の陽差しが照りつける両国広小路を、柳橋に向かって駈け続けた。




〜 一 〜




「僕は、会津に行こうと思います」
 もう一月も前のことになる。確か江戸城が開城された四月のことだった。
 いつも六人が集まる根津の剣菱の寮で、おもむろに威儀を正した清四郎が静かな声で言った。
「清四郎、会津に行くって……そんな急に」
 野梨子のぬけるように白い顔が、蒼白といえるほどに白くなった。悠理はただ唇を噛みしめて、まっすぐに清四郎を見つめている。野梨子は慌ただしく、悠理に驚きに見開いた目を向けた。
「悠理、どうして黙っているんですの? 会津に行くって、物見遊山に出かけるわけではありませんのよ? 私だって知ってますわ。新選組の生き残った方々が、会津の松平公の元で、東征軍と戦おうとしているってことくらい」
 魅録と美童の二人はすでに清四郎から聞かされているのか、言葉もなく俯いているだけだ。野梨子一人、幼なじみを引き留めようと必死に言い募っている。
「正気ですの? これは、戦さですのよ。一対一の立ち会いなら、あなたが負けることなんて万に一つもないでしょうけれど、それとは全く話が違うんですのよ!」
「野梨子……清四郎はもう決めたんだって」
 悠理のひそやかな言葉が、野梨子を遮った。涙を堪えているかのような、震える声。野梨子は腰を浮かせて、悠理の肩を揺さぶった。
「悠理! 我慢することなんてありませんわ! いつものあなたでしたら、清四郎を殴ってでも行かせないでしょ! 小父さまは確かに御典医ですけれど、 清四郎は公方さまにお仕えしていたわけではありませんのよ。大坂から逃げ帰って来るような公方さまのために、戦う義理なんてないはずですわ」
「野梨子、僕は兵士として会津に行くわけではありませんよ。松本良順先生に従って、負傷兵を助けるために会津に行くんです」
「あなたが、松本先生に心酔していることは、私も十分承知してます。あの方が、ご立派な医師であることも。ですけれど、 それとこれとは話が違いますでしょ。第一、清四郎、あなた鳥羽伏見の戦いの前から薩長軍と戦うのは愚の骨頂、 時の流れはすでに徳川家にはないとおっしゃっていたではありませんの」
「その考えは、今も変わりませんよ」
 清四郎は穏やかな顔で言った。これから、戦いの地に赴く者とは思えないほどの、清冽な泉のごとき面もちだった。
「だからこそ、行く、とでも言いましょうか。今の僕にとってはですね──戦さの勝ち負けは関係ないんです。おろかだと言われてもいい、 わずかな望みに縋って……いえ、万が一の、わずかな望みなどまったくないと分かっていても、三百五十年あまりの間徳川家の禄を食んできたわずかな矜持のために、 最後の戦いを挑む──そんな愚かな人たちを少しでも楽にしてあげるために、会津に行くんです」
「そんな……!」
 野梨子は喉の奥で悲鳴をあげた。恐怖に凍りついた瞳を、助けを求めるかのように可憐に向ける。だが、可憐は清四郎にかける言葉などない。 もう心に決めている男を、どんなに言葉を尽くしても、涙を流して「行かないで」と取りすがっても、決して止められないことは身をもって知っている。
「どうしてみんな、黙っているんですの! 清四郎が、どうなってもいいとおっしゃるの!」
 野梨子の悲鳴が、静かな邸内に響き渡る。
「野梨子、清四郎を止めることなんざできねえよ」
 魅録の一言に、可憐はびくりと身を震わせた。耳をふさぎたい。いますぐこの部屋から出てゆきたい。魅録の言葉には、野梨子でさえ抗いがたい何かがある。
 そしてあたしも──魅録を引き留めることができなくなる。
 それが分かっていても、可憐はなにもできなかった。ただ、膝の上で固く手を握りしめ、魅録の低い声が耳に届かないよう、 世の流れなど関係なく、ただ毎日楽しく過ごしてきた懐かしいあの頃を必死に心に描いていた。
「清四郎が考えてることは、俺にも分かる。男にはな、無駄だと承知の上で、やらなきゃならねえことがあるんだ」
 だが、恋しい男の声は、静かにゆっくりと、心の中に入りこんでくる。
「清四郎はね、もうかなり前から考えていたんだ。ほら、松本良順先生に師事していただろう? お城にあがったこともあるし、 品川に戻ってきた兵士たちの治療も手伝っていたし。僕たちなんかよりももっともっと、これから先のことを考えていたんだよ。 江戸に生きる男の一人として、何かできないかって。でも、悠理たちのことを思うとなかなか決心できなくて……さんざん迷った末での決断なんだ。 分かってやってよ、野梨子」
 戦さというものに一番縁遠い美童でさえも、清四郎の気持ちは痛いほど分かるとばかりの口調に、弱い自分の心が悲鳴をあげているのが分かる。
「男、男、ってなんですの、それ! いつもそうですわ。どうして、私たち女が耐えなくてはいけませんの? 清四郎も魅録も、 残された悠理や可憐の気持ちを考えたことがおあり? これは戦さなんですのよ。いくら腕のたつあなたたちでも、相手は鉄砲や大砲で向かってくるんですのよ。 鳥羽伏見では、鉄砲の性能の違いで、幕府軍が薩長軍に負けたことぐらい私も知ってます。あなたたち二人が無事でいるか、怪我はしてないかと、 毎日心を痛める悠理や可憐のことも思いやってくださったらどうなの」
 野梨子の甲高い諫止の言葉は、今はもう虚しいということも、可憐は知っている。いや、野梨子自身も、清四郎を止められないと頭では分かってはいるのだ。
 可憐は、俯けていた頭をゆっくりと持ち上げ、隣に座っている野梨子に向けた。
 人形のようにぱっちりとした瞳は涙で濡れ、可憐の憧れだったつややかな黒髪が、幾筋も、濡れた頬に額に貼りついていた。
「野梨子……あたいのことはいいんだ」
 可憐が何かを言うより先に、悠理が淋しげな微笑みを頬の片隅に浮かべながら言った。
「もう、清四郎は決めたんだ。あのさ、昨日、あたいたち、十分話し合ったんだ。頭の悪いあたいにも、清四郎は分かるように話してくれた。 だから、もう止めないって決めたんだ。あたいたちの清四郎は強い──薩長の連中に負けるような奴じゃない。そう信じて、待つことに決めたんだ」
「悠理……!」
 切ない言葉に、野梨子と可憐の声が重なった。
「だからさ……野梨子も、清四郎を信じてやってあげてよ。あたいたちの清四郎は、こんなにすごい奴なんだって、胸をはって見送ってあげようよ」
 思わず、可憐は悠理を抱き寄せていた。
「悠理、あんた、大人になったわね」
 色恋なんて興味ない──とばかりに、男の格好をして飛び回っていた昔とは違う。いや、身なりは昔のままだが、すでに心の中は大人になっている。
 それにくらべてあたしはどうだろう。
 今もまだ、素直になれない。まっすぐに、あいつの顔を見ることができない。
 あの、喧嘩別れの夜から、一度も二人きりで会ってはいないのに。
 今ここにこうしているだけで、あたしの心は──身体は、あいつを求めているのに。
「あんたが一番つらいはずなのに、こうやって笑っているなんて……ごめんね。もう、あたしたちができることなんて、何ひとつないのよね」
 悠理の柔らかな頭を撫でる。頼りなく手の中で揺れる、髪でさえもいとおしい。こうやって清四郎も、涙を流す悠理の頭を、何度も優しく撫でてあげたのだろう。
「可憐……」
「分かりましたわ、悠理。あなたの言うとおり、私も清四郎を信じて、笑って見送ることに決めましたわ」
 野梨子は涙を振り切るようにして頭をあげ、毅然と言い、清四郎にきらりと輝く瞳を向けた。
「よろしくて、清四郎。絶対に生きて、無事で、怪我ひとつなく……悠理や──私たちのもとに戻ってくると約束なさい」びしり、と指を突きつける。 「約束を守らなかったら……私、悠理の代わりに地獄の果てでも追いかけて行って、あなたをひっぱたいて、殴って、立ち上がれないくらいに蹴って……」
「分かりましたよ、野梨子」
 顔をゆがめて言葉をつまらせた野梨子に、清四郎は涼やかな瞳にあたたかな笑みを浮かべてうなずいた。
「約束します。必ず、無事におまえたちが待つこの江戸に戻ってくると。この、桜に誓って」
 左手で、右手の胸を示した。愛しいものを抱くように、そっと手を添える。
 悠理と共に生きてゆくことを誓う、桜の刺青がそこにはある。
 野梨子が無言でうなずいた。悠理も、依然可憐に身体を預けたまま、何度もうなずいている。
 清四郎は、大丈夫。約束をきっちりと守って、きっと笑顔であたしたちの元に戻ってくる。
 だけど──
 可憐はそっと面をあげた。悠理の頭に隠れるようにして、上目遣いで魅録の顔色を窺う。怖くて、正面から見つめることなどできはしない。
 初めて見る、水色のぶっさき羽織に白い義経袴が、目を逸らせようとしていた現実を否応なく突きつけてくる。傍らには、無骨なまでに存在を主張する朱鞘の刀。
 そんな無粋な格好は、あんたには似合わない。
 あんたのそのふたつの目が見つめる先は、一体どこなの──?
 きっと、あたしには行けない場所。そして、あんたもあたしの手の届かない人になってしまう。
 悠理のように笑って見送るなんて、きっとできない。悠理や野梨子や、美童があたしを支えてくれるだろうけれど、あたしはそんなに強くない。あんたが心配で、待っているうちに気が狂ってしまうかもしれない。     
 これなら──身分の違いがあっても、自由に逢っていたあのころのほうがましだわ。
 あんたは、こんな世の中なんか壊してやるって息巻いていたけれど。その時が近いと分かっていても、あたしには、あんたを失うことのほうが怖いのよ。
 可憐は、悠理の頭に顔を埋めて泣いた。今泣いておかなければ、きっと近い内にやってくる別れに、耐えられそうもなかった。   



 ここ数年、物価の値上がりはものすごい勢いだった。十六文だった蕎麦代はあっというまに二十四文にまで上がり、 豆腐や味噌などの穀物だけでなく生糸でさえ品薄で、なにもかもがうなぎのぼりに上昇している。
 日本橋で小間物問屋を営む「黄桜」も、当然ながらその煽りを受け、客足が遠のいて久しい。簪や櫛などの贅沢品は、 この不穏な情勢下では二の次となるのは致し方ないにしても、東征軍の無頼な薩摩っぽたちが店に押し掛けることもめずらしくない。 値下げを要求するのならまだかわいい方で、中には権力にかこつけて金を払うことなく持ち去っていく者もいる。江戸を守ってくれるはずの彰義隊は、 もはやあてにはならない。
 それでなくとも「黄桜」は可憐と母親、女手だけで営んでいる店だから、目をつけられるのも早かった。
 困った可憐は剣の使い手である悠理に、店の用心棒を頼んだ。清四郎がいなくなって、どこか淋しそうな悠理を気遣ってのものではあったが、 その気持ちを知ってか知らずか喜んで引き受けてくれた。女と侮る薩長の連中に(恨みをこめて)手厳しい鉄槌をくだし、 お陰で店に押し掛ける兵士はいなくなったのだったが。
「可憐、野梨子。あたい、決めた」
 突然呼び出しを受けた根津の寮で、悠理は短くなった髪を振り乱しながらきっぱりと告げた。
 清四郎が戻ってきたら祝言だと、悠理は高島田を結うために伸ばし始めていたはずだったのに、またすっぱりと短くなっている。 昔のように、若侍といった恰好だった。
 弁慶縞の単の着物にたっつけ袴、懐からは祖父から貰ったという謂われのある懐刀が覗き、悠理愛用の刀が手元に引き寄せられている。 そして、その横には小さな旅行李がふたつ。
 それだけで、可憐には、悠理が最後まで言わなくても分かった。
「あんた、会津に行くつもりなのね」
「うん」
 悠理の顔は澄み切った空のように、晴れ晴れとしている。ここ二、三日のどこか物憂げな様子は、やはり気のせいではなかった。
「悠理、本気ですの?」
 気遣う野梨子に向かって、悠理はにっかりと笑ってみせる。清四郎が江戸を出てからこっち、一度も見ることのできなかった、彼女らしい明るい笑顔だった。
「やっぱさあ、じっと待ってるなんて、あたいにはできっこなかったんだ。最初はさ、野梨子や可憐たちを守るんだーって気負いみたいなものもあったし、 清四郎も江戸で待てってくどいほど何度も言ったから、あいつを困らせないようじっと待っていようって思っていたんだけど。 でも、薩長の奴らを見るたんびに会津にいる清四郎を思い出しちまうんだよな。お前らも、あたいが<待つ女>なんて似合わないの、分かってるだろ?」
「それは……」
 野梨子は言いかけて、困ったように口をつぐんだ。ちらり、と可憐を窺う。
「小父さまや小母様は、なんて言ってるの? まさか、黙って行くつもりじゃないでしょう?」
「とうちゃんやかあちゃんは、お前の思うようにしろって言ってくれた」
 徳川家に繋がる「剣菱屋」では、我がもの顔で江戸の町を闊歩する東征軍を、常々憎々しく思っているのだろう。 そしてまた、悠理の性格では、じっと我慢して待つだけなんてこと、できるはずがないと諦めているのかもしれない。
「でも、その恰好……まさか、会津に行って戦うつもりではないですわね?」
 おそるおそるといった様子で、野梨子が尋ねる。しかし、どう見ても今の悠理の出で立ちは、若侍といった風情だった。
「うーん、それは分かんないや」顔をしかめて、頭を掻く。「清四郎が駄目だっていうかもしんないし。野梨子が言ったように、 向こうが鉄砲を持って襲ってきたら、刀なんかじゃ太刀打ちできないだろうしさ。行ってから考えるよ 会津には、強いって評判の会津兵以外にも、新選組の隊士たちもいるんだろ? あたいの出番なんかないかもしんないしさ。 それにさ、この恰好はかあちゃんが勧めてくれたんだ。旅先で何があるか分かんないから、とりあえず男の恰好をしとけって」
「でも、せっかく髪を伸ばしてるところだったのに」
 伸びたらどんな髪型をさせようかと、いろいろ想像していたところだったのに。
 可憐の残念そうな視線を、悠理は頭を振ることではねのけ、いっそすがすがしいとばかりにほがらかに笑った。
「いいじゃん、髪はいつだって伸ばせるもん。最初はさ、戻ってきた清四郎を驚かすんだってがんばって伸ばしてたけれど、やっぱ、 こっちのほうがあたいには似合ってると思うんだ。たった一月しか、我慢できなかったけどさ」
 その一月とは髪を伸ばすことだったのか、それとも、清四郎と会えない寂しさだったのか。悠理も自分の気持ちに気づいたのか、わずかに顔を赤らめてうつむいた。
「どうやって、会津まで行くつもりですの?」
「うちの船に乗っていく。仙台まで行って、それから先は歩いて。江戸湾には、軍艦がいっぱい浮かんでいるらしいけど、うちの船なら怪しまれることなく通してくれるだろうって、とうちゃんが言ってた」
 江戸の──いや、江戸どころか日本中の経済を支える剣菱屋には、新政府とて逆らえないだろう。陸路を行くよりも、幕府軍の軍艦に隠れるよりも、何倍も安全だ。
「そう……それであんた、美童や魅録には会ったの?」
 名を口にするだけで胸が痛んだ。
 清四郎が会津に行くと告げた日以来、魅録の居所は知れない。東征軍の目を避けて、いろいろな所を転々としているらしいと、風の噂で耳にした。
「美童は、昨日中村座に行って会ってきた。あいつも、あたいらしいって言って笑ってたな。清四郎によろしくって。 魅録は……あたいにも、どこにいるか分かんなくて。とりあえず、時宗のおっちゃんに手紙を預けてきたけれど、あいつ、家にも全然寄りつかないらしいな」
「そうらしいわね」
「可憐のところにも、全然姿を見せないんですの?」
 野梨子が首を傾げる。
「そうよ。姿どころか、文のひとつでさえよこさないわよ。この可憐さんを、馬鹿にしてると思わない?」
 わざと、つけつけと言ってみる。あんな不義理な奴なんか、こっちから願い下げよとばかりに。
 だが、野梨子や悠理はだませない。二人の顔が、言葉を探そうとして見つからなかったのか、悲しそうに歪んだ。可憐は慌てて言葉を継いだ。
「でも、江戸にいるのは確かなんだから、そのうち、ひょっこり姿を見せるんじゃないの? 腹へった、なんか食べさせてくれって──ね?」
 毎日、食事は余分に用意している。いつでも、あたしの所にあいつが現れてもいいように。お櫃に残った白いお米や、皿にぽつんと置かれた焼き魚は、 あたしがあいつを信じて待っている証なんだから。
「大丈夫だよ、可憐」
 ふと気づくと、悠理がにじり寄って可憐の手を握っていた。
「魅録もさ、強いんだからな。清四郎には及ばないけれど、道場じゃ、清四郎以外に、あいつに勝てる奴なんて一人もいなかったんだから」
「そうですわ。東征軍が上野に攻撃を仕掛けるって噂が流れてますけれど、そんなの嘘に決まってますわよ」
 野梨子や悠理の言葉など、ただの慰めにしかすぎない。それも十分分かってる。
 あたしは、悠理のように共に戦うなんてできやしない。だから、ただ無事を信じて待ってるしかできないのよ。
 戦さが終わって、あいつが無事にあたしの元に戻ってくることを。
「そうね、あたしもそう思う」
 可憐はうなずいた。ふらついていた心がようやく定まったのか、涙はもうでなかった。







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