大江戸有閑倶楽部


番外編 作:フロ


清四郎と魅録がその騒動に出くわしたのは、偶然とは言えなか った。
大店とはいえ本来、町人には許されざる剣菱屋の旗本まっ青の 豪華な屋敷の門(許 されるのにはわけがある)をくぐったのは、この屋の娘であり 彼らの友人である 悠理が、共に通う剣術の道場に姿を現さなかったからだ。
まさか、彼女に限って病欠はあるまい、と思いつつも、御典医 の息子である清四 郎は食あたり用の薬(彼女の場合これしか考えがたい)を持参 して来た。

「それ以上言うなら、坊主になって出家してやっからなーっっ !」
勝手知ったる屋敷に入るなり、広い庭に響き渡る友人の怒声。
「悠理、悠理、それを言うなら尼さんだがや!」
「どっちでも大差ありませんでしょう、父さん!」
「あらあら、悠理のような娘が仏様に仕えられますものですか 」
焦りまくっている悠理の父万作と兄豊作、そして右往左往する 男たちを尻目に、 ほほほ、と笑う夫人の声。
さすが高貴な血を引くだけあって、剣菱百合子の肝の据わり方 は半端ではない。
目の当たりにした光景に、豪胆で知られる清四郎と魅録もぎょ っと息を呑んでい たのだ。

なにしろ、縁側から庭に飛び降りた振袖姿の悠理の手には懐剣 。しかも、抜き身 のそれを、自分の方に向けている。
「ゆ、悠理・・・!」
清四郎と魅録が友人の元に駆け寄るより一足早く。
悠理は小刀で、ざっくり自分の髪を切ってのけた。

「結婚なんかしてたまっかー!!」

大振袖が風にたなびく。そして、悠理の切り取られた長い髪も 。

「店のために祝言挙げさせられるくらいなら、出家して僧兵に なって暴れまわっ てやるからな!」
ふんっ。
あっけにとられる一同の前で、悠理は鼻息も荒く言い切った。

「尼僧兵ですか・・・それは剛毅な」
「そういや、あいつの憧れの人は昔から武蔵坊弁慶だったぜ・ ・・」
清四郎と魅録の声が、初夏のさわやかな風と共に中庭に吹きぬ けた。



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「で?どうすんのよ、その頭」
根津のいつもの寮で、悠理は仲間たちの前でいつものように甘 味を頬張る。
髪をざっくりと切ったままの姿で、悠理は実家から逃走してき た。もちろん、 清四郎と魅録を引き連れて。
可憐が恐ろしいものを見るように悠理の頭髪から目を逸らす。
野梨子も痛々しげに眉を顰める。
美童に至っては、半べそだ。彼にとっては命の次ぐらいにその 艶やかな髪が大切 なのだから無理はない。(ちなみに異人の血の混じった彫りの 深い美しい白面は 命より大切らしい)
嫁入り前の娘である、当の悠理は平気顔。
「まさか、出家なんて冗談よね?」
一堂の中では一番――――というより唯一、信心深い可憐が冒 涜よぉ、と呟いた 。
「ま、でもあれで、父ちゃんと母ちゃんもあたいの見合いはあ きらめただろうさ 」
悠理は餡子を顔に付けたまま、にっかり笑った。
「悠理に婿をとって剣菱屋を継がす、だなんて、おじ様もおば 様も、そんなに若 旦那が不満なのかしら。本店でないにしろ、番頭として修行も されてるんじゃな かった?」
「兄ちゃんは番頭としちゃ悪くないけどさー。それもやり手の 大番頭いてこそだ し、本人が嫌がってんだよな」
「確かに豊作さんは、悠理の家族にしちゃ、印象薄いよな。あ んな大店の旦那に は荷が重いか」
「剣菱屋は政商ですからね、政治力もいるでしょう。小父さん は勘と度胸であそ こまで剣菱屋を大きくした人ですしね」
「それで婿か。こーゆーのって芝居じゃ想いあった男と手に手 を取って駆け落ち 道中、ってな展開だけど、悠理にそれはないよねぇ」
美童の言葉に、清四郎がくっと喉の奥で笑う。悠理もにやりと 笑みを見せる。
「いざとなったら、僧兵だい」
切られたばかりの不揃いな髪が、頬の辺りで揺れた。
まんざらでもない口調の悠理の頭を、清四郎が小突いた。
「ちゃんと、おまえの切った髪は拾って来ましたよ。これで、 鬘でも作るしかな いですね、当面は」
清四郎は懐紙に包み胸元に入れていた髪を、美童に渡した。役 者の美童には鬘作り の伝手はいくらでもある。
清四郎は立ち上がって悠理の背後に回る。 長い指先で短い髪をすくい上げた。
「それにしても見事にやりましたね。鬘を作っても、これじゃ 当分若衆姿ですな 」
「いーじゃん。どうせ、外歩くときは元々袴がほとんどだった し」
めちゃくちゃな切り方をしたため、悠理の切り取られた髪は長 さも不揃い。結い 髪にするにも量と長さが足りない。
「せっかく振袖姿なのに、色気ないこと甚だしいですな。まる で天邪鬼か雷小僧 だ」
猫っ毛であちこちに飛び跳ねている髪を、清四郎は後ろに撫で 付ける。手櫛で髪を 梳かれ、悠理は気持ちよさそうに目を細めた。
「雷小僧って、ぴったりねぇ」
「天邪鬼に僧兵かよ。まじ、嫁の貰い手を無くす気だよな、お まえ」
魅録のその言葉に、悠理は頷いた。
「うん、まじ」
「せっかく美人に生まれついてるのに、悠理は宝の持ち腐れだ よ」
「しかも、やんごとない高貴な生まれなのにねぇ。世が世なら お姫様なのに」
悠理はべ、と舌を出した。
「顔も生まれもあたいが成したもんじゃねーや。そんなもん、 どーでもいーや」
そんな悠理の髪を梳きながら、清四郎は微笑する。
「悠理はそのままでいいですよ。若衆姿の方が、らしいし。そ れに、嫁になら僕 が貰ってあげますし」

清四郎がさりげなく言ってのけたその言葉に、一瞬、仲間たち は無言。

「貰ってくんなくていー!!」
悠理が赤面して怒鳴っても、仲間たちは誰も何も言わなかった 。



********




「・・・・悠理が見合いを嫌がってんのって、清四郎の為じゃ なかったの?」
「道行きの真似事でもすんなら協力してやろうと話を振っても 、笑ってるだけだ しさ」

仲間たちが彼らの関係に言及したのは、当の悠理と清四郎が席 を辞してからだっ た。
「確かに悠理は恐れ多い御方の血を引いておりますけれど、清 四郎だって御典医の嫡男、まんざらあり得ない縁談ではないですわね?」
「うーん・・・」
彼ら二人ともっとも親しい魅録は困った顔で顎を掻く。
「悠理は、あれ真剣だよなぁ。嫁にいく気がないの」
「あのさぁ。あたしずっと清四郎と悠理は”そう”なんだと思 ってたんだけど、 今日のでちょっと自信がなくなったわ」
「いや、”そう”だってば。嫁に貰ってやる、ってあの清四郎 が言ってたじゃな いか」
「それは悠理も速攻でお断りを入れてましたでしょう。ところ で、”そう”って なんですの?」
「「”情交(デキ)てる”」」
可憐と美童の言葉は生々しく、初心な野梨子と照れ屋の魅録は 頬を染めた。



********




友人たちが彼らの仲をあれこれ案じている頃。
件の二人は、剣菱の寮とはさして遠くない茶屋の一室に居た。
「・・・悠理は僕の嫁には来てくれる気はないんですね」
「んー。だって医者の嫁なんて退屈そうじゃん。つーか、誰の でも”嫁”なんて 真っ平ごめんだじょ」
つれない言葉を吐きながら、悠理は清四郎の裸の胸に頬ずりを する。
振袖はすでに脱がされ、緋色の襦袢姿。
彼女の袷に入れた手をすべらかな肌に這わせながら、清四郎は 苦笑した。
「だけど、このやんごとなき肌に触れる権利は頂戴できるわけ だ?」
悠理は艶を乗せた瞳で恋人を見上げた。
「だって、おまえは”あたいの情夫(いろ)”だからな」

悠理が花の操を清四郎に奪われたのは、もう数年前の祭りの夜 。
悪友の道場仲間に過ぎなかった彼と彼女は、そのときから肌を 重ねる関係。
その頃は、まだ悠理の素性も知らず、ふたりは無邪気な逢瀬を 重ねた。

そうして数年。

伸びやかな足が着物の裾を割って覗く。
清四郎は瑞々しい肌に溺れながら、物憂げなため息をついた。
「・・・おまえが、普通の娘だったら・・・」
悠理は小さく呟かれた恋人の言葉に、眉を上げた。
むくりと起き上がり、清四郎の髪を引っ張る。
「おい」
「痛っ、なんですか。乱暴な」
「”普通の娘”だったら?おまえも、あたいの血筋とか気にし てんのか?」
清四郎は硬くなった恋人の声に苦笑を漏らす。
「莫迦」
引き寄せられるままに、悠理のへの字の唇に軽く口付け、頬に 耳元に唇を寄せる 。
「普通の娘だったら行儀作法の嫁入り修行で武家屋敷に奉公に 上がったり、手習 いに通ったり。とても道場で出逢うことなんてできなかったっ て言いたかっただ けです。・・・お江戸に巣食う悪を征伐することもね」
清四郎の言葉に、我が意を得たり、と悠理は微笑んだ。

御落胤の娘だと知って、悠理の人生は変わった。
手に入れた三葉葵の紋と”生涯御勝手”。
町家の娘が、願うべくもない人生。

「とても、退屈なんかしてらんないよな♪」
気の合う仲間たちと始めた、大江戸大掃除。
清四郎は型破りな恋人に、もう一度接吻を落とす。
「僕は、おまえと出逢ってから、ずっとそうですよ?」

”生涯御勝手”
悠理持ち前の破天荒さに、拍車がかかったことは確実だ。
先々、どのような事件が巻き起こるかは――――まだ、誰も知 らない。









やっちゃいました。かめお先生に赤ペン先生してもらってお初の時代劇♪が、それなのに、いつものよーにいつものごとく、 清×悠だけいちゃいちゃしてる話に・・・。パラレル設定の意味ナシ。(笑)
いたいけな頃(?)祭りの夜、悠理を押し倒す清四郎とか、「水戸黄門」か「暴れん坊将軍」状態で控えおろうな悠理とか、 妄想は色々してるんですが。「黄門」と言えば、お風呂シーンも外せませんよね♪・・・って、結局己のフィールドから 一歩も出てない気が。(爆)

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