大江戸有閑倶楽部事件帖


其の弐 作:かめお様



月に村雲、花には嵐…
夜空に雲がかかり、月を隠していく。
根津の寮の縁側は、月明かりから漆黒となった。
ぼんやりと、行灯の明かりが、襦袢姿の剣菱悠理を照らし出す。
「…隠れてしまいましたね」
菊正宗清四郎が、寝所の中で煙管を吹かしながら残念そうに呟いた。
「あたいにも、おくれ」
悠理が、清四郎から煙管を受け取り、ふわりと煙を吐いた。
「お前、寝たばこは行儀悪いぞ」
悠理から、行儀が悪いなどという言葉を聞き、清四郎は苦笑しつつ、
「どうも、僕の悪い癖でしてね」
そう言って、悠理から煙管を取った。
「あ、まだ吸いたい」
「もう、おしまいです」
清四郎は、煙草盆に煙管の灰を落とした。
「障子、閉めますよ」
障子を閉めると、まだ名残惜しそうな顔で煙草盆を眺めている悠理を、清四郎は抱き寄せた。
「いつまでも、そんな格好で月を眺めているから、体が冷えてしまったじゃないですか」
「あ、うん」
清四郎の手が悠理の胸元に差し入れられ、悠理は微かに甘い声を上げた。
清四郎の手が、滑らかな肌を這っていく。
ふと、その手が止まると、
「…まったく…こんな時に…無粋な邪魔がはいるなんて…」
そう、清四郎は呟くと、手を伸ばし刀掛から太刀を取った。
悠理も、胸元を合わせながら、布団の下に隠してあった脇差を手にしている。
大きな音とともに、障子がけ破られた時、悠理と清四郎はすでにくせ者を迎え撃つ体制にはいっていた。
「女は生け捕りにしろ」
覆面をした侍が数人、白羽をかざして飛び込んできた。
清四郎と悠理は、峰を打つと、最初に飛び込んだ侍を叩き伏せた。
「ここを、上様御用達、剣菱屋の寮と知っての狼藉か」
清四郎がくせ者に大喝をあげると、くせ者は怯み、
「…しまった…ひと間違いだ」
と言うや、身を翻して逃げにかかった。
「待て」
悠理が追おうとするのを清四郎が止め、
「深追いはやめなさい。月も隠れた闇夜だ。それよりもこの二人、縛り上げておきましょう」
「おう」
苦しげにうめき声を上げるくせ者二人を、二人は縛り上げ、猿轡をかますと押し入れに押し込めた。

明るくなってから…
根津権現に近い、千駄木坂下町の岡っ引き松藏を呼び、南町奉行所の役宅にいる松竹梅魅録に報せを頼んだ。
魅録が与力、同心を連れ寮にやってきた時には、悠理と清四郎は黄桜可憐の手による朝餉をしたためていた。
「おう、待たせたな。で、くせ者は」
「押し入れですよ」
清四郎はぐったりとした男二人を捕り方に引き渡すと、
「自害されるかもしれないので、気をつけてくださいね」
と、与力に言った。
捕り方が去ったあと、魅録も朝餉をともにしながら、昨夜の出来事を聞き始めた。
岡っ引きの松藏も廊下に控えている。
「女は生け捕りに…剣菱の名を聞いて、ひと間違えだと言ったんだな」
「ええ、そうです」
魅録は、松藏に向かって、
「この寮の回りに、若い娘がいる寮はあるかい?」
「へい…この寮の二件先に、日本橋の米問屋「越後屋」の娘がおります。なんでも、病だとか」
「その娘が…狙われてるのか…」
可憐の朝飯を堪能した悠理は、立ち上がると、
「あたい、ちょっと様子を見てくるよ」
「あたしも行くわ」
魅録が松藏に目配せし、松藏が二人の後を追った。
若衆姿の悠理と、娘姿の可憐が伴って越後屋の寮を覗き込んだ。
「…なんだ、お前たちは」
がらの悪そうな用心棒風の男が、悠理たちを咎めた。
「あら、旦那。あたしたち、この先の寮のものなんですけどね。実は昨夜、うちの寮に賊が入ったもので、御近所の皆さんに気をつけるようお知らせしておりますの」
「なに、それはまことか?で、どんな賊だ」
「侍だよ。浪人じゃないみたいだったなあ」
悠理の言葉に用心棒は顔色を変え、
「そ、それはわざわざかたじけない」
そう言って、寮の中にそそくさと消えた。
「さあ、帰りましょ」
「え、もう」
可憐の言葉に悠理は不満そうだったが、
「あとは、親分さんが上手くやってくれるわよ」
可憐の指さした先には、寮に忍び込む松藏が見えた。



松藏が戻った時には、寮には白鹿野梨子もやってきて、皆でお茶を楽しんでいた。
「松藏さんは、これよね」
可憐が茶碗に入った酒を出すと、松藏はぐっと飲み干し、
「ご馳走さまでございました」
と、礼儀正しく頭を下げた。
松藏は、祖父の代からの岡っ引きで、若い頃、松竹梅家の中間として働いていたこともあり、魅録坊ちゃんのためなら命も惜しくないという男であった。
「やはり、狙われたのは越後屋の娘でございました」
松藏が、越後屋の寮の縁の下に潜り込み、聞いてきた話を魅録らにした。
「あの用心棒ども、人数はおりますが、腕の方はまあ、中の下くらいでございますね。あっしが忍び込んだことにも気がつかねえようじゃ、お嬢さんをお守りすることはできますまい」
松藏が、ふふんと鼻を鳴らした。
「で、狙った相手は?」
「へえ。旗本三千石、石川勇之進さまでございます」
「石川…留守居役の、あのおやじか」
「へえ」
「そいつが、なんで越後屋の娘なんかを…」
「まあ、側女に差し出せということらしいいんで…」
松藏の言葉に、悠理が茶を吹き出した。
「やだ、悠理、なにしてんのよ」
「だ、だって〜」
悠理は、呆れたように、
「その石川のおっさん、あたい店で見かけたことあるけど、ものすっごいじいさんなんだよ」
「まあ…松藏さん、越後屋のお嬢さんのお歳は?」
「…十五でございます」
「石川勇之進って…今年、六十五、だよな」
魅録が呆れて呟くと、野梨子、可憐、悠理と一斉に眉を顰めた。
「うえ、気持ち悪い〜」
「そんなお歳の方が、分別もない」
「好色じじいよねえ」
女たちは憤懣やる方ない様子である。
「越後屋も、さすがに娘が不敏で病を装って寮に隠しましたが、石川様は諦めず、再三越後屋に娘を差し出すよう言ってきているようで…昨夜は業を煮やして、手の者を押し入らせたのでございましょう」
「越後屋も困り果てているでしょうねえ」
「ええ…石川様は以前、先代の上様の御側近くにいたこともあり、なかなか町家のものは逆らうこともできません。捕らえたものとて、口を割るとは思えません」
顔に青筋を立てて怒っていた悠理が、
「そんな奴は、やっ…」
と叫びかけたところを、清四郎の手が塞いだ。
「ふご、ふご〜〜」
ずるずると悠理は隣室へ引きずられていく。
魅録が咳払いをすると、
「松藏。あいつら、今夜も襲ってくるかもしれない。親父に言って、越後屋の寮を守ってやってくれ」
「へい」
松藏が去っていくと、悠理はやっと清四郎の手から解放された。
「な、なにふんだひょ〜」
苦しかったのか、ぜいぜいと肩で息をしている。
「悠理、殺(や)っちまおうって言いかけたんでしょうが…松藏親分の前じゃさすがにまずいでしょう」
清四郎が苦笑して悠理を見た。
「ば、馬鹿にすんな。あたいだって、わかってらい」
「…じゃあ、何て言いかけたんですか」
意地悪そうな清四郎の目に、悠理はぐっと詰まって、
「や、や、やっつけちまえ〜」
魅録らはその言葉に一斉に吹き出した。
「殺っちまおうと変らないじゃないですの」
「悠理は語彙が少ないもんねえ」
可憐と野梨子の言葉に、悠理は頬を膨らませた。
「なんだよ。お前らだって、そう思ったんだろ」
悠理の言葉に、彼らも顔を見合わせ、
「…まあ、そうですねえ」
「…やるか」
「越後屋のお嬢さんのためよね…」
「江戸の女のためですわ」
四人は頷き合った。
悠理はそれを見て、満足そうに微笑んだ。



「なんだよ〜、僕がいない間に、そんな楽しいことしてたの」
美童グランマニエが藤娘の衣装のまま、楽屋で口をとがらせた。
石川勇之進は、野梨子によっておびき出され、料亭の離れで入れ替わった悠理に刃を向けられた時…
あっけなく心の臓が止まって死んだ。
病死であった。
悠理は、自慢の剣さばきが見せられず不満そうであったが、清四郎は愛しい女の手が血に染まらずに安堵した。
実は、料理に薬を仕込んでいたのである。
心の臓の動きが活発になる薬…
高齢ゆえ、それによって発作が起きたのであろう。
清四郎の読み通りであった。
無論、悠理は知らないのだか…
浅草の芝居小屋で、美童の芝居がはねた後、彼らは久しぶりで勢ぞろいした。
「まあ、まあ、美童は上方でずいぶんと評判だったようじゃないですか」
「…ふふ、京の女も、大阪の女も…よかったなあ」
うっとりとした表情の美童に、みな、苦笑を漏らした。
「久しぶりに皆が集まったんですから、今日は賑やかにやりましょう」
「あたい、八百善に席、取ってるあるぞ」
「まあ、八百善なんて…素晴らしいですわ」
「ささ、早く行きましょうよ」
「美童にはゆっくり話を聞かせてやるからさ」
「そうだね。行こうか」
六人は、八百善で江戸随一の料理を堪能した。
もちろん、大商、剣菱屋のつけである。

大川から船を出し、野梨子と可憐を魅録が送っていった。
美童は、この後、もう一件、御贔屓回りらしい。
魅録たちを見送った後、清四郎と悠理はぶらぶらと歩いて根津に向かった。
急に、清四郎に手を引っ張られ、悠理は茶屋へ連れ込まれた。
離れの閑静な部屋で、清四郎は悠理を床へ押し倒した。
「な、なんだよ。急に茶屋なんかに連れ込んで…」
「あの晩、途中で邪魔がはいりましたからね」
「へ、邪魔って?」
「くせ者に」
悠理は怪訝そうな顔をして、
「…って、お前、その後、あたいたちは…したじゃんか」
「それはそれ、これはこれです」
「…って、なんでだよ〜」
悠理の言葉もあっという間に唇で塞がれ、あとはあの晩のように雲のかかった月だけが、離れの一角をぼんやりと照らしていた。


またも、お江戸に巣くう悪を討った、閑人六人組(ただし、一人は留守であったが)。
悠理の、生涯御勝手のお墨付きは、まだ使う機会がない。
先々また、どのような事件が巻き起こるかは…誰も知らない。









***********かめお様コメント***********


またも書いてしまいました、有閑時代劇。若衆髷で長襦袢って のもどうかとは思うんですが、現代劇よりずっとビジュアル的 に刺激的かも…ぜひ、想像してください(笑)
あんまりたいし た事件ではないんですが、時代劇普及委員(…って勝手に名乗 りますが)としては、みなさまにも、ぜひぜひ書いていただき たく、率先して書かせていただきました。…次回は(って、ま た書くんかい!)は吉原が舞台なんて、いいかも…(笑)

大江戸有閑倶楽部