外伝 〜祭りの夜〜 もっぷ様作 |
ぴーひょろろー、とんとことんとことんとこと・・・ 遠く近くに聞こえる祭囃子。 江戸の初夏の暑気払い。 夏は疫病(えやみ)が奮う季節。 病の神を追い祓い、夏に儚くなった者たちを追悼する。 雨を請い、五穀豊穣を願う。 祇園の祈り。 古くより、疫病や旱魃による飢餓で死んだものの魂を慰める祭。 だが、この飢えとは無縁の良家の娘には祭の趣旨などどうでもよい。 勇ましく男装し剣術道場に出入りするこの娘、剣菱悠理。 名字帯刀(ただし一本)も許された羽振りのよい大店の娘。玉の輿も夢ではないのだから、通常であればお三味や謡、手習いなどの習い事に精を出す。 しかし彼女はそのような人生を潔しとしなかった。 「清四郎。神輿はまだかな?」 「そうですね。まだ到着しないようですね。」 ともに道場に通うご典医の嫡男、菊正宗清四郎の顔を見ようとして、彼女は少しすねたように唇を引き結んだ。 「どうしたんです?」 「くっそー、大きくなりやがって。」 と、彼女は足元の小石を小さく蹴った。 清四郎は彼女の言う意味がそれだけでわかった。彼女の視線は最初、清四郎の顎あたりを向き、それから彼の瞳のほうへと引き上げられたのだ。 「もう、十四ですからね。」 「こないだまではあたいより小さかったくせに。」 同い年の二人。幼い日より同じ剣術道場に通い続ける二人は、もう一人の同い年の武家の息子、松竹梅魅録とともにいつも一緒に行動していた。 女の子のほうが成長は早い。ましてや彼女は、いまだ成長の途上でありながら当代の女性の中でも背が高い部類に入るだろう背丈の持ち主だ。 ほんの数ヶ月前までは彼女は清四郎よりも魅録よりも背が高かった。 「しょうがないでしょ。僕は男で、悠理は女なんですから。」 と、清四郎は彼女の手を握る手にほんの少し力を籠めた。 人ごみの中ではぐれぬようにと繋いだ手。 今日は魅録は家の用事で出てこれずにいる。 だから、二人きり。 清四郎はその手の柔らかさに、悠理は女の子なのだという気持ちを強くする。 それは十日ほど前のこと。 いつもいつも豆が飛び跳ねるように道場狭しと動き回る悠理が、初めて無断で稽古を休んだ。 最初は、食いすぎたか悪いものでも口にしたかで腹を壊して休んでいるのだろう(この時代の下痢は馬鹿にならない)と高をくくっていた清四郎をはじめとした門下生たちだったが、さすがに稽古も終わりの刻限になると心配になってくる。 しかし師匠と師範代は「ああ、あいつも十四だったな。家で慎んでるんだろう。」と言っただけで済ませてしまった。 少し年かさの少年たちはその言葉に微妙な表情を浮かべたが、魅録などはその意味がわからなかったらしい。 清四郎もその少年たちの表情に引っかかるものを感じないではなかったが、首を傾げつつも魅録とともに見舞いに向かった。 剣菱屋の寮の母屋に、悠理の幼馴染である少年たちは無条件で通される。 だが、彼を出迎えてくれたのは悠理の兄で、ぼんくらのそしりを受けながらも大店の次の主になるために修行中の豊作だった。 「やあ。元気みたいだね。」 にこやかに迎えてくれる彼は、しかし笑顔の向こうで何を考えているのかたまにわからない。何かの含みがあるのはわかるのだが、それが何なのかはっきりとは見えなかった。 魅録などは正直な奴なので、まっすぐに豊作の顔を見上げながら問うた。 「あの、悠理の具合はどうなんですか?」 その質問に、豊作は困ったような色を浮かべる。 そして清四郎のほうをちらと見ると一つ溜息をついてから、口を開いた。 「清四郎君はお姉さんがいるから意味がわかると思うけど、奥で慎んでいるところなんだ。元気は元気だよ。」 魅録はまたも首をかしげる。 そして隣の清四郎がかっと頬を赤らめたのに気づいて、そちらを驚いたように見た。 「なんだ?どうしたんだ?」 「魅録。君の母上だって月に七日は奥に籠もっているでしょう?」 清四郎は薄く発赤した顔を手で覆いながら彼にもわかるように説明してやる。 「え?」 ようやっとその意味するところに気づいたのか、魅録はみるみる耳まで赤く染まっていった。 前髪の向こうの中剃りのあたりまで真っ赤だ。 「まあ、普通は表でこんなに堂々とする話題じゃないよね。」 豊作がますますもって苦笑した。 道場の先輩たちの表情の意味がわかった。そういえば悠理は女の子だったのだと、思い出していたのだ。 ここは菊正宗家の清四郎の部屋。 元服前の二人の少年は、そこで膝を突き合わせていた。 「俺・・・悠理が女だってのを忘れてたよ。」 「僕もです。」 もっとも清四郎のほうの顔色は剣菱屋を後にするまでには戻っていた。 悠理は、女の子。 道場の中でも自分たちと並ぶ使い手ではあるけれど、これからは今までのようにはいかないのだろう。 何かあれば、守らなければならない存在。 幼馴染に初めて性を意識した少年たちは、そう決意するのだった。 七日は慎むのが普通のところを、悠理は四日休んだだけで出てきた。 軽い性質(タチ)なのだな、と清四郎は姉の様子と比べてみた。血の臭いを消すためとの母親の配慮であろう、うっすらと香の匂いがする。 「魅録の剣筋がなんか違う。」 悠理がぶすくれた。 その両方の思考がわかってしまう清四郎は、困ったように首をすくめた。 悠理の女を意識してしまい、萎縮する魅録。 清四郎にも魅録にも女を感じさせたくない悠理。 だけれど、その香の匂いがますます悠理の女を意識させる。 「お前は、変わんないな。」 悠理はにこりと清四郎に微笑みかけた。 以来、悠理は清四郎と稽古する時間が長くなった。 遠慮せずに打ち込んでくれるのは今のところ清四郎だけだったから。 「やっぱ、お前も言うんだ。あたいは女だって。」 「だって体の作りが違うのはどうしようもないでしょ?」 稽古では清四郎は今までと変わらず、本気で悠理に打ち込む。 もとより道場の他の連中は本気でやっても彼女に勝てないのだから、手の抜きようがないのは相変わらずだった。 「でも魅録はまただんだんとお前が女だって忘れてきてるみたいですよ。」 くすり、と清四郎は漏らす。 三人とも、かなりの使い手になることが期待される有望株。体格もほぼ互角の今は実力も均衡している。 今までと同じく本気でやらねば悠理には勝てないと、そして己の剣も鈍ると、魅録も気づいてきたようだ。 何より悠理自身の身の軽さとすばしこさは天性のもので、全く損なわれてはいなかったから。 「そのうち元のように対してくれますよ。」 稽古の時間以外の過ごし方は変わってないでしょ?と清四郎は眉を上げて見せた。 二礼してからぱんぱんっと二回拍手(かしわで)を打つ。 悠理はそっと隣で手を合わせて目を伏せている少年の横顔を窺う。 何を祈っているのだろう? 幼い頃から神童とも呼ばれる賢さを備えた幼馴染の顔は、普賢菩薩の顔にも似ている。 まだ首筋だってほっそりしているし、肌だってこんなに滑らかな彼は、性を持たぬ菩薩や観音と通じるものがある。 だけど、ずいぶん背が伸びた。 こいつも父や兄のように大きくなるのだろうか? あんなふうに、彼女よりも広い肩を持ち、彼女よりも逞しい腕を持つようになるのだろうか? 「悠理?」 じっと見つめすぎたのか、清四郎がいつの間にか彼女のほうを見ていた。 「あ、いや、何でもない。」 咄嗟に彼女は目を逸らした。 清四郎の目の中に、初めて見る色を見つけてしまったから。 帰り道。二人は無言だった。 人ごみの中をゆっくり手を繋いで歩く。 境内から出るまでもう少し、というところで清四郎が悠理の手を引いた。 「清四郎?」 しかし彼は口を開かず、彼女はただ彼に手を引かれるままについていく。 なぜだろう? この手を振りほどけない。 神垣(かみがき)。榊(さかき)。葦垣(あしがき)。真垣(まがき)。 神域と外を隔つために、幾重にも垣根が続く。 祭の夜には垣根の合間で男女が会合(えごう)する。 それは神代の昔より、祭の夜の無礼講。 幾組もの男女が体を絡めあう中をいまだ幼い二人は通り抜けていく。 いつもはこのような光景を見慣れているとは言っても嫌悪を覚える少女であったが、今宵はそれが神々しい儀式に見える。 なぜだろう?なぜだろう? 己の手を引く少年のせい? この道の先にあるものは古い社。 子供たちが隠れ鬼に使う打ち捨てられた廃社。 ここでも幾組かの男女が体を合わせていた。 「せいしろ・・・」 小さく呼ぶと、少年は振り向いて・・・笑んだ。 「こわがら・・・ないで・・・」 呟く声は、少し掠れていた。 「今夜は祭の夜なんだから。」 耳元で囁く少年の声は、ほんの少し低くなっていた。 悠理とて気づいていた。清四郎も声変わりを迎えているのだ、と。 大人の男に、なろうとしていると。 「祭の夜には神々も会合するのだから。」 だから、怖がることはない。 だから、二人は体を結んだ。 唇が震えていた。 肌に触れる少年の指は、最初飛び上がるほどに冷たかった。 だけれど、すぐに熱くなった。 遠くで歓声が上がった。神輿が着いたのだろうか? だがそれもまるで夢の中の出来事のようだ。 少女は少年の肌蹴た胸に、すり、と頬を寄せた。 どん、かっ、どん、ひょうひゃらひょう、とんとことんとことんとこと・・・
フロです・・・・・ううう・・・・嬉し泣き中。 |