前編 野梨子には敵わない。 野梨子は、あたしなんかよりうんとずっと清四郎のことを知っている。 清四郎と並んで絵になるのも野梨子。 清四郎が好きそうな、頭のいい会話もできる野梨子。 そんな野梨子にあたしが勝てるハズがない。 戦わずに逃げるなんてあたしらしくないってわかってるけど、これはケンカとはわけが違う。 倶楽部はあたしの居場所。 清四郎も野梨子も、大切な大切なあたしの仲間。 清四郎と、野梨子と、みんなと気まずくなるのは嫌だ。 あたしの気持ち…どうにかしないと。このままじゃマズイ。 だって、清四郎は野梨子が好きで。あたしの気持ちは行き場がない。 何で気付いちゃったんだろう。 どうすればいいんだろう。 あたしの気持ちと、倶楽部のみんなと。 どっちが大切? あたしのわがままでみんなを困らせることはしたくない。 みんなとずっと一緒にいたい。みんなと笑っていたい。 …あたしがあきらめれば、今までどおり? ……そうか。あたしがあきらめればいいんだ。 ………あきらめるって、どうすればいいんだろう。 清四郎が笑ってくれるには、どうすればいいんだろう。 |
「今度の休み、あたいここ行きたい!!」 放課後。生徒会室に入ってきた悠理は、テーブルに付くのもそこそこに鞄から1枚のパンフレットを取り出した。 「何なに?」 ひょいと悠理の肩越しにそれを覗く美童。 「え?よ、よう…ろう?…てんめい?はんてんち??」 「そ!ヨウロウテンメイハンテンチ!!」 部屋の奥でギターの弦を調節していた魅録、簡易キッチンでお茶の用意をしていた野梨子と可憐は、悠理と美童の発する語から正確な漢字を頭に思い浮かべられず、怪訝な顔をする。 悠理の正面で新聞を読んでいた清四郎は、ばさりとそれをテーブルに置くと、テーブルの上で手を組んでにっこりと笑った。 「いいですねえ。僕も一度行ってみたいと思っていたんです」 「ホント!?じゃあ行こうよ!!」 テーブルに手をついて身を乗り出す悠理は、今にも「行く!」と言い出しそうな勢いだ。 「ちょっと待ってよお」 紅茶の乗ったトレイを運びながら、可憐が口を挟む。 「そうですわ。もうちょっと説明していただかないと」 倶楽部への差し入れのクッキー缶を開けつつ、野梨子も言う。 ギターをスタンドに立て掛け、魅録はテーブルへとやってくる。そして、悠理の手からするりとパンフレットを摘み上げると、椅子に座った。 「へえ。岐阜県にあるのか」 何々…と続け、魅録はパンフレットにある概要を読み上げる。 「面白そうですわね」 「えー!?園内全部が斜面なんでしょう?野梨子大丈夫なわけ?」 「斜面ぐらいなら平気ですわよ!」 いくら運動音痴だからといって、斜面の上り下りくらいできる。 「まあまあ。可憐、君の美的感覚を磨くのにも良いかと思いますよ」 最初から興味を持っていた清四郎はすっかり乗り気だ。 「うん、たまにはアートな場所もいいよねえ」 もしかしたらそこでアートな彼女との出会いがあるかもしれないし…と、美童は邪なことを考える。 「よし!じゃあ決まりだな!!」 「わーい!やったじょー!!」 魅録の一声に、悠理は両手を上げて喜び、そのまま傍らの魅録と旅行の計画を立て始める。もちろんクッキーを頬張りつつ。 はしゃぐ悠理の様子を見て、「ホントに行きたかったのねえ」と可憐は目を細めた。 その日の夜。 より綿密な計画を立てるという名目で、悠理は魅録の部屋に来ていた。 計画(カーナビに頼りたくない魅録が運転ルートを地図で確認するだけなのだが)を立て終えたあと、悠理は言葉を切り出した。 「清四郎と野梨子っていつまでああなんだろう?」 口に近付けたコーヒーカップを止め、魅録は怪訝な声を出す。 「はあ?」 「あたしの勘がさー、清四郎は野梨子のことが好きだっていってるんだよなー」 ベッドに腰掛けている悠理は、その足をぶらぶらと動かして平静を装う。 「悠理の勘ねえ…。お前にその手の勘がはたらくとは思えないけどな」 人のことは言えた義理ではないが、と魅録は心の中で舌を出す。 とはいえ、悠理に食欲はあっても色欲はないのは明らかだ。 「勘に、んなもん関係ねーよ」 必要以上にぶっきらぼうな口調になってしまうのは悠理の気のせいか。 「そういうもんかねえ…」 いまいち納得のいかない魅録は、ピンク色の頭をがしがしと掻く。 「証拠だってあるんだ!」 そう言うと、悠理は先日のひとり勉強会のときの清四郎の様子を話す。 「…そう言われれば、そういう気がしなくもねえけどな」 「だろっ!?」 魅録の不信さが綻びかけてきたのを悠理は見逃さない。 「あたいもさ、たまには清四郎のために何かしてあげたいなーって思ってさ」 いつになく健気なセリフを吐く悠理。 全ては清四郎の笑顔のため。 叶わない気持ちならば、せめて清四郎に喜んでもらいたい。清四郎に誉めてもらいたい。 (結局、清四郎かよ) 一緒にロールケーキを食べたときの柔らかい笑顔を思い出してしまう。 (いってーよ) あきらめるために立てた計画が、それでも清四郎の笑顔を望んでしまう自分が、痛い。 「何かって、何するつもりなんだよ?」 魅録の言葉に、悠理ははっと我に返る。 「今度ので、ふたりっきりにさせてあげよーかと思って」 「…別にいいけどよ…」 悠理の提案を聞きつつ、魅録は腕を組み軽く眉をひそめる。 (登下校はいつも2人っきりじゃないか) もし本当に清四郎が野梨子を好きなのであれば、とっくに付き合っているだろう。 15年以上野梨子の傍に居ながら今まで気持ちを押し隠しているほど、あの男がしおらしい性格をしているとは思えない。 (いや、相手が野梨子だからな。あり得ないこともないか?) 魅録の思案をよそに、悠理は「可憐と美童にも協力してもらわなきゃな!」と携帯電話を手に取る。 電話口の向こうの可憐と美童が寄越した答えも魅録と似たようなもので。 その内心で考えていることもまた、魅録と同じこと。 悠理の健気さが、危うい風を連れてくる。 「晴・れーーっっ!!」 天気は快晴。雲ひとつない。 歩きながら、悠理は「んーーっ」と大きく背伸びをする。 「やだぁ…日に焼けそう…」 空を見上げ顔をしかめる可憐に、「北欧の人間の必需品♪」と美童が日焼け止めを渡す。 「あっら、ありがと!…ねぇ、」 (ホントにやる気かしら?) (少なくとも悠理は乗り気だよね) ここにきて少し及び腰になっている2人をよそに、悠理はどんどん先へと歩いてゆく。 「魅録ー!ここ、猫がいるー!!」 一見竹林のようにも見える“不死門”と呼ばれるゲートの足もとに置かれた、銅板で包まれた猫を指差す悠理。 名前を呼ばれた魅録は、飄々とした足取りで悠理の元へと歩み寄る。 「…美童、私たちも行きましょうよ!」 「そうだね、可憐!」 魅録の歩みに促されるように、可憐と美童が続く。 清四郎と野梨子がゲートに着いたとき、悠理はゲートの東側にある岩山によじ登って、その頂上に設置されているポンプで水を汲み上げているところだった。 「魅録!楽しいぞ〜!」 岩山に登る気などさらさらない可憐は、その奥にある建物を指差す。 「ねえ、美童。あれが“極限で似るものの家”ね?」 目の前で繰り広げられる、どこか学芸会じみた会話。 それに、悠理と可憐がいつもよりも不自然に仲間の名前を呼んでいるような気がする。 「…何か、変じゃありませんこと?」 隣を歩く清四郎を見上げて野梨子が聞く。 「大方、何か企んでいるんでしょうな。ま、僕たちはいつも通りいきましょう」 そう返す清四郎は余裕たっぷりだ。今は、まだ。 園内全てが斜面で構成されているということを、野梨子は甘く考えていた。 全てが傾いているということは、視野に入ってくるもの体感するもの全てが斜めであるということで。運動神経の鈍さとあいまってか、少しずつ、でも確実に感覚が狂わされてゆく。 「きゃっ!!」 普段なら何でもないような傾斜に足を取られる野梨子。 「おっと」 自然な仕草で、清四郎が腕を伸ばし、その身体を支えた。 悠理は、自分の良すぎる視力を恨む。 十分離れていたつもりなのに、たまたま目にした光景がこれだ。 エスコートをするように野梨子の手を取り、緩やかな地面へと誘導する清四郎。 たとえ悠理が他人でも、ふたりは恋人同士に見える。それも、ひどくお似合いな。 (清四郎は、野梨子が好きだから) そう見えるのは当然だ。 悠理は考える。 もしふたりが付き合いだしたとして、これから先今のような光景はもっと増えるのだろう。それを笑って見ていられるだろうか、と。 それよりも、付き合うことを知らされたとき笑っておめでとうと言えるだろうか。今でさえ心が悲鳴を上げているのに、ずっとその声を無視し続けられるだろうか、と。 (できないよ) ようやく気付いた気持ちなのに。 たまたま見えたのではない。無意識に目が探してしまっていたのだ。 それほどに清四郎のことが好きなのに。 (あきらめるなんてできないよ) 悠理の足下が揺らぐ。決意という名の足下が。 |