大江戸有閑倶楽部事件帖
刹那の恋〜四〜 かめお様作




祐也の仕置きは、市中引き回しの上、斬首であった。
仕置きの朝、魅録と清四郎が祐也を訪ねた。
大関の計らいで、面会が許されたのである。
三人で酒を酌み交わした後、清四郎が祐也の髭をあたった。
誰も言葉を発しなかった。
最後に、祐也は笑うと、
「ありがとうな」
と、一言だけ言った。
「…あいつ、野梨子のこと、一言も口にしなかったな」
「ええ」
「今日が仕置きだって、野梨子に言わなくっていいのか…」
魅録の言葉に、清四郎は首を振ると、
「野梨子のことです…知れば、見届けようとするでしょう」
「それじゃあ、あんまりにも辛すぎるよな…」
「ええ」
「だから、今日舟遊びに出て、あいつを市中から遠ざけるんだもんな…」
「あとで、恨み言は聞きますよ…」
「俺も付ききあうぞ」
魅録は、清四郎の肩を叩いた。
今回のことで、清四郎が一番心を痛めていると知る魅録であった。

「雪だ?」
悠理が、明るい声を上げた。
「雪見酒だな。それも、風情があるな」
「まあ、悠理から風情なんて言葉…似合いませんわね」
「…お前、嫌な奴だな、野梨子」
悠理は、怒ったように野梨子を見た。
が、すぐに優しい眼差しとなり、いつもの野梨子の物言いに、ほっとした笑みを浮かべた。
「料理は八百善の仕出しかい?豪勢だね」
美童が、くすくすと笑いながら、
「でもさ、舟が、ね」
と、悠理を見た。
日本橋の剣菱屋の裏手に、掘割がある。
そこには万作の持ち船である、ど派手な屋形船が、みなを待っていた。
「それを言うなよ?あたいだって恥ずかしいんだぞ」
「でも、中は素敵な造りですわよ。外見はわたくしたちから見えませんもの」
「そうだね」
剣菱屋の離れで、三人は明るい笑い声をあげた。
そこへ、ばたばたと廊下を走る音がした。
「誰だ?魅録か」
可憐が、息を切らせて、離れに飛び込んできた。
「可憐?どうしたんだよ。そんな慌てて」
可憐は野梨子の腕をつかむと、
「祐也さんは、今日お仕置きなの」
と、叫んだ。
野梨子の体がぐらりと揺れた。
「…あいつら…だから、今日舟遊びなんか…」
悠理が唇を噛みしめた。
「野梨子、あんた、どうするの」
可憐の言葉に、野梨子ははっとした。
「わたくし…」
「行こう」
野梨子の言葉が出る前に、美童が野梨子の手を取った。
「最後だ。野梨子が送ってやらなきゃ」
「ええ…」
野梨子と美童が駆け出そうとしたとき、悠理が両手を広げた。
「止めるな、悠理」
「違う。止めるんじゃない。野梨子、ちょっと待ってろ」
悠理はそう言うと、百合子の部屋に入った。
物入れや箪笥をひっくり返し、
「あった…」
と言うや、それをつかみ出し、離れに戻った。
「これを着ていけ」
悠理の手には、真っ白な打ち掛けが握られていた。
「母ちゃんの嫁入りの時のものだ」
可憐が、悠理から打ち掛けを受け取ると、野梨子に羽織らせた。
「可憐、場所はどこだ」
「伝馬町から引き回されるはずだから鈴ケ森に向かえば、行き合うわ」
「美童、わかるか」
「ああ」
剣菱屋の裏木戸から、表通りへ出る細い道に出たとき、魅録と清四郎と鉢合わせした。
野梨子の姿を見ると、二人の顔色が変わった。
「どこへ行くんです」
清四郎が、青ざめた顔でにじり寄る。
野梨子は美童と手をつないだまま、じりじりと後退した。
悠理と可憐は頷きあうと、魅録と清四郎に抱きついた。
「うわっ」
「こら、悠理」
「走れ、野梨子」
悠理の言葉に、野梨子と美童は走り出した。
「離しなさい、悠理」
「お前ら、何考えてんだよ」
「野梨子がどんな気持ちになるか、わかってるんですか」
清四郎が、怒りを含んだ声で怒鳴った。
「わかってないのは、お前らだ」
「そうよ。あんたらに女の気持ちなんてちっとも分かってない」
涙を浮かべた悠理と可憐は、清四郎と魅録にしがみついたまま、
「野梨子は、きちんと送ってやんなきゃいけないんだ。そうしないと、気持ちにけじめがつかないんだよ」
「野梨子は言ったでしょ。強く生きるって約束したって。だからこそ、最後に別れを言わなきゃいけないのよ」
「そうじゃないと、ずっと引きずるんだ。お前らに連れていかれた祐也さんの後ろ姿に」
「堂々と、前を見てお仕置きされる祐也さんと向かい合うことで、あの子も前を向けるのよ。なんで、それがわかんないのよっ」
しがみつきながら、いつの間にかおいおい泣き出した二人を、魅録と清四郎はそれぞれに抱きしめ、
「わかったよ…泣くな、可憐」
「悠理…僕が悪かった…あなたたちの言う通りですよ」
そう言いながら、魅録と清四郎は空を見上げた。
二人の目に光るものに、雪が落ちて、溶けた。

江戸一番の異形の役者と、手に手をとる白無垢の美女。
雪が舞う江戸の町で、二人の姿は人目を引いた。
「あれだ…」
正面からやってくる、引き回しの列を美童はとらえた。
「野梨子、踊れるね」
「え?」
「鷺娘だよ。野梨子の気持ちを込めて、踊るんだ、ここで」
美童の言葉に、野梨子は頷いた。
人々の目は、引き回しの列と、野梨子らに交互に注がれている。
(野梨子…)
馬上の祐也が、野梨子の姿を捉えた。
「なんだ、あいつらは…」
慌てて、同心が駆け出そうとするのを、
「よい。しばし、待て」
と、留めたのは、大関主税であった。
魅録の願いで、祐也を送る役を引き受けたのである。
しんと、あたりが静まり返った。
雪はしんしんと降り積もる。
ぱしり、と、美童が扇で手を打つと、それを合図に野梨子がすっと手を上げた。

妄執の雲晴れやらぬ朧夜の、恋に迷いし、わが心
忍山、口舌の種の恋風が、吹けども傘に雪もって、積もる思いは泡雪の、
消えて果敢なき恋路とや、思い重なる胸の闇、
せめて哀れと夕暮れに、ちらちら雪に濡鷺の、しょんぼりと可愛いらし…

艶やかに舞う野梨子の姿に、みな息を飲んだ。
雪が舞う。
白く染まる町に、白無垢の乙女。
美童の朗々とした声だけが、辺りにに響き渡った。

そうぢゃえ、それが浮名の端となる、添うも添われずあまつさえ、
邪見の刃に先立ちて此世からさえ剣の山、一じゅうのうちに恐ろしや地獄の有様悉く、
罪を糺して閻王の鉄杖正にありありと、等活畜生衆生地獄或は叫喚大叫喚、
修羅の太鼓は隙もなく、獄卒四方に群がりて鉄杖振り上げくろかねの、
牙噛み鳴らしぼったてぼったて、二六時中がその間、くるり、くるり、
追い廻り追い廻り終にこの身はひしひしひし、憐れみたまえ我が憂き身、語るも涙なりけらし…

祐也は、涙を流し、野梨子を見つめた。
この目に焼き付けておかなければ…
涙でにじむ目を、必死で開き、舞い踊る野梨子を見ていた。
「旦那…」
祐也は、大関に声をかけた。
「ありがとうございます」
祐也は頭を下げた。
大関は、合図をし、引き回しの列は、粛々と進み始めた。

ふらりと倒れ掛かった野梨子を、美童は抱きかかえた。
野梨子の横を、まっすぐ前を見て、祐也は通りすぎる。
野梨子の唇が、微かに祐也の名を呼んだ。
しんしんと、雪は降り続ける。

剣菱屋に美童と野梨子が戻ってきた。
凍える野梨子を抱きかかえるようにして、悠理と可憐が湯殿に入った。
「美童、客間の湯が沸いてます。あなたも、温まってください」
「うん…」
二人が人心地ついた頃、奉行所から使いがあった。
可憐と、悠理に支えられるように座っている野梨子の前に、魅録が座った。
「祐也は、立派に果てたそうだよ」
その言葉に、野梨子よりも先に悠理の目から涙があふれた。
「罪人は葬れないんだが、特別の計らいとして、俺の家の菩提寺に祐也を葬る許しを得た」
魅録の言葉に、野梨子は指をつき、
「ありがとうございます」
と、頭を下げた。
可憐が、堪らず顔を背けるようにして、涙をぬぐう。
野梨子は、
「お墓ができましたら、お参りさせていただきますわ」
そう言って、笑った。

梅が綻び始める頃、野梨子は美童とともに、下谷の宗延寺にいた。
松竹梅家の菩提寺であるこの場所に、祐也の墓がある。
線香と花を手向け、野梨子は手を合わせた。
「美童…」
「なに?」
「鷺娘…もう踊らないそうですわね」
「ああ…」
美童は、微笑むと、
「だって、僕がどう踊ったって、あの時の野梨子ほど踊れない。ほんとうに、素晴らしかったよ」
野梨子は立ち上がると、美童に向き合い、
「美童…ありがとうございます」
そう言って、美童の手を取った。
「温かい…」
「心も温かいって、言ったろ」
「ええ、本当に…」
野梨子の目から、涙があふれた。
あの日以来、決して泣かなかった野梨子であった。
美童は両手で野梨子の頬を包み込むと、
「僕の前では、我慢しなくていいよ…」
「美童…」

あの夜…
祐也は、何もかも包み隠さず野梨子に語った。
自身の病も、余命がないことも…
そして、その手で人を殺めたことも…
淡々と語る祐也を前に、野梨子はどうしようもなかった。
ただ、夢心地で話を聞いていた。
そう、夢だ、これは夢なのだと…
その時、野梨子の手を、美童がきつく握った。
温かい手だった。
はっと、現実に引き戻され、野梨子は祐也の最後の言葉を聞いた。
「お嬢さん…俺は弱虫なんだよ。病でなんか死にたくない。それよりも、俺がこの手で殺めてしまった人に償うためにも、この命、お上の手でお仕置きされなきゃなんねえんだ。なんの罪のねえ、娘さんと、家族もあるだろう番頭さんを殺してしまった、俺に与えられる罰は、人々の罵声を浴びながら、首を刎ねられること…いや、それでも足りねえだろうが…」
「祐也さん…」
「わずか二日だが、俺はお嬢さんのおかげで人間らしい気持ちになった。礼を言う。ありがとう」
祐也は、頭を下げ、肩を震わせながら、
「せめて、来世はもう少しましな人間になって、お嬢さんとお目にかかりてえなあ」
そう言うと、嗚咽を漏らした。
野梨子も涙を流した。
ただ、美童だけが、変わらず、静かな面差しのまま、二人の側にいた。

野梨子が見上げると、美童の瞳は、海のような深い青で、凪いでいた。
「野梨子?」
首をかしげて、美童が野梨子を見る。
野梨子は、涙をぬぐうと、
「悠理が、梅見の会だと張り切っていましたわ。なんでも、ささゆき特製の五段重ねのお弁当だそうですわ」
「悠理のだけが五段なんじゃないの」
「さあ。どうかしら」
野梨子と、美童は笑いあった。
あれほど辛く切ない思いをしても、人間はなんと強いものだろう。
まして、支えてくれる友がいる者は…
野梨子は、もう一度祐也の墓前に傅くと、手を合わせた。
そして、振り返ると、美童の手を取り、
「さあ、参りましょう」
と、明るい声で言った。








後書き
…というかいい訳です(笑)人様に悲恋ものを振っておきなが ら、つい自分で書いてしまいました。
が、ハッピーエンド主義者であるわたしには荷が重いものでし た。
体調不良のときに書き始めたゆえか、書き上げた後も迷いが生 じ、出そうか、出すまいか、逡巡しました。
まず、鷺娘のビジュアルが浮かんで書き始めたものです。 美童と、野梨子の舞姿を想像していただき、話の甘さなどは何 卒ご勘弁を…
野梨子、可哀相!!と思われた方は、カリオストロのは〜は〜 野梨子を見て、笑ってやってください。 あっちの彼女はモテモテです。

表紙