ABCのルール

BY 金魚 様

 

 

 

放課後の可憐の部屋で野梨子、悠理、可憐の3人が可憐のお手製CAKEを楽しんでいる。

今日のCAKEはシャルロットケーキ。

少し固くなってしまったパンを外側に、好みの材料が層になるように内側に詰め込んで焼く。
ケーキの熱がとれてから表面に生クリームでデコレーションし、出来上がり♪

悠理は一番大きなピースを嬉しそうに受け取ってフォークを動かしている。
口元にちょっぴりクリームをつけ、美味しそうにCAKEをぱくつく悠理を可憐はじーっっと観察した
後、ぽつりと口にした。

「ねぇ悠理、あんたたちどうなってるの?ーーーもうキスくらいした??」

可憐の問いかけに ブホー!!っ と悠理が頬張っていたCAKEを吹き出し、あちこちに散らばる。
隣にいた野梨子が悲鳴を上げる。

「ちょ…悠理!大丈夫ですの??!!」

ゲホゲホと苦しそうにむせる悠理の背をさすりながら野梨子が頬を赤らめる。

「可憐ったら…同じ質問をするにしても、ちょっと…いきなり過ぎやしませんこと?」
「ごめんごめん。悠理、大丈夫??」

慌てて悠理が吹き出したものをおしぼりであちこち拭ってやりながら可憐が謝る。

「お前なあ…そんなこといきなり聞くなよな///」
悠理は真っ赤になってわめく。

(この調子じゃあまだなんにもしてないんでしょうねえ…)
可憐は悠理のカップにおかわりのコーヒーを注いで手渡す。

「そんなこと言ったって、あんたたちがつきあい始めてそろそろ3ヵ月でしょ?今時中学生だってもっ
と進展早いわよ。清四郎、何にもしてこないの??」

「可憐、その質問はちょっと…直接的過ぎるんじゃないですの?」
野梨子がとまどった表情をみせる。

「そんなこといったって、野梨子だって気になってるでしょ?−−−ほんとは…でしょ?」
「それはまあ(…そうかもしれませんけれど)」

目線を天井に泳がせ、うーんと考え込んだ後、二人の視線は自然と悠理に集中した。

「…………なんだよ」

悠理は黙秘権を決め込むことに決めたらしくCAKEを口に頬張り何にも語ろうとはしなかった。


*******




翌日の放課後、何事か声をかけようとしてきた清四郎から逃げるように走り去り、すっきりしない気分
をかかえたまま悠理は松竹梅家を訪れた。

「魅録〜借りてたMD返しに来たじょ〜」

大声でそう言いながら勝手知ったるよその家の廊下をずかずか歩く。
悠理は玄関から魅録の部屋へと直行した。

魅録の部屋の入り口まで来たとき、誰かの話し声が聞こえてきた。

「あれ?この声は敏也?来てたんだ」

敏也というのは魅録の中学生時代からの族仲間。

現在はツーリングメンバーとして悠理も付き合いがある。
酒とケンカはめっぽう強いが女癖が悪いのが玉に瑕な男だ。

「よっ。久しぶりだな」
「よぉ悠理!あいかわらずきれいだなーお前♪制服なんかきてっとちゃんとお嬢にみえっぞ」
「へ?そうか?」
へらっと悠理の頬がゆるみかけるところへ

「だって恋しちゃってるもんな♪悠理」
魅録が横からつっこみを入れる。

「…うるせーぞ魅録」
言い返しつつ、悠理の顔は赤くなってしまう。

(くっそー。あっちでもこっちでも似たような話題持ち出しやがって)

「え!?悠理お前、男できたのか?誰だ?…あ、……もしかして魅録か?!」

「「違うっ!!」」
魅録と悠理の大声が重なった。

敏也は後ろへのけぞった。   耳が痛いのポーズを取る。

「そんなシンクロしなくても…冗談だよ。ならあいつだろ?いっつも一緒にいるあのすだれ頭のなんてったっけ…」
「清四郎」
魅録が応える。

「そうそう。清四郎。確かすっげー頭のいいやつだったよな。よかったなぁ悠理。お前、いい男見つかって」
「…………」
(なんなんだよもう///)

清四郎と付き合うようになってから、嫌でも話題の大半は自分と清四郎の事に集中することに疲れてき
た悠理は少しぶすっとして押し黙る。


「なんだよ。悠理。機嫌悪くね?−−−あ、はは〜ン。もしかして夜の悩みか?ならば俺様が相談に乗ってやるぞ〜なんなら清四郎が喜びそうなテクニックの一つや二つ伝授し……」
普段はあからさまに頭のあがらない悠理をからかうネタができたと踏んだ敏也が軽口をたたけたのはここまでだった。



次の瞬間、魅録の部屋にある大型で重量感のある3人がけエアクッションが見事に宙を舞い、敏也の顔面にヒットした。



「……またな魅録」

悠理は敏也が床に沈んだのを見届けると鼻息も荒く中指をたて、部屋を出ていこうとする。

魅録は慌てて声をかける。
「悠理!」

「…なんだよ(怒)」
振り向きもせずぶすくれている悠理に魅録はとまどう。

「敏也の軽口はいつものことだろ?気に触ったんなら後で俺がいっとくからあんま気にすんなよ?」
「……気になんかしてない……」

悠理は魅録の方を振り向けず、小声で返事をする。

「…でもサンキュな。魅録。敏也のやつ、ーーー少し絞めとけよ!エロ親父みたいなことばっかいいやがって!なんなんだよ。みんなして口を開けば「清四郎とはどうなんだ!」「清四郎とどうなったんだ!!」「清四郎とどうにかなったのかー!!」−−−−ってそんなことばっか聞きやがって!!くっそー!!腹が立つ。他にあたいに話すことはないのかよ!!」

悠理の機嫌が悪い理由が少しだけかいま見えて、魅録は線がつながった。

(こいつも恋愛に関しては免疫ないもんなぁ…)

「…お前だから、一応いっとくけどさ…気持ちはわからんでもないけど…俺らくらいの年代で誰かとつ
きあい始めたらしばらくネタにされんのは避けられないぞ?その度に相手を床に沈めてたらきりないだろうが。…敏也にもちょっといっとくけど、お前も今度こいつに会ったときは一言謝れよ?今のはお前の方がわりぃぞ悠理」

魅録に静かな口調でそう言われた悠理は少ししゅんとなって
「ごめん…」
とつぶやいた。

ついでに、魅録にメモ用紙とペンをねだると大きな字で何事か書き殴り、敏也の腹の上にそのメモと鞄をがさごそかき回してから見つけたキャンディーを3つ乗せてから部屋を出ていった。

『やりすぎた。ごめんなさい。ゆーり』

何を置いていったのかを確認して魅録はぷっと小さく吹き出す。
(小学生みたいな字だな…相変わらず)

あの優等生の清四郎が傍目に恥ずかしいくらいに惹かれている悠理。
仲間内では誰よりも側にいたはずだが、自分ではなく清四郎を選んだ悠理。

俺とあいつとどこが違うと悠理と恋愛になるのか。

(もっとも俺もなんにも動かなかったけどなぁ…って俺は悠理が好きだったのか????)
目を閉じて悠理の事を考えてみるが今のところ苦しいような思いは何も浮かばなかった。

(いやいや、ありえねぇな。やっぱ)
魅録は悠理が置いていったメモを敏也の腹の上丁寧に戻してからタバコに火をつけた。



*******

 

 

 

魅録の家を出た後、自己嫌悪も手伝ってぶらぶら剣菱邸まで歩いて帰った。

正面玄関までやっとたどり着いたときにはあたりはすっかり暗くなってしまっていた。
開門しようとポケットの中のロック解除キーを探ったとき、後ろから不機嫌な男の声がした。

「ずいぶん遅かったですね」
「清四郎…」

秋の始め、暗くなる頃にはずいぶん肌寒い季節である。

「なんだか真っ赤な顔をしてませんか?」
ついと悠理の頬に手を伸ばして、冷え切っていることに驚く。

「なんだってこんな冷え切ってるんですか?!いったいどこ行ってたんですか?…悠理?」

悠理は自分の頬に触れた清四郎の手の温かさに自分が言われるとおり冷え切っていることを自覚した。

(なんて温かい手なんだろ…)

「…ほんとだよ。なんだよ…なんか急に−−−なんか、めちゃくちゃさみぃぞ!!清四郎!」
悠理は必死になって清四郎に訴える。

「−−−人に言われるまで寒さも感じられないんですか?まったくお前は…」
あきれ顔で苦笑する清四郎は悠理の髪をくしゃくしゃとかきまわした。

続いてはくしょん! と盛大なくしゃみを始めた悠理の手から慌ててキーを受け取って、清四郎は悠理の
手を引いて剣菱邸へ入っていった。


−−−−−−


「ぷはー生き返った!悪りぃな清四郎。待たせたな」

すっかりほかほかになった悠理は長袖Tシャツにホットパンツという少年のような軽装でシャワールームから出てきた。

手も足もひどく冷え切っていた悠理に、シャワーを浴びるようにすすめた清四郎は悠理の部屋でメイド
が出してくれたお茶とサンドイッチをつまんでいた。

「ほんとに子供みたいだなお前は」
清四郎は悠理の分の紅茶を注ぎながら自分の隣へ座るようにうながす。

「なんだよ。ちょっと考え事しながらぼーっとしてたんだよ」
悠理は言われるまま素直に清四郎の隣へ座った。
清四郎はにっこり笑う。


悠理の部屋は広い。


こういっちゃなんだが、今までは清四郎や魅録や美童、可憐、野梨子が相手だって隣に座らなくとも、向かい合わせにも、斜め向かい合わせにだって座れる椅子やソファーはたくさんある。

恋愛に関しては奥手な悠理が清四郎の呼びかけを断らず、素直に隣へ座るようになったのは清四郎にとっては大進歩だった。

悠理に温かい紅茶のカップを手渡して清四郎は再度ほほえむ。

「ところで、悠理。さっきの質問ですが、今日はどこへ行ってたんですか?」
なるべく平静に、冷静にさりげなく聞こえるよう自分の声に意識を集中した。

「ん?魅録のとこだよ」
「そうですか。…じゃあ、ついでに聞きますけど、昨日は?」
「可憐とこ…CAKE食べに」

「…そうですか…」

悠理の様子は普段とまったく変わらない。
ふーっと大きく息を吐いてから清四郎は重ねて聞いた。


「悠理、どうして今日、僕が声をかけようとしたら逃げたんです?」


悠理は驚いて清四郎の顔を見上げた。

「逃げた??なんであたいが…って。…あ…(そういえば)」

きょとんとした悠理の表情が一瞬(やばい)と変化したのを清四郎は見逃さなかった。

「僕は今日、悠理を誘って遊びに行こうかと思ってたんですがね。声をかけようとしたら見事に逃げられたもので、心配して携帯にも何度か電話したんですが、電源切ってませんでしたか?」

目の前に悠理の行きたがっていた映画のチケットをかざしながら清四郎は悠理を見た。

「ええ?電源?あたい切ってなんか…−−−あ!!」

今日の5限、英語の授業中に音を消し忘れていた携帯が鳴り響いて教師に電源を切れと促されたのを忘れていた。

「ごめん!そうだった。5限に携帯なっちゃってさ、田中のヤローに怒られて電源切ったままだった」


この件の信憑性についてはまだ不安分子があれば魅録に確認すればすむことだ。
清四郎はやっと少し眉根を開いた。

「…避けられていたんじゃないとすれば、今日、逃げ出したのはなぜなんですかね?」

「いやその…えっと…なんで??」
清四郎に至近距離から見据えられて悠理はしどろもどろになる。

(可憐や野梨子にからかわれて、あいつらの前で話すのが恥ずかしくなったなんて言えるかよ!)

じたばたしながらも頬を染める悠理の様子を観察していた清四郎は、悠理の右手をつかんだ。

「どうなんですか?」
(どうやら、嫌われていたわけではなさそうですね)

「…別にそんなんじゃ…って清四郎、ちょっと近すぎるぞ!」

手をつかまれて、清四郎の側に引き寄せられてしまった悠理は真っ赤になりながら立ち上がろうとしたが、清四郎に膝の後ろから正面に向かって足を払われ再度ソファーに戻されてしまった。予想外の動きに一瞬宙を舞って落下する。

「なにすんだよ!!」

「質問の途中で席を立たないでもらいたいですな。僕は悠理が帰ってくるのをずっと待ってたんですからね!連絡しても電源切ってるし、声をかければ逃げられるし!心配しないわけないでしょうが!」

コツン!と空いている方の手ででこピンをくらう。

「いてぇ!クッソー!お前、力強いことわすれんなよな!すっげえ痛いんだぞ!!」

口元を楽しげにゆがめて清四郎が再度でこピンのポーズを構える。
「ならさっさと話す!応えないともう一発いきますよ」

「うぅぅ〜……」
悔しそうに抵抗する悠理に清四郎は苦笑する。

「じゃあ、今度はスペシャルでお見舞いしましょうね」
すっと清四郎の右手が近づいてきたので、悠理は降参した。

「わーったよ!話すよ!でこぴんやめろ!暴力反対!!」

(暴力反対をお前がいうか)
「いい子ですね。−−で、何で僕は避けられたんですか?」

清四郎の質問から悠理が逃げられた試しなどない。

悠理は困ったように清四郎を見上げた。


 


*******




清四郎の目は黒い。
清四郎の髪は黒い。

右手を取られ、強制的に座らされ、話すことを強要される。
普段の悠理にとっては絶対に許し難い状況であるにもかかわらず、相手が清四郎だと降参してしまう自分に出会う。

(あたいと清四郎が付き合うようになって、からかわれんのはあたいだけなのか??…清四郎は??)


じっと自分を見つめて何事か考え込んでいるように見える悠理に清四郎は小首をかしげた。

(珍しくも何をこんなにためらってるんですかね。この人は)
(魅録のとこで何か…いや、それならもっとジタバタ動揺するはずですし…)

「悠理?」

「なぁ、お前はみんなにからかわれないのか?」

相変わらず主語のない悠理の質問はいつもならこちらからの確認が必要になる。
が、今日に限っては清四郎は悠理のためらいの端が見えてきた気がした。

「ああ、悠理との付き合いに関してですか?…それはもちろんからかわれますよ?」
いたって平静な口調であたりまえのように清四郎はこたえる。

「…からかわれるってどんな内容聞かれてんだ?お前」
清四郎の平気な様子をみて、悠理はきょとんとして聞き返す。

「悠理、もしかしてあいつらに僕とお前の付き合いをからかわれるのが嫌で逃げたんですか?」
「…別に…逃げるつもりじゃなかったんだけどさ、昨日、可憐とこでちょっと…」

「ちょっとなんです?今日は話さないと解放しませんよ?」
くちごもる悠理を清四郎は目顔で促す。

悠理は腹をくくった。

「みんなしてさ……”清四郎とどこまでいってんだ?” ”清四郎とキスくらいしたのか?” ”清四郎とどうなってんだ”ってそんなことばっかり聞いてくるから…なんかもうこれ以上からかわれんのが嫌になっちゃってさ…」

小さな声で頬を赤くして応える悠理に清四郎は重ねて問う。
「からかわれるのが嫌なんですか?それとも僕との付き合いを聞かれるのが嫌なんですか?」

急に真面目な口調になった清四郎につられて悠理はつるっと応えてしまった。

「だって、どこまでもなにもまだ何にもないのに、そんなことばっかり聞かれっとお前の顔見るたびそんな台詞が浮かんで来ちゃって、はずいだろ??」

悠理の台詞の真意がどの辺にあるのかくらいは清四郎にだってわかっている。

言ってしまってから、なんか意味深な事をくちばしったか?と悠理がちらっと清四郎を見ると、彼の口元がにやりとほころんだ。

「なんだよ、せいし…」

「ー悠理」

二の句をつぐ暇はなく、悠理はソファーの上に押し倒されていた。

正面の両脇の下から清四郎の両手が自分の肩の上に回され、拘束される。
乱暴ではないが、腰の上に跨られ、覆い被さってこられてはまったく動くことができない。

「−−−−−!」

唇が触れる前のわずかな時間に清四郎はささやいた。

「悠理、目を閉じてください」

自分の上に覆い被さっている男にそう言われ、悠理は急いで目を閉じた。

(清四郎の言葉は何だかいつも逆らえない響きみたいなものがあるんだよな…)
(腕の動きだって、脚だって、本気で抵抗すればきっとできるはずなのに、あたいの身体は動かない)

(清四郎だってきっと嫌だって言えば、あたいの嫌がることは…しないの…に)

唇が重なった瞬間、悠理は生まれて初めての経験に幸せな降服感がともなうことを知った。

唇を重ねるだけの優しいキス。
清四郎の唇が、悠理の唇をそっとなぞり、動き出す。

(温かいんだな…キスって…)

自分の肩を清四郎の指がそっと撫でている。

一旦唇を解放して清四郎は悠理の頬に軽いキスを落とした。

「せいしろ…」

悠理はゆっくりと目を開けて、清四郎を見上げる。

(それにこうやって抱き合ってると、すんごく温かい…)

悠理は、清四郎の頬に自分の頬をそっとよせた。
初めてみる女の表情に清四郎の鼓動が早くなる。

「悠理…」

再び唇を探して重なる。
今度は先ほどよりは長く。

悠理の肩をさまよっていた右手を引き抜いて、そっと頬から首筋を撫でおりる。

「ん…!」

清四郎の意図に気付いて悠理が抗議の声をあげようと口を開いた瞬間、温かい固まりが口内に忍び込んできた。

(う…うわぁ〜!!!!)
(なんか、入ってきたぞってか、…これ…清四郎の…し…舌が…うごめいてるぅ〜×××)

恋人達のキスには種類がある、ということを予想していなかった悠理の思考回路はいきなりショートした。
次の瞬間、素晴らしい瞬発力と全筋力を駆使して清四郎の身体の下からブンッと勢いよく跳ね上がった。

片手を悠理の肩から外してしまっていた清四郎は突然の悠理の動きにバランスを崩し、転落こそしなかったものの、大きく後ろへ下がらされた。

「−−−なにすんですか?」
清四郎は苦笑する。こちらはある程度予想がついていたかのように落ち着いている。

「…なにすんですかじゃねぇ!!お前、今、し…し…し…」

悠理の方は耳まで真っ赤になって怒っている。
二の句が継げない様子でアワアワいっている悠理の様子をうかがいながら清四郎は自分の脚をソファーから降ろした。

(…怒られても…困るんですけどねぇ…。まあ、こういう方面に関しては時間をかけないとやっぱり無理なんでしょうねぇ…。仕方ないですな。とりあえず、なだめますか)

ソファーの上にちょこんと正座しているような格好の悠理に
「せっかくソファーなんですから…普通に座りませんか?」
いつもの笑顔で声をかけると、以外にも素直な行動が返ってきた。


脚を降ろし、ソファーに並んで前を向いて座り、しん…と一瞬の沈黙がおとずれる。


先ほどよりも広がっている距離が、今の悠理の警戒心のあらわれなのだと思うと清四郎はおかしくなった。
(…この人は…ほんとに動物のような反応をしますよねぇ…)

この場納めてしまおうと清四郎が口を開きかけたとき、悠理の方が言葉を発した。

「…ごめんな。清四郎」
「え゛?」

悠理は正面を向いたまま、うつむいて辛そうにそういった。
清四郎は悠理の表情をみて、焦る。

(ごめん?ごめんてなんだ?)

(キスを拒否したことに対してのごめんか?)

(それとも僕とこういう付き合い方をすることに対しては”やっぱりごめん”なのか?!)

もしかして…と一瞬青くなった。
唇をなめて言葉を探す。


「…いや…でしたか?」


自分でもかなり小さな自信なさげな音色だった。

それでも確認しないわけにはいかない。
悠理が拒否なら受けとめないわけにはいかない。
悠理を失うわけにはいかない。

清四郎は悠理をじっとみつめた。
悠理は軽く首を振って応えた。

「そうじゃない…けど」

悠理は口ごもる。
思いっきり否定ではなかったので少しほっとした。

「…けど…なんですか?」

が、赤くなったまま応えようとしない悠理に焦れて、清四郎は悠理の隣にすっと座り直した。
(…初めてのキスにとまどっているだけなら、何事も経験…慣らしてしまうのが悠理には近道だろうな)

清四郎は悠理の肩に自分の手をそっとかけた。悠理の肩がびくっと震えたがそのまま強く引き寄せる。

至近距離で自分を見つめる清四郎の瞳の色が欲望をたたえて変化するのを悠理は確認した。

「…きちんと応えないと…今度は止まりませんよ?」

「−−−−!!!」

清四郎の唇が再度悠理のそれに触れようとした瞬間、額を悠理の手が力一杯押し返してきた。

かなり本気の拒絶行為だ。

「…やっぱ…いや!!!。やっぱしだめ!!!…清四郎、今日は終わりにしてくんない???」



 

*******




今日も有閑倶楽部ではいつもどおり、まったりした空気が流れている。

しかし…

もんもんもんもんもんもん

清四郎の胸中はぐるんぐるんに渦巻いていた。

あからさまに昨日の事を引きずっている自分を自覚する。

せめて表情にだけは…態度にだけは出さないよう、鉄面皮を必死にかぶっている。
いつもの席に座り、新聞を広げ、可憐が入れてくれたコーヒーに礼をいい、一口飲むことに成功した。


(なんなんだ)
(どうしてなんだ)
(悠理にはディープキスはいきなりすぎた?…のは間違いないんでしょうけれど…)
(キスであそこまで拒絶されてしまったら…しばらくは忍耐力を総動員した日々を過ごさなくちゃいけないんでしょうねぇ…)

菊正宗清四郎一生の不覚…と言いたい気分であった。

清四郎にとってはファーストキスではないが、悠理との初めての…一般的には甘い思い出として残るはずの恋人との初めてのキスが「”いや!”と”だめ!”と あろうことか ”終わりにしてくんない?”」で終了したわけである。

(そりゃ…悠理を好きになった時点でロマンティック…とは縁遠い生活が始まったのかも知れませんが…それにしても…)


何事もパーフェクトをもくろむ彼にとっては大打撃だった。


ということで彼は、周囲に何も気付かせないために用心し、いつもより無表情に徹しながら頭にまったく入ってこない活字だけをだらだら目で追って実は固まっていた。


 

*******

 



「悠理、またお菓子が届いていますわよ」

そう言いながら野梨子がドアから入ってきた。
3箱を中央のテーブルの上に置き、悠理を呼ぶ。

窓際の椅子に座り、魅録と何やらギャーギャーいいながらロック雑誌を見ていた悠理がしっぽを振るようにこちらへ走り近寄ってきた。

「やっりぃ♪♪♪おいしそ〜♪♪」

次々と包装紙を開封し、悠理はザッハトルテを見て大喜びしている。

「あらほんと、久しぶりに見ますわこのケーキ」
野梨子も嬉しそうに笑う。悠理はヨダレを流さんばかりでしっぽを振り続ける。

「清四郎も好きだろ?ザッハトルテ」
昨日の事などみじんも気にしていない様子の悠理が清四郎に笑いかける。

「…そうですね」
胃が、重い石を飲み込まされたように痛む今はザッハトルテを食べたいとは思えなかったが、清四郎は笑みを作って悠理に声をかける。

「…ちなみに、どこの国のお菓子か知ってますか?悠理」

「うん!」
悠理は張り切ってしゃべり出す。

「ザッハトルテだけは知ってるじょーー!ウィーン菓子の中では一番有名だからな!!。…土台の生地は、チョコレート風味のスポンジケーキ!。その上にアプリコットジャムを塗って…、全体をチョコレートでコーティングするのがデメル風で…。 このチョコレートはザッハ・グラ…なんとかって名前の、チョコレートを大理石の上でよく練って使うんだ。超高度なこの技術で、まず口の中でサクッ…、そのあとでトロッと溶け〜る”デメル製”ザッハトルテ独特の舌ざわりが生まれるんだじょ♪。 ついでにいうと、泡立て生クリームを添えてやるとさらにうまいんだ!!」

えっへんと胸を張る悠理を室内の5人が驚愕の表情で見つめる。もちろん清四郎も驚いた。

あの悠理の口からスラスラと解説が出てきたのだ。一瞬の間のあと、野梨子は感嘆の声をあげた。

「すごいですわ!悠理!食べ物の事とはいえ、完璧な解説ですわよ」

「ほんとだ、悠理すごいよ。あってるよ今の解説!」
美童がケーキの解説書を取り上げて誉める。

「当たり前だじょ!ザッハトルテに関してはまかしとけ〜」

野梨子と美童に誉められて悠理はへへへと照れ笑いをしている。
それを見ながら、後ろ暗い気持ちの清四郎はお尻から黒いしっぽがはえつつあった。

(…なんなんだ。その何にも気にしていない楽しげな様子は…)
(なんであんな簡単な公式覚えられないやつが、ザッハトルテの作り方なんて暗記できるんだ)
(今日は終わりにしてくんない?は明日ならいいのか悠理!)

色々突っ込みたい心をぐっと押さえて口の片方を少しあげた。

「…その記憶力をテストの時に活かせたら、あっという間にトップクラスですね。悠理」
清四郎はにっこり笑らったが、どうみても目が笑っていない。そのなにやら不穏な空気に美童と可憐はさりげなく逃げていった。触らぬ神にたたりなしなのである。

「…清四郎、お前なぁ…」

悠理が苦虫をかみつぶした表情を見せてうなる。
なにやら何かを含ませ火花を散らしはじめた二人の雰囲気に

「私、お皿とナイフを取ってきますわね!」
野梨子も慌てて逃げていった。

 

 

 

*******

 




睨み合ったまま動かなくなってしまった二人を取り巻く空気に魅録以外の3人はいたたまれずミニキッチンへ逃げ込んでしまった。

「あの二人、なに事なんですの?」
「多分…なにか♪があったんだろうねぇ」
不安そうな野梨子の問いに、にやけ顔の美童が応える。

「…ほんとに美童が期待してるよう事なのぉ??〜あの今にも喧嘩が始まりそうな空気はなんなのよぉ!?」
可憐が柱の影から二人の様子をうかがっている。



お互いに胸のうちに含んだものを口に出せず、まったく動けずにいるのを見かねた魅録がため息をついて立ち上がった。

「−−−お前ら、ちょっと来い」
二人の目の前に立って低い声でいう。

「ーなんですか?魅録」
清四郎が怪訝そうに目を向ける。

それには応えず、魅録はスタスタとドアへ向かう。
二人が固まったまま動けずにいるのを見て魅録は声をあらげた。

「悠理!清四郎!早く来い!」


 

*******

 




黙ったまま二人を校門まで引っ張ってきた魅録は少々乱暴に剣菱家の送迎車に二人を押し込んだ。

運転手に声をかけ、後部座席と運転席の仕切りを閉めさせる。
自分は乗り込まず後部座席のドアに手をかけて車内の二人をのぞきこむ。

「なんなんだよ…魅録」
悠理が文句をいいかけるが魅録に目顔で制され、黙る。

「…清四郎」
「なんですか?」

男同士は睨み合うように視線をからませる。

「お前、こいつと付き合ってるんだよな?」
「…そうですが。それがなにか?」
清四郎の目がすっと細くなる。悠理は二人が喧嘩を始めるんじゃないかとはらはらしはじめた。

「いくつか忠告しとくぜ。ーいいか、まず痴話喧嘩は外でやれ。あいつらにお前らの付き合いの事で気を使わせるな。さっきみたいな空気ふりまかれたらみんな面白くねえぞ」

魅録は怒りを含んだ視線を二人に投げる。

悠理は一瞬頬を紅潮させ、青ざめた。
「…ごめん」
(そうだよ。あたいのせいで…)

清四郎も反省の色を浮かべた。
「−−以後、気をつけます。それに関してはすみませんでした」

「−それからな。悠理」

「…なに?」
悠理は泣き出しそうな表情になっている。
清四郎は黙ってハンカチをさぐる。


魅録はちらっと清四郎をみてから言葉をつぐ。
「恋愛にはルールがあんだよ。知ってるか?」

「…ルール?」

悠理は予想外の言葉に一瞬きょとんとする。


「ああ。ルールだ。清四郎が教えてくれないなら、俺が教えてやるぞ?。−−もしかしたら、清四郎より俺の方がお前には合ってるかもしれないしな。−ただし俺は清四郎みたいに気長には待ってやれないだろうけどな」

清四郎の目が再度細くなり、魅録を見上げる視線が厳しくなる。

意味がわからない悠理はあいかわらずクエスチョンマークをかかげている。

「…大胆な発言の割りに、…悠理相手には少々遠回しすぎるんじゃないですかね?魅録」
清四郎の声が冷たい。

悠理が魅録と清四郎を見比べてどちらともなく聞く。

「ルールってなんだよ?清四郎より魅録が合うって何の話しだ?」
悠理らしい質問の仕方に魅録が苦笑して言葉を継ごうとしたとき、

「僕よりも魅録の方が悠理の恋の相手に相応しいかも知れないと言ってるんですよ。−心も体もね」

いいながら清四郎は魅録をねめつける。
悠理は驚いて魅録を見る。


「魅録…。悠理は物ではありませんので僕らの間で勝手にやりとりする気はありません。決めるのは悠理です。ただし…僕個人と話を付けたいというのなら応じますよ。−−どうしますか?」

「俺は構わないぜ」
挑発するように魅録が笑う。

息を吐きながらゆっくりと車を降りようと腰を浮かしかけた時、清四郎の制服の後ろが思い切り引っ張られた。

「ダメだよ!魅録!お前が清四郎とまともにやって勝てるはずないだろ?!」

「…やってみなけりゃわかんねえぞ?悠理。俺の方が強かったら俺のとこに来るか?」
魅録は口元にさらに笑みを浮かべる。

(あなたは−−魅録の心配をしてるんですか?悠理)
清四郎が静かな怒りを含んだ目で悠理を見返した。

が、ぶんぶんと勢いよく首を振っている悠理を見た瞬間、清四郎の動きもとまる。

「…悠理?」

清四郎の制服を強く引いたまま、悠理は魅録の方へ身を乗り出した。

「そのルールは清四郎に教えてもらうからいい!。あたいの男はこいつだけだからな」


 

*******

 




車を走らせ、剣菱邸へ…向かわせず清四郎は自分の部屋へ悠理を連れて帰った。

「あれ?おばちゃんと和子姉ちゃんは?」

玄関で靴を脱ぎ、清四郎の後をついてとんとんと2階へあがりながら家の中が静かなことに気付いた悠理が問う。
階段の途中でちらっと振り返った彼は一瞬口を開きかけたが何も言わずに2階の自室の扉に手をかけた。

ドアを開けずに立ち止まる。

「清四郎??」
悠理が怪訝そうな顔で清四郎を見上げた。

清四郎は黙って悠理と向かい合った後、にっこりと笑って扉を開けた。

「姉貴は研修で京都に泊まり込み、おやじは学会でヨーロッパ。おふくろは友人と温泉旅行です。」

「へー…そうなん…」

(じゃあ、今日は清四郎1人なんじゃん…)

さすがの悠理も気付かされた。

先程自分が魅録に宣言してしまった言葉の意味を。

何も考えず部屋の中まで進んでしまったとき、清四郎が後ろから悠理を抱きしめた。

「ルールは…僕に教えてもらうんでしたよね?悠理。なら今夜がおあつらえ向きでしょ?。剣菱邸には必ず誰かかれか人がいますけど、ここなら今日だけは誰も来ません」

「ちょ…ちょっと待ってせいしろうちゃん??」
悠理は笑ってごまかそうと振り返り、身をよじる。

「魅録に宣言もしてきたことですしね」
そんな抵抗はものともせず清四郎の唇は悠理の首筋を這う。

「ひゃ…!!ちょっと待て!待て!清四郎!」
両腕をしっかり拘束し、清四郎は悠理の言葉を無視する。

斜め後ろから抱きすくめ、初めは強く唇をふさぎ、真っ赤な顔の悠理がおとなしくなるまでの時間、触れるだけの優しいキスを繰り返した。

やがて、あきらめたように悠理がおとなしくなる。
それを確認して、悠理の耳たぶにそっと唇をよせ、ささやく。

「一つ質問ですが…悠理」
「魅録が言ってた”ルールの意味”、ちゃんと分かってますか?」

「…なっ!!」

動揺し、逃げようとする悠理を一瞬だけ腕の力を緩めて自分の方へ向かせる隙を与える。
まんまと罠にはまった悠理は向かい合わせに清四郎に抱きすくめられた。

真っ赤な顔の悠理をニマニマして見つめながら話しかける。

「一応理解しているみたいですねぇ。…悠理の了解は得ているわけだし、せっかくの魅録のご厚意だし…」

「あたい知らないぞ!ルールなんか!」

あきらめの悪い恋人がじたばたともがくが、男の腕はびくとも緩まない。

「魅録のルールがどんな内容かは知りませんけど…」
悠理の髪に手を差入れながらにっこり笑う。

「僕のルールを教えてあげます。時間もたっぷりあることだし。ね、悠理」




 

END

 

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