とある金曜の放課後、暇をもてあましている悠理がみんなに遊びに行こうと声をかけたが、今日に限って…全員にダメダシをされてしまった。
「ごめんなさいね悠理。今週末はお弟子さんを集めての茶会があるので今日・明日は母様の手伝いをしなければなりませんの」 「あら、野梨子もなの?家も土曜の夜にお客様の接待をするとかで、今日は店の手伝いよ。週末もつぶれちゃったわ」 「悪ぃ、俺としてはお前に付き合ってる方が面白いけど、今日は千秋さん帰ってくるんだ。空港に迎えに行かないと殺されるからな(親父に)」 「僕はデートだよ。今夜は彼女の好きなクラシックコンサートに行くんだ」 「バイオ学の権威の講演会を聞きに行く予定です。7時30分開始なので、9時過ぎには終わる予定ですが…。明日でいいなら、付き合いますよ?」
悠理はぶーたれた。 唯一可能性がありそうな講演会あとの清四郎を捕まえるべく、すりよってみたが、今夜は講演会のあと、講演に関連する本を読む時間を持つ予定と言われ、あからさまにむくれる。
珍しく自分を必死で遊びに誘っている様子に内心ちょっと嬉しかったりする清四郎が悠理に一つ課題を出した(いつもは遊びのジャンルがちがうので魅録と一緒にいることが多い悠理だから) テーブルの上にあった何冊かの小説の中から一番薄くて色の綺麗な本を手に取った おそらく可憐の恋愛小説か何かだろうと思ったが中身は確認しなかった
「講演会が終わる9時まで5時間ありますね。この本を読んで感想を聞かせてくれるなら講演会が終わった後、悠理に付き合って朝まででもぱーっと派手に遊びに行くことにしましょうか。どうですか?これはいっときますけど、僕からの最大の妥協案ですよ」 日頃から清四郎には本を読め、本を読め、と叱られている悠理である。 が、今週末だけは本当に誰も遊んでくれそうにない状況をかんがみて、珍しくうなずいた 「講演会が終わったら電話入れますから、感想聞けたら合格にしましょうかね」
悠理は読んだ。 必死になって。 最初の2〜3ページは状況説明らしいまどろっこしい文章だったが、中盤から広範にすすむに連れ、内容は読みやすくなった。というか。ア行の羅列する台詞のオンパレードになってしまって、読むところがなくなったせいだった。
激しいベッドシーンが多数出てくるその小説のジャンルはハーレクインロマンス。
(美形・超金持ちの男と美形の超貧乏女が出会うべくして出会って、恋をする…色々障害があって、仲違いするけど、結局は惹かれ合う者同士、相手を無視することができず、誤解が解け、あつーいベッドシーンへとなだれ込む内容だった)
しかし、悠理は泣いた 家族のために苦労を強いられていた女の境遇と、その後その家族すら病気で失ってしまう設定に。何もかも失った後、自らの勇気と努力で新しい生活と真実の愛を見つけ、男の胸に飛び込んでいく強さ。 その物語は日頃苦労というものに縁がない悠理には衝撃の内容だった。心にそまない男にレイプされかかったり、職場の上司のセクハラにあったりと、散々な目にあうヒロインだが、始めての恋によってもたらされる甘い感覚に翻弄される。 (…自分にもいつかそんな日が来るのだろうか?) ラブロマンス小説を読んで、そんなことをはじめて真剣に考えてしまった。
夜9時、清四郎が悠理に電話を入れたとき、悠理はグジュグジュに泣いていた。携帯を握りしめ、清四郎は焦った。 「どうしたんですか?!」 「びっ、ぐずっ…ぐずっ、ぜいじろう…あたい…ちゃんと…ジョンダジョアノボンぐずっグズッ(読んだよあの本)」 鼻をすすりあげる音が大きくて電話では悠理の様子がまったくつかめなかった 「悠理、今どこにいるんですか?!」 「…自分の部屋」 「とにかく、すぐ行きますから、そのままそこにいてください。いいですね!?」 清四郎は焦った。悠理は確かに見かけによらず泣き虫だが、電話口でこんなに派手に泣かれたことはいまだかつて一度だってなかったから。
ロビーで販売している講演者の本を買うことも忘れ、清四郎はタクシー乗り場へと走っていった。
―――
悠理の部屋へ走り込み、ベッドの上で真っ赤な目で座り込んでいる悠理を発見して息を乱したまま、その肩を正面から掴んでのぞき込む。 「なにがあったんですか?!悠理?」 「…なにがって?」 泣きはらした目ではあるが、悠理は蒼白になっている清四郎の様子にきょとんとした顔になる。 「こんなに泣いて…」 「清四郎のせいだろーが」 「え??」 「あたい、清四郎の本、必死になって読んだじょ。そんで感動して…」 「まさか…本読んで…こんなに泣いてたんですか??」 「悪いかよ」 ――――がくーっと清四郎の身体から力が抜けた。膝をつき、悠理の肩を放して上半身だけぼふんとベッドにへたりこんだ。 「…いえ。悠理に何事もなくて良かったです…が、せっかくですから感想を聞きましょうかね。ご褒美で…遊びに行く前に(単細胞の悠理をここまで泣かせる本って…まさかフランダースの犬でも置いてあったんですかね…)」 悠理は心持ち赤くなり、抱いていた枕に顔を埋めたままもごもごと喋る。 「感想って…あの本の?(半分近くはHシーンだったぞ?どの辺の感想なんだ?)」 悠理は清四郎の後頭部を見たまま、真っ赤になった。 「そうですよ。感想聞いたら遊ぶって約束だったでしょ?」 清四郎は脱力したまま、にこりと笑うと顔だけベッドから持ち上げて悠理をみた。 耳まで真っ赤な悠理と目があって清四郎の心拍数が再度はねあがった。 (なんだ?なんで赤くなってるんだ??) 「んー…じゃあ…一番感動したのは、苦労して育った主人公が人を信じる心をもって幸せになった…ところかな…」 「(…なんだかかいつまんだ感想ですねえ…)主人公は女性ですか?男性ですか?どんな苦労をして育ったんですか?もう少し詳しく説明できませんか?例えば…一番驚いたシーンは?」 小学校の先生が採点をするような聞き方で清四郎は悠理に質問した。 せっかく悠理が本を読んだというのだから、表現力を養うために感想を聞き出すのはいいことだ。 「……女だよ。……一番驚いたのは……純情そうにみえるのに、何回目かのHの最中には×××や○○○までしちゃってた事だよ!あと、上司のせくはら!!あんなこと…するもんだって…あたい、知らなかった…」 清四郎のことだ、感想は感想として応えないと解放してくれないのだろうと腹をくくった悠理は真っ赤な顔で言い放った。 「へ???(お前、いったい何の本を読んでたんだ///??)」 真っ赤な顔をした悠理から放送禁止用語が飛び出してきたのだから、驚いたのは清四郎の方だった。思わず、悠理の手元に落ちている本を拾い上げ、タイトルを確認する。 (ハーレクインロマンス…しかも、ハードな内容っぽいなこの解説を読む限りは…) 「…もういいだろ?!こんな本始めて読んだけど、半分以上ベッドシーンで、恥ずかしかったじょ!!お前……いっつもまじめな顔してこんなの読んでたのかよ。このスケベ」 真っ赤な顔の悠理にスケベ呼ばわりされて、さすがの清四郎もやや赤くなる。咳払いして気まずい空気を破ると口を開いた。 「……悠理、ひとつ聞きたいんですが、これ読んで…どの辺で感動してそんなにボロボロになるまで泣いてたんですか????」 清四郎は恥ずかしくなりながらもそれが疑問だった。
「それは………ヒロインが恋をしていく過程…かな。…恋を手に入れるまでに色んな苦労や障害があるのにさ、あんなに人をまっすぐに信じていけるのかなって思った。あたいならどうなんだろうって本読んではじめて思ったよ」 悠理の感想はかいつままれすぎていたが素直な気持ちが感じられた。 うっすら頬をピンクに染めて、恋を語る悠理の姿なんてそうそうみられるものではないな…と思ったときには、思わず悠理の頬に触れていた。 「悠理なら…いつか手に入りますよ」 (天真爛漫、こうやって頬を染めてると、立派に女性に見えますね) 「あと…思ったんだ」 「何をです?」 悠理が清四郎の手を恥ずかしそうにはずした。清四郎は少し残念な気持ちになっている自分に気づく。 が、悠理がベッドをパンパンとたたいて自分の隣に座れと合図したので清四郎は素直にしたがった。 「あ、愛してる男の胸に飛び込んでいくって勇気がいることなんだなって。…どんな気持ちがするんだろう?人を好きになって、もうこの人しかいないってくらい、思って飛び込んでいく瞬間ってどんな気持ちなんだろう?……清四郎はそんな恋をしたことあるか?あるなら教えてくれよ」 「…うーん…」 「そういうとき、彼女が胸に飛び込んでくる瞬間、男は何を考えるんだ?やっぱり幸せなのか??」 うっすら頬を染めて、自分を見上げてくる悠理は綺麗だった。 (………可愛いことを考えるんですねぇ……) (教えてくれよっていうのなら、せっかくですから教えてあげたいとこですが…残念ながら僕は恋愛に関しては心理的なところは…) 清四郎は自分の手が何をしているのか半ば無意識だった。 気がついたら悠理を腕の中にすっぽり抱きしめていた。 「せい…しろ?」 いきなり清四郎の胸元へかき抱かれて悠理はとまどった。 「僕は…精神的なの愛や恋をこの腕に抱いたことはありませんが…」 清四郎は緊張で自分の指が震えているのを意識していた。が、次の言葉をと思った瞬間、自分の両腕にぎっと爪を立てる悠理に気を逸らされた。 「悠理??」 「……じゃなかったらあるのか?」 「なんですか??」 腕の中の悠理は真っ赤になって清四郎をにらみあげている。 「“精神的”じゃなかったらあるのか?お前?誰かを抱いたことが」 (そこに食いついてくるか?悠理よ。…これはどうも口が滑りましたね) 「…あー…」 黙ったまま赤くなり、返答に詰まっている清四郎の腕を振り払って悠理はありったけの音量で怒鳴った。
(正確には怒鳴られたはずだった)
至近距離でいまだかつて聞いたことのない大音量で発せられた悠理の言葉は「鼓膜に痛い波動」としてしか清四郎には伝わらなかったから。
変な本は読ませられるわ、調子に乗って自分にセクハラまがいのことをするわで怒り狂っていた悠理に珍しくも平謝りで許してもらえたのはその3日後。
悠理の怒鳴り声の内容を知ることになるのはさらにその1月後の試験前、泊まり込み合宿の最中、可笑しそうに笑う百合子夫人からだったとさ。
END
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