とある土曜の朝、剣菱家の度派手なリンカーンがグランマニエ邸のエントランスへ滑り込んできた。
到着10分前に悠理からの電話を着信した美童は、何事かと慌ててリンカーンへ駆けつけた。 と、車のドアがバン!っと開き、有無を言わさぬ一言に目を丸くしてしまった。
「−−とりあえず乗れ!美童!!」
「−−へ?−−乗れって、僕今日はデートの約束があるんだけど…」 悠理のものすごい剣幕に嫌な予感が走った美童は引き気味になる。 やんわりと断りを入れてみるが、百合子夫人ばりの勢いの悠理からは逃れることができなかった。
「−−お前の彼女にも、お前にも−−後でお詫びとお礼をたっぷりするから!!!−−頼むから一緒に来てよ!助けてくれ!!−−美童じゃなきゃダメなんだ!」
デートの約束をしていた美童を半ば拉致して、強引に剣菱邸へ連れ帰った悠理は、メイドに指示し、たっぷり一日は外へ出なくても過ごせるくらいの軽食や飲み物を用意させ、人払いをした。 あまりの物々しさに美童は目を点にして立ちつくしていたが、やっと口を開く。
「…僕じゃなきゃ駄目な頼み事って…??何?悠理」 クエスチョンマークを飛ばしている美童をブンッと音がしそうな勢いで振り返った悠理は怒り狂った口調で美童に詰め寄ってきた。 「−−あいつをへこませてやれたら…1回だけでいいんだ!−−あの暴言、ゆるせん!!協力してくれ!美童!!」
−−悠理の話しは主語がなくて分かりにくい。 美童はさらに大きなクエスチョンマークを飛ばしつつ、興奮する悠理をなだめ、話しを聞き出す羽目になった。
****************
30分程かけ、やっと悠理から話しを聞き出し、美童はため息をついた。 結局はつい先日、
”悠理と付き合うことになりました”
と宣言した悠理の恋人:清四郎の話しだった。
清四郎からの交際宣言にクラブのメンバーは驚愕の雄叫びをあげ、楽しげに報告する清四郎の隣で悠理本人はまだぽかんとした認識の薄い表情であった−−と、美童は記憶している。 −−−もっとも、清四郎が悠理に好意を抱いている事実は、半年前くらいから薄々感じていたのだが。
片や悠理をからかうのが楽しくて仕方のない意地っ張り男:清四郎。 片や恋愛なんてはなっから興味がないと豪語していた女:悠理。
いったいこの男の片思いは実る日が来るんだろうか??と仲間達もこっそり心配するくらいだった。 (僕が知るかぎりの悠理に、恋愛なんてできるのか??) と失礼な感想を抱いてしまった美童だったが、嬉々として悠理の手を引いては下校していく清四郎(と、半ば丸め込まれ、引きずられていく風の悠理)を微笑ましく見ていたのは事実だ。
−−だって、大事な仲間の幸せなら上手くいって欲しいのが当然−−
悠理だって、なんだかんだいいながら、その手をふりほどくこともなく仲良く帰っていってたじゃぁないか。 それがなんだって、こんな事になってるんだ??何やってるんだ。清四郎は??。
「…で、何を言われたの??僕じゃないと駄目な協力ってなに?」 真っ赤な顔で美童に泣きついているめったに見れない悠理の表情に思わず笑みが出てしまう。
「あいつが…あたいに“色気がない”、“色気がない”って連呼し続けるからさ。つい、”あたいにだって色気くらいある!!”ってタンカきっちゃってさ…」 もじもじとそう言いつつも、怒りに目を閉じる悠理の揺れる髪の毛を見ながら美童は脱力して天を仰ぐ。
(……タンカか??それはタンカなのか?悠理。−−−−小学生かお前は??清四郎) (もしかして………悠理相手にどう進展していいのかって清四郎の奴…試行錯誤をしているのでは??) (悠理をそうやってからかいつつ、”そんなことないわい!!”ぐらい言わせて…”−−なら証明してくださいよ”なーんて??)
……性格に一抹の問題はあるなあと思いつつ、とにかく、ほくそ笑む清四郎を想像し、美童は一瞬めまいがした。
「…そんなこと言ったって、そういう悠理が可愛くて仕方ないから付き合ってるわけだろ?−−清四郎が悠理をからかうのなんて趣味みたいなもんだし、気にしなくても大丈夫なんじゃない??」 (清四郎の場合、悠理をからかって−−悠理のその反応が楽しくて仕方なくてやってる確信犯だと思うしなぁ…)
こっそりそうは思うが、それを口にしても悠理は納得しないだろう…と思えるのでとりあえずなだめてみることに決めた。 「…悠理は(黙ってれば)美人なんだから、大丈夫だよ〜。やり方次第では清四郎なんかノックアウトできるよ〜」
悠理は美童のその返事に待ってました!という勢いで飛びつく。
「…そのやり方って?あたいにもできるか?!−−頼む!!美童!それを教えてくれ!!それを教えてもらいたくって迎えに行ったんだじょ!!」 「−え?ええーーえ??………って、清四郎に”悠理の色気”を感じさせる方法って事??だよね?」
「−−うん!!美童なら得意だろ!?そういうの!!−−−あたいをそーゆう色っぽい誘い方のできる女になる方法を教えてよ!!−−1回だけでいいんだ!!あいつをへこませてやれたら!!」
真剣な目で自分を見つめ、過激な台詞を発している事に気付いていない悠理に美童は思わず赤面しつつ、その顔を凝視してしまった。
(−−悠理って、基本的には美形なんだよなぁ…憂い顔でこんな台詞聞いたら結構クラクラしちゃうけど…) 自分の思考に、危ない危ないと蓋をし、友情に免じて美童は初歩の初歩としてレクチャーをしてやることにした。
「…あのねぇ悠理。一応僕だって男だから、こんな密室状態の中で”やり方”だの”色っぽい誘い方のできる女になる方法を教えて”だの言われたら−−−−−−あ、それでいいんじゃない??」
赤面しつつ弱り果てていた美童が思わずぽんっと手を打ち合わせる。 「それって??」 美童の一人納得顔に悠理はきょとんとして聞き返す。
「清四郎にこう言ったら一発解決だよ!『清四郎、あたいに”色っぽい誘い方のできる女になる方法を教えて”』って」 「…な…////」 悠理は問題解決した口調の美童に真っ赤になってどもる。
「恋人のこの台詞にドキッとしない男はいないと思うけどなぁ〜」 にっこり笑う世界の恋人に悠理は赤い顔のまま怒鳴り返す。
「−−言えるか!!そんなもん!!−−それじゃあまるっきり”やらしーことしてくれ”って言ってるのと同じじゃないか!!」 予想どおりの返事に美童は思わずため息をついた。 「……だって、それもダメならどうすんの??。なら−−僕に実技で教えてもらいたいわけ??”色っぽい誘い方ができる女になる方法”を?−−言葉がダメならそういうことになるけど−−自覚してる??」
目の前に立ち、長い髪をさらりとかきあげ自分をみつめる美形の友人から発せられた台詞に悠理は赤くなったり青くなったりしている。 「う…」 「そんなんでよければ、初歩の初歩くらい教えてあげてもいいけど…?−−僕って最初の相手には向いてると思うけどな」 ニヤニヤしつつ、悠理の頬に指を触れさせてみると、悠理は脱兎のごとく部屋の隅まで逃げ出してしまった。素晴らしい瞬発力である。思わず清四郎の苦労がうかがえた。
当の悠理は真っ赤な顔で部屋の隅から怒鳴ってきた。 「−−そんなんじゃなくて、何か考えてくれよぉ!!−−だいたいお前とそんなことしてのがばれたら間違いなく殺されるのはお前の方だぞ?!」 最後の台詞に美童は思わずうっと詰まる。 (冗談だけど、…確かにそんな男が現れたら…清四郎ならやりかねないな〜)
美童は考える時間をくれ、と悠理に断っていったんソファーに座り込んだ。
****************
美童が楽しいデートを潰して、あれこれ思案したあげく、(待っている間、向かいの椅子に座ってお菓子を頬張っていた)悠理を隣に座らせ、試しに可愛い口調や黙ってじっと見つめるなどの仕草を教えてみた。メイクも伝授してみたが、もともと綺麗な悠理の肌にはいつもない唇の色を乗せるだけで充分な気がした。
「悠理の場合、色々喋っちゃうと…元も子もなくなっちゃうから…って殴るなよ!最大限の協力してるだろ!」 美童に睨まれ、悠理は唸りつつおとなしくなる。 「−−とりあえず、男として一番聞くのはね、至近距離で目をウルウルさせて黙って見上げられるってのだと思うよ−−やってみて」 諭すような口調の美童に悠理は素直に従う。 「−−目をウルウル…は無理だけど…こうか??」 しごく真剣な表情で美童をマネ、黙ってこちらを見上げる悠理は確かに綺麗だと思える。 (−−もとがいいから、喋らなければそれなりにOKなんだけどなぁ−−)
しかし、長続きしない悠理の雰囲気をなんとかするため、美童は、映画のワンシーンを演じさせてみたり、ダンスの色っぽい動きをマネさせてみたり奮闘した。
結果、納得がいったこと。 動物的感と反射神経のいい悠理のこと、動きはたちまちマスターするが、肝心の情緒面がともなわない。 セクシーなダンスの動きをマスターし、それを披露した直後に素の悠理に戻り、続いて求められた仕草を披露し、一瞬だけ美童をドキッとさせるとまた素に戻る。 −−ワンシーン・ワンシーンの動きは確かに色っぽくなったが、つながらなければただのギャグである。
美童はとうとう根をあげた。
「〜悠理ぃ〜(涙)僕に教えられることはこれ以上ないよぉ〜」 「なんだよぉ〜あたい頑張ってるだろー?!このままじゃあ清四郎の奴をへこましてやれないよぉ〜」
悠理も美童の胸ぐらを掴んで泣きを入れる。
美童は嘆息した。ついでにひとつ気になっていたことを聞いてみた。 「…悠理、ひとつ聞きたいんだけど、清四郎に色気を見せつけて、−−誘いたいわけ?」 「−−へ?−−んなわけないだろ!!///…あいつに参りましたって言わせてやりたいだけだ!」 「…悠理は色っぽいですねって??」 「−−そんな言い方されたら妙な感じだけど…まあ、そうかなぁ…??」 うーんと真面目に考え込む悠理をみて、美童はどうしたものかと悩んだ。
(…清四郎がそんな風に認識したら、悠理あっという間に押し倒されちゃうんじゃないのぉ??それはいいわけ??力じゃ清四郎には叶わないだろ??) 美童はそう聞いてみたかったが、あえて口にはしなかった。
男として、清四郎が画策している内容がなんとなくだが見えた今、それを封じる手段を悠理に教えてしまうことは、男の友情にひびをいれる行為な気がした。 (−−好きになった女がここまで無意識に焦らしちゃってくれる相手なのは辛いだろう…。結局悠理も、清四郎に”色っぽい”と認めさせたいなんて、可愛いこと考えてるわけだから…まあ、無自覚だけど…) 美童は目を閉じてうーんと唸る。
さんざん、悩んだあげく、美童は名案を思いついた。 (−−情緒面が伴わないなら、後は暗示でもかけるしかないんじゃないのか?って…)
「悠理!−−いけるよ!大丈夫!僕に任せといて!!」 美童は高らかに宣言すると、悠理の手を握り、ぶんぶんと振り回した。
****************
意気揚々とした美童に引きずられ、悠理は美童宅に引き返していた。
美童の言うとおりの服を百合子が用意していた娘の為のクローゼットの中から物色し、ブツブツ言いながら身に付ける。 美童がセレクトした色のルージュだけをひいた。
「−−いい?とにかく悠理は”僕に声をかけられるまで”は口を開かないこと!−−万が一、効き目がありすぎて清四郎が危なくなったりしたら…止めてあげられるように、場所は僕の家にしとけばいいだろ?」
美童に強く言い含められた悠理は、美童の部屋の椅子に座り、美童が用意した黒いベールをかぶった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「美童の友人の…女優さん…ですか??」
その日の夜、グランマニエ邸に呼び出された清四郎が首を傾げながら美童を振り返える。 美童は居間でお茶を勧めながら真剣な表情を造り、返事をした。 「そう。−−役作りに苦労しててね、動きも台詞も全部入ってるんだけど、心が役に追いついてこないんだって。だから、感覚を掴むために”1日だけセクシー女優になった気分”を体験させて欲しいんだけど…そんな都合のいい暗示ってかけられるものか聞きたくてさ。−−どうなのかな?」
「1日だけ、”練習したセクシー女優になっている暗示”をかければいいんですね。−−まあ、やれないことはないと思いますが…実在人物はありますか?モンローとか??−−女優さんはどなたなんですか?」 清四郎の質問に美童は用意していた答えを返す。表情は変わりないはずだ。 手のひらの汗がばれないように神妙な表情を作る。
「それも、相談なんだけど…相手の顔をみないで暗示をかける方法ってある??−−これが無理だと、実現できないんだ。……なにしろ女優だろ?清四郎も知ってるくらい知名度はある人だから…役作りが できないなんて人に知られたくないらしくってさ。結構落ち込んでるんだ」
伏し目がちな美童の様子に清四郎はうーんと唸った。が、多少の興味はあるらしい。 「−−まあ、やれないことはないです。−−その方が猜疑心の強い方だと無理だと思いますが…」
「ほんと!?−−それは大丈夫!!性格は素直ですごくいい人なんだ!!でも、緊張してるから打ち合わせ通り頼むよ。なるべく刺激しないで…”朝日を見たら暗示が解ける”って言い聞かせて欲しいな。 −−本人の希望だから。清四郎に暗示をかけてもらったら恋人のとこに行く予定なんだって」
「−−分かりました」
美童が自室へ案内すると、黒いベールをかぶり、黒いロングタイトスカートをはいた”女優”は室内中央においた椅子に座って静かに待っていた。 (上半身はゆったりしたブラウスを着ていてよくわからないけど、全体的にすらっとしてますね…)
「−−始めますがよろしいですか?」
それだけ告げ、相手がうなずくのを確認すると、清四郎はロウソクの灯りが揺れる薄暗い室内で、美童に頼まれたとおりに言葉少なに催眠術の準備を進めていく。
「深呼吸をして…そう。僕が10まで数えたらあなたは眠くなります…そうです。いいですよ。リラックスして…」 「あなたはあなたが一番なりたかった−−セクシーな女性になります」 「仕草も…気持ちも…すべて。感情のままに恋人を慕い、愛される存在。それがあなたです」
清四郎が暗示をかけはじめたのを見届けて、美童はにんまりと笑みを浮かべ、部屋の外へ出た。
(清四郎−−今回ばかりは覚悟しとけよ。なんてったってTeacherは世界の恋人のこの僕だからね!絶対に悠理に欲情しちゃうから!)
****************
−−朝日を確認した瞬間に、感情の記憶だけを残して、この暗示は終了します−−
清四郎がそう告げ、両手を打ちならした瞬間、目の前の女がゆらりと立ち上がり、手をさしのべてクスクスと笑いだした。 「気分はどうですか?」 清四郎は問う。
「−−ありがとう清四郎。−−大丈夫よ」
自分の名を呼ぶその声を聞き間違えるはずはなかった。 清四郎は一瞬目を丸くした。 「な…?もしかして…」
薄闇の中、手を伸ばし、ベールを勢いよく取り払うと思った通り悠理がいた。−−今までに見たことのない妖艶な笑みをたたえて−−。 すっと目を細め、室内を振り返るとすでに美童の姿は見えなかった。清四郎は小さく舌打ちする。
(セクシー女優ですって…?美童も悠理も一体何を考えて−−) (−−どうもこれはやられましたね)
思い返せば先日確かに『悠理に色気がある・ない』で言い争ったような気がする…。 (美童を相手に画策したってわけですか…)
「驚いた…?−−美童から聞いたでしょ?−−清四郎に暗示をかけてもらってからあたしは”恋人に会いにいく予定”になってるんだけど…付き合ってもらえるのかしら?−−あたしの部屋へ……どう?」
言いながら大股で清四郎に近づいた悠理は勝ち気な笑みをみせ、清四郎の胸に右手をかける。 座っているときには分からなかった大胆に割れたスリットから白い引き締まった脚がのぞいた。 −−ついで下から艶を含んだ大きな目で見上げられ、いつのも悠理にはないこの動きには清四郎は生唾を飲まされる。
(−−いくら暗示をかけたっていっても、精神的なものはともかく、動きは…悠理自身の動きにしかならないはずなんですが…妙に艶っぽい動き方をしますねぇ…) (せっかくなので、しばらく楽しませてもらいましょうか…)
−−自分がかけた暗示だ。その気になれば、解いてしまえばいい−−
清四郎はしなやかな動き方をする目の前の女に息を飲みつつ、悠理の言うことに従い美童の姿を求め、階下へ降りていった。
****************
「−−美童」
居間へ悠理を伴って降りてきた清四郎に固い声をかけられ、美童は座っていたカウチから飛び上がった。 今頃−−悠理による昼間の練習成果が披露されているはずだ−−
何しろ−−仕草、言葉遣い、視線、ダンス、映画のワンシーンの繰り返し繰り返し…僕ってこの道のプロになれるかもってくらい白熱した授業だったのだから。あれがテンポよくつながればかなり翻弄されるに違いない。 ぎりぎりってとこで、顔を出せばいいだろう−−万が一間に合わなくても…まあ二人は付き合ってるわけだしさ〜
−−と思っていたのだ。怒鳴り飛ばされるのを瞬間覚悟した。
「−−へ?−−あ、あれ?清四郎??悠理?なんで??あ、もしかして…失敗しちゃった??」 仕方なく、へへとごまかし笑いをする美童へ悠理はにっこりと微笑みかけ、宣言した。
「清四郎を連れて帰るわ。−−ありがとう、美童」 ぺったりと清四郎に寄り添いながら悠理が告げた。
(−−成功したんだ−−!うっわー。なんか、艶艶しちゃって…) 美童は思わず赤面する。
「え?でも、悠理。あの…。清四郎連れて帰っちゃったら…(危ないんじゃないのか?−−って危ないよな??)」
美童が言いよどんでいると、傍らの清四郎がしたり顔で笑った後、悠理の細い腰をぐいと引き寄せた。
「−−本人がそう言うんですから、構いませんよね?美童。−−今日は失礼しますよ」
そう告げると、あたふたしている美童を残したまま二人は剣菱邸へと戻っていった。
(えーー??いいのか??いいのか??あんな悪魔の笑みを浮かべる男を放置して…??)
****************
「乾杯」 「−−乾杯」
グラスを軽く触れさせ、悠理は白い喉をそらし、赤い液体を一口、二口…喉へ流し放り込んでいく。 飲むというよりはまさしく放り込む、といった飲み方に清四郎は目を細める。 スリットからのぞく白い引き締まった脚を組み、向かいの椅子に腰掛けている悠理。意識しているのかしていないのかギリギリの処でスカートの中身は見えない。 清四郎はそのゆったりした動きと引き締まった悠理の姿態に見ほれていた。
「美味しい…。清四郎、もう少しついでくれる?」 指先でグラスをならし、視線を流してくる女に清四郎ははっとする。
「ああ−−でも悠理。少し、ゆっくり飲んでください?」
(この状況で酔っぱらわれたら、解ける暗示も解けなくなりますからね)
言いながらそっとグラスにワインを足していく。 悠理はクスクス笑って答えた。 「これくらいのお酒であたしが酔っぱらうと思うの?」 「−−まあ、それはそうですが…だから−−−ゆっくり飲んでくださいって!!」 グラスについだ液体を再度あけてしまいそうになる悠理の手首を思わず掴む。
「−−きゃっ」 「…あ!」 悠理が着ていたゆったりした白いオーバーブラウスに数滴だがワインがこぼれてしまった。
「あーあ…このままじゃ−−シミになっちゃうわね」 嘆息し、そういうと清四郎が止める間もなく、悠理はするりとブラウスを脱いだ。
「−−おい!!悠理ちょっと待て!!」
一瞬下着になってしまうのかと清四郎は赤くなったが、ブラウスを脱いだ悠理は肩ひもの細いホールターネックのシンプルなドレス姿になっただけだった。 (−−ドレスだったんですか−−) ホッとしたような残念なような…複雑な心境で苦笑させられる。
背中が大きく開いた細身のドレスは悠理の身体に綺麗に張り付き、よく似合っていた。 ブラジャーを付けていない事を確認させられる造りだった。
「ふふふ。−−裸だと思った?」 背中をこちらへ向けていた悠理が見たことのない表情で、クスリ…と笑った。 その女の笑みに清四郎は自分の頬にかっと血が上るのを感じる。
椅子から立ち上がってしまった清四郎との距離を悠理は正面から一気に埋め、こちらへ向かってくる。
清四郎が見ほれていると、勝ち気な表情のまま、悠理はくいっと顎をあげ、自分の喉をみせた。
「ここも…濡れたみたい……清四郎」 言いながら清四郎の首の後ろにその白い手を添え、自分の喉元へ引き寄せるように−−ほんのわずかだけ力を込める。 見ると、悠理の首筋に赤い液体が2筋流れて胸元へ消えていた。
(−−これは…全くの別人ですね…。悠理の姿をした、別人…)
そう思いながら、清四郎は自分の意志で赤い液体をそっと吸い上げていく。 普段の悠理相手には絶対に許されない行為だ。 白い柔らかな肌にそっと舌を這わせ、ワインとその肌の甘さを確かめる。
あたたかい唇の感触にあがる、悠理の声が清四郎の耳をかすめた。 「…ん…」 思わずその唇を塞いでしまいたくなって、清四郎は自制する。深呼吸をし、悠理の肩を掴んで距離をとった。 決意の変わらない−−うちに一気に言う。
「−−悠理、暗示を解いてあげます。−−そこに座って」
そういってから、悠理へ視線を送ると、一瞬何を言われたかわからない、といった表情を見せた後、女が赤い唇でふふふと笑った。
「”あたしが座る場所はそんな椅子なんかじゃないわ””夜は長いのに、あたしを一人でこんなに広いベッドに寝かせる気?”」
悠理の唇が昼間美童に仕込まれた古い映画のワンシーンを再現する。 酒場女が恋しい男を誘い出すシーンだ。
清四郎にはわからない。−−が、美童に何か仕込まれたのだろうとは思う。 それでもたっぷりと意味を含んだ悠理の視線に清四郎は喉を鳴らす。
(参りました−−自分がかけた暗示にはまってどうするんですかね。僕は−−)
「”あなたはあたしの恋人になったんでしょう?”」 「−−そうですよ」 「”あれこれ考えるより、態度で示して!−−あたしはそういう男が好きよ”」
言うが早いか、悠理の両手は激しく清四郎の頭を抱え寄せ、その唇を奪ってきた。−−強く、強く吸い上げられ、思わずこちらからも口づけを返していく。いつもの悠理は塗らない口紅の香料がほんのわずか鼻をかすめた。 息継ぎのため、そっと唇をかわすと驚いたことに悠理からそっと舌を絡めてきた。
「−−−!!!」
清四郎と悠理がつきあい始めて、1月の間に一度だけキスを交わしていた。 不意打ちを狙ったキスに驚く悠理が飛び退く間だけの触れるだけのキス。
しかし、真っ赤になって飛んで逃げた悠理は固まってはいたものの、殴ったり怒鳴ったりすることはなかった。 清四郎はそれだけで充分に悠理の気持ちを知ることができて幸せな気持ちになれた。
だが今、悠理から仕掛けられた激しいキスに理性よりも身体が反応していくのを押さえられない。 理性は今すぐに悠理の暗示を解かなければと警鐘を鳴らしているが、恋人のこんな姿を見て平静でいられる男は存在するのだろうか…。
「−−悠理」 (もう少しだけ…は許されますかね…) そんな気持ちも胸の中をかすめるが、清四郎は悠理のキスを押しのけて、強引に抱き上げるとベッドへ放り投げた。
「−−あ!!」 不意を付かれた上に、ベッドの真ん中へ尻餅を着くような格好で放り出され、悠理は唇をとがらせる。
そんな仕草も普段は見れないものだ。
「−−ずいぶん乱暴なことするのね。−−ね、部屋の灯り、消して……ここへきてよ」
キングサイズのベッドの上、黒いドレスのスリットから脚を露出し、後ろ手を着いて自分を誘う悠理。
清四郎はこれが催眠の為だと知りつつ、バクバクする心臓と飛んでいきそうな理性を引き留めるのに手間取っていた。
「…悠理…」
清四郎が灯りを消すのをためらっているのを見て、悠理はサイドテーブルに載せてあったリモコンで部屋の電気を消した。 ついでベッドサイドの小さなランプを灯す。
「あたしを好きなら−−ここへ来て」
(−−催眠が解けたら”清四郎なんか大嫌いだ!!”って言われるのがわかっていて、手なんか出せないでしょうがーー!!) そう思いつつも一歩、また一歩と近づいていく自分の脚を止められない。
「−−悠理、後悔しますよ…」 ベッドに片膝を着いて自分を見つめる清四郎に悠理が手を伸ばした。
「心配しないで…あたしは清四郎が…好き」
(悠理にかけた暗示は別に”清四郎を好きになれ”って事ではなかったんだから。これは悠理の気持ちだと思っていいんですが…。−−もう少しだけ…悠理の…言葉が聞きたい−−) 悠理の目を見つめながら清四郎の中で葛藤が続く。
自分から触れてしまえば押さえが聞かなくなりそうな気がして動くことができない。親指を中に折り込み、きつく拳をつくると開かない事に決めた。 ベッドに片膝を乗り上げたまま、動かない清四郎に焦れたのか、悠理が清四郎のシャツのボタンをひとつずつ外し始める。 ズボンからシャツの裾を引き抜き、中に着ていたTシャツの裾から素肌へ手を這わせていく。 引き締まった腹へ悠理の指が触れ、滑るような愛撫が始まって清四郎は固く目を閉じる。
(これ以上は−−限界ですな) 「−−悠理!」
清四郎がなんとか自制しようと悠理の手をとらえようと動いた。が、再度悠理に唇を塞がれ、唸る。 激しく甘いキスの後、吐息に混じり、小さくつぶやかれる。 「−−もう黙って…」 そういって、清四郎のシャツの襟元を掴み、ゆっくりと自分の身体の上にひく。 悠理の身体に乗り上げながら、清四郎は大きく息を吸い込んだ。
悠理の手が清四郎のシャツを脱がせ、Tシャツを抜き取っていく。 腹部にあたたかい手のひらが這い、赤い唇と舌で自分の胸にたくさんのキスを落としていく。 悠理の唇の感触に、清四郎は呻いた。
(暗示を解くなら今だ−−。でも−−もう少しだけ−−)
清四郎が手のひらを開かないことを見て取ったのか、悠理はその右手をそっと引き寄せ、頬にふれさせるとキスをした。
「清四郎…」 甘い声でささやくと、清四郎の右手にそっと指を入れ、開かせる。 そのままスリットからのぞいている白い腿に誘導する。
あたたかくなめらかな肌触りに清四郎はゆっくりと息をはく。 「悠理−−」
(ほんの少し…ほんの少しだけ…) 悠理の腿に手のひらを這わせ、愛撫する。 初めは遠慮がちに腿から膝の外側を−−−悠理の唇から漏れる甘い声にだんだんと内股へ手を伸ばす。 履いている下着にギリギリ触れない部分まで指を這わせていく。 悠理があげる声が次第に高まっていく。
(−−確かめたい−−悠理が本当に僕を欲しがっているのか−−いないのか−−) 男としての欲望が自分の身体の中を突き上げる。
セックスの経験がないわけではない。−−愛のあるものではなかったが、人並みの経験は持っている。
体が覚えている快楽を身体が求めているのか、それとも心が悠理を求めているせいか−−−そうなのかそうでないのかも清四郎にはわからなくなっていたが、身体が熱く疼いて仕方なかった。 目の前の恋人に触れたくてたまらなかった。
ほんの少しでも悠理が自分を欲していることを知ってしまえばもう止められない。 暗示の事なんか頭から消えてしまうだろう。
悠理から求められる激しい口づけに身を委ねながら、清四郎は呻き続ける。 「−−悠理、お前が欲しい−−−!」
清四郎の言葉を受け、悠理は半身身体を起こすと両腕をあげ、自らホールターネックの紐をほどき始めた。 −−清四郎の目を楽しむようにゆっくりと−−。
「…あたしも…清四郎が欲しい…」 ドレスの前がはらりとはだけてしまう瞬間、清四郎は再度大きく息を吸い込み、悠理の目の前に先程悠理がつけたランプを翳した。 落ちていくドレスからは最後の理性をかき集め、目をそらした。
「−−悠理!これは朝日です!目を覚ますんだ!!」
****************
「−−へ???」
目を閉じた顔のすぐ近くで悠理の頓狂な声が聞こえた。
「清四郎、何してんの??−−まぶしいよ…っって…う、うわぁああああ!!!!」
自分が身にまとっているドレスがはだけて完全に上半身を露出してしまっていること、着ているか着ていないのかも分からないような状況まで露出してしまっている下半身に悠理は羞恥の声をあげる。 もっともその半分は清四郎のキスに塞がれてしまったが−−−。
「ん…んむぐむぐ…んん!!」 「大声を出さないでください。頼むから。−−今日はおばさんもおじさんも在宅でしょう?」
悲鳴を塞ぐためのキスから解放して、清四郎は悠理にそっと告げる。 首筋まで真っ赤に染まった悠理が必死でドレスの前をかき合わせながら声を殺している。
「……悠理、美童に何を仕込まれたんですか?−−覚えてますか?美童のところで、僕を騙して催眠術かけさせたの…」 なんとか胸元にドレスをかき合わせ、胸を隠すことに成功した悠理は清四郎の言葉にさらに真っ赤になっていく。
「−−セクシー女優…色っぽい女性…悠理はそんなものになりたかったんですか?」 「−−お、お前がいったんじゃん!!あたいは色気がないって!散々!!だから、美童に…頼んで」
真っ赤になっていいつのる悠理に清四郎は一瞬青ざめる。 「…まさか美童に実地で教えてもらった…なんてこと、ないでしょうね?」 「−−あるか!!んなもん!!」 清四郎の言葉に悠理は真っ赤になって怒り、ドレスを合わせていたことも忘れて、パンチを繰り出す。
パンチはかわしたものの、急に真っ赤になって目をそらす清四郎に悠理は首を傾げる。 「−−悠理…胸、見えてますよ」 「−−−−ひっ//////−−−−!!!」 大声になる前に再度、唇を塞ぐ。
激しく抵抗していた悠理がぐったりとおとなしくなるまでキスを続け、その耳元にささやいた。
「−−悠理。降参です。僕は普段のままの悠理が好きです。だからもうこんなに驚かせないでください−−」 悠理は清四郎の言葉に頬を染める。
どうやら”−−参ったと言わせたい”という目的は達成できたことに。満足しつつ、悪態をつく。 「−−さんざん色気がないって言ったくせに…いいのかよ。そんなんでお前」 そういってそっぽを向く悠理に清四郎はにっこり微笑んだ。
「−−それに関しては、大丈夫です。前言撤回しますから!お前は充分色っぽいです悠理。−−特にこうやって眺めるお前は最高です」 そう言うと、清四郎は遠慮なく悠理の胸元のドレスをはぎ取った。
「な!なにすんだぁ///!!!」 悠理は必死で両手で胸を隠そうとするが、清四郎に腕を掴まれ、阻止される。
「我ながら、よく我慢したと思いますよ。お前の暗示を解くまで…。でも悠理。−−限界です。悠理が僕の言葉に怒るのは、僕が好きだからだと−−−うぬぼれてもいいですよね?でなければわざわざ美童にレクチャー受けたりしませんよね?」 「−−そ、それは−−−」 「なら今度は僕の番です、せっかくの色っぽいお誘いですし、悠理の意識も帰ってきたことですし…いいですよね?悠理」
「いいって何が−−−」 「僕はお前の全部が好きですから!!心配するな!!」 清四郎の楽しげな勇ましい宣言を尻目に、後は悠理には訳が分からなかった。
美童の家でベール越しに清四郎を見たのが最後の記憶で、気がつけば半裸で自宅のベッドの上。 その上、いきなりこちらも上半身裸の清四郎に押し倒され−−。 悠理の肌の熱さを確認するようにドレスから露わになった色素の薄いつぼみを唇でついばみ、舌で転がし、悲鳴を上げさせる。先程まで理性という名の鍵をかけていた己の欲望を解放するべく、清四郎は悠理のドレスをはぎ取っていく。
「ほう、下着まで、コーディネートしてくれるとは…美童の教えがいいんでしょうねぇ。悠理もタマフクマークのパンツ以外も持ってるんですね」 ちいさな黒のレースのパンティー一枚になって必死で胸を隠そうとしている悠理に覆い被さっていく清四郎は心底楽しそうだった。 「−−なんであたいのパンツがタマフクだって知ってンだよ!!」 「普段あれだけ暴れ回ってる奴のいう台詞じゃないですな。−−僕だけじゃなくて−−美童も魅録も他のみんなも知ってるんじゃないですか?」 清四郎がため息をつきながらそういう。悠理はうっと詰まる。
「でも、そんなことももういいんです!!。−−僕だけしか知らない思い出を二人で作ればいいんですからね」 「−−ひ???」 そういうと、清四郎は最後の一枚をするりと抜き取った。
「ほらほら。往生際が悪いですよ。さっきまでの妖艶な女性はどこにいったんですか?−−僕は随分翻弄されましたからね。その分はしっかりお返しさせていただかないと…」
「お返しって…わー!!どこ触ってんだ!!やめろ!!清四郎!!やだってば!!////ダメだってばぁ〜!!/////」
悠理が自分を欲しがっていることを存分に確認できた清四郎に悠理は、本物の朝日を見るまで解放してもらえなかったとか−−−。
(−−僕って、悠理に殺されるんだろうか??) グランマニエ邸の自室で一人モンモンとする美童君の姿があったとかなかったとか−−−。
END
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