二人きりの海辺。 明るいオレンジ色の水着は、ビキニ。 ドキドキズキズキ、鼓動がうるさい。
渚のハイカラ人魚 BY
フロ
皆とやってきたリゾートホテル。剣菱夫妻が合流することになり、仲間たちが歓迎パーティの準備をしている間に、夫妻の娘は薄情にも海遊びに飛び出した。無理やり付き合わされた友人と共に。 二人の関係には、その瞬間まで、艶めいたものなどなかった。あまりに悠理は無邪気で幼く、一方の彼にしても女の扱いは苦手だ。 気のおけない関係。どんな男よりも乱暴で豪快、色気ナシの悠理に、女を感じたことなどなかったはずなのに。 二人は、友人同士に過ぎなかったはずなのに。 ドッキン。 車の陰で着替えた悠理が姿を見せたとき、何気なく振り返った青年は息を飲んだ。 「魅録、どうしたんだ?」 煙草をポロリと落とした魅録に、悠理は小首を傾げた。 ビキニとはいっても、胸元はペッタンコ。少年のように細く長い手足。 「い、いや・・・」 それなのに、魅録は目を離すことができない。 頭はクラクラ。胸はドキドキ。 「泳ぎに行こうよ!」 悠理はくるんと背を向け、駆け出した。 すっきりとした白い背中。オレンジの布に包まれたキュートなヒップ。 まぶしい素足に、目が眩む。 魅録が立ちすくんだまま呆然と見送っていると、ふわふわの髪が揺れ、悠理が振り返った。 「んもう、どうしたんだよ。清四郎たちに黙って出てきたこと、気にしてるのか?あんなジジ臭い奴らはほっぽって若者は楽しもうぜ、魅録ちゃ〜ん♪」 にぃ、と白い歯を見せるいたずらな笑顔。 「おっ先〜!」 砂浜に向かって跳ねるように駆け出した悠理へ、引き寄せられるように。 魅録も、走り出していた。 「・・・悠理、待て!」 松林を抜けて、波打ち際へ。 泡立つ白い波と戯れる彼女が、人魚に見えた。 ラメ入りのハイカラな水着が良く似合う。キュートな妖精。 「岩場まで、競争だぞ!」 泳ぎだそうとする彼女に、無意識で腕を伸ばしていた。 「痛っ」 悠理のびっくり目で、華奢な腕を力任せにつかんでしまったことに気づかされた。 「み、魅録?」 大きな見開かれた目を、魅録は真っ直ぐ見つめた。 「悠理、俺は・・・」 誰も居ない浜辺。岩場の影。 誓って、そんな気はなかったのに。 友人に過ぎなかったはずなのに。 ドキドキズキズキ鼓動がうるさい。昂ぶる心。 あまりに魅力的な彼女の前で、魅録は我を忘れた。 そうして彼らは、それまで思いもしていなかった新たな関係に踏み出した。 男と女の、関係に。
*****
「――――なんてことに、今頃なっているかもしれません・・・っ!」 苛々とホテルのロビーを歩き回る清四郎に、一同しばし無言。 「・・・まぁ、落ち着くだよ、清四郎くん。」 広いソファでウエルカムドリンクを飲みながら、万作が諌める。 しかし、清四郎は足を止めぬまま、爪を噛んだ。 「落ち着いていられますか!二人は車で出たので、どこの岩場でどんなことをしているのかもわからないんですよっ?燃え上がる若さのアヤマチを、止められないんですよっ?!」 「岩場って・・・臨場感に溢れた描写だわねぇ。」 「想像力豊かだよな、清四郎。」 「魅録に限って、おかしなことになっているわけはありませんわよ。ちょっと遊びに出かけただけで。」 呆れ声の仲間たちの言葉にも、清四郎は鬼のような形相で目尻を上げる。 「二人が消えてから、もう二十分も経ってるんですよ!」 「まだ、二十分よねぇ。」 「何もできないよな。」 「いったいどうしたんですの、清四郎?悠理と魅録が一緒に出かけるなんて、いつものことじゃありませんか。」 「開放的な南の海では、何が起こるかしれません!魅録だって男なんだ・・・!」 清四郎はフロントから取り寄せた周辺地図を睨みつけ、友人二人が向かったであろう浜辺をチェックしている。これから追いかける気なのだ。 清四郎の取り乱す様に、唖然とする仲間たち。 毒気を抜かれたような万作。 その隣で、優雅に扇で涼を取っていた百合子が、初めて口を開いた。 「清四郎ちゃん。探さなくてよろしくてよ。うちの馬鹿娘に魅録ちゃんが血迷ってくれるなら、大歓迎ですもの。」 「か、母ちゃん、血迷うって・・・」 「彼にとってはうっかりNGでも、我が家にとってはOK!グッジョブ!ですわ♪」 ほほほほほ、と扇を口に当て、百合子は笑った。 GJだか?と、さすがにトホホ顔になった万作よりも。 清四郎は愕然と顔色を失くしていた。 頭はクラクラ、胸はズキズキ。 動悸息切れ眩暈に貧血。 足がよろりともつれる。 「だ、大丈夫ですの?」 あわてて支えた野梨子にもたれかかるように、清四郎はうなだれた。 「清四郎、今日は朝から変ですわよ。暑気あたりなんじゃ・・・」 「ってゆうか。清四郎はアレだろ。わかりやす過ぎ・・・」 「さっきの話聞いてて気づかない野梨子も、たいがいよね。」 心底幼馴染の身を案じている野梨子をよそに、美童と可憐は苦笑。 「どっちに転んでも、大漁ですわね♪」 「だか?やっぱり?」 剣菱夫妻は相好を崩す。 そんな外野はアウトオブ眼中、清四郎の煩悶は深刻だった。 「・・・実は昨夜、眠れませんでした・・・。」 眉根を揉みながら清四郎がそう呟いたとき。 「たっだいまー!あ、父ちゃんたち、もう着いてたんだ!」 元気な声がロビーに響いた。 「悠理、魅録!」 清四郎の詳細な描写のせいかビキニで泳ぎに出たものと思っていた悠理は、Tシャツに短パン姿で両手に買い物袋を抱えている。魅録も同様。二人は菓子類の買出しに出かけただけのようだ。 「・・・うぎゃっ」 だが、悠理はスナック菓子満載の袋を取り落とした。 オバケでも見たような顔で、凍り付いている。その視線はまっすぐ清四郎を見つめていた。 「ど、どうしたんですの、悠理?」 清四郎の隣で野梨子がおっかなびっくり問いかけた。 「妙な背後霊でも見えまして?」 悠理はわなわな震えて、後ずさった。背後の魅録にぶつかる。 「悠理?」 「・・・お、おまえら・・・」 悠理は震える指を清四郎と野梨子に向けた。 「こんなとこで、いちゃいちゃすんなーー!!」 「は?」 「こ、コーシューの面前で抱き合って・・ちゅ、チュウしてたろっ!」 「は?」 ふらつきうなだれた清四郎と、その彼の顔を覗き込むように支えていた野梨子の姿が、悠理からはそう見えたらしい。 「“いつも近くに居すぎて気づきませんでしたが、野梨子は賢く女らしく、どこかの猿とは大違いだ。いまさら、理想の女性だということに気づきましたよ。”・・・なんつって、ガバーッブチューッって、やったんだろ!」 わなわな蒼ざめた悠理の目に、涙が溢れ出した。 「清四郎のドスケベー!!」 悠理は踵を返して駆け出した。うわわーーーんっ、と大音量で泣き声を上げながら。 呆然と悠理の背中を見送る一同の中。 すっくと百合子が立ち上がった。 「清四郎ちゃん、今追いかけずして、いつ行くのです!」 扇を悠理の背に向けて指し示し、GO!と叫んだ百合子に背を押され。 清四郎はようやっと駆け出した。 「悠理、待て!僕は賢く女らしい女性が理想ってわけではありません!出るべきところが出てなくてもいい!むしろ、なんにもない方がっ」 ホテルのロビーを走り抜けながらの捨て台詞に、買い物袋を抱えたまま、魅録は顔面をこわばらせて道を開ける。 清四郎は振り返りもせず、悠理の後を追って駆け去って行った。 「なんにもない方が・・・って。男っぽい方が良いってことかしら。」 自慢のボディを見下ろして、可憐は肩を竦める。 「清四郎がそれを言っちゃうと、シャレになんないよね。」 美童は魅録に同意を求める。 「・・・いや、悠理が好きだと、言ってるつもりなんだろう、本人は。」 魅録はまだ顔をこわばらせたまま、額の汗をぬぐった。 「まぁっ!そうなんですの?!」 この期に及んでようやく状況を理解した野梨子は、パチンと手を打って顔を輝かせた。 「オラは、出るとこは出た女らしく賢い女性が理想だよ、母ちゃんみたく。悠理にもそうなって欲しいだが・・・。」 手放しで喜べず、万作は複雑な表情で妻を見上げる。 百合子は差し出した扇を口元に戻し、コホンと咳払い。 「・・・男の子は、ちょっと変なくらいがいいんですわ。」 まともな男が、愛娘に引っかかってくれるとは思えないあたり、さすがの百合子も少々苦しい。 とにもかくにも、懸命に娘を追いかけて行った青年は、他にはさしたる欠点のない最高水準の男だ。プチ変態くらい目をつぶる。 夫妻は彼の健闘を祈った。 *****
エールを送られた青年は。 「悠理、待ってください!」 必死で、彼女を追いかけていた。 悠理はホテルの側道から南国の林を突っ切って、海岸線に足を向ける。 彼女と彼の距離はなかなか縮まらなかった。 なにしろ、運動神経の化け物、公式戦に出ればオリンピックも夢ではない天才スプリンターの悠理が相手だ。
「悠理、ズボンの後ろが破れてますっ!パンツが丸見えだ!!」 だから、卑怯な作戦に出るしかなかった。 「うぇっ?!」 悠理はぎょっとして、背後を振り返り尻を確認。 彼女がスピードを落とした隙に、清四郎は全力疾走のまま飛び掛った。 「隙ありっ」 「ぎゃっ」 タックルが背中に決まり、二人もろとも道から浜辺へ、緩やかな坂を転がり落ちた。 ゼイゼイ心臓が悲鳴を上げる。 体のあちこちが痛む。 「悠理・・・すみません、パンツ丸見えは嘘です。」 清四郎は砂まみれで身を起こした。はからずものしかかる形になってしまった悠理を気遣う。 清四郎の腕の下では、悠理も砂まみれ。 「痛つつ・・・そーいや、下は水着着てたっけ。」 さすが丈夫さが取り得。地面が柔らかな砂地であるし、悠理に怪我はないようだ。 「水着って、ビキニですか?あのオレンジの?」 「ビキニじゃねーよ。セパレーツっての。」 ほら、と悠理は仰向けのままシャツをめくって見せた。砂まみれのTシャツの下から、白い肌がペロンと覗く。 ズキンドキンと鼓動が跳ねた。 男の子のようだと思っていたはずの悠理の体を、いやに華奢に感じる。 無きに等しい胸の隆起も、派手なデザインがカバーする。色気よりもハイカラさで勝負の眩い水着に、クラクラ眩暈。 彼女を押し倒し、素肌を目にしているという現状が、清四郎の胸に迫った。 鼻の奥にツンとくるものを感じ、清四郎は手で慌てて鼻と口を覆った。 「?」 横たわったままシャツを持ち上げ、悠理は首を傾げる。 そんな無防備さに、またドキン。 「そ、そんな腹出しで魅録と・・・」 手で顔下半分を覆ったまま、清四郎がもがもが呟いたら、悠理は眉を寄せた。 「魅録?シャツ着てたもん。腹なんか出してねーよ。」 それでも、よく見れば白いTシャツに水着が透けて見えている。
「“水着着てるなら、好都合だ。買出し済んだらこのまま泳ぎに行こうぜ。ちょい走れば良い岩場があるんだ。”―――なんて、魅録に誘われませんでしたか?」 「はぁ?岩場?」 悠理はわけがわからないと清四郎を見返す。
「道路沿いの店で買い物して、真っ直ぐ車で帰って来ただけだじょ。・・・・・・ところで、いつまであたいの上に乗ってんだ!」 ようやく鈍い悠理も、不自然な体勢に気づいた。 「飛びかかって来るなんて、わけわかんねー!」 悠理はめくっていたシャツを戻し、清四郎を退かそうと胸を押し上げた。 しかし、清四郎はピクリとも動かない。
「車に乗って・・・。」 口を覆っていた手を外し、清四郎は自分の胸を押す悠理の手を捕らえる。 「助手席でおまえがスナック菓子を開けてぱりぱり食べ始め、”俺も、ちょっとつまみ食い。”―――なんて、信号待ちで魅録に唇を奪われたりなんかは・・・」 「あるわけねーだろ!第一、つまみ食いなんてしてないもん!」 清四郎に手を取られたまま、悠理はふるふる首を振った。 「本当ですか?食い意地の張ったおまえが?」 「ほんとだい!サーターアンダギーなんてホカホカだったのに、皆で食べようと我慢して持って帰ったんだからな!」 「確かめさせてください。」 清四郎は悠理の手を捕らえたまま、顔を伏せ。 「んっ?!」 悠理の唇に、自分の唇を押し付けた。
ドキドキが止まらない。 もう、その理由は、わかっている。
しばらく悠理はもがいていたけれど、口づけが深まるにしたがって、おとなしくなる。暴れん坊な彼女らしくなく。 先ほど悠理の見せた涙が、清四郎の背を押した。 そして、最強母のエールが。
「・・・確かに、菓子類をつまみ食いしなかったようですね。」 清四郎は悠理の唇を解放し、微笑した。 悠理は魂の抜けたような表情で、ぼんやりしている。 染まった頬。潤んだ瞳。 髪を撫でて砂を払ってやると、やっと悠理の目に力が戻って来た。
「・・・おまえこそ。つまみ食いのつもりかよ?」 押し倒されながらの不敵な言葉。だけど、少年のような強気な口調と裏腹に、瞳は不安気に揺れている。
「つまみ食いなんかじゃ、ありません。僕は欲張りなんです。つまみ食いじゃ終わりません。」 「へ?」 「その水着、他の男に見せないでください。」 「あたいの水着姿なんて・・・ペッタンコだし、誰も気にしねーよ?」 「僕はそのペッタンコに、どうも弱いようです。」 「・・・変態!」
悠理の罵倒の言葉に、清四郎は破顔した。 ふくれっつらの唇に、もう一度キスを落とす。
人気のない浜辺。照りつける日差しも気にならない。 波の音だけがふたりを包む。
お菓子よりも甘い唇をむさぼりながら、もっともっとと、わがままな心が彼女を求める。もちろん、体も。 それを察したのか。 口づけたまま、キュートな人魚がびくんと跳ねた。 それは、彼の大きなNG。
だけど、いつしか細い腕が、たくましい背に回る。 夢うつつのそんな仕草は、きっと。 彼女の示した、小さなOK。
友人に過ぎなかったはずなのに。 まだ、告白すらしていないのに。 新たな関係に踏み出してしまった。 渚のせいにするはずもなく。
海につけ込む、夏の恋。 もう、止まりそうにない。
END 2006.8.24
キュートなヒップにズッキンドッキン♪なお歌『渚のハイカラ人魚』は、歌詞が魅悠っぽいじゃないですか。いやぁぁ〜っ(号泣) てなわけで、”男の子はちょっと悪い方がいいの♪”が”プチ変態な方がいいの♪”に変換。いや、いいわけないですが。(笑) ・・・「熱帯夜」「夏にご用心」とノリが違いすぎやなぁ。 |
背景:柚莉湖♪風と樹と空と♪様