はつこい 4 〜夏〜

   BY のりりん様

 

 

梅雨の季節が終わりを告げ、きらめく太陽の季節がやって来た。

聖プレジデント中等部2年生はそんな輝く光のなか学園を飛び出してバスに揺られていた。

行き先は剣菱の所有する広大なキャンプ場。

学校行事の一つである林間学校のためである。

綺麗に整備された施設に漸く生徒たちの乗ったバスが到着した。

出迎えには初老の夫婦と幾人ものスタッフが来てくれていた。

そのなか、一際そわそわしてバスを待つ夫妻に 何よりも楽しみにしていた声が届いた。

「おじぃ!!おばぁ!!」

この晴天にも負けない笑顔でそう叫んだのはここの社長令嬢でもある 剣菱悠理。

「じょうちゃまっ!!」

こちらも彼女に負けないほどの嬉しそうな顔で、走りよってきた彼女を抱きしめた。

他の生徒も先生もそっちのけで3人は大はしゃぎ。

「元気だったか?」

「じょうちゃまこそ」

そう言って一頻り再会を喜んだ後 はっと周りを見渡すと綺麗に整列した生徒と先生達が、3人を待っている姿が。

「「「あっ!!」」」

まるで、そのとき初めてこれは林間学校だったんだと思い出した様子の3人だったが慌てることもなく

「んじゃ、また後でな。」

そんな悠理の言葉で笑顔でその場を後にした。

林間学校は2泊3日。

その間、飯ごう炊爨や山登りなど、普段 良家の子供達がしないようなことを幾つも体験する。

だが、夜は安全の為幾つものグループに分かれて施設で宿泊することになっていた。

本当ならばテントで、と言いたい所だがそこはプレジデント生 何かあってはいけない。

到着した一日目は飯ごう炊爨。

だが、大人しくそんな所に悠理がいるはずもなかった。

再会を喜んだばかりの、大好きなおじぃとおばぁのもとへと急いでいた。

綺麗な川と緑豊かな山々の広がるこのキャンプ場は 父万作の自慢のものの一つでもあった。

小さいころから幾度となくつれて来てもらい、悠理はここで自然の世界を体験して育ったんだ。

草むらや森の生き物達に詳しいのも図鑑なんかで見た訳ではない。一つ一つ万作やおじぃに教えてもらって知ったもの。

おかげで蛇もつかめるようになったんだ、あのときまでは。

大好きなおじぃとおばぁの傍にいて、いい香りのするころには腹をすかせて自分のグループへと帰っていく。

そんな彼女の1日目はあっという間に過ぎていった。

皆、夜の仕度にとそれぞれが決められた部屋へと帰っていく。

そのころには、日も沈み 変わりに空には降ってきそうなほどの星達と輝く月が現れた。

 

都会とは全く違う夜。

静かな闇に蛙や虫達の声が響き渡る。

 

消灯時間が過ぎ、皆眠りに付いたあとも清四郎はまだそんな夜を一人見ていた。

一番端の部屋のベットサイドの窓から。

どれだけ見ていただろう ふと月明かりの中動く影が見えた。

動物のような大きさではない。

まだ遠くだがアレは確かに人影。

それもたった一人。

ぼんやり見えていたその影が段々と近づいてくる。

なんとも楽しそうに歩きながら。

誰だか確かめたくてメガネを取ろうかとしたそのときはっきりと見えた。

彼女だ!!

そう気が付いたときにはもう 自分の部屋を飛び出していた。

物音一つ立てずに。

月明かりのしたのあの横顔を目指して。

 

満天の星空のした、一人機嫌よく歩く悠理が背後に気配を感じた。

振り返ると 視線の先にいたのは菊正宗清四郎。

思わず胸が ドキッとした。

でもこれはきっと驚いた所為。

そう思って まるで何も見なかったようにまた前を向いて歩き出した。

だが、後ろからの足音は段々近づいてくる。

ドキドキはまだおさまらない。

あのときの苛立ちとは 同じで違う感覚。

「 ・・・剣菱さん。」

そう小さな声が聞こえた。

聞こえない振りはもう出来ない距離で。

悠理は仕方なく 足をとめた。

振り返るとやはり黒髪の彼が立っていた。

「なんだよ。」

口から出たのはその言葉。

ドキドキと訳のわかんないものが入り混じってでたもの。

でもなんにしても、出してしまったものはもう後には引けない。

「消灯時間なら知ってるよ。ちょっと散歩だけしたらすぐ帰る。」

「んじゃな。」

そう言葉を投げて彼女は清四郎に背を向け歩き出した。

ほんとにそれが言いたかったのかどうかもわかんないまま。

しかし、そんな悠理の足音を追いかけるように清四郎が返事を返した。

「その散歩、僕も一緒に行ってもいいかな?」

さあ この言葉に驚いたのは 悠理。

不思議なものを見るような目で振り返るとポカンと口が開いていた。

そのまま固まってしまっていた彼女。

だが、しばらくするとその口元がニヤリと動いた。

その瞳が楽しそうに光った。

「へぇ、優等生が珍しい事言うじゃん。てっきりあたいのこと怒りに来たと思ってたのに。」

それだけ言うと悠理はまたくるりと向きを変えた。

「先生に見つかってもしんねーぞ!あたいのせーじゃないかんな。」

それは否定ではない返事。

「分かってるさ。」

そう返して清四郎も月夜の散歩へと繰り出した。

 

 月明かりだけが頼りの夜道。

だが彼女はそれでも軽やかに歩いていく。

そんな悠理を清四郎はただ見ていた。

今までにない距離の中で。

あのはじめて会った日以来のこと。

不思議な感覚が沸いてくる。

嬉しくもあり、怖くもあり 息苦しくもある。

この気持ちの名は分からないわけではない。

その名があっているのかどうかも分からない。

誰も答えを教えてくれないこの気持ち。

前を歩く彼女はどう思っているのだろうか。

こんな特別な散歩に拒否はされなかったんだが。

そんな2人がたどり着いたのは 大きな水門のついた池。

キャンプ場への川の水量を調節する為の貯水池だろう。

何も話さずにただただ歩いてきた清四郎に悠理が漸く声をかけた。

「あれ 見てみろよ。」

彼女の指差す方向。

池の水面には なんとも綺麗な月が映っていた。

なるでそこにもう一つあるかのように。

「うわぁ、きれいだな。」

視線を月に奪われたままそういった清四郎に悠理は笑顔を見せた。

清四郎の胸がドキリと高鳴る。

初めて見せてくれた笑顔。

それは彼にとって月にも勝るほどの美しさに見えた。

照れたように人差し指で鼻先をこすりながら、自慢げにこういった。

「なっ、きれーだろ。あたいとおじぃの内緒の場所なんだ。だからお前も内緒だぞ!!」

嬉しそうに話す彼女。

内緒 という言葉が清四郎の胸をくすぐったくさせる。

なんともいえない気持ちが膨らんでいく感覚。

「明日の山登りのとき、頂上の少しはなれたとこからもここが見えんだよ。そこも あたいのヒミツの場所。いい天気の日にそこで食う飯は最高なんだ♪」

顔をこちらに向けることはなく話す悠理の横顔を月の光が照らす。

満天の星と深い木々を背に立つ彼女は学園で見るよりもはるかに華奢で 今にも壊れそうに見えた。

例えそれが一瞬でも、清四郎の目にははっきりとそう焼きついた。

今もまだ笑顔で話してくれる彼女に清四郎が返事を返そうとした。

『明日はその場所に僕も連れてってくれないかなぁ。』

しかしその言葉は先に出た彼女の言葉に消えてしまった。

「ほら、約束だぞ!優等生!!」

そう言って悠理が白い手を差し出した。

細い指がピンと立っていた。

彼女の小指。

約束のしるしの指切りらしい。

一瞬の戸惑いが清四郎を止めた。

固まった様子の彼を悠理が覗き込むように見ている。

「ほら、約束だって!!」

そう言って一層差し出した細い指に清四郎の指が近づいていく。

 

2人の指が絡んだ

星降る夜に

 

「指きりげんまんっ!!」

そう言って嬉しそうに手を離した彼女ははねるように歩き出した。

清四郎は話す時をもらえないままで、眉を下げた。

それでも楽しそうな彼女の後を追いかける。

来たときと同じ道を

指の熱さを感じながら

2人がはじめて声をかけた場所で2人は別れた。

「んじゃな。見つかんないように帰れよ。」

「君もね。」

楽しそうな色をした2人の眼と眼が合った。

その口元がくすりと笑う

内緒の散歩はここでおしまい。

新しい思い出を持ちながら、それぞれ月夜の闇の中へと消えていった。

 

翌日、天気は晴れ。

山登りには暑すぎるほどのいい天気。

朝キャンプ場のスタッフ達が作ってくれたお弁当をリュックに入れて、汗を拭いながら山道を登る聖プレジデントの生徒達。

普段は絶対に体験することのないだろう暑さに文句の声もきこえたものの、昼前には何とか皆頂上へとたどり着いた。

「はい、ここで昼食をとります。皆さん、帰りの時刻までは自由行動ですがくれぐれも気をつけてくださいね。」

そんな先生の説明の後、皆はホッとした様子で別れていく。

その中、リュック背負いなおした悠理は清四郎と目が合った。

日差しを避けていく生徒たちの中。

彼女の行く先は彼だけが知っている。

黒い瞳が物言いたげに見える。

どちらからともなく動き出そうとしたとき

悠理の眼に彼に声をかける女の子の姿が見えた。

「清四郎、昼食はどちらにします?」

2人の動きがぴたりと止まった。

その声は確かめるまでもなく、彼の幼馴染のもの。

あの日見た傘の様に、いつもとなりにいる黒髪の彼女。

周りから見れば何の不思議もないいつもの風景。

当たり前の2人。

清四郎の眉が一瞬動いた。

そんな彼の視線の先、悠理がくるりと向きを変えた。

その横顔が目に焼きつく。

俯きながら

目を伏せて

さみしそうにみえたのは清四郎の思い過ごしだろうか。

胸の中でギシリと軋む音がした。

鼓動が早くなる、昨夜とは違う理由で。

そんな彼の目の前

彼女の背中が動いた。

悠理は木々の中へと消えていった。

一人きりで

「清四郎、どうかしましたの?」

再びかけられた幼馴染の声に清四郎が漸く振り返った。

「なんでもないよ。」

「あちらの木陰で食べません、ここは暑すぎますわ。」

その声に促され彼は歩いていく。

あの背中を追う事も出来ずに

その夜 いくら窓辺を見つめていても彼女はもう現れなかった。

月は昨夜と同じように輝いていると言うのに。

翌日の帰り、バスに乗るまでも悠理は一度も彼のことさえ見てくれなかった。

どんなに黒い瞳が言葉以上に物言いたげでも。

2人だけの内緒の夜が夢だったかのようにさえ思えてくる。

月夜の中 あんなに楽しげに笑ってくれたのに。

 

彼女に初めて近づけて

再び遠ざかっていった 夏。

 

 

 

 

END

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