北国の、短い夏。

花々は競うように咲き誇り、気の早い秋が訪れる前に、次代へ命を繋ごうとする。

原野を彩る色の洪水は、白一色に覆われる季節を予感させるからこそ、力強く、美しい。

 

清四郎は、車窓を流れる景色に眼を細めながら、風に飛ばされぬよう、帽子を左手で押さえた。

レンタカーの窓は全開。見上げれば、サンルーフもいっぱいに開いて、風の通り道になっている。

 

車内を吹き抜ける風は、最後列を直撃する。たまたまそこに座っていた可憐と野梨子は、髪を押さえるのに四苦八苦しているが、それでも心地良さそうに、北国の風に吹かれている。

ハンドルを握る魅録も、渋滞知らずの真っ直ぐな道にご機嫌だし、北欧出身の美童は、からりとした北国の夏が気に入ったらしく、ガラにもなく、カーラジオから流れるカントリーポップスを口ずさんでいた。

 

そして、助手席では、悠理が鮭とばを齧りながら、真っ青な空を見上げている。

助手席から顔を出して、風の匂いを嗅ぐようにしている姿は、無邪気な子供そのままだ。

清四郎は、くすりと笑い、悠理に声をかけた。

「悠理。そんなに顔を出していると、危ないですよ。」

悠理が振り返る。時速60キロの風圧に、明るい色の髪が激しく靡いて、頬や額をばらばらと打つ。悠理は乱暴に髪を掻き揚げ、にっかり、と、太陽みたいな笑顔を見せた。

 

「大丈夫!危ないものなんて、なーんにもないよ!!」

 

そう叫んで、わざと窓から身を乗り出そうとする悠理を、慌てて後部座席から手を伸ばして、車内に引き摺り込む。

きっと、清四郎がそうすることを予想していたのだろう。悠理はシートの隙間から顔を覗かせて、へへ、と悪戯っ子のように笑った。

 

「悠理、あんまりふざけていたら、本当に落っこちちゃうわよ。」

清四郎の後ろから、可憐の声が飛ぶ。

「そうだよ。悠理だって女の子なんだから、落ちて顔に怪我なんかしたら、大変じゃないか。」

清四郎の隣にいる美童も、歌を口ずさむのを止めて、悠理をたしなめる。

「この俺が、せっかく安全運転しているんだから、猿みたいな真似は止めてくれ。」

ハンドルを握る魅録も、悠理の危なっかしい動作に冷や冷やしているらしい。

「悠理、ちゃんとシートベルトはしていますの?私たちのためにも、最低の安全は確保していてくださいな。」

野梨子がまるで母親のような口調で言う。

 

皆から文句を言われたのが気に障ったらしく、悠理は歯を剥き出しにして、思い切り顔を顰めて見せた。

「うるさいなあ。せっかく旅行に来ているんだから、ごちゃごちゃ・・・あっ!!」

悠理が、突然、叫んだ。

窓から腕を突き出して、どこまでも続く丘陵を指す。

 

皆の眼が、いっせいに悠理が指差すほうへ向いた。

そして、全員が、感嘆の声を上げた。

 

 

大きな丘の向こう側、ずっと先まで広がった景色の真ん中が、黄一色に染まっていたのだ。

 

それは、北の大地を染め上げる、広大な向日葵畑だった。

 

 

「すっごく綺麗!」

まるで絵本の中に迷い込んだような、可愛らしくも幻惑的な景色に、誰もが見蕩れる。

「あんな景色、東京じゃ見られないよね。」

「じゃあ、ちょっと行ってみるか!」

短い遣り取りのあと、魅録はウインカーを点滅させ、ハンドルを大きく切った。

 

 

気の置けない仲間との北海道旅行は、気の向くまま、風の吹くままに。

 

だけど、風は無頼者。

時折、とんでもない方向から吹きつけてきて、心を乱す。

 

 

「清四郎!向こうに着いたら、ソフトクリーム食べような!」

悠理が振り返り、シートの隙間から、清四郎に笑いかける。

「ええ―― そうですね。」

清四郎は、向日葵に負けない笑顔の花を咲かせる悠理を見つめながら、心が風に煽られるのを感じていた。

 

 

 

 


――――― 
ひまわりのラビリンス ――――― 

              BY hachi様

 

 

 

到着してみると、向日葵畑は、畑ではないことが分かった。

ベニヤ板で作った手書きの看板に、曲がった字で、こう書いてある。

 

「夏限定!超巨大ひまわり迷路 −入園・大人お一人さま900円−」

 

幻想的な景色に惹かれて来たというのに、いきなり現実に引き戻され、一同は、一気に醒めた。

だが、悠理は違った。

「向日葵の迷路なんて、東京じゃお目にかかれないし、せっかくだから入ろうよ!」

野梨子と可憐の手を引っ張って、プレハブ小屋の入園口まで連れて行く。男性三人も、苦笑しながら後に続いた。

いかにも農家のおじさん風な係員に、入園料しめて5400円也を支払い、即席の売店を抜けて、中に入る。

そして、園内に入った途端、圧倒的な量の向日葵が、眼前いっぱいに広がり、一同はふたたび感嘆の声を漏らした。

緩やかな丘陵の一帯を、満開の向日葵が埋め尽くしていたのだ。

 

「近くで見ると、やっぱり圧巻だな。」

魅録が、サングラスを前髪に差しながら、呟いた。

こういう爽やかな風景が似合わないのを自認しているだけあって、何となく居心地が悪そうだ。だが、開放的な場所に来て、悠理の次にはしゃぎ出すのも、何を隠そう魅録である。

「誰が一番先に迷路を抜けてゴールできるか、競争だ!!」

言うが早いか、悠理が向日葵の中に飛び込んだ。

「こら!フライングだぞ!」

待ってましたとばかりに、魅録が向日葵の中に消える。

 

残されたのは、四人。

向日葵迷路の中からは、悠理と魅録の、馬鹿みたいに騒ぐ声が聞こえてくる。

清四郎は、胸の奥がチリチリと焦げているような感覚を覚え、何となく不機嫌になった。

そんな清四郎の気も知らず、美童と可憐、そして野梨子が、顔を見合わせて、くすりと笑う。

「とりあえず、私たちも入りましょうか。」

野梨子が言い、四人は揃って迷路に足を踏み入れた。

 

 

清四郎は、最初の分岐路で三人と別れ、ひとりで迷路を進みはじめた。

ばらばらの方向から、悠理と魅録の叫び声が聞こえる。きっと、互いの位置を確かめながら、どうにかして自分が先にゴールを見つけようとしているのだろう。

仲間を放り出して、仲良く、二人きりで。

そう思ったら、何故かは分からないが、不機嫌の目盛りが一気に上昇した。

 

向日葵迷路は、その名のとおり、向日葵を使った迷路だ。種か苗の時点で、複雑な路が出来上がるよう、計算して植えているのだろう。

しかし、迷路と言っても、しょせんは子供騙しだ。向日葵の丈は、清四郎の顎あたりまでしかなく、見渡せば、迷路の中を走り回る悠理や魅録の頭が見える。可憐や野梨子の姿は見えないが、一緒にいる美童が目印になっていた。

だが、今日ばかりは、いつもは目立って仕方のない金髪も、同じ色の向日葵に紛れてしまって、あまり目立たない。黄一色の世界に、美童を探すだけで目が痛くなりそうだ。

 

迷宮は、壁に沿って進めば、出口に着くよう出来ている。

清四郎は、右側の向日葵に沿いながら、いくつもの角を曲がった。

だが、いくら角を曲がっても、ゴールに辿り着く気配はない。

迷路の中を歩いているうちに、だんだんと遠近感がおかしくなってきた。向日葵も、これだけ集まると、目晦ましの作用が生まれるのだろうか。

もしかしたら、「入場料・大人お一人さま900円也」は伊達ではないのかもしれない。看板のうたい文句どおり、超巨大迷路だとしたら、子供騙しなどと馬鹿にしたのを撤回すべきであろう。

大きな迷宮の中に、いくつかの小さな迷宮が作られていることも考えられる。もしそうならば、いくら壁を伝っても、出口には辿り着けない。

つまり、清四郎の行為は、徒労に終わるということだ。

 

―― たまには、童心に返ってみるのも悪くはありませんかね。

 

清四郎は、馬鹿げた遊びに興じる覚悟を決めて、右手を向日葵の壁から離し、次の角を左へと曲がった。

 

角を曲がり、視線を左手前方に移そうとした瞬間、眼前を、ふわふわの髪が横切った。

「悠理?」

向日葵の壁を一枚隔てた路を、悠理が駆け抜けていく。

清四郎は、何も考えないまま、反射的に彼女の後を追った。

 

平行しているふたつの路。

悠理が走り、清四郎が追う。

しかし、清四郎の行く手は、向日葵の壁に塞がれた。

右も向日葵、左も向日葵。

向日葵の袋小路だ。

 

何だか、今の心情を表しているような、嫌味な光景に、清四郎は舌打ちした。

訳の分からない感情に振り回されて、迷いに迷っているなんて、自分らしくない。

でも、それが分かったところで、感情を制御できないのは、自分が一番よく知っていた。

 

首を伸ばして迷宮を見渡すと、先ほどまで傍にいた悠理は、清四郎から離れて、迷宮の中心へ向かって進んでいた。

―― 出口はそっちじゃない。

叫びそうになるのを堪え、清四郎は、大急ぎで袋小路を戻りはじめた。

 

 

向日葵に阻まれた、狭い路を、清四郎は必死で駆け抜けた。

数え切れないほどの向日葵が、次々と現れては消えていく。

 

向日葵たちは、一様に、少し首を傾げて、重たげな頭を支えている。

文字どおり、すこん、と抜けた青空の下、何をそんなに思い悩むのか。

もしかしたら、自身が作り出した迷宮に、頭を抱えているのかもしれない。

 

 

斜め後ろから、美童と可憐の笑い声が弾けた。

「向日葵の花に顔を突っ込むなんて、やっぱりどん臭いわね。」

「キョロキョロしてないで、ちゃんと前を向いて歩きなよ。」

「もう!そんな笑わないでくださいな!」

野梨子の怒声も、向日葵の迷宮に吸い込まれる。

 

黄一色に埋め尽くされた視界の真ん中に、ぴょっこりとピンクの頭が突き出しているのが見えた。どちらに進もうか悩んでいるのか、立ち止まって、右を向いたり、左を見たりを繰り返している様子は、まるで機械仕掛けの人形のようだ。

そんな魅録の近くを、悠理が駆け抜けた。

「あっ!」

清四郎は、思わず声を上げた。

 

「・・・違う、悠理。そっちじゃない!お前がいるべきなのは、魅録のほうじゃない・・・!」

 

 

たとえ、魅録にその気がなくても。

たとえ、悠理に自覚がなくても。

 

たとえ、こんな他愛ない遊びの最中にさえ、接近する二人に嫉妬してしまう自分が、まったく理解できなくても。

 

悠理には、自分の傍にいて欲しかった。

 

 

清四郎は、訳も分からないまま、向日葵の迷宮を駆け抜けた。

悠理との距離は、狭まりそうで、なかなか近づかない。

じれったくて、イライラが募る。

 

向日葵の迷宮を駆け回っている最中、望んでもいないのに、魅録とニアミスしてしまった。清四郎が会いたいのは、悠理だというのに。

「何だ、お前。そんなに怖い顔して、どうした?」

向日葵の垣根越しに尋ねられ、清四郎は、作り笑いで「別に」と答えた。

何故か、魅録と向き合うのが、妙に腹立たしくて、会話するのも嫌になる。

黙り込む清四郎を見て、魅録の眉間がぐっと狭くなった。

 

そのとき、魅録の背後を、悠理のふわふわ頭が、跳ねるように横切った。

清四郎は、あっ、と声を上げて、ふたたび走り出した。

背後で魅録が何か叫んだが、清四郎は振り返らなかった。

 

 

魅録は何も悪くない。

単に、自分が焦れているだけ。

向日葵の迷宮に、心を乱されているだけだ。

 

 

悠理に向かって角を曲がると、眼前に真っ直ぐ伸びる路が現れた。

清四郎は、直線に入ると同時に、足に力を入れて、加速をつけた。

 

悠理まで、あと8メートル、5メートル、1メートル。

二人の距離が、ぐんぐんと狭まる。

しかし、またもや向日葵の壁が、清四郎の行く手を阻んだ。

 

「悠理!」

 

清四郎は、大声で叫ぶと、向日葵の壁に突進し、そのまま体当たりした。

 

 

ざざっ、と音がして、向日葵の垣根が割れる。

剥き出しの腕のあちこちに、痛みが走ったが、清四郎は止まらなかった。

耳朶のすぐ下で、鮮やかな黄色の花が激しく揺れて、後方へ流れていく。

 

 

悠理まで、あと50センチ。

 

 

「うわっ!」

突然、壁を突き抜けて現れた清四郎に驚いて、悠理が大きく仰け反った。

そのまま転びそうになるのを、両腕を伸ばして支える。

とん、と軽い衝撃とともに、悠理が胸の中に飛び込んできた。

 

刹那、雲間に太陽が隠れ、色鮮やかな迷宮が、鮮烈さを失った。

 

腕の中で、悠理が身を固くする。

鼻腔を、シャンプーの香りが擽る。甘酸っぱい汗の匂いが、脳髄を蕩かす。

薄い布地を通して伝わる体温と、見た目よりもずっと柔らかな身体が、酷く心地良い。

 

清四郎は、悠理を抱き留めたまま、動けずにいた。

否―― 動けなかった。

このままずっと悠理を放すなと、心が、身体に命令していたからだ。

 

 

雲が流れ、太陽がふたたび顔を出した。

さあっと影が剥ぎ取られ、向日葵の迷宮が、色鮮やかに甦る。

 

 

景色が鮮烈さを取り戻した瞬間、清四郎の胸の中で、かちり、と音がした。

それを合図にして、心の一番奥から、迷宮の出口が、姿を現す。

 

探しても、探しても、見つからなかったゴールは、気づかなかっただけで、ずっと清四郎の中にあったのだ。

 

―― なんて単純な迷宮。

 

あまりにも単純すぎる答えに、清四郎は、思わず笑い出した。

 

 

「せ、せいしろ??」

腕の中で、悠理がもがく。

どうやらずっと抱きしめていたようだ。

清四郎は、笑いながら、彼女を解放した。

 

見上げれば、天空のど真ん中で、太陽が威張りくさっていた。

陽光の眩しさに眼を細め、悠理を見下ろす。

悠理は、顔をトマトみたいに赤くして、清四郎を睨んでいた。

「なんだよ、いきなり・・・」

抗議する声も、いつもより恥らっているように聞こえるのは、清四郎の願望だろうか?

「済みません。少しばかり考え事をしていたもので。」

「考え事をしていたら、迷路の壁を突き破ってもイイのかよ?」

くちびるを尖らせて文句を言う悠理。

そんな彼女を見ていると、小学生みたいに、苛めたくなる。

 

清四郎は、身を屈めて、悠理の耳元でそっと囁いた。

「もしかして、照れているんですか?」

「ばっ・・・!!」

漫画ならば、悠理は頭から火を噴いてみせただろう。

面白いほどに紅潮して、手をバタバタさせ、挙動不審に陥っている。

「馬鹿野郎!誰が照れるか!?お、お前なんかに、だ、だ、抱きしめ、ら、ら・・・ああっ!もう!!」

悠理は喋っている途中で、いきなり頭を掻き毟りはじめ、その場に蹲った。

細い首が、滑らかな項が、華奢な肩が、真っ赤に染まっている。

その姿は、紛れもなく、年齢相応の女性のものだった。

 

 

悠理が女らしい華やぎを見せるだけで、清四郎の胸は、じんわりと温かくなる。

魅録には決して見せない、桜色に染まった羞恥を、清四郎だけに向けてくれるのが、堪らなく嬉しい。

 

 

清四郎は、蹲る彼女に、手を差し出した。

「ほら。」

「は?」

訳が分からず、眉根を顰める悠理に向かって、清四郎は微笑んだ。

 

「出口はすぐそこです。ズルは一度やるも、二度やるも、一緒ですからね。」

 

少しの間、ぽかんとしていた悠理だったが、やがて、さもおかしそうに笑い出した。

「悪い奴!」

「でも、お前もやりたいでしょう?」

しれっと答える清四郎に、悠理はにやりと笑った。

 

差し伸べていた清四郎の手に、悠理の手が重なる。

清四郎は、その手をしっかり掴んで、悠理を引き上げた。

悠理は、立ち上がると、清四郎の手を胸の高さまで上げて、にやりと笑った。

 

 

二人だけに通じる、アイコンタクト。

そんな、何気ないようで、特別なことが、清四郎を幸福にする。

魅録に嫉妬するのは、見当違いも甚だしかったのだ。

 

 

「では、行きましょうか。」

少しくらい乱暴でも、二人一緒ならば、迷宮の扉を突き破るくらい、何ということはない。

清四郎は、悠理の手をしっかりと掴んで、傍に引き寄せた。

「おう!」

悠理が、向日葵のように溌剌とした笑顔で、頷く。

 

 

繋いだ手に力が篭もると同時に、四本の足がしっかりと地面を踏みしめる。

 

 

「せーの!」

 

 

そして二人は、向日葵の迷宮に、力いっぱい体当たりした。

 

 

 

飛び出した先に待っているのは、抜けるように青い空と、幸福な未来。

 

 

 

 

―――― オワリ。

 


ええと、実はワタクシ、ひまわり迷路なるものの存在は知っていても、実際に見たことも、入ったこともございません!なので、実在するひまわり迷路と、拙作のものは、まったく違ったものかと思われますので、けっして迷路の壁を突き破らないようにお願いします!テキトーな性格でごめんなさーーーい!

作品一覧

背景:季節素材の雲水亭