雲ひとつない青い空。 南国の木々が、朝の光を受けて輝く。
ホテルの庭はジャングルのような木々が影を作り、強烈な日差しを遮断している。
昨夜の熱帯夜が嘘のように日陰は涼しく、悠理の足も軽い。 ビーチへと続く小道で、長身の友人の姿を見かけた。
「お、清四郎、部屋にいないと思ったら、もう起きてたのか。」 「・・・お早う、悠理。」 昨夜は皆でお決まりの酒盛り。部屋ではまだ皆は撃沈している。 「あれだけ昨夜飲んだのに、二日酔いなしですか。流石ですね。」 「おまえだって、早くから起きてるじゃん。」 悠理の指摘に清四郎は答えず、苦笑を浮かべている。 まるで徹夜でもしたような、疲れた顔。羽織った青いシャツはヨレヨレ、髪は乱したまま。 清四郎のこんな姿は珍しい。 先に寝てしまった悠理と違い、遅くまで起きていたようだし、二日酔いなんだろうな、と思いつつ。悠理は朝の浜辺に清四郎を誘った。 「このホテルのプライベートビーチ、遠浅ですごい綺麗なんだじょ。散歩してんだったら、一緒しね?」 「・・・・いいですよ。」 清四郎は少し逡巡したようだったが、日の差す方へと意気揚々と歩き出す悠理の後についてきた。
「きゃっほー!海だぁぁぁっ!」 木陰から悠理が駆け出すと、清四郎は眩しそうに目を細めた。 「水も、まだ冷たくって気ン持ちい〜い♪」 悠理はサンダルを放り出して、波に足を浸す。 「サンダルが流されてしまいますよ。」 いつものように小言を言いながら、清四郎も波打ち際に近づいてきた。 悠理のサンダルが白い浜を洗う波に攫われる。 「あ、拾って!」 振り返ると、清四郎は悠理を凝視して顔を強張らせていた。 「なに?」
清四郎の表情に、悠理は首を傾げる。 「・・・悠理、下着をつけてないんですか?」 清四郎の視線を辿って、悠理は自分のTシャツを見下ろした。向日葵プリントの白いシャツ。透けているわけではない。 「朝飯食べてから、すぐに水着に着替えるつもりでさぁ。」 悠理のサンダルを波の狭間から拾い上げ、清四郎は顔を歪めた。 思い切り不快気な顔に、悠理もむっとする。 「ブラつけてないだけで、パンツは履いてるじょ。だいたい、なくてもどーってことない胸だし。」 サバサバとそう言って、悠理は清四郎に胸を張って見せた。 いつもは嫌味を言っていても無駄に愛想が良い清四郎が、苦虫を噛み潰したような顔をしている。 悠理がじっと見上げると、清四郎は気まずげに目を逸らせた。 そんなところも、いつもの彼らしくない。
「・・・・あ、おまえだって下着つけてないな。」 だから、悠理は笑わせてやろうとしたのだ。 海水をほんの少量、すくって清四郎のシャツに放つ。 「なっ」 至近距離の攻撃に、さしもの清四郎も避けきれず、胸元がわずかに濡れた。 悠理は両手の人差し指で、清四郎の胸をツンと突く。
「ほら、チークビッ♪」 清四郎は絶句。
悠理はキャハハハと笑って、清四郎に背を向けた。 「・・・このっ、悠理!」 怒声を発した清四郎の報復を避けるために、悠理は波間をざぶざぶ逃げた。 ショートパンツの裾まで濡れるが、かまわない。 真っ白い砂が透けて見えるこの海で、このまま泳ぎたいくらいだ。
バシャ、と背後から大量の水が降ってきた。 「わぁっ!やったな」 目をつぶって振り返り、両手両足を使って暴れ、背後の男に水飛沫をかける。 「でやーーっ」 「わ、悠理、タンマ!」 「降参か?!」 悠理は振り回していた腕を止め、目を開けた。 頭からびしょ濡れの清四郎が、笑っていた。 「・・・・降参です。」 彼らしくない、あっけない白旗。どこかなにかを諦めたような、笑みだった。
朝の太陽がだんだん熱を増す。 水平線に、まばゆい日差しが反射する。 逆光でも見える清四郎の笑みが――――黒い瞳に映った熱が、悠理の胸を衝く。
いつものように静かに佇みながら、いつもと違う清四郎。
彼の目に見たことのない色が宿っている。知らない熱が。
こくり、と形の良い喉が上下した。
清四郎が何かを言おうとして、やめたのだ。
珊瑚礁の静かな海。波の音が耳を打つ。
そして、自分の心臓の音が。
「悠理、おまえが意識していようがいまいが・・・・僕は男で、おまえは女だ。」
「え?」
清四郎は苦笑を浮かべたまま、濡れたシャツを脱いだ。 「少しは用心してください。その格好は、いくらなんでも、あんまりです。」 悠理が思わず自分の胸元を見下ろすと、今度はばっちり透けてしまっていた。 かすかな膨らみだとはいえ、濡れた布が張り付いて、肌の色まではっきり見える。布を押し上げる、紅色の先端まで。 「うひゃっ」 さすがに、悠理は両腕で胸を隠した。
清四郎は自分のシャツを絞って、水を切る。 「部屋に戻るまで、これを着てなさい。」 「あ・・・ありがと。」 頭から被せられた大きなシャツに袖を通した。 潮の匂いのする、青いシャツ。 清四郎の体温がまだ残るシャツ。 悠理が着ると袖は五分丈になってしまい、裾はショートパンツを隠してしまった。 それはそのまま、清四郎と悠理のサイズの差。
――――清四郎は男で、あたいは女。
初めて意識したむず痒さで、心がざわめく。 見慣れているはずの清四郎の裸の上半身から、悠理は咄嗟に目を逸らせてしまった。
腹の底がざわざわする。胸が落ち着かない。 「は、腹減ったな!もう他の奴らも起きてるだろ。朝飯食いに行こうぜ!」 空腹のせいだろうと思い、悠理は波を蹴って駆け出した。
濡れた砂浜から、乾いた砂に足を下ろした途端。 「あちっ!」 もう、砂は熱く焼けていた。 「悠理。」 名を呼ばれ振り返ると、まだ波に足を洗われながら清四郎が自分の手を持ち上げる。その手に掲げているのは、悠理のサンダル。 波打ち際にまで戻ると、清四郎は悠理の足元に身をかがめた。 「・・・あ」 清四郎の手が悠理の足を取り、サンダルを履かせてくれた。 パチンと留め金を留める長い指先。 焼けた砂を踏んだせいか、足がまだ燃えるように熱かった。彼の触れた肌が。
サンダルの下で砂が流れる。 波が熱くなった肌を洗う。
悠理の足を放し、清四郎が顔を上げた。 「・・・・悠理。」 「な、なに?」 立ち上がった彼を、今度は悠理が見上げる。 清四郎は、ひどく真剣な表情をしていた。 その目の中に、先ほどと同じ熱を感じ。 思わず、身がすくんだ。
怖い――――わけではない。 だけど、胸の中がざわめいて。
ふ、と清四郎が目を細めた。 「実験・・・・・するまでもないな。」 「へ?」 「認めたくはないですけどね・・・。」 それは、ひとり言のようではあったけれど。 「なんなんだよ!」
悠理の問いには答えず。 濡れて乱れた前髪をかき上げ、清四郎は微笑した。 少し眉を下げた、あの笑み。何かを諦め――――覚悟を決めた表情。
清四郎は手を伸ばし、悠理の髪に指を絡めた。 髪から落ちた水滴が目にかかるのを拭って、悠理の髪をかき上げてくれる。 彼の指が触れた箇所が、熱い。 露になった額を、南国の太陽が焼いた。熱いまなざしと共に。
日差しの眩しさに、悠理は思わず目を閉じた。 ふと、香る潮の匂い。 男の匂い。 額に、かすかな感触。 触れたものの冷たさに、悠理は驚愕する。
「悠理、朝食を食べに行きましょう。」 清四郎はポンポンと悠理の頭を叩いた。 いつもの仕草。
太陽に焼かれた褐色の背中が、悠理を置いて歩き始める。 呆然と見送り、悠理は波間でたたずんでいた。 自分の額にそっと手を触れる。 火傷するほど熱くなっていたのが自分の方だったのだと、いまさら気づかされた。
太陽のせい? 夏のせい? それとも、額に触れた彼の唇のせい?
柔らかく冷たいその感触が肌に残り、悠理を戸惑わせた。
照りつける日差し。 青い空にまばゆい海。
それでも。 まだ、夏は始まったばかり。 何かが変わる、夏――――。
END
2006.7.23
なんか出来心で、アミーゴな「熱帯夜」の続きを書いてしまいました。やはり、沖縄シリーズ化?(自爆)
書きたかったシーンはただひとつ。ずばり、悠理の透けTシャツに生唾ごっくんの性少年!きっと、「熱帯夜」もこれも、清四郎視点で書いたらお馬鹿下品ギャグになるんだろうな。(笑)
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