熱帯夜 

BY フロ

 

 

 

 

夜は静かに更けてゆく。

 

酔いつぶれたふりをして、俺は目を閉じた。

「魅録・・・寝たんですか?」

清四郎の困ったような声。

それはそうだろう。仲間たちは皆早々につぶれてしまい、生き残っているのは、俺と奴の二人だけだったから。

 

今夜は熱帯夜。

豪華なリゾートホテルだから、空調は十分に効いている。しかし、息苦しいほどの外気の熱さは室内に忍び込み、遊び疲れた体に倦怠感とともにまとわりついた。

  

「暑い・・・」

清四郎はおもむろにシャツを脱いだ。逞しい上半身が露になる。

たしかに冷房は緩かったが、眠っている仲間たちを思えば、これ以上強くはできない。

 

室内にはベッドが二つあったが、皆はフローリングの床の上でつぶれている。

せめて女性陣は、ベッドに寝かせた方がいいだろう。

 

清四郎は腰掛けていた籐の椅子からゆっくりと立ち上がった。

足元がふらついている。

後片付けを一人でさせることに良心が咎め、俺も身を起こしかけたが。

清四郎は足元の酒瓶を拾い上げもせず、つま先で蹴った。

片付ける気はさらさらないらしい。

 

床に寝こけている仲間たちを清四郎は見下ろしている。

俺は籐の椅子で眠ったふりをしながら、奴の背を眺めていた。

日頃はストイックなほど几帳面に服装を乱さない清四郎が、惜しげもなく肌を晒している。

着痩せする体。汗の浮いた背中の筋肉。男の俺でも惚れ惚れする体だ。

 

清四郎は身をかがめ、眠る野梨子の首の下と膝裏に手を差し込んだ。一気に抱き上げる。

「・・・ん。」

野梨子はわずかに身じろぎ、スカートのすそがふわりと広がった。

「おっと、眠っていてくださいよ・・・」

小声で囁き、清四郎は素早くベッドの上にお姫様を抱き下ろした。

いくら仲の良い幼馴染でも、野梨子が途中で目覚めたら驚くだろう。裸の男に抱かれているのだから。

 

見事な筋肉の隆起を眺めながらそんなことをぼんやり考えていると、清四郎は今度は可憐を抱き上げていた。

可憐の今日のスタイルは、露出過多のサマードレス。俺には水着にスカートを引っ掛けたようにしか見えない。彼女の誇る女らしい凹凸と珠の肌に、シラフでは目のやり場に困ったシロモノだ。

上半身裸の清四郎とそんな可憐だから、肌と肌が密着せざるを得ない。

俺は少しドキドキしてしまった。なにやら気分はデバガメ。

しかし、清四郎はさしたる表情の変化も見せず、野梨子の時と同じく素早く可憐をベッドに抱き下ろした。

俺ならあんな冷静には振舞えないだろう。なんとなく男としての経験値に差がある気がして悔しくなった。

 

次に清四郎は、酒樽を抱えて転がっている悠理に顔を向けた。

「・・・ったく。」

腰に手をやり、大きなため息をついている。

悠理は泡盛をふたつ抱えて、大の字。上下そろいのド派手なルームウェアはめくれ上がり、腹丸出し臍丸出し。大口を開けてガーガー寝ている姿は、とても年頃の女とは思えない。

清四郎は、悠理に向かって身をかがめたが、抱き上げようとした手を止めた。

 「・・・ふむ。」

顎に手をあてて、しばし思案している。

「?」

俺は首を伸ばして、清四郎の顔を見ようとした。

 

「・・・・魅録。起きているなら、手伝ってください。」

俺の視線に気づいていたのか。

清四郎はしかめっ面で肩越しに振り返った。

 

「悪ぃ悪ぃ。」

俺が身を起こすと、清四郎からさっそく指示が飛んだ。

「みんなにタオルケットを掛けてください。」

清四郎は自分も悠理の剥き出しの腹を隠すべく、服を引っ張った。しかし、可憐と野梨子のようには抱き上げず、床に転がしたまま。

まぁ、ベッド二つはもう塞がっているし、悠理は床で寝るくらい平気に違いない。むしろ美童の方が後で腰が痛いのなんのと泣き言を言いそうだ。

もっとも、清四郎も俺も、男を抱き上げるシュミはない。

 

 

眠る友人たちのために、清四郎は部屋の明かりを消した。

「魅録、もうしばらく飲みますか。外の方が月明かりで明るい」

手にはグラス二つと、残ったワイン。清四郎はバルコニーの戸に手を掛けている。

「おう。けど、外は暑くねえか?」

清四郎が戸を開けると、はたして、南国の密度の濃い空気が、体を包んだ。

「魅録も、シャツを脱いでしまえばどうですか?どうせ、僕たち二人だけだ。」

「・・・ああ。」

この男の前で、あんまり薄い胸を晒したくはないが。ささやかなコンプレックスを悟られたくなくて、俺は勢いよくシャツを脱いだ。

 

 

 

風のない、熱帯夜。

しかし、南国の甘い香りと、幻想的な月明かりを肴に飲むのは悪くない。 

俺と清四郎は、しばらく月に照らされた夜景を見ながら無言で杯を重ねた。

 

室内から、「うぅ・・・ん・・もう、お腹いっぱい・・・あ、でも下げないで、九江〜・・・」と、誰のものか明白な寝言が聞こえた。

俺と清四郎は顔を見合わせて苦笑する。

「悠理の奴、夢の中でも食べてやがんだ。」

「なんだってあんなに色気皆無なんでしょうな。とても女とは思えませんよ。」

「確かに、可憐と同じ歳とは思えないよなぁ。」

「野梨子と同じ性別とも思えませんよ。いや、それどころか、美童と同じ生物とも・・・」

「おいおい、言いすぎだろ。」

 

眉根に皺を寄せ、清四郎は目の下を赤く染めている。言っていることは他愛もないのに、妙に憂いを帯びた瞳と気だるげな風情で、相当酒が回っていることが伺えた。

俺自身も結構酔っている。

だから、思ったままの言葉がポロリと口をついて出た。

 

「・・・あのさ。そういえば、さっき思ったんだけどよ。」

「なんですか?」

「おまえ、可憐を抱いたとき、なんも感じなかったのか?」

清四郎はブッと酒を吹き出した。

「僕が、いつ可憐を抱いたっていうんですか・・・!」

「あ、ああ、違う、ごめん!抱き上げたとき、だ。ほら、可憐ってえらく露出した服、着てるじゃん?」

俺は慌てて訂正した。きっと顔が赤らんでしまってる。

「ああ・・・・なるほど。」

清四郎は濡れた口元を手の甲でぬぐいながら、ニヤリと笑った。

薄い唇が歪む。

「確かに、僕は可憐のナイスバディに悩殺はされませんがね。魅録はああいうの、好きですか?」

「そ、そりゃ、男だったらどうしても・・・」

「まぁ、美しいとは思いますが。可憐はそういう対象としてとても見ることができませんね。僕は仲間内ではむしろ・・・・・・・魅録が一番好きですから。」

今度は、俺がワインを吹き出した。

 

清四郎は俺の狼狽ぶりに、クスクス笑う。

「意外でしたか?そんなに驚かなくても。」

綺麗な長い指が、俺の顎に滴ったワインをぬぐった。

 

夜目にも白い指が赤く染まる。清四郎の濡れた口元と同じ酒の色。

黒い瞳に、月が映っている。

金縛りにかかったように、動けない。視線すら外せない。

 

「ああ、垂れてしまってますよ。あとでシャワーで落とさねば。」

呆然と凝固している俺の胸元に、清四郎の指先が触れた。ビクリと身が震える。

「・・・魅録も、僕のことが好きでしょう?」

魔力を宿した清四郎の瞳。俺は全力で逃げ出したい衝動に駆られた。

 

――――ヤバイ、ヤバイ、と本能の警鐘。

なにがヤバイのかはわからないが、とにかくヤバイ。

 

ふいに、俺を呪縛していた清四郎の目が愉快気に細められた。

からかわれたのだとそれで気づき、カッと全身に熱が走る。

「お、おう・・・あたりまえだろ!けど、心配すんなっ」

怒りの熱で、呪縛は解けた。

「いくらおまえが男殺しでゲイの世界のアイドルでも、俺にはソッチの気はないからなっ」

俺はわざと、奴の嫌がる言い方をした。

案の定、清四郎は眉を顰め、口を尖らせる。

「僕もゲイってわけではないですよ。」

そんな顔をすると、清四郎もちゃんと歳相応に見えた。

 

俺は、密かに安堵の息をついた。

友人が知らない魔物に変わったようで、少し怖かった。そしてその怖れを悟られるのが、恥ずかしかった。

落ち着きを装って、ジーンズのポケットを探り煙草を引っ張り出す。煙草は湿気て曲がっていたが、かまわない。

口の端に咥え、無理に笑みを浮かべた。 

「・・・わかってるよ。おまえにそういうシュミがあれば、男にモテることにおいて野梨子以上に可憐にライバル視されてるよな。」

「なんですか、それは。男にモテたって、嬉しくないですよ。まったく、崇拝者の数を競う可憐や美童の気がしれませんね。男女限らず、好きな相手でなければ、その気になんて・・・・・・」

清四郎は語尾を濁し、睫を伏せた。惑いに揺れる瞳を隠すように。

酒に酔った清四郎は、憂いを帯びた風情で、いつになく隙だらけだ。

 

――――ヤバイのは、これだ。匂い立つような、艶。女のそれとは違う、強烈な色香。

 

強い意志と自負。それに裏打ちされた余裕が、男に反発と憧憬を抱かせるのか。

すべてをゆだね、従属したいと思わせる、圧倒的な強者のオーラを纏いつつも。奴を屈服させ、支配したいと疼くのは雄の本能。

そんな清四郎が思いもかけず見せる隙が、ライバル心と友情の範疇に収まるはずの俺の感情を刺激する。

 

――――清四郎が俺をからかったわけではなく、俺が勝手に過剰反応しているのだ。

そのことに気づき、全身から汗が噴き出した。

 

 

「・・・ったく、本当に今夜は暑いなー!」

俺は無理に笑顔を作って、額の汗をぬぐった。

「シャワー浴びて寝るわ!そろそろおまえも寝ろよな!」

ガタンと椅子を揺らせて立ち上がる。

 

敵前逃亡でも構わない。だてに、男殺しではない。奴は魔物だ。

囚われそうになる。囚われてみたくなる。

男同士という嫌悪感よりも、清四郎の瞳の魔力が怖かった。

 

 

「・・・・待ってください、魅録。」

部屋に戻ろうときびすを返した俺の手を、清四郎はつかんだ。そのまま、奴も立ち上がる。

「な、なんだ?」

「ちょっと、実験させてください。」

「?!」

 

火のついていない煙草が転げ落ちた。

自分のものではない、体臭。体温に、包まれた衝撃に。

 

清四郎が、俺を抱きしめたのだ。

 

それは、軽く、一瞬のことだったけれど。

素肌に直接触れる、他人の肌。滑らかな筋肉の感触。

息が苦しい。眩暈がする。

俺は凝固を通り越して、衝撃のあまり意識を飛ばしそうになった。

 

 

 

肌を寄せていたのは、時間にすれば、ほんの数秒。

 

「・・・・やっぱり、無理ですね。」

清四郎は俺から身を離し、もう一度椅子にドサリと腰を下ろした。

「すみませんでした。魅録のことは好きなので、ひょっとして大丈夫かとも思ったのですが。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なななな・・・・なにが?」

俺はまだ凝固したまま、機械的に問う。

 

「僕はやっぱり、男は抱けそうにありません。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

俺は口をパクパクさせて、オソロシイ実験を仕掛けた男を唖然と見つめた。

 

清四郎は苦笑を浮かべ、黒髪をくしゃりとかき回して乱した。

嘲笑のような笑みは、俺に向けてのものではなく。

暗い色の瞳は惑いを浮かべ、苦渋の心中が透けて見えた。

 

 

「女らしい体にはなにも感じないのに、どうして、あんな女とも思えない色気のない奴に・・・」

それは、独り言なのだろう。

 

「・・・え?」

訊き返した俺の言葉に気づかず、清四郎は遠くを見つめたまま。

 

逃亡するなら、今がチャンスだ。

「さ、先に寝てるぜ。美童起こして部屋の鍵を探すのも面倒だから、もう床でいいや。」

「・・・・僕は、もうしばらくここに居ますよ。あの部屋では、よく眠れそうにない。」

俺に視線を向けないまま、清四郎は答えた。

 

ねっとりと、真夏の空気が重く淀んでいる。

空調の効いた室内の方が、まだマシに違いないのに、清四郎はベンチに腰掛けたまま動こうとはしなかった。

 

室内に逃げ込みながら、それでも俺はバルコニーの清四郎を振り返らずにおれなかった。

 

月明かりに照らされた、彫像のように美しい男の横顔が見える。

常は冷静なその顔に、熱に浮かされたような惑い。

ひどく人間臭く、感情的な男の顔。

 

熱帯夜と酔いが、隠された真実を暴く。

逃亡したかったのは、俺だけでなく、清四郎もだったのだろう。

目を逸らしてきた、自分の中の心情から。

 

 

 

あれは、恋に落ちた男の顔だ。

思いもかけない恋に囚われた、囚人の顔。

 

俺は、運悪くいきあわせただけなのだろう。

自信家ですべてを律し制してきたはずの男が、逃れようもない恋に気づいた――――熱帯夜。

 

 

 

 

 

 

 2006.7.17

 


冒頭でお気づきの方もいるかも?実は、これは裏札幌シリーズであります。(笑)

寒い冬に無自覚密着する清悠に対抗(?)し、夏は暑苦しく密着する清魅♪なーんて。

タモリの若い頃のエピソード、「こんなに親しいんだから、ホモ行為もできるかもしれない」と、同居していた友人と裸で抱きあってみたが、ダメだった、というのを、清&魅でしてみようと思ったのですが。オチは結局清×悠でした。沖縄シリーズでも始める気か、自分?(爆)

 

TOP 

 

 

 

背景:Art.Kaede〜フリー素材