蝉時雨

        BY にゃんこビール様

いつからだろう、
目が離せなくなったのは。

いつも恋愛に夢中で、玉の輿を夢見ている。
派手な見かけによらず、情にもろくて人に優しい。
面倒見がよくて、さっぱりした性格。

そいつは大事な仲間。
男と女という間柄を超越した仲間。

なのにどうして気が付いてしまったんだろう。
他の奴らとは違う感情を抱いてることに。



忘れ物を取りに行くと、仲間たちから一人離れた。
いつもは楽しい旅行も、今はいっしょにいることが苦しい。

俺はうっそうと茂る林の中を歩いていた。
頭上からは蝉時雨が降り注いでいる。
蝉時雨がどうにもならない現実から遠ざけてくれる。
余計なことを考えずに済む。

「ねぇ、魅録。待ってよ」

背後から思いも寄らない声がした。
恋しくて、だけど遠ざけたい声。
振り返ると、可憐が肩で息をしていた。
「何度も呼んでるのに!全然気が付かないんだもん」
可憐は上目遣いで俺のことを見つめている。
「…わりぃ。ちょっと考え事してたから」
決まり悪く頭を掻いて誤魔化す。
「私もいっしょに行くわ。だからもうちょっとゆっくり歩いてよ」
にこっと笑って可憐は俺の隣に並んだ。

林を抜ける風に乗って可憐の香りが漂う。
押さえてる気持ちが蠢き、チクリと胸を刺した。
「魅録、どうしたの?」
不思議そうに可憐は俺の顔を覗き込む。
「いや」
そう?と可憐は前を向いた。
いつもと様子が違う俺に可憐は気を遣ってるのがわかる。
それ以上、余計な詮索はしてこなかった。

広葉樹が痛いほどの日差しから守ってくれる林道は
幾分、涼しい。
俺と可憐はただ黙って林道を歩いた。
聞こえてくるのは蝉時雨だけ。
「ねぇ…」
「んー?」
「なんかしゃべってよ」
「なんかって… なに?」
「……」
俺の返事に可憐が少し不機嫌になったのが伝わってくる。
蝉の声がうるさすぎてうまい言葉が思い浮かばない。
ふう、と可憐がひとつ息を吐いた。
「魅録って好きな子とかいないの?」
「えっ…」
突拍子ない話の展開に思わず立ち止まった。
動かない俺を可憐は振り返った。
「好きな子よ。いないの?魅録は」
可憐の真剣な眼差しに俺は思わず答えた。
蝉時雨に負けないくらいの声で。
「いるよ」

しばらく黙っていた可憐はくるっと前を向いた。
「ふーん… ……わね、……て」
蝉がうるさくて可憐がなんて言ったのか聞こえない。
「え?なんだよ」
「なんでもないわ」
少し可憐の歩く速度が早くなった。
「おい、待てよ。あんまり急ぐと…」
「きゃっ」
俺が言ったとたん、可憐は木の根っこに足を引っかけて転んだ。
「…いったーい」
「大丈夫か?」
俺はしゃがんで可憐の細い足首を診る。
「いたっ!」
「捻挫はしてないな。ちょっと捻ったみたいだ」
「いたーーーい」
可憐は目に涙を浮かべてる。
「ほら」
「え?」
「いいから、ほら」
俺は背中を可憐に向けた。
「…いいわよ、大丈夫だから」
「そんな怪我して何が大丈夫なんだよ。早くしろよ」
「ごめん、魅録…」
可憐は蝉時雨にかき消されそうな小さい声で答えて俺の肩に手を置いた。
「行くぞ」
可憐をおぶって俺は立ち上がった。
背中に感じるぬくもり。
近くに感じる香り。
いいようもない嬉しさと切なさ。
耳鳴りのような蝉時雨の中を、俺はただ黙って歩いた。


「可憐は…」
「ん?」
「可憐はいるのか?今、好きな奴」
目の前に立っていたら絶対に聞けないことを俺は口走った。
蝉時雨が俺を急かしているように聞こえる。
「えっ…」
可憐は一瞬たじろいだように背中で感じた。
「俺に聞いたんだから、可憐も言えよ」
「うん…」
「どうなんだよ」
「いるわよ、好きな奴」
観念したように可憐は少しぶっきらぼうに答えた。
そんなことを聞いてしまった後悔が棘となってチクリと胸に刺さる。
「で?玉の輿にのれそうなのか?」
動揺を隠すように明るい声を出す。
蝉時雨の中に不自然な声。
「同じ歳だもん、玉の輿の対象じゃないわ」
同じ歳、ってことは、俺とも同じ歳。
チクチクと棘が刺さる。
「うまく、いきそうなのか…?」
心にもないことを口走る。
きっと今の俺は嫉妬で苛立った醜い顔になっているだろう。
可憐の返事を聞きたいようで、聞きたくない。
蝉時雨が頭の中にこだまする。

俺の肩においた可憐の手に力がこもった。
「そいつ、女のことにちっとも関心がないの。男友だちと遊んでたりしてる方が
楽しいらしいの」
呆れたようで怒ってるような可憐の声。
「だけどすごくいいヤツなの。友だち想いで、裏表がなくって、頼りになって…」
可憐の声が震えてる。
「可憐…?」
俺は立ち止まって振り返った。
可憐は目に涙をいっぱいにためていた。
「すごい鈍感なの。どうやって想いを伝えたらいいの?
どうしたら魅録はわかってくれるの?」
ポロポロと涙を零した可憐は、俺の背中から下りた。
「可憐…」
俺はそっと涙で濡れた可憐の頬に触れた。
「俺もわかんねぇよ」
蝉時雨に可憐のすすり泣く声が重なる。
「誰よりも幸せになってほしいんだ。たとえその相手が俺じゃなくても。
 俺は可憐が幸せになるんだったらなんでもする。
 お前のことが、なによりも大切なんだ」
可憐が驚いたように顔を上げた。
「魅録… ほんとう?」
「ああ。気が付いたんだ、可憐のことが好きだって」
可憐の頬を包み込む。
「魅録…」
可憐が俺の首に腕を回して泣く。
「ごめんな」
しなやかで柔らかい可憐の体を抱きしめた。
大切な宝物が俺の腕の中にある。
「俺じゃ玉の輿にのれないかもな」
「ばか!そんなことどうでもいい。本当に好きな人といっしょだったら
 なんにもいらないわ」
絡めた腕を緩めて俺を見上げる可憐。
もう涙は止まっていた。
「可憐、好きだ」
「私も好きよ、魅録」
くちびるを重ねる俺たちにもう蝉時雨も聞こえない。

 



 

END

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