――――― 冷たい夏。
テレビでは、今年は冷夏の予報で、クーラーはちっとも売れないし、野菜の価格も通常の三割増しになるしと、うるさいくらいに説明している。
そんなこと、言われなくったって、はなから分かっている。 今年の夏は、雨ばっかり降って、嫌になるくらい寒いし、イマドキの女の子たちが競って着ている、裸同然のファッションなんか、見ていて痛々しいくらいだし、クーラーは殺人的に寒いし。 ああもう、説明するのが煩わしいくらい、とにかく夏っぽくない。
「北欧に比べたら、いくら涼しくったって、日本の夏は灼熱地獄みたいだよ。」
他愛の無い愚痴を零すあたしに向かって、当たり障りの無い言葉を返す恋人の存在すら、今は煩わしい。
ああ。 今年の夏は、暑くない。 それが、二年目を迎えた恋人たちにとって、どれだけ重要か、あの男は分かっていない。
刺激もなく、暑くもない夏が、倦怠期を倍増させているなんて、きっと気づいていない。
去年の夏は、とにかく暑かった。
弱ったお年寄りや、体温調節が上手じゃない子供は、ばたばたと倒れて、病院に担ぎ込まれた。 クーラーは飛ぶように売れ、水着が品切れになるデパートも続出した。 豊島園は連日ごった返していたし、湘南あたりは、トドの群れが押し寄せるより混雑していた。
だから、付き合い始めたばかりのあたしたちも、熱かった。
愛してる? もちろん愛しているよ。世界で一番、君が可愛い。
奴は、一山いくらの睦言を繰り返し、クーラーの効いた部屋で、全身運動に汗を掻きながら、陳腐な愛を吐きまくった。
恋は盲目とは、よく言ったもので、去年のあたしには、奴の短所すら長所に見えた。 まあ、奴は確かに整った顔をしているし、純粋な日本人なら決して吐かない、人工甘味料より甘い言葉を吐くし、自分が物語のヒロインになったような気分に陥ったのも、平均的な女の子であるあたしとしては、当然だった。
そんな絶対的法則が覆ったのは、今年の春。
奴の言葉には、キリスト並みに平等な愛はあっても、個人に対する誠意がないと気づいた、その瞬間。
あたしの中で、理想の王子さまは、安っぽいジゴロに転落した。
「冷夏でも、夏は夏でしょ?夏の間に、旅行しようよ〜!」 ダブルベッドの中、奴は裸でゴロゴロと転がり、鏡の前で髪を梳くあたしに近づいた。 「赤道直下は、いつでも夏だしさ。交際一年経過のお祝いに、バカンスしない?」 背中に伸びた手を避けるように、立ち上がる。 「あんたは四六時中がバカンスでしょ?プーケットでもモルディブでも、好きに行ってよ。」 あたしが冷たく言い捨てると、美童は、ハムレットより悲嘆に暮れる声を上げた。 「可憐ってさ、最近、僕に冷たくない?もしかして、この間の浮気をまだ根に持ってるの?」
ああ―― 今年の夏は、なんて冷たいのだろう?
去年の夏は、あんなに熱かったのに。
あたしは、心にも無い、にっこり笑顔で振り返った。 「まさか。あんたが愛しているのは、あたしだけでしょう?」 そして、いったん言葉を切る。 次に吐く言葉が、鋭利な刃物となるように。
「金輪際、浮気なんかしない、って、誓ったばかりで、舌の根も乾かないうちに嘘を吐くほど、貴方は器用じゃないでしょ?」
奴の完璧な笑顔が、笑えるくらい、強張った。
去年の夏は、暑かったのに。
身体も蕩けそうなほど、熱かったのに。
今年の夏は、呆れるくらい、涼しい。
「―― 二年目の夏って、こんなものかしら?」
「え?何?」
興味いっぱいの振りをして、子供みたいに碧眼を見開く、その仕草さえ。 今のあたしには、空々しい。
「僕が愛しているのは、可憐だけだよ。」 チープな愛の言葉が、ささくれ立った心を、余計に逆立てた。
あたしは、ソファに放った下着を手にしながら、ほう、と溜息を吐いた。
「来年の夏こそ、思いっきり暑くなれば良いのに。」
冷たい夏なんか、早く終わればいい。
あたしが欲しいのは、暑くて、暑くて、とにかく熱い夏だ。
つまらない嫉妬に精神を削って、擦り切れた夏なんか、二度とごめんだ。
あたしは、シーツに自慢の金髪を広げた奴を振り返って、微笑んだ。
「満たされない夏って、想像以上に虚しいって、思わない?」
奴の、ぽかんとした顔を見たって、夏の心は戻ってこない。
今年、あたしの夏は、はじまる前から終わっていた。
END
|