Kiss Kiss Kiss

3.美童




潤んだ瞳。ほのかに上気した頬。
可憐は、とても綺麗だ。たとえ部室の床に座り込んでいても。
「なんなんだよ、なんなんだよー!」
目の当たりにした信じられない光景に憤っているのは、美童一人だった。
幽霊と遭遇したわけでもあるまいに悠理は目を開けたまま固まっているし、
まだ赤面している魅録もお話にならない。
「僕は聞いてないよー! あれは一体、なんなんだよ、可憐! ちゃんと説明してくれるんだろうね!」
「な、なんであんたに説明しなきゃなんないのよ・・・・」
可憐はよろりと立ち上がった。
まだ足ががくがくしているのが見て取れたが、スカートを払って平静を装っている。
「水臭いよ、友達だろ!いつから清四郎とつきあってるのさ!魅録、悠理、おまえらも、まさか知らなかったろ?」
名を呼ばれ、固まっていた悠理がびくりと反応する。
「あー・・・つきあうもなにも」
魅録はなにか思い当たることがあるのか、可憐を見て口を押さえた。
「よけいなことは言わないでよ、魅録。いいわよ、ちゃんと説明するわよ」
可憐は椅子に座りなおし、手をふった。
照れているのか、ぶっきらぼうな口調だ。
だが、いつにも増しての可憐の匂いたつような色香は、かくしようもない。
ぎりり、と美童は奥歯を噛みしめた。
(清四郎のやつ・・・・っ、ゆ、許せない!)
美童はめずらしく、本気で怒っていた。

口に出したことはなかったが、美童は不文律の掟を己に課し、遵守してきた。
その掟は、『倶楽部内恋愛禁止』。
世界の恋人、美童グランマニエにとって、縁あって出会った美女を口説かないなんてことは、絶対の罪だ。
愛と尊敬を女性に捧げ、誠心誠意甘い言葉をささやくことこそ、男たるものの責務。
 それが美童のポリシー。
しかし、出会った頃はいざしらず、彼が有閑倶楽部の女性を口説くことは、ほとんどなかった。
彼女たちは美童にとって、人生初めてでおそらく最後の、恋愛を挟まない異性の友人だった。
ある意味、美童にとっては恋人よりも貴重な存在だ。
本来なら、性別未確認生物の悠理をのぞき、野梨子も可憐も、美童の限りなく広いストライクゾーンでもド真ん中。
無垢で清楚な美少女の、うちに秘めた凛とした強さに、胸がふるえる。
明るく華麗な見かけとうらはらに、夢見る少女の優しすぎる魂を、守ってあげたい。
はっきり言って、ド真ん中すぎる。こんな超好みの女性(たち)は、ミュスカ王女以外、ありえない。
それでも、美童は耐えてきたのだ。
いまの関係を壊すのは、本意ではなかったから。
六人のバランスが、とても心地良かったから。



「で、いつから、つきあってんのさ」
「つきあってないわよ。清四郎が言ってた通り、ふざけてただけ」
 ちょっとむしゃくしゃしててさー、と可憐は同意を求めるように魅録に目をやった。
「お、俺にふるなよ。俺はおまえらの考えてることなんか、ぜんっぜんわかんねーよ」
 美童以上に混乱したらしく、魅録はガリガリ頭をかきむしった。まだ顔は赤い。
 ぼぉっとしていた可憐は、清四郎の残していったお茶を飲んで、やっと少し落ち着いたようだった。
 可憐を中心に、魅録、まだ半分気絶状態の悠理、そして美童はテーブルを囲んでいた。
「悪ふざけったって、清四郎のやつ、許せないよ!」
「いや、どっちかって言うと、あたしの方からやっちゃったっつーか。
そんでもって返り討ちにあっちゃったっつーか」
 可憐はてへへ、と舌を出した。
「はぁ?『やっちゃった』って・・・やっちゃったのぉ!?」
「あ、ち、違う! なに考えてんのよっ、このスケベー!」
 美童の金髪の後頭部を、可憐はスパーンと叩く。
「だいたい、なんであんたがそんなに怒るのよ、美童。お堅い野梨子ならいざしらず」
 たしかに、美童にとってはキスは挨拶がわり。
 だけど、それさえ有閑倶楽部の女性陣にはしたことがない美童の男心も察して欲しい。
 第一の理由は、殴られるから、だったとしても。
「ま、あいつはやっぱ侮れないわ。なかなか底の知れない男よねー」
 なにやら思い出しているのか、可憐の眼がとろんと潤む。
「びっくりしちゃった。ことこういう分野では美童やあたしの方が専門領域だと思ってたのに」
「な、なに? 清四郎って・・・そんなに上手いわけ?」
 うふふん、と顔をほころばせる可憐の表情は、美童のプライドをいたく刺激した。
 カンベンしてくれ、と蚊のなくような小声でつぶやいた魅録も、
好奇心が刺激されたのか耳をそばだたせている。
「くれぐれも、あいつとは勝負しようとしないことね、美童」
「勝負って・・・」
 自分か清四郎か、どちらのキスがより可憐を恍惚とさせられるか実験してみて良いのだろうか。
 思わず美童はほおづえをつく可憐の方へと身を乗りだす。
「うふ。根っから女好きのあんたでも、落ちちゃうわね、きっと」
(僕が、清四郎とキスするのかよー!)
 ばったん。
 脱力した美童は、テーブルになついた。
 なぜか美童の隣では、魅録もテーブルに頭突きをかましている。
「・・・おそるべし、だな、あの野郎。可憐の失恋はふきとばしちまうし」
 魅録はむっくり顔をあげた。唇を尖らせぶつぶつ呟く。
「おもしろくねぇな。いまごろ、あいつも野梨子にぶっ叩かれてると思いたいぜ」
 魅録の言葉に、思いっきり同意する美童だった。
「そうだよね!腹立つよね!叩かれりゃいいんだよ。いい気味だ」
「さぁ、それはどうかしら」
 可憐は夢見るような眼で遠くを見つめている。
「清四郎、さっさと野梨子連れてっちゃったでしょ。あれって、どうなのかしら・・・」
「なにが?」
「野梨子だって、ちょっとは成長してるはずよ。前の婚約騒動のときは、ブラコンみたいなもんだ、
って言ったのはあんたじゃない?美童」
「だってそうじゃない。あいつら、お似合いに見えるけど兄妹みたいなもんじゃないか」
「それは、野梨子ガチガチだったから。あれから野梨子だって初恋経験したしさ」
「ああ、裕也か」
 魅録の言葉に可憐はうなずいた。
「ひょっとして、今回のことで、あの二人のじれったい関係になんか進展あるかもよ」
 そしたら、あたしってばキューピットよねー、と可憐は苦笑する。
「ジョーダン! 可憐に野梨子まで、清四郎に獲られてたまるかー!」
「って、いつからあんたのものになったのよ、美童」
 激昂している美童を、可憐はあきれたように見やった。
「あんたもいいかげん落ち着いたら?いつまでも子供でいられないんだからさ」
「可憐に言われたくないよっ」




 そのとき。
「・・・え? あ、あれ・・・もしかして、あんた泣いてんの?」
 可憐の狼狽した声は、美童にかけられたものではなかった。
 美童の隣、可憐の真正面。
 ひっく。
 それまで一言も話さず、置物のように座っていた悠理が小さくしゃくりあげた。
「ゆ、悠理!?」
 悠理の眼から、ぽろりと水滴が落ちる。
「・・・・やだよぉ」
 それは、らしからぬ、小さな小さな声だった。
うつむいた拍子に、テーブルにパタパタと涙がこぼれた。
 美童も可憐も魅録も、唖然として悠理を凝視する。
(ま、まさか、悠理まで清四郎の毒牙に!?)
 美童は見知らぬものに変貌した友人におののいた。
 なにしろ、堅物だと侮っていた清四郎に裏切られたばかり。
 さっきまで、女どころか人間であることも疑っていた悠理が、恋する乙女になったとしても、
不思議じゃない?
(いや、ありえない!)
 一瞬、パニックに陥りかけた美童だったが、即座に否定した。
 なにしろ、悠理だ。
 男の部屋でパンツふりまわす女だ。腹出してヨダレたらして
美童と同じベッドでも平気で眠りこける女だ。
 ふと、美童の脳裏に、昨夜の一幕がよみがえった。
 無邪気な悠理の行動に、とまどったような清四郎の表情。
 なにかが、美童のアンテナに引っかかった。

「あんた、まさか・・・なにがそんなに泣くほど嫌なの?」
「悠理、どうしたんだ」
 可憐と魅録にやさしく問われ、悠理は鼻をすすった。
「ごめん・・・あたい、どうかしてるんだ」
「あたしが、悪ふざけしたせい?あんたまさか、清四郎が好きだったの?」
「そ、そんなんじゃない!」
 悠理はぶんぶん頭をふった。
(あーあ、思いっきり否定されてるよ、清四郎)
 あの友人は、昨夜のように苦虫をかみつぶしたような顔をすることだろう。
 思わずそう考えてしまった自分の想像に、美童は少し驚く。
(ああ、そうだ。清四郎ってば、ひょっとして・・・)
 これまで、恋愛ごとと、清四郎を結びつけたことは一度もなかった。
 感受性想像力ともに旺盛な美童が、これまでもあったに違いない数々のサインを見逃していたのは
そのせいだ。

「ただ・・・ヤだったんだ。なんか、可憐や清四郎があたいの知らないひとみたいで・・・」
(でも、コイツに?)
 机のうえにのの字を書いている、悠理のつむじを美童は見つめた。
 少なくとも、女あつかいはしていない。かくいう美童もしかり、だが。
 よく言って可愛い弟。美童にとっては驚異の生物。清四郎から見れば、ペットがせいぜい。
 ・・・のはず。
 だけど、さきほどから美童のアンテナは、反応している。

 悠理は顔をあげないまま、はふ、とため息をついた。
「野梨子と清四郎が・・・その、つきあったり。なんかそんなふうに、変わっていっちゃうのかな。
いつまでも、みんな一緒に遊んでいられないのかな」
「悠理・・・」
 いつかは、みんな大人になる。その岐路にもう立っている。
 悠理はそれを感じて、哀しくなってしまったようだ。
 さきほどの美童の怒りと、それは同種のものだったのかもしれない。
 いまの六人の関係が大切だから。それが壊れてしまいそうで、怖かったのだ。

 うつむいた悠理のふわふわの頭。細いうなじ。
(だめだよ、清四郎。こいつ、まだ赤ちゃんだよ)
 美童の胸に、いいようのない愛しさが沸きおこった。
 迷子の子犬のような悠理の姿に、思わず抱きしめたくなる。
 かわりに、悠理の猫毛に手をやり頭を撫でた。
手を乗せた瞬間、悠理の体がびくんと跳ねる。
「!」
 悠理はびっくり顔で、美童を見あげた。
「え、なに?」
 過剰反応に驚いて問いかけると、悠理は安堵したように吐息をついた。
「びっくりした。清四郎かと思った」
「・・・・・なるほどね」
(そういえば、いつも清四郎は悠理の頭をポンポンやってるもんな)
 美童は悠理から手を離し、腕を組んだ。
「なるほどねー」
 もう一度、つぶやいた。
 魅録と可憐が不思議そうに美童を見ている。

(なんか、わかっちゃったよ。清四郎)
 可愛くてしかたがないし、ヤキモチも妬く。でもついいじめてしまう・・・なんて。
(小学生並みじゃないか)


「可憐」
「ん?」
「さっきの、訂正してよ。僕は、清四郎と勝負して勝つ自信あるから」
「しょ、勝負すんなよ、美童!頼むから!」
 なにを誤解しているのか、魅録がまた赤面した。
「ふふふん」
 なんとなく、うれしくなってくる。
 清四郎を、可愛いとさえ思う。
 完全無欠の誉れ高い優等生顔の友人に対し、美童は初めて優位に立った気がした。
(だけど――――自分で気づいているのかね、あの男は)



 


4.野梨子 に続く
TOP