Kiss Kiss Kiss

５．清四郎

「気になってしかたがないのなら、それは清四郎にとって『どうでもいいこと』じゃないんですわ」
野梨子の言葉は、清四郎を困惑させた。

なにしろ、清四郎を不機嫌にさせたその言葉とは、いつもの悠理のアレである。
『魅録ちゃん、愛してる～』である。
ついでに、清四郎のことは『鬼』呼ばわり。
おまけに、『頼まれたって、抱きつきゃしない』らしい。

（やっぱり、『どうでもいいこと』ですな）
これだけ重なってもなお、それは清四郎にとってありふれた日常的な悠理との会話だった。
100回くらいは聞いたセリフでもある。
それが、昨夜から頭の中をぐるんぐるんと回っているのだから、清四郎は自分の精神状態を危ぶんだ。
その上、可憐にまであんなことをしてしまった。
可憐をいい女だと言った言葉に嘘はない。
しかし、野梨子の指摘どおり、いつもの清四郎なら、まずしない行為だ。
可憐がたいせつな友人だと、認識しているからこそ。

可憐を置き去りにしたことは、さして良心が痛まなかった。
今回のことでは、可憐は共犯者で、被害者ではない。
野梨子をつれて早々に退出したのは、やはり、皆の前でふたたび平手打ちされたくはなかったからだ。
（見られたのは、まずかったですね・・・）
怒っていた美童、愕然としていた魅録、そして、床につっぷしたままの悠理。
悠理がどんな顔をしていたのか、清四郎は知らない。
（あいつのことだから、『変態』とか『えんがちょー』とかわめいて、『あたいに近寄るなー！』だな）
あまりに容易に想像できる悠理の反応に、清四郎はぐったり疲れた。

父親に頼まれていた所要をすませて、菊正宗病院を出る。
腕時計を見れば、もう６時近い。もうすぐ悠理に来いと言った時間だった。
制服のままだった清四郎は自室にもどり、すばやく着替える。
ふと、昨夜のままの勉強机に目をやった。
清四郎の机が、勉強合宿のときは悠理専用になるのには理由がある。
教科書や辞書や参考書を、ほかの皆と共有できないためだ。
いまも勉強机のうえには、少々乱雑に、中学レベルからの教材が悠理のノートとともに置かれてあった。
「坊ちゃん、お友達が来られましたよ」
階下から、お手伝いさんの呼ぶ声がする。
清四郎はため息をひとつつき、手にしていた悠理のノートを閉じて、玄関に向かった。

玄関に立つ悠理の、予想通りぶすくれた顔。
しかし清四郎はあんぐり口を開けて、一瞬、言葉を失った。
「・・・なんで」
悠理の両脇には、見知った顔が四つ。
「明日の数学、ちょっと不安で」
「あたしも、英語苦手だしぃ」
「・・・美童と可憐はともかく、魅録と野梨子は」
「わたくしは、清四郎の手伝いです。あなた、ここ数日悠理につきあって寝てませんでしょう？」
「左に同じく」
清四郎は物見高い好奇心旺盛な四つの顔に、苦笑してみせた。

「ねぇねぇ野梨子、今夜はあんたに教えて欲しいなー」
「いいですけど」
階段を昇りながら、可憐は野梨子の肩を抱いて甘えている。
清四郎が部室に置き去りにしたことは気にしていないようだ。
「清四郎、今日は僕に教えてよ」
「美童は数学悪くないじゃないですか。英語はこちらが教えてもらいたいぐらいだし」
言いながら、清四郎は最後尾をのろのろあがってくる悠理をふりかえる。
「悠理には俺がつくよ。数学と化学は得意だしな」
魅録の言葉で、悠理が伏せていた顔をあげた。
清四郎の気のせいだろうか。悠理の階段をあがる足取りが軽くなったように思うのは。

菊正宗家のお手伝いさんたちが用意している軽食がくるのを待たず、勉強会は始められた。
実際、せっぱ詰まっているのは悠理ひとり。
ちゃぶ台組みは気楽なものだ。
「ねぇねぇ、野梨子、あんたさ・・・」
さっそく可憐は脱線しはじめた。
「なんですの？」
真面目な野梨子は可憐のため、英語の教科書に蛍光ペンで印をつけている。
「あんたさ、さっき下校のとき、清四郎になんか言われた？」
野梨子の蛍光ペンが止まった。
可憐はちらりと清四郎に視線を投げる。目がきらきらしている。
いくら小声でも、同じちゃぶ台を囲んでいる清四郎と美童に丸聞こえだ。
「なんかって、なんですの？」
ふたたび、野梨子のペンが動き出した。
野梨子の平然とした様子に、可憐はあからさまに失望したようだった。
「・・・なーんだ、その様子じゃ進展ナシか」
清四郎は可憐をじろりとにらむ。
「可憐の勉強も、進展してませんよ」
「あーハイハイ。せっかく今日は見直したのにさ。清四郎って意外と甲斐性ナシ」
後半はひとりごとのようなつぶやきだったが、しっかりと清四郎の耳に入った。
片眉をあげた清四郎を、美童がつつく。
「清四郎、ここ教えてよ」
「ああ、そこはですね・・・」
清四郎の意識は数Ⅲに引き戻される。
そのとき、ちゃぶ台に背を向けていた悠理のうなり声が耳に飛びこんできた。
「ああもう、わっかんねー！」
「悠理おまえ、例題で投げるなよ」
魅録はくわえ煙草で、悠理の手元をのぞきこんでいた。
清四郎が積み上げておいた中学参考書を手にとって、パラパラめくり、悠理に見せている。
「・・・・」
「悠理はだいじょうぶだよ。魅録がちゃんと教えるさ」
美童の言葉で、清四郎は自分がぼんやり悠理と魅録の背を見ていたことに気づかされた。
「べつに、心配なんてしてません」
「ふふふん」
美童は目を細めて、清四郎に笑みを見せた。
「もしや、と思ってたけど、ほんとに自覚ないんだ」
「？」
含みのある美童の笑みに、野梨子と可憐も顔をあげる。
美童がふたたびなにか言おうとしたとき、ノック音がした。
「お夜食ですよ、みなさん」
お手伝いさんたちが、大きなお盆にサンドイッチを山程ならべて持ってきた。
「うわーい！」
えんぴつ放り投げて椅子を蹴ったのは、もちろん悠理だ。
魅録が倒れかけた椅子を受けとめている間に、悠理は皿から口にサンドイッチを移動させていた。
いつもながらの早業、および悠理の口内にみるみる消えてゆく食物の量に、一同あっけにとられる。
「悠理！」
清四郎が見かねて立ち上がった。
「いいかげんにしとけ、おまえは食うとすぐ眠たくなるんだから」
「うるへー、メシぐらいたっぷり食わせろ！」
もぐもぐしながら抗議する悠理の抱きかかえている皿を、清四郎は奪い取った。
「くっそー！」
性懲りもなく皿に伸ばされた悠理の手を、ペシリと叩く。
「子供ですか、おまえは！」
「子供、だよねー。悠理は」
「あきれるくらい子供よね、たしかに」
美童と可憐が口をそろえて、清四郎の言葉を肯定した。
「む」
悠理が口を尖らせて二人をにらむ。
可憐は肩をすくめたが、美童は悠理の視線を受け流し、ちゃぶ台に両肘をついて顎をのせた。
「だってさ、清四郎。今日、可憐とおまえのキスシーン見て、泣いちゃったんだよ、悠理」
「は？！」
話の流れが読めず、聞き返したのは清四郎ではなく、野梨子だった。
「どうして悠理が泣くんですの？」
清四郎は、口をポカンと開けて立ちつくしている。
「なんだかさー、みんながオトナになってっちゃうんで、
置いてかれそうで淋しかったんだよな、おこちゃま悠理は」
「美童～、よけいなこと言うな！」
悠理は美童に飛びかかろうとしたが、魅録に首根っこをつかまれ止められた。
「美童の言う通りじゃねーか、悠理」
「ううう、みんなして、あたいのことバカにしてー！」
赤面した悠理は、ぷんすか怒っている。
（悠理が泣いた・・・んですか）
清四郎は言葉もでないまま、ささいなことに動揺している自分自身に驚いていた。
（どうでもいいような、ことじゃないか）
泣き虫悠理が泣くのは、よくあること。
それに、こんなに動揺している清四郎がおかしいのだ。

「だいたいなー、子供子供って、あたいの方が美童よか生まれ月早いじゃんか！」
「そーゆー問題じゃないだろぉ」
美童はニヤニヤ笑っている。
悠理をからかって遊ぶのは、いつもなら清四郎の役目だ。
「中学の参考書ふりまわして、よく言うぜ」
「ああっ、魅録、そーゆーこと言うか！裏切りもの～！」
悠理に勉強を教えるのも。

清四郎の眉根が、知らず知らずのうちに寄ってくる。
自分の不機嫌の原因が、まぎれもなく目の前の悠理にあると、ついに清四郎は自覚するに至った。
（オモチャとられた子供ですか、僕は・・・）
胸のモヤモヤをそう結論づけ、清四郎はため息をついた。

清四郎のため息に気づいてなのか。
美童がちらりと視線を寄こした。
「悠理、そんなに子供って言われるのが嫌ならさ・・・」
視線は清四郎に向けたまま、美童は悠理に話し掛ける。
「清四郎に、キスしてもらえば？」
その言葉に、目が点になったのは、悠理だけではなかった。
「「はぁぁっ？！」」
美童と可憐以外のものの声がシンクロした。
「あ、それ名案かもね」
可憐の言葉に、ふたたびシンクロ。
「「はぁぁっ？！」」
「な、なんであたいが清四郎とキスしなきゃなんないんだよーっ！」
「一発でオトナになれちゃうこと、請け合うわよ。あら、一発だって、あたしってばお下品ね」
ほほほ、と可憐は笑う。
「清四郎、あんた悠理にキスしてやりなさいよ。あたしに惚れてもいないくせに、あんなキスできるんだからさ」
「カンベンしてください、可憐！」
可憐の皮肉な物言いに対し、情けないかな、清四郎の声はなかば悲鳴だった。
「どうやったら、悠理が女に見えるんですか！」
清四郎の叫びに、さきほどまで、なんであたいがー！とわめいていた悠理が頬をふくらませた。
「あーもーそのセリフ、何回も聞いた！」
ぷうと口を尖らせた悠理の子供っぽい顔に、魅録と野梨子は微笑んだ。
しかし、美童はさきほどまでと同じ視線を、清四郎に向けている。
「うそつけ」
根性ナシの美童らしからぬ、確信に満ちた声だった。
笑みさえ浮かべて、清四郎を見つめている。
「可憐にはふざけてキスできるのに、悠理にはできないんだ？」
「だから、悠理は・・・」
「女には、見えないよなぁ」
苦笑まじりの魅録の相づちが、清四郎を助ける。
しかし、美童は容赦なかった。
「前はそうだったかも知れないけどさ。いまでも、僕や魅録にとってはそうだけどさ」
清四郎は、本当に美童がなにを言い出すのか、わからなかった。
「おまえには、違うはずだよ、清四郎」
美童の言葉が、ざわつく清四郎の胸に、まっすぐ突き刺さった。

プライドのためか、おそれのためか。
見ないようにしていた、清四郎の見たくなかったものを、美童の言葉は突きつけたのだ。

　

「Kiss Kiss Kiss」

５．清四郎