聖プレジデント学園大学部卒業式の日。 奇跡か莫大な出費を強いられた寄付金のたまものか、あの悠理も仲間たちと共に卒業することができ、 五代は感涙、両親は抱き合って号泣、といういつにも増してにぎやかな一日だった。 豪華な花が上階よりふんだんに撒かれ、学び舎は祝福に満ちていた。 僕まで妹の卒業式にかりだされていたのは、その日、奇跡の勢いをかり、 剣菱の後継者を確保しようと両親が懲りもせず企んでいたからだ。 しかし、奇跡は起こらなかった。 清四郎君には、丁重に辞退されてしまった。 まぁね、無理もないと思うよ。 わが妹ながら、悠理は女としての出来は、ちょっとあんまり、いくらなんでも・・・なレベルだし。 清四郎君ならはっきりいって女性に不自由しないどころか、選び放題だろう。 企業もしかり。菊正宗病院を継がなくても、彼ほどの優秀な人材は、 どこも喉から手が出るほど欲しがっている。 両親は失望の涙にくれた。ついでに、僕も。 能力や器の差は歴然。それ以上に、僕は自分が人の上に立てない人間だと何年も痛感していたのだ。 親父の秘書が、いいところ。ほかの企業では停年までに係長、という陰口も内外で有名だ。 剣菱の重要課題は、ここ数年、後継者問題だった。 親父は偉大だが、NO.2を育てなかった。 グループ会社の社長はそれぞれ祖父の頃からの子飼いとはいえ、そろそろ代替わりも進んでいる。 皆一社の社長としてはそこそこの人物たちだが、それ以上ではない。 どこの財閥も必ず、支えになる大番頭的人物なりポストなりがあるものだが、剣菱にはそれがなかった。 NO.2がいないため、トップの交代もままならず、親父なきあとはグループは空中分解しかねない。 だから、僕たちはなんとしてでも清四郎君に剣菱に入ってもらいたかったのだ。 花の舞い散るキャンパス。 泣きぬれる両親と僕。 苦虫をかみつぶしたような悠理。 お袋が『結婚』の単語を出すたびに暴れ狂っていたくせに、 いざ公衆の面前で断られると、なけなしの乙女心が傷つくらしい。 しかし、そのときだ。 清四郎君が、それまでだれも考えたことさえなかった可能性を提案した。 ―――本人にその気があるなら、おじさんの後継は悠理でいいんじゃないですか――― 父も、母も、僕も、五代まで、そのあまりに無謀な話を即座に否定した。 ところが、清四郎君は大真面目に、悠理の肩をつかんで言ったのだ。 「おまえは馬鹿かもしれないが、凄い奴だ。自分のしたいように生きろ」 大学卒業後も、悠理の進路は決まっていない。良家のお嬢様風にいうところの 『家事手伝い』『花嫁修業』というやつだ。 もちろん悠理の場合言葉通りのわけはなく、『別名:ゴクツブシ』という品種に分類される。 ところが、清四郎君のこの一言で、悠理は変わった。 結婚を断られた男にハッパをかけられ、奮起するのは、らしいといえば悠理らしいが。 結局、決断したのは悠理自身だった。 「清四郎!」 軽やかな明るい声が上階から響いた。 顔をあげると、三階の窓から可憐ちゃんが手を振っていた。同時に、何かがふりまかれる。 花だ。 空から花が降ってくる。 「神前の式だったのに、可憐のたっての要望に負けて、野梨子はブーケトスしたんですよ」 「うちの親も、山ほど花の手配してたし、なぁ」 開け放たれた窓から、可憐ちゃんが次々に花を撒く。 悠理と美童くんも、両手いっぱいの花を抱え、笑っている。 もちろん、清四郎くんも微笑んでいる。 仲間たちの門出を、心から祝う笑み。 僕は、あの卒業式を思い出していた。 花吹雪のなか。 可憐ちゃん、野梨子ちゃん、美童くん、そして悠理は泣いていた。 皆、泣き笑いながら、抱きあっていた。 ――おまえは大丈夫だ。僕が保証してやるよ―― 子供のように大泣きしていた悠理を抱きしめる清四郎くんの言葉に、僕まで泣きそうになった。 いまにして思えば。 それは、あのいつまでも駄々っ子のような妹の、たしかに子供時代との卒業式だったのだ。 「兄ちゃん、清四郎、上がって来いよ!」 窓から悠理が身をのりだした。 かなり酔っている。 あぶない、と焦るが、清四郎君が一歩早く動いた。 「おっとと・・・」 悠理はぐらついた体を、あやういバランスで立て直す。 「ったく・・・さすがの運動神経ですな」 そうつぶやく隣の清四郎君の存在に、僕は安堵した。 彼がいるから、悠理は大丈夫。 結局、悠理のことを一番わかっていたのは、彼だったではないか。 剣菱の次期代表として、大向こうと渡りあう今の悠理を、あの頃ほかのだれが予想できたのか。 親父と清四郎君は、悠理がトップに立つために、奔走している。 僕もあの親父のもとで秘書として十年、過ごしてきた。 これでも人を見る目は、養ってきたつもりだ。 だから、これだけは予測できる。 結果的に、清四郎君は剣菱に力を貸し、今後もそれは続くだろう。 悠理のかわりに、花が空から降ってくる。 清四郎君は目を細めて舞い散る花を見つめている。 「清四郎、ここに来いよ」 もう一度、悠理が呼んだ。 悠理は窓枠に腰掛け、懲りもせずゆらゆらと体を揺らした。 清四郎君は答えない。 黙って、悠理を見つめている。 いくつになっても、ガキだサルだと思っていたが。 あいかわらず女らしさは欠片もないが。 悠理はいつのまにか、圧倒されるほど綺麗になった。 「あいつも、いつかは嫁ぐ日が来るのかなぁ」 口をついて出た言葉に、思いもかけず清四郎君が応じた。 「・・・ええ。いつかは、そんな日が来るかも知れませんね」 その口調にふくまれた苦みに、驚いて顔を見上げた。 清四郎君は、まだ上空を見つめている。 その横顔に、僕は首をかしげた。 清四郎君の内心など、僕のような凡人にわかるはずもないが。 才走りすぎるきらいのある彼が、自分のことも、悠理のことも、 いろいろ考えすぎていないといいのだけど。 僕などは、しごく単純に、まだ期待している。 悠理をまかせられるのは、彼しかいないと。 友愛と信頼ゆえにでも、彼が悠理を支えてくれるだろうことは、わかっているのだけど。 じつは、清四郎君の知らない事実がひとつある。 両親と僕は、対外的には婚約破棄の事実を伏せているのだ。 清四郎君はまだ学生、悠理も修行中の身。 結婚はまだ時機尚早と、周囲は解釈してくれている。 清四郎君などは問われるたびにやんわりと否定しているようだが。 悠理の影に見え隠れする彼の存在を、周囲は誤解してくれる。 「清四郎!」 動かない彼に、悠理が焦れて身を乗り出した。 窓辺に溜まった花弁が落ちる。 悠理、おまえは本当に馬鹿なんだから。 おまえがそんなあやうい所にいるかぎり、彼はここから動けない。 もういっそ、そこから落ちてみるのもいいんじゃないか? 絶対に、清四郎君が抱きとめてくれるから。 頭でっかちの彼が、逡巡する暇をもあたえず、 飛びこんでしまえよ、彼の胸に。 空から花の降る夜。 あやういバランスを保ち、新しい門出を祝う。 僕は、妹とその友人の幸福を祈った。 ほんとうにいつか、花嫁の兄になれるといいのだけど、ね。
なぜか豊作兄ちゃんバージョンです。 |