もうすぐゴール、というところで、清四郎の頭が水に沈んだ。
最後のターンで抜かれた隣のコースの悠理が、卑怯にも足をひっぱったのだ。
「ひっどーい!悠理、反則よぉ」
プールサイドで笑い転げるビキニの可憐とワンピースの野梨子。
まるで、高校時代のようだ。
剣菱家の室内プールで、久しぶりに有閑倶楽部は全員そろい、なつかしささえ感じる時間を過ごしていた。
美童が母国の大学に進学したため、こうして皆がそろうのは久しぶりだ。
プールサイドのデッキチェアに横たわったアロハシャツの美童の隣には、魅録。
サングラスとくわえ煙草が、高校時代よりも決まっている。
「おーい、魅録、おまえも来いよ!競泳しようぜ」
プールのなかから、悠理が魅録に手をふった。
「馬鹿言え、おまえ100Mやったばかりだろ。休まなきゃ、勝負になるかよ。俺が泳ぎ得意なの、忘れたか?」
笑いながら、魅録は悠理に答える。
しかし、魅録は片目をつぶり、美童にこっそり耳打ちした。
「・・・ほんとは、俺の方が体力の自信イマイチ。 いつまでも、バケモノのあいつらにつきあってられるかよ」
「魅録はタバコ吸いすぎだよ。ま、清四郎くらいだよね、悠理の相手できるのは」
噂をすれば、清四郎は背後から悠理に近づき、頭を押さえつけた。
「悠理、ひどいですね。もうちょっとで5連勝だったのに」
情け容赦なく、悠理はぶくぶく水に沈められる。
「きゃあ、清四郎!」
「いくら悠理でも、それ以上すれば溺れてしまいますわよ!」
水の中で暴れる悠理をなおも押え込んでいる清四郎に、野梨子が笑いながらも非難した。
「魅録・・・清四郎と悠理がつきあいはじめて、もう一年以上経つよね?」
「ああ、そのくらいになるかな」
プールの中では、バカップルがまだ格闘している。
盛大に水飛沫をあげるふたりに、美童は形の良い眉をひそめた。
「あいつらさ、なんであんなに変わんないわけ?」
「なにが?」
きょとんとする魅録に、美童は顔の前で長い指を左右にふった。
「わかんないかな。あいつら、一年もつきあってるのに、絶対、まだだよ」
「あ?」
「肉・体・関・係」
美童の指摘に、魅録のサングラスがずり落ちた。
「そうゆうのって、なんとなくわかるもんじゃん。あいつらとよく会ってる魅録には、 かえってわかんないかもしれないけどさ。久しぶりに会って、驚いたよ。あんまり変わってないから」
「そ、そぉかぁ〜?」
魅録は赤面しつつ、声をひそめた。
「ああやってりゃ、そりゃあいかわらずに見えるけどさ。結構、悠理は変わったと思うけどな」
高校時代の悠理は色気ゼロ。へたをすればゼロどころか、マイナス。
あいかわらず競泳用水着の悠理だったが、山猿そのものだった昔と違う。
体のラインはまろやかに、頬や目元もやわらかくなった。
そして、なにより、清四郎を見つめる目が違う。
いまも、プールからあがろうとした清四郎を後ろからはがいじめしている悠理は、はじけるような笑顔だ。
眩しさに、魅録は目を細め、サングラスをかけ直した。
「ああ、もう、僕が悪かった。降参」
ふたたび水に落ちた清四郎だったが、やっと悠理の手をふりきりプールから上がってきた。
野梨子にもらったタオルで体を拭きながら、清四郎は美童と魅録の方へ歩いてくる。
水の中では、まだ悠理が清四郎にアカンベーを送っている。
「まったく、ムキになった悠理は手におえません」
悠理を見つめる清四郎の目は、優しい。
「やっぱり、俺にはわかんねぇけど」
ちゃんと恋人同士に見えるけどな?と魅録は首をかしげた。
「うん、たしかに悠理が変わったのは僕も認めるよ。ちゃんと女の子に見えるもん。問題は、清四郎さ」
「僕が、なんなんです?」
清四郎は、美童の隣に腰を下ろした。
「うん、清四郎、なんで、悠理に手を出さないのさ?」
「・・・・・・。」
単刀直入、直球ど真ん中の美童の質問に、一瞬清四郎は固まった。
「お、おいおい、美童・・・」
フォローしようとする魅録を、美童は制した。
「清四郎、おまえが悠理を大事にしてるのは、わかってるよ。でも、もう子供じゃないんだしさ・・・悠理だって。 なんにも、障害なんかないんだろ?」
あっけにとられていた清四郎だが、美童の真面目な口調に、吹きだした。
「もしかして、心配してくれてるんですか?美童」
くすくす笑っている清四郎に、美童はニヤリと笑いかえした。
「いいや。単なる好奇心」
だれがどう見ても、清四郎と悠理には深刻な影はない。
道ゆく者がふりかえる美男美女。
もとより気心の知れた友人だった。
家族関係も良好で、婚約していたことすらある。
その上、双方浮いた噂ひとつない、身持ちの堅さは折り紙つきだ。
なんの障害もない、順風満帆のカップルだろう。
しかし、美童は確信していた。
「だって、おまえらもしかして、キスもまだじゃない?」
はしゃぎながらふれあう姿を見ただけで、美童にはわかる。
友人だった頃と変わらない、ふたりの空気。
「おい美童、それは二十歳過ぎていくらなんでも、だろうが」
美童のあんまりな言葉に、魅録が苦笑した。
つきあっている男女なのだから、常識的にはそうだろう。
「そうですよ。頬にキスくらいは、経験あります」
しかし、続く清四郎の返事に、魅録の笑みはこわばった。
「「ほっぺチュ〜?」」
思いきりしかめ面の美童と魅録の二重奏にも、清四郎は涼しい顔だ。
穏やかな表情で、可憐に水をかけふざけている悠理の日焼けした背を、見つめている。
美童と魅録は顔を見合わせた。
(マジかよ)
(な、普通じゃないだろ?)
タオルを肩にかけチェアにくつろぐ清四郎の体は、彫像のように見事な男の理想形だ。
乱れた髪が額にかかっていても、昔のような少年っぽさはもうない。
「清四郎ってさ・・・」
「なんです?」
「そっちのほう、ダメなのか?」
美童に顔を向けた清四郎の眉が、ぴくりと上がった。
「だってさ、昔から僕らが猥談してても入ってこないし。おまえからエッチ系の話って聞いたことないよ。 あんなに長いこと一緒にいたのにさ」
ひくひく眉が動く。
「男にモテるものの、清四郎はストレートなんだと思ってたけど・・・性欲ないわけ?」
またもや、美童のピッチングは直球勝負。
「だから色気ナシの悠理なのか・・・と言いたいとこだけど、悠理はちゃんと女の子だしね」
美童はいたずらっぽく微笑む。
「・・・ったく」
清四郎は組んでいた手を、パキリと鳴らした。
びくりと魅録は身をすくめる。
大きくため息をついて、清四郎は手を解いた。
「心配かけて申し訳ないですが、僕らは僕らのペースでやっていきますから」
「そりゃ、そうだろうけど。触れたいとか、思わないわけ?」
美童は追求の手を緩めない。
「・・・思いますよ。手くらいつないでます」
「手ぐらい、悠理はだれとでもつなぐだろう!」
思わず口を挟んだ魅録を、清四郎は横目でにらむ。
「それは、魅録だからです。僕はつきあうまで、つないだことなどありません」
やばい、と魅録は口をつぐむことにした。
ずっと悠理の一番の親友の位置にいた魅録は、清四郎の無言の嫉妬にこれまでもさらされてきたのだ。
「手をつないで、ほっぺチュー?小学生じゃないんだからさぁ」
あはは、と美童は笑い声をあげた。
「清四郎、童貞じゃないくせに」
美童がそう言ったとたん、清四郎と魅録は固まった。
え?と美童が顔を彼らの視線の先に目を向けると、ひきつった表情の悠理が立っていた。
「・・・・わっ」
さすがに、美童も焦る。
しかし、悠理は憮然とした顔のまま、清四郎にコーラの缶を差し出した。
「ほら、一応、あたいの負けを認めてやっから」
競泳の戦利品を清四郎の手の中に押し込み、悠理はくるりと背を向けた。
一瞬、清四郎は腰を浮かしかける。
悠理は大股にプールに向かい、見事なフォームで飛び込んだ。
追おうとした清四郎は、あきらめて椅子に掛け直した。
「ごめん、清四郎。悠理、聞いちゃったよね?」
「ええ、たぶん」
「そりゃ、まずくないか?」
「いいですよ。しかたありません」
清四郎は眉をよせて、手の中のコーラを見つめていた。
(おい、まずいぜ、美童)
(僕だって、悪気はなかったよぉ)
魅録と美童は肘でつつきあう。
(でも、清四郎が経験あんのは、確実なんだ?まぁ、納得ったら納得だがよ)
(出会ったころには、もう経験あったんじゃないかな。見たらわかるもん)
「ええっ、中三でっ!?」
こそこそ話していたはずが、魅録は思わず叫んでいた。
「バカ・・・僕だって済ませてたよ。後生大事に高校卒業まで貞操守ってたのは、 おまえだけだよ、魅録。女の子たちはともかく」
清四郎は無言で、コーラを開けて口をつけている。
ごくりと喉が動いた。
「だから、不思議なんだよ。どうして悠理とは・・・って。まさか、枯れちゃった?」
清四郎はコーラにむせた。
ごほごほ咳き込んでいる背中を、美童はさする。
「そういう方面なら、相談に乗れるよ?」
「・・・結構ですっ」
清四郎は美童を涙目でにらんだ。
「だけど、清四郎。悠理とは、将来のことも考えてるんだろ」
咳き込んでいた清四郎は、真面目な顔をする親友二人を見つめる。
なんのかんの言いながら、美童も魅録も、清四郎と悠理を案じているのだ。
「そういえば、この前雑誌で見たぜ。万作おじさんが、後継者についてうれしそうに語ってるやつ。 良い婿が来てくれるだがや、ってな。あれって、おまえのことだろ」
「・・・でしょうな」
「剣菱じゃ、婚約者あつかいなんだ。そりゃ、そうだろうな。おじさんたちにすれば。 このまま、まさか結婚までプラトニックでいくつもりなわけ?」
清四郎は、ゆったりと座り直し、わずかに笑みを浮かべる。
「悠理は目の前のことで、いつもいっぱいいっぱいですよ。 性急にことを進めても、ろくなことにはなりません。僕だって、やることは山積みですしね」
「だけど、ふたりの関係で、一番大事なことだよ」
真剣な表情の美童に、清四郎はうなずいた。
「僕が何年悠理を想ってきたか、知ってますか。もうちょっと待つぐらい、どうということはない」
清四郎は、視線を水の中の悠理に向けた。
「悠理!」
清四郎に突然呼ばれて、悠理はふりかえった。
「愛してますよ!」
一同、いきなり叫んだ清四郎の言葉に、絶句。
悠理もあぜんとしていたが、みるみるうちに真っ赤に顔を染める。
「バカタレ〜!なにこっぱずかしいことぬかしてんだぁっ!」
思いきり、バシャンと水飛沫をかけてきた。
清四郎だけでなく、美童と魅録も被害でびしょ濡れ。
清四郎は声を立てて笑う。
「ほら、覚えてます?高校時代、僕が最初に好きだって告白したときは、鞄で殴りかかられたうえに、 一週間も口をきいてくれなかったんだから。相当な進歩でしょう」
魅録は濡れた煙草を口からはずした。
シャツを脱ぎながら、美童は髪の水をしぼる。
清四郎も濡れた前髪を手ですいた。
「待つのが、楽しいくらいです。悠理が僕のことを欲しいと思うようになるまで」
両手で髪を後ろになでつけ、いつもの髪型に整える。
「それに」
清四郎は魅録と美童に視線を流した。
口元をひきあげ、ニヤリと笑う。
「僕は、一番の好物は最後にとっておくタイプなんでね」
意地悪な笑みを、見慣れている親友たちとはいえ。
美童と魅録は、思わず心中祈っていた。
おいしく頂かれるに違いない、悠理の将来に幸あれ、と。
おしまい 2004.9.4
♪ ふれてみたいよ それはまだはやい? ふたりに未来を ♪
スキマスイッチのかわゆい歌『ふれて未来を』を聴いて、そのまま書こうと思ったのに。思ったのに、なんかチガウ…。
別室小説のあまりにあまりな鬼畜さに疲れ、もうひとつの未来を書いてみました。そう、ほっぺチュー止まりのふたり。
いやぁ、考えてみれば、”両思いのバカップル”は初めて書いたぞ。(ぽちさんとこに投稿したので、らぶらぶは書いたけど)
『Kiss Kiss Kiss』の続き、清四郎くんに余裕があれば、こうなるのかも。なんか一抹の鬼畜さは残るものの。
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