Kiss Kiss Kiss

2.可憐






まだ終礼前なのでだれもいないだろうと部室のドアを開けたが、 そこには生徒会長が一人、いつものように新聞をめくっていた。
「おや、早いですね、可憐」
「あんたこそ」
 いつものように・・・否、常ならば愛想だけは良いはずの菊正宗清四郎は、 眉根にしわを寄せた不機嫌な無表情で可憐を一瞥した。
 可憐は清四郎に叱責されたように感じ、顔を赤らめた。
 勉強合宿までしたにもかかわらず、早々に半ば白紙で答案用紙を返してしまった可憐の行動を 清四郎が知るはずもない。
 昨夜までは、なんのかんので赤点クリアは確実だったのだ。
「野梨子やほかのやつらは?」
「まだ、早いですよ。僕は所用があって早く帰りたいのですが、野梨子に声を掛けるのを忘れたのでね。 彼女が来れば、すぐに帰ります」
「ふぅん、仲のヨロシイこと」
 椅子にどすんと腰かけた可憐は、盛大にため息をついて机につっぷした。
 実をいうと、いまの可憐には、コケた試験も清四郎の剣呑な表情もどうでもいい。
 どん底気分で、両腕に顔を埋めた。
「ううう・・・」
 ため息だけでは足りずうなり声をあげた可憐の異常に、清四郎はやっと気づいてくれた。
「どうしたんですか、可憐。体調でも?」
 テーブルに、買い置きのペットボトルのお茶を置く。野梨子が居ないと、清四郎も結構手を抜くのだ。
 この無粋な男が可憐をなぐさめてくれると期待しているわけではなかったが、 一人で落ち込むのは真っ平だ。
 八つ当たりできてこその友人ではないか。
「ううー、悔しいだけよっ」
「なんだ、また失恋ですか」
「またってなによ、またって!」
 肩をすくめた清四郎のゼスチャーに、可憐は食ってかかった。
「いつにもまして、感じ悪いわね、あんた!そうよ、またよ!また!」




 昨日清四郎の家を辞し、魅録にバイクで送ってもらう途中、ばっちり目撃してしまったのだ。
 女の肩を抱きホテルへと消える、昨日までの彼氏(ちなみにイケメン青年実業家)の姿を。
 逆上して追いかけた可憐だったが、こちらも終電後に彼氏以外の男のバイクの後ろ。
 一緒にいたのが場慣れした美童であったなら、上手くその場をおさめ反す刀で可憐の機嫌も取ってくれただろう。
 が、いかんせん朴念仁魅録には荷が重かった。
 おかげで試験は時空の彼方。

「けっこう今度の彼は、マジ惚れかも、と思ってたのにぃ!」
「聞いた限りでは、ろくでもない男にしか思えませんけど。 そんなに好きならば、奪い返せばいいんじゃないですか」
 清四郎の言葉に、可憐はきいぃっとハンカチを噛み締める。
「奪い返すったって、あんな大人の女に体張ってこられちゃ、処女のあたしは分が悪いじゃない!」
 清四郎は飲んでいたお茶を吹き出した。
「なによ、あたしが処女だったら、おかしいっての?」
 あからさまに驚きを示す清四郎を、可憐はにらみつけた。
「いえ・・・さすが玉の輿志望。感心感心」
 清四郎の賛辞は心からのものだったが、可憐は、女としてのプライドがずたずたよ、とうめいた。
 本当のところ、あの男に惚れていたわけではない。
 ただ、今度こそ素敵な恋ができるかも、と思わせてくれる男だった。
 可憐の厳しい条件をクリアする、ルックス・条件の持ち主など、今日日貴重だ。

「可憐はいい女ですよ。自信を持ってください」
清四郎の言葉に、可憐は顔をあげた。
優しい言葉と裏腹に、あさっての方を向いた清四郎の横顔は暗い。
(なに、そーいやコイツ、やけに機嫌悪いわね。まさかコイツにかぎって、 試験失敗したってわけはないでしょうに)
「可憐は情に厚い可愛い女ってこと、わかってくれる男性がきっと現れますよ。 ・・・どこかのだれかと違って無神経でも鈍感でもないし」
 後半は独り言のようなつぶやきになった清四郎の言葉は、可憐のプライドをわずかに立ち直らせた。
「言ってくれるじゃない、あんたは、わかってるって?」
「あたりまえでしょう。魅録だって美童だって、可憐の友人であることは光栄だと思ってますよ」
いつもの慇懃無礼な愛想の良さがない分、その言葉は可憐の中にすとんと落ちた。
 清四郎のそらされた顔を、可憐は意外な思いで見つめる。
 整った白皙の横顔は見慣れた優等生のものだったが、堅い表情と憂いの濃い瞳が、 常はわかりずらい彼の内心をわずかに垣間見せている。
「・・・清四郎、あんたなんか落ち込んでる?」
「は? なにも落ち込んでやいません」
 即答し、いぶかしげに眉を上げる子供っぽい表情に、可憐はつい微笑してしまった。
 本当に、清四郎には自覚がないらしい。
(鉄仮面かぶってなきゃ、カワイイじゃない。機嫌悪いほうが男前ってったら、怒るだろうな)
 ふと、清四郎の先ほどの言葉を思い返す。
(「無神経」「鈍感」で情の無い「だれかさん」って・・・野梨子? 落ち込みの原因を語るに落ちてるわね)
「らしく、ないわねー」
(清四郎と野梨子ってどうなってんのかしら。難攻不落要塞女だもんねー、あれは)
 幼なじみから一歩も出ず、に100万円。
 可憐は苦笑した。
(悠理との婚約騒動のときは、野梨子もそれなり嫉妬もしてたみたいだけど)
 清楚な美少女が、男の頬を張り飛ばした光景を思い出す。
(思えば清四郎も気の毒だわ。顔も頭も家柄も良いのに、血のつながらない小姑つきだもんね。 ほんとの小姑もいるし。大概の女の子には引かれちゃうわよねー)
 野梨子といい、清四郎の姉の和子といい、清四郎の周りにはコワい女が多すぎる。
めげずに迫ってくるのは、ゲイの男ばかり・・・とまで考えて、本格的に可憐はつっぷして笑いだした。
「可憐?」
 可憐のゆれる肩を、泣いているものと勘違いした清四郎は、さすがに心配して歩み寄ってくる。
 肩に置かれた手に、可憐は無理矢理笑いを抑えた。
(性格に多少難あり、だけど、友情には厚いとこあるわよね。頼りになるったら、 これ以上なしってくらいだし)
 笑みを抑えて顔をあげると、至近距離に、心配そうな清四郎の顔があった。
(絶対、将来安泰だし、よく考えてみれば、玉の輿確実に作れる男だわよ、その気さえあれば)
「・・・清四郎、キスしよっか」
「はぁぁ?」
 鳩が豆鉄砲食らったような顔が可愛くって、思わず速攻、チュ、と口づけた。
「かっ可憐!」
 飛びのこうとする清四郎の手を、可憐はつかんだ。
「なによ、なぐさめてくれたっていいじゃない。キスぐらい減るもんじゃなし」
 目尻に(笑いのなごりの)涙を浮かべた可憐がすねた口調でにらむと、男はわずかに肩をすくめた。
「・・・処女のセリフとは思えませんね」
「まさかあんた、キスも初めて、とか言わないでしょ」
「『も』、てなんですか」
 お堅い生徒会長は不満気につぶやくと、可憐の腰を引き上げて立たせた。
「僕に惚れた、なんて言わないでくださいよ。あなたは大切な友人だ」
 惚れないわよ、と可憐が答えるのを待たず、清四郎の顔が近づく。
 目を閉じた可憐は、清四郎の力強い腕に身をゆだねた。


(・・・・・やばい、こいつ・・・・)
 口づけを交わしたまま、可憐は薄く目を開けた。
(め、めちゃくちゃ上手いじゃないのよーっ)
 清四郎はきつく目を閉じている。
 始めは、そっと触れるだけ。それから、とろけるような甘い口づけ。 徐々に興が乗ってきたのか、むさぼるような深いキスへ。
(か、可愛いと思ったのは訂正、コイツ、可愛くない!)
 単なるおふざけのキスだった。ロマンチストの可憐にあるまじき、即物的な行為。
 なのに、ムードもへったくれもないキスに、意識が霞んでゆく。
 もう一度、可憐は目を伏せた。
 清四郎もすっかりその気になっているのか、可憐の柔らかな髪をすいて、 より深く口づけようとするかのように、頭を支える。
 好きでもない男との気まぐれな行為は、可憐を信じられないほど陶然とさせた。


 頭の芯がクラクラする。腰にまわした男の手がなければ、もう、立っていられない。
 ここがどこで、相手がだれか、それさえもうわからなくなってしまった。



「ぐぎゃぁっ」
 バン、ドデッ
「うぁっ!」
「キャッ」
 突然の騒音よりも、ふいに手を離されたことで、可憐はわれにかえった。
 支え手を失い、へなへなその場に座り込んでしまう。
 まだ眩む意識のまま、先ほどまで桃源郷を共有した即席の恋人を見上げると、 清四郎は戸口を困ったような顔で見つめていた。
 騒音の原因は予想通り。
 ヒキガエルを踏み潰したような声をあげ、ドアから飛び込んだままの体勢で床に倒れている悠理。
 前の悠理がコケたのにつきあって、その上に手をついているのが魅録。
 悠理が戸を開けた瞬間に中の光景を見てしまったのだろう、真っ白になっている野梨子。
 そして、男にしては綺麗過ぎる顔がなかば崩れるほど、驚きの表情を浮かべた美童。
「・・・ええと」
 清四郎はしまった、というように一瞬天井を仰ぎ、可憐に目を向けた。
「立てますか?」
「・・・てない」
 可憐はふるふる首をふった。腰が抜けてとても立てない。
 手を貸そうと出された清四郎の手を、可憐は断った。
 そう、この男はたしかに共犯者になってくれたけれど、可憐の男じゃない。
「そうですか。じゃ、悪いけど僕は失礼します。野梨子、帰りますよ」
 清四郎は、いまだ真っ白になっている野梨子に声をかけ、踵をかえした。
「・・・・・・・・」
 戸口のところに固まっている四人は、平然とした清四郎の態度に唖然と口を開く。
「せっ清四郎、お、おまえ、いま、なにし・・・」
「ちょっと、ふざけてただけです。・・・ほら、いくら悠理でも、あなたの下敷きじゃ気の毒だ」
 喘ぐように問いかけた魅録が悠理の上から起き上がるのに手を貸しながら、清四郎は無表情に答えた。
 いつもの、鉄仮面。
 魅録が立ち上がったあと、つぶれたカエル状態の悠理を見下ろす。
「・・・悠理」
 悠理は硬直しているのか顔も上げない。
「試験、だいじょうぶだったろうな? おまえは明日もあるんだから、ちょっと家に帰って寝てきていいぞ。 6時に、僕の家集合だ」
 悠理の意思はどうあれ、五代が万事心得、夕食前には菊正宗家の前に送り届けるだろう。
 驚愕のあまりまだ口をパクパクさせている仲間たちにくらべ、清四郎の声音はあまりにも平静だった。
   隙を見せないいつもの生徒会長の顔にもどっている。

「清四郎、口紅!」
 美童に指摘され、さすがの清四郎の表情もわずかに動いた。
唇についた可憐のリップグロスを拭い、仲間たちに苦笑を見せる。
「少々悪ふざけしすぎたと、反省してますよ」
 そのまま石になっている野梨子を引きずるように伴って、清四郎は部室を後にした。
(・・・・・・・・・逃げたわね。)
仲間たちの困惑した視線が、残された可憐に集中する。
いっそ鮮やかなほど、彼女を一人残して去って行った男。
やられた、と思いつつ、可憐はそれほど腹が立たない自分を不思議に感じていた。




3.美童 に続く
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