いつか描いた未来予想図に、思いもかけない変更個所。
「おめでとう」
「おめでとう、清四郎！」
「おめでとう、悠理」
仲間たちの祝福が面映ゆい。
僕たちは微笑・・・苦笑して、花束と喝采を受けていた。
いや、苦笑しているのは僕ひとり。
僕の腕をとる悠理はひどいぶすくれ顔だ。
純白のウエディングドレスにそぐわない表情は、悠理の内心を思いきり赤裸々に表現していた。
黙っていれば美人のはずが、これでは台無しだ。
双方、納得ずくの結婚のはず。いい加減、あきらめろ。
僕はドレスの腰に手をまわし、抱き寄せるふりをして、つねってやった。
「って！」
悠理はますます顔をしかめた。
＊＊＊＊＊「あたしは結婚相手ぐらい、自分で見つける！」
「じゃ、早く連れてらっしゃいな！」
悠理とその母親とのこの問答はここ数年、日課となっていた。
「三十路で未婚、無職のパラサイトなど我が家では養いません。三十になる前に自分で見つけられないなら、適当な男性と結婚させますからね！」
日本一の富豪夫人は、そう宣言した。
財閥令嬢悠理には、年頃になったころから降るように縁談が押し寄せていたが、片端から得意の飛び蹴り回し蹴り。
悠理は恋愛はおろか見合いさえ承諾しなかったのだから、愛娘の将来を危惧する両親の気持ちもわかる。
僕の方と言えば。
かつて思い描いたように剣菱に入って、地盤を固め充実した日々を送っていた。
おそれていた、僕の上に立つような悠理の求婚者も現れず。
いや、あらわれても、悠理自身が蹴り飛ばし。
なんら不満もなく、仕事に追われる日々を送っていた。
「どーしよぉ、清四郎〜！母ちゃんはやると言ったらやるんだよぉ」
三十歳の誕生日直前。泣きついてきたのは、悠理からだった。
ふぅむ。
「じゃ、僕と結婚しますか」
だから、僕がそう提案したのは、ボランティア以外のなにものでもなかった。
僕の親切な申し出に対し、ぐちぐちぶちぶち最低最悪最凶だのなんだの、お経のように唱えていた悠理だったが。
結論としては、受け入れた。
十年ぶりの再婚約会見の席で、プロポーズの言葉は？とまたもや聞かれ。
「長いつきあいなので、これといって」と、とりあえずまた答えておいたが。
誓いの言葉は？と聞かれれば、これに尽きる。
「安心しろ。おまえに万が一、好きな男ができたら、離婚してやるから」
「あたいも、おまえが恋愛できる体質になったら、別れてやる」
＊＊＊＊＊とにもかくにも、そんなわけで。
大安吉日の今日という日を迎えることになった。
だてに、長いつきあいではない。
どうせ食べる時間のない披露宴の料理を、前もって全部タッパーに詰めて控え室に差し入れたおかげで、花嫁はやや機嫌を直した。
なにしろ、剣菱家の結婚式。丸一日えんえん続く。
無限の体力とバイタリティで不機嫌を続けられてはかなわない。
僕は極力、悠理の機嫌をとっておくことにした。
今夜は、まがりなりにも初夜がひかえているのだし。
どうも、悠理は僕とは偽装結婚、仮面夫婦のつもりのようだ。
僕としても、何しろ悠理が女に見えたためしはないので、それでもかまわないのだが。
――――かまわないのだが。
社内でまことしやかに流れる僕に対するゲイ疑惑を、肯定してしまわないか心配だ。
なにしろ、悠理は処女だ。間違いない。美童などは一目で看破するだろう。
この十年というもの、悠理に男の影はなかった。
さすがにここ数年は学生時代のように四六時中一緒というわけではなかったものの、そんな相手がいたのなら、そもそも僕と結婚するような事態にはならなかったろう。
隣の悠理をそっとうかがう。
腹がくちくなり、やや機嫌を直した悠理は、中継しているＴＶカメラ向けの笑みを浮かべていた。
家族や仲間に対してはあいかわらずのこいつも、いつまでも子供ではないということだ。
この日のために、百合子夫人が気合を入れまくり用意させた総レースのドレスは、意外にも悠理に似合う。
アップにまとめた髪は、なんど整え直しても花嫁自身が無造作にかきむしって乱してしまうため、あちらこちらに跳ねていたが。
タッパーの食材をがっついた結果、念入りにほどこした化粧もかなり取れてしまっていたが、紅などひかなくても、悠理の薔薇色の頬と唇は、瑞々しく目を惹いた。
出会って、すでに四半世紀。友人として、一番そばに十五年。
悠理がいまさら、恋愛するとは思えない。
きっと、何年たっても、こうして僕は悠理の隣に居れるはず。
どうせなら、一生をともにする誓いは、偽りじゃなくても、いいんじゃないか？
僕の花嫁を見つめているうち、くらくら目眩がしてきた。
心臓に不整脈。
頭に血が上ってきた。
やばい。鼻血が出そうだ。
僕は内心焦りまくって、悠理から視線をひきはがした。
まるでこれでは、悠理に恋をしている十代の少年のようじゃないか。
僕が悠理に恋をしている？・・・・・・いや、ありえない！
そんな事態になれば、婚姻届けを出したとたんに、離婚届を出されてしまう。
僕は悠理と同じく、恋愛に向かない体質なのだ。そのはずなのだ。
ドキドキドキドキうるさく高鳴る心臓が落ち着くのを、僕は待った。
式は勝手に進行している。
和洋折衷、なんでもあり。
一応剣菱家の作法にのっとり、仏前和式の式はこなしたが、披露宴は芸能人さながらの大宴会。
そして、最後は百合子おばさん（今日から義母さん）の、強固な主張による、教会風の階段からライスシャワーを浴びてブーケトスしたのちにオープンカーでハネムーン出発、で締めくくる。
なにしろ、このためにこのKENBISHIグランドホテルのエントランスを作り直すという気の入れ様。
とても、拒否できるものではない。
ようやっと、脈拍が正常値にもどったのを確認して、僕はふたたび悠理に目をやった。
悠理は、ぼんやり窓の外を見ていた。
目の前でマイクをにぎる、時宗のおじさんの黒田節など聴きもせず。
憂いを帯びた瞳に、長い睫が影を作っていた。
僕の心臓は、こんどは激しく締め付けられた。
こんな悠理の表情は、見たことがない。
まるで、知らない女のようだ。
まさか、悠理にかぎって、マリッジブルーもないだろう。
さきほどの、胸のドキドキがキリキリに変わっていた。
一度親父に診てもらうべきかもしれない。この胸の痛みは異常サインだ。
「警視総監、素晴らしい唄と踊りをありがとうございました。さぁ、ここで新郎新婦に指輪交換と誓いのキスをしてもらいましょう！」
突然、スポットライトが一際まぶしく僕たちを照らし出した。
もの憂げな顔をしていた悠理が、ぎょっとして、僕を見る。
「誓いのキスぅ？！」
「えー・・・・まぁ、方便方便」
そういえば、式の次第は悠理には伝えていなかった。
「そのぐらいは、しなきゃマズイでしょう。結婚式なんですから」
悠理の、思いっきり不満そうな顔。
でも、悠理ももう十代の山猿・・・・いや、少女ではない。あきらめたのか、僕の腕に手をかけ立ち上がった。
しかし。
立ち上がった途端、悠理の目がなにかをとらえ、見開かれた。
驚愕の表情。
僕の手にかかっていた、手袋をした手がするりと離れる。
悠理は零れ落ちそうなほど大きな瞳で、窓の外を見つめている。
僕の横で、ベールがふわりと舞った。
それは、一瞬のことだった。
悠理の体が、軽やかに雛壇から飛び立つ。
僕はとっさに、悠理のベールに手をのばし、つかまえようとする。
だが、やわらかなレースだけが手に残り、悠理は走り出していた。
悠理の視線の先には、テラス。
窓ガラスを叩く、男のシルエット。
あっけにとられた僕は、なにも考えられず、呆然とその一幕を見つめていた。
駆け出した花嫁が、男の腕に飛び込むのを。
＊＊＊＊＊がったん。
僕はぶっ倒れた。間違いなく、心臓発作だ。
急性心不全。享年・・・何歳になったっけ。
そんなことは、どうでもいい。
僕は、花嫁に逃げられたのだ。
あんまりじゃないか、あんまりじゃないか。
そんな男がいるなら、なんで僕の申し出を受けた？
何年も何年もそばにいたのに、まったく気づかなかった。
これからも、ずっと、ともに生きてゆくはずだったのに。
愛じゃなくてもいい。僕に、恋しなくてもいい。
それでも、一生おまえと生きてゆきたかったのに。
「・・・ごめん、清四郎」
目を開けると、さすがに悠理が心配そうな顔で、僕を見下ろしていた。
僕はまだ痛む胸を押さえる。
悠理は、いままで見たことがないほど、綺麗に見えた。
もう、ベールも取れてしまっているのに。
ベールだけが、僕の手の中でごわついている。
やわらかだったはずのそれが、かさついた紙のようにむなしいものに感じられた。
「大丈夫か・・・？」
悠理が倒れている僕を起こそうと、手をのばした。
その手はもう白い手袋に覆われてはいない。
そうだ。悠理には、ベールも手袋も必要ないものなのだ。
そして、この僕も。
不覚にも、涙がにじんできた。
物心ついて以来、泣いたことなんてないのに。
「清四郎・・・泣いて・・・？」
悠理はびっくりして目を見開く。
思いもかけず、幼い顔。
悠理は、昔と変わらない。
思えば、悠理は僕の手につかまるような女じゃなかった。
つかまえようとしてもつかまえられない悠理相手に、何度僕は同じことを繰り返したのだろう。
「おまえが・・・好きだったんだ、悠理。ずっと、昔から」
はじめて、僕は自分の心に素直になれた。
手遅れになったいまになって、やっと。
悠理は目を見開いて硬直した。
それは、そうだろう。悠理でなくとも、驚く。
方便で結婚しようとして捨てた男に、告白されれば。
「へぇぇ〜、やっぱり」
「まぁ、そうでしたの」
「だと思ってたわよ」
「ついに、言ったか」
だから、頭上から聞こえてきた声は、悠理ではなく、聞きなれた仲間たちの声。
傷心絶望の末の、いまわの際の告白だ。こんな時くらい、そっとして欲しい。
まだ床に横たわったままの僕は、仲間たちを仰ぎ見る。
「・・・いっ」
思わず、僕は目を剥いた。
こいつら、こともあろうに人の結婚式に、コスプレして出席してたのか？！
「せ、せ、せ、せ、清四郎っ」
悠理は吃りながら、すっくと僕の前に立ちあがった。
「おまえ、頭打って、おかしくなっちまったのかよ〜！」
あああ、悠理、寝転がっている男の前で仁王立ちするんじゃない。スカートの中が見えてしまうだろう！
そのとき。
やっと僕は気がついた。
悠理のスカートの丈は膝丈。どう見ても、ウエディングドレスではない。
だって、黒タイツが透けてタマフクマークのパンティが・・・って。
スカートの中をのぞいている場合ではないだろう、自分！
僕はがばりと身を起こした。
コスプレだと思っていた仲間たちは、聖プレジデント学園の制服。
そして、僕自身も。
「悠理、清四郎が打ったのは、胸だろ。おまえが椅子にぶつかった勢いで、そりゃ床に倒れたけど」
まだずきずき痛む胸元。僕の手に握られているのはベールではなく、くしゃくしゃの紙。
広げてみると、記入済みの『志望校最終調査書』。
そこに書かれた”聖プレジデント学園大学部”の文字を見て、僕はまざまざと思い出した。
そうだ。懸案事項だった進路をついに決定し、調査書に記入し終わった安堵から、部室で居眠ってしまったのだ。
と、いうことは、すべて夢？僕と悠理の結婚も、花嫁に逃げられ、起こした心臓発作も。
血の気がひく、とはこういうことだろう。
急激な血圧低下。貧血症状。
「せ、清四郎？やっぱ、打ちどころが、かなりやばかったんじゃ」
蒼白になった僕を案じたのだろう。悠理がふたたび身をかがめ、顔を近づけてきた。
アップで見た悠理の顔は、やはりメイクなどしていなくても、とても綺麗だ。
僕は今度は、一転して急激な血圧の上昇を感じていた。
「うわぁ、清四郎が赤面してるよ…」
「あんな清四郎、はじめて見ましたわ」
「無表情のまま真っ赤になってるところが笑えるわね」
「案外、目開けたまま、気絶してんじゃねぇか」
ものめずらしそうに実況中継してくれなくても、わかってるよ。
自分がいま、どんな顔をしているか。
どういう、状況か。
悠理は、かなりびびって及び腰。
僕がおかしくなったと思っているらしい。
それはそうだろう。
アホだのバカだの罵倒ばかりしてきた男を突き倒したら、涙ながらに告白されて。
「…悠理」
僕は呼吸をととのえ、立ち上がった。
机の角でぶつけた胸が痛む。
だけど、これだけは、言わなければならない。
「おまえに、聞いて欲しいことがある」
外野がいようが、かまうものか。
おまえの気持ちも、かまうものか。
だって、まだ手遅れじゃない。
時間はたっぷりある。おまえに必要とされる、男になるための。
つかまえられないかもしれない。また、同じことを繰り返してしまうかもしれない。
だけど、今度は素直になる。
いまなら、まだ間に合う。
これは、神様がくれたチャンスだ。
ずっと、そばに居させて欲しい。
僕の未来予想図は、いつでも、おまえとともにある。
おまえと、描いていきたいから。
おしまい 2004.9.2