First
都心のマンション。
警察の事情聴取、記者会見などを終え、ようやくふたりきりになれたのは、
清四郎の部屋に隠れるように逃げ込んでからだった。
「ずっとおまえに、触れたかった」
清四郎はベッドの上に、悠理を横たえた。
抱きしめた細い体は、すでに、一糸も纏っていない。
あの雨の夜、よくも彼女を抱かずに帰せたものだと、いまさら自分のやせ我慢
ぶりに感心する。
「清四郎・・・あたしも」
灯かりを消しても、悠理のか細い震える声に、彼女が頬を染めていることがわかる。
おたがい、もう子供ではない。
それなのに、まるで初恋の少年少女のように胸が高鳴り、手が震えた。
”中坊の初恋じゃないんだからさ”
かつて、そう美童に揶揄されたことを思い出す。
あの頃からでさえ、もうずいぶん年月が経った。
そして、ようやく、ふたりはおたがいを手に入れたのだ。
大人になるための階段を上がり、紆余曲折の末に、やっと。
――――だが。
「い、痛ってぇっっっ!」
悠理の雄叫びが、夜のシジマに響き渡った。
*****
「・・・まさか、ほんとうに初めてだなんて、思わなかったんですよ」
拗ねて背中を向けた恋人に、清四郎は必死で謝罪する破目に陥った。
「め、めちゃくちゃしやがって・・・あたしは痛いっつったのに」
悠理はしゃくりあげながら、ふくれている。
「だって、ちゃんと濡れてたし・・・」
清四郎がそう言った途端、悠理は手近な目覚し時計をつかんで投げつけた。
「だからって、ノンストップで5回もすんなっ、ケダモノ!」
清四郎は目覚し時計を受けとめ、悠理の手の届かないところにどかせる。
そのまま、フローリングの床に腰を下ろした。
「あんな記事は載るし、てっきり悠理は経験があると思ってたんです」
シングルベッドを独占し、うつぶせで横たわっている悠理の背がピクリと揺れた。
悠理にとっては、あまり触れられたくない話題だ。
清四郎に”抱いて”と迫ったあげくの玉砕は、思い出したくもない。
ヤケクソで夜の街で男を引っかけ、フォーカスされた苦い経験。
「だって僕は、剣菱悠理に体を弄ばれた、って、慰謝料請求してきた男の対応をさせられたんですよ」
誰のせいだよ、と思いつつ、悠理はうなった。
「あたしが、あんなヤロウにあれ以上させるかっての」
かなりきわどいコトはされたものの。
「あの件だけじゃありません。以前、可憐が悠理の恋の話を聞いた、とか言ってましたから、
てっきり僕はおまえには恋愛経験があるものと」
「恋の話?」
悠理はやっと枕から顔を上げた。
大学在学中は、学部の違ったふたりは、週に数度仲間たちとともに会う
程度になっていた。
清四郎の留学中は、一年に一度顔を合わせればいい方。
彼が帰国し剣菱に入ってからでさえ、四六時中一緒にいたわけではない。
悠理のプライベートは、清四郎はほとんど知らなかったのだ。
実際のところ、清四郎以上にその数年間の悠理は多忙をきわめ、健全不健全にかかわらず男と交際
などしている暇はなかったのだが。
「ああ、あのときのことか」
悠理は可憐との会話を思い出していた。
”あんたにはわかんないでしょうね、悠理”
胸が痛くって、目が離せなくって。たったひとりが、気になってしかたがない感情。
ふわふわする幸福感と、泣きたくなる自己嫌悪。
”あたしだって、恋くらい、知ってるよ”
そう、可憐に答えたのは、嘘じゃなかった。
「あれは、大昔の・・・中坊の頃の話だよ」
甘酸っぱい、初恋の思い出。
「・・・ふぅん」
清四郎はおもしろくもなさそうに、答えた。
関心がなさそうなその横顔を、悠理は人差し指でつついた。
「おまえも聞く?あたしの初恋話」
「いえ、結構です」
清四郎は即答した。
ちらりと横目で悠理に目をやる。
「悠理だって、僕の過去の女関係なんて、聞きたくないでしょう」
悠理の顔が強張った。
20代も後半にして初体験の悠理に対し、清四郎が初めてのはずはない。
「・・・聞きたくない」
悠理の頬がふたたび膨らんだ。
まるで子供のようなその顔に、つい清四郎は吹きだしてしまう。
「大丈夫です。隠し子も愛人もいないから」
清四郎は悠理のふくれっつらに、顔を寄せた。
鼻の頭に軽くキスをする。
「僕の初恋は、おまえです」
悠理の目が見開かれた。
「うそっ」
「ほんとうです。多分、初めて会ったときからね」
あれで人生が変わったのだから、清四郎にとっては真実だった。
悠理と出会ってから、世界は彼女中心に回りはじめた。
想いを自覚したのは、ずいぶんあとになってからだったものの。
悠理は目を見開いて、清四郎を見つめている。
「〜〜〜」
悠理は自分の口を押さえた。
薄明かりの中。
悠理のうっすら染まった頬に清四郎は首を傾げる。
「ん?」
もう一度抱きたいと言えば、またケダモノ呼ばわりされるだろうか、と清四郎はこっそり
枕元をチェックする。
枕の他に投げつけられるものがないことを確認して安堵した。
羽織っていたシャツのボタンに手をやりながら、悠理の髪を撫でた。
「どうした?」
髪から背に手を滑らせる。
悠理は猫のように喉を鳴らした。
無意識だろうその反応に、清四郎は満足する。
初めて抱いた体は、そうあることが自然のように、清四郎の手に馴染んだ。
だから、未経験などとは思わなかったのだ。痛い、と喚かれても。
清四郎はゆっくりと腰を浮かし、ベッドの上に上体を移動させた。
うつぶせの悠理の体を、片手で体の線をたどりながら仰向けに変える。
「・・・中坊のときの」
悠理は赤い顔で、清四郎を見上げた。目が潤んで、涙目になっている。
「あたしの初恋も、おまえなんだ」
なにかをこらえるように、押さえられた口元。揺れる肩。
笑顔と泣き顔は、とても似ている。
そして、そのどちらも、心を揺さ振られる表現だった。
清四郎がそのまま悠理に覆い被さり、その夜6度目のケダモノ的行為に出たのも
無理はなかった。
その夜ずっと、悠理は笑っていた。そして、涙を流した。
それは、幸せの涙だった。
離れていた日々も、傷つけあったことも、ふたりには必要なプロセスだったと、いまは思える。
永い永い初恋は、まだ終わらない。これからも、ずっと。
2004.10.18
あとがきその2。
ハイ、以上おまけの初夜でした。ま、別室じゃないんで。(笑)
ところで、シリーズのタイトルを「名前のない空を見上げて」から取ったとはいえ、実はCDを買って歌詞を
確認したのは、「ヴィーナスの誕生」を書いてからでした。それで初めて知ったんです。2番の歌詞は、
「名前のない星をかぞえて」じゃなくて、”〜星を見つけて”だったのねー!ショーック!(笑)
だって、連ドラでは1番しかやんないので、一度だけ(!)ラジオで聴いたのをもとにお話を
書いちゃったんですもの。
そのCDで、最後のサビが「名前のない夢を見つけて」だと知ることがなければ、
最終話のタイトルは、宇多田の「DISTANCE」から取られてました。
「ヴィーナス〜」を「DISTANCE」にして、ラストは「FINAL DISTANCE」にするつもりだったんです。
でも、そうしなくて正解。だって、”いつの日にかdistanceも抱きしめられるようになるよ”だと、
最終話でもくっつきそうにない。”いつの日にか”って。(笑)
まだまだ続くよ、我慢大会、ってなカンジでしょうか。ベルバラみたいに、「あたしは一生、夫を
持たない」と悠理に言わせて、喜びの涙を流す清四郎、ってな終わり方もありそうでした。
しかし・・・身分違いでもなし、あんたらなんの障害があるねん!(爆)
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