ペッパー警視




紫色した黄昏時がゆっくりと、経過する。
住宅地の児童公園で、制服のまま、悠理はジャングルジムに上った。
てっぺんからは、夕陽を清四郎よりも長く見ていられる。
なごりを惜しんだ太陽は、やがて藍色の空を引きつれ沈んでいった。

夕陽が完全に沈むのを待っていたかのように。
清四郎はジャングルジムにもたれ、悠理と夜空を振り仰いだ。
「一週間目ですね」

「うん・・・」

悠理が清四郎と口をきくのは、一週間ぶりだった。

この公園は、魅録の家に程近い。
ここで悠理と清四郎が出くわしたのは、偶然とばかりは言えなかった。
ふたりとも、同じ目的で魅録の家に向かう途中だったから。



*****




「おまえが、好きだ」

そう清四郎が、悠理に告白したのは、一週間前。
悠理は鞄で清四郎を殴りつけ、逃走した。

それから、ふたりは口をきいていない。悠理が清四郎を避けまくったためだ。

ジャングルジムを見上げ、清四郎は悠理に話し掛けた。
「悠理、追いかけっこは、もうやめませんか」
「・・・うん」
暗くなった空の代わりに、外灯が清四郎の顔に影を作った。
「おまえの気持ちは、この一週間で、よくわかりました」
「あたいの気持ち?」
悠理は足をぶらつかせながら、清四郎を見下ろす。
清四郎の表情が、少しゆがんだ。
「あたいの気持ちなんて、あたいにもわかんないよ」
悠理は小さくつぶやく。
清四郎は顔を伏せた。
「ずいぶん、おまえを困らせてしまったな」
それは事実だ。
悠理はこれ以上はないくらい、パニクった。

悠理はジャングルジムから飛び降りた。
清四郎の正面に立つ。
清四郎は、悠理から顔をそらせた。
「ごめん・・・もう少し時間をください。友人にもどれるよう、努力します」

清四郎は制服の胸元をにぎりしめている。
「痛いの?」
悠理は思わず問い掛けていた。
「痛いです」
清四郎はやっと顔を上げた。

「片思いの末に、こっぴどく失恋したんですから」

清四郎の瞳が、言葉通り、心の痛みに揺れていた。
「あたい、ホントにわかんないんだ」
悠理は唇を噛んで、足元の石を蹴る。
「おまえは、友人だと思っていた僕に勝手な想いをぶつけられて、混乱してるんですよ」
「うん・・・」
悠理は顔を上げた。清四郎の視線とぶつかる。
「清四郎は、いっつもあたいのことバカにしててさ・・・」
「そんなつもりは、なかったんですけどね」
「だから、おまえに優しくされると、混乱しちゃうんだ」
悠理は頬を染め、胸を押さえた。
「ずきずきする・・・あたいも、痛いよ?」
顔をしかめ首を傾げた悠理を、清四郎は無言で見つめた。

「・・・同情してくれているんですね」
「そうなんかな」
「そうですよ」

「どうしたらいいのかな・・・」
悠理はひとりごとのようにつぶやいた。
「僕も、どうしたらいいかわからないんです」
「おまえが?」
悠理は不思議そうに清四郎を見つめる。
悠理にとっては、清四郎はなんでも知っている万能選手だ。
自分自身にさえわからない悠理の気持ちすら。

「どうしたら、おまえを諦められるか、わからない」
じっと切ない目で見つめられ、悠理は動揺した。

ふ、と清四郎は微笑む。
「ほら、こんなふうに、また僕はおまえを困らせる」
「清四郎」
「僕だって、友人だと思っている親しい人間から、こんなふうに言われたら、おまえのように困惑します」
「野梨子とか、可憐とか?」
「ええ、そうですね」
清四郎は苦笑した。
悠理は首を振った。
「・・・あたい、ヤだ」
「ええ、わかっています」
「ホント?」
「ええ。だから、時間をください」

そうすれば、またポーカーフェイスを取り戻す。想いを自覚してから、崩れっぱなしの冷静さを、取り戻す。
どうすれば、この恋を諦められるかは、わからないけれど。

「時間が経てば、おまえは、野梨子や可憐のことを好きになる?」
胸元を握りしめていた悠理の手が、震えていた。
「なにバカなことを。そんなわけ・・・」
苦笑しかけた清四郎は、悠理の見開かれた目に浮かんだ涙に、声を失った。
「あたい、そんなの、ヤだ!」



*****




いつのまにか、あたりは完全に夜の闇に覆われていた。
悠理の言葉に混乱し、清四郎はあっけにとられて、立ちつくしていた。
「おまえが、誰かを好きになるなんて、ヤだ!」
悠理の目から、ぽろぽろ涙が零れ落ちる。
「野梨子や可憐が、おまえを好きになるのも、ヤだ!」

悠理の涙に、清四郎は手を伸ばす。
「・・・酷いな。僕は、永遠におまえに片思いしていろと?」
頬の涙を、指先でぬぐい取った。
「どうして、泣いているんですか?」
悠理は首を振った。
「わかんない…ごめん」
「少なくとも、友人としては大事に思ってくれてるってことですよね?魅録や美童と同じように」
悠理はもう一度首を振った。
「全然、違うよ」
清四郎の顔を見上げた悠理の瞳は、まだ濡れている。
「魅録や美童には、あたい、こんな気持ちにはならない。おまえといると、あたいは落ち着かないんだ。 混乱してわけわかんなくって。胸が痛くて、たまんなくなる」
「悠理…」
清四郎は、あぜんとした表情で、愛しい少女を見つめた。

外灯の下でも、悠理の染まった頬はわかった。
薄い色の瞳に、星が映っている。
幼すぎて頑なな彼女の中に、生まれたばかりの恋。
乱暴に触れれば壊れてしまいそうなほど、まだ形さえとれない小さな芽吹き。

清四郎は、息をすることを忘れた。
片思いの末の失恋に押しつぶされかけていた心が、彼女に触れたいと悲鳴をあげる。
だけど、今、抱きしめれば。悠理はまた逃げてしまうに違いない。

そっと、ひそやかに。
清四郎は微笑した。
「せめて、悠理…友人として、近くにいることを、許してくれますか」
――――君に、恋をしたままで。

「うん、清四郎」
――――そばに、いて欲しい。

清四郎といると、胸が痛い。それでも、この一週間、思い知った。
清四郎のいない毎日は、耐えられないということを。

悠理は笑顔を見せた。
その笑みに、恋心が震える。
触れてしまえば崩れそうなほど、あやうげなバランス。
それでも、清四郎は悠理に触れたかった。
抱きしめたかった。

清四郎は一歩踏み出しそうになる心を、懸命に抑えた。
手を伸ばせば届く近さで見つめあいながら。

そのとき。



*****




「こらこら、君たち!」
公園の外から無作法な声が掛った。
「そんな暗いところで、なにをしている。学生だろう、もう家に帰りなさい!」
ペンライトで顔を照らされ、眩しさに一瞬目を閉じた。
その口調から警官だとはすぐにわかったが、視力が戻ってみると、背広姿の男が見えた。

「あれぇ、おっちゃん?」
悠理が素っ頓狂な声を上げる。
「おや、悠理くんに・・・清四郎くんかね?」
無粋な男は、確かに警察官。その頂点に君臨する警視総監、松竹梅時宗そのひとだった。
「こんばんは、おじさん」
清四郎は親友の父親へ、慇懃にあいさつした。

「いやはや、君たちだとは思わなかった。失敬、失敬」
わはは、と時宗は豪快に笑った。
「おっちゃん、なんだと思ったんだ?」
悠理がきょとんと問いかける。
その無垢な表情に、時宗は赤くなった。
「制服姿だけが見えたのでな。てっきり・・・その、不純異性交遊しとるケシカラン輩かと」
「ほえっ」
悠理が目を丸くする。
「ああいや、君らだとは思いもしなかったんでな」
人の良い中年の笑顔。
清四郎は無理やり笑みを顔に貼りつかせた。
不純異性交遊どころか、こちらは手さえ繋げない仲だ。

「もしかして、不純な行為の真っ最中だったかも、ですよ」
「ほえぇ?」
悠理がポカンとするのにかまわず、時宗に挑戦的な言葉をぶつける。
「僕と悠理だって、男と女ですからね」
言ってしまってから、しまった、と清四郎は顔をしかめた。
悠理を脅えさせるようなことを自ら言ってしまった。
ゆっくり、そっと、ひそやかに。距離を縮めていかなければ、ならないのに。

「わっはっは、ナイナイ!悠理くんと清四郎くんは、誰よりも信用しとるよ!」
時宗は大口を開けて笑った。
「悠理くんなんぞ、先日も泊りに来た際、魅録の部屋でへそ丸出して居眠っておったではないか。 ワシと魅録で布団に運んだが、蹴飛ばされて困ったぞ」
悠理が顔を赤らめる。
「悪かったなっ」
「いやいや。娘もいいもんだと、万作をうらやましく思ったぞ。 息子は年々、可愛いげがなくなるのでのぉ」

清四郎はちらりと悠理の赤らんだ顔に視線を移した。
「ふぅん・・・魅録の部屋で寝てしまったんですか」
驚いたことに、悠理は清四郎の視線の意味を察したらしい。
「だから、言ってるだろ、おまえと魅録は全然違うって!」
悠理は頬を染めたまま、清四郎をにらみ上げた。

「んんん?」
時宗はポカンとしている。
清四郎は、くすりと微笑した。
「・・・いいですよ、今はそれで」
”特別”だと思ってくれるなら、耐えられる。
今は、友達のままでも。
清四郎の笑みに、悠理は目に見えてほっとした顔をした。

見つめあう二人を前に、時宗はポンと手を打った。
「おう、そうだ、君らも夕食に来なさい。今夜はたしか、スキヤキだと お手伝いさんが言っておったぞ」
悠理の頭がピクンと跳ねた。
「スキヤキっ?!」
一瞬のうちに、悠理の表情が変わる。
「スキヤキ♪」
悠理の頭の中のシーソーが、ガッタンと食欲側に傾いだのを、もう片方で放り出された清四郎は、 はっきり悟った。
悠理はスキップをはじめる。松竹梅家に向かって。

「あ、」
背を向けた悠理は、思い出したかのように清四郎を振り返った。
ちょっと、気まずそうに手を差し出す。
「・・・行こ」
染まった頬。差し出された手のひら。
これだけでも、たいした進歩だ。

清四郎は心からの笑みを浮かべた。
「ええ」
一歩ずつ。
彼女のペースで、歩んで行けばいい。
清四郎は悠理の手を取ろうと、一歩踏み出すことを、自分に許した。

しかし。

「おう、行こう!」
彼女の手を取ったのは、清四郎ではなかった。
松竹梅時宗氏は、満面の笑みで、家路へと歩き出した。
悠理の手をにぎりしめて。

「・・・・・・・・・・。」
取り残された清四郎が、絶句して立ちすくんだのも、無理はない。
思わず、お気楽な中年の背に、殺気を迸らせる。

しかし、百戦錬磨のはずの鬼時宗と呼ばれた男は、清四郎の殺気に露ほども気づかなかった。

清四郎は大きくため息をついた。
もともと、魅録の家には行くつもりだった。
悠理にとってだけでなく、清四郎にとっても魅録は腹を割って話せる頼れる親友なのだ。
男としての度量の広さに、多少の嫉妬は感じるものの。
悠理と魅録の間に、男同士のような友情しかないことはわかっている。
”おまえとは、違う”
そう言ってくれた悠理の言葉が、清四郎を救った。

「・・・ま、とりあえずは、純粋異性交遊から、始めましょうかね」
苦笑しながら、清四郎は親子のような二人の後を追って、歩き始めた。



神ならぬ身の清四郎は、このとき知らなかった。
彼が悠理とつきあいはじめるのは、まだこれから数年後。
手をつなぐ機会さえ、もっとあと。
異性交遊の前に不純、がつく日まで、はるかに長い道程が、彼を待つことになる。





2004.10.7


「ペッパー警部、ジャマをしないで、私たちこれから、イイトコロ♪」はい、ピンクレディでっす。
フィンガーファイブにキャンディーズときて、ついにピンクレディ・・・。世代感爆発。
そして、これは「ふれて未来を」のふたりに続いたりして。 あれで清四郎くんに少々鬼畜入ってるのも、こういう積み重ねのせいなんですね。(笑)

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