1.目の前に星が散った。 教科書ノートを詰め込んだ自分の重い鞄が目の前に転がっている。そして、スニーカーの裏。 ガバリと身を起こした悠理は、自分がだれかと正面衝突したらしいことを察した。 四つんばいで、昏倒しているらしきスニーカーの人物に近づく。 悠理の重い鞄が運悪く脳天ヒットしたらしい相手は、中学生くらいの少年だった。 「げっ」 少年の顔を見て、悠理は驚く。 「清四郎っ?…って、んなわけないか」 自宅で悠理を待っているだろう鬼のような調教師――――もとい、友人は、 こんなにあどけない顔はしていない。 「おい、おいおまえ、大丈夫か?」 悠理は少年のネイビーブルーのシャツの肩を揺すった。 「う…ん」 幸いにも、脳震盪程度だったらしい。 少年は目を開け、頭を押さえつつ身を起こす。 「…揺すらないでください、乱暴だなぁ」 悠理はポカンと口を開ける。 少年は、目を開ければ、ますます清四郎と似ていた。 おまけに、その声。わずかにトーンが高かったが、聞き間違うほど同じ口調、同じ声。 「…おまえ…」 あっけにとられている悠理に、少年は目を細めた。 「…あれ?キミ…」 キミ、と呼ばれ、悠理は我にかえった。やはり清四郎ではありえない。 少年は悠理と大差のない身長で、体格も清四郎と全然違う。 清四郎とはつい一時間ほど前に部室で別れたところだ。いくら悠理でも見間違わない。 急に立ち上がったためか、少年はよろめき痛そうに頭を押さえた。 「大丈夫か、悪かったな。あたいの鞄が当たっちゃったんだよな。おまえんち、どこ?送ってくよ」 悠理は車を呼ぼうと鞄から携帯を取り出した。 今夜は清四郎の呼び出しで勉強合宿の予定だったが、教科書を学校に置き忘れた悠理は、 お抱え運転手に学校まで戻ってもらったばかり。学校からは徒歩圏内の菊正宗家に走って向かう途中だったから、車はまだ 近くにいるはずだ。 車を呼び戻そうと短縮ナンバーを押しかけた悠理だったが、少年が無言なので、手を止めた。 「どした?」 「僕…の家、ですか…」 頭を押さえたまま、少年は考え込んでいる。 「なんだかぼぅっとしてしまって」 「えっ、もしかして、自分ちがわかんないのか?!じゃ、じゃぁ、名前は?」 「うう…ん」 首を傾げた少年に、悠理は青ざめた。 「や、やば…打ち所がかなりやばかったんじゃ」 少年はぼぉっとした表情で悠理を見た。 「なんか、キミには見覚えが…それ、プレジデント学園の制服だろ?」 「あたいには、見覚えなんかナイ!」 サラサラの前髪。ぼんやりした目。こうして見ると、清四郎とは全然違う。 「とにかく、病院行こう!ちょうどあたいこの近くの病院(の隣)に行くところだったんだ」 悠理は鞄を拾い上げ、少年の手首を引いた。 「行くぞ、おまえ…ええっと、とりあえず”清五郎”」 少年は片眉を上げる。 「なんで”清五郎”?」 「だって、おまえあたいの知ってる奴にそっくりだもん」 「清五郎って人?」 「いいや、”清四郎”。おまえ、そいつの弟みたいだから」 「”清四郎”…ね」 話しながら、悠理は清四郎の家族構成を考えていた。 菊正宗家は清四郎と和子の姉弟だけだったはず。 少年は悠理に手を引かれ、おとなしくついてくる。 その顔をちらりともう一度見て、やっぱり赤の他人にしては似すぎていると、悠理は思った。 菊正宗病院の大きな建物が見えて来る。 しかし、悠理は表通りに向かわず、手前の道を曲がった。 「ちょっと行き先変更。おまえ、絶対あいつの親戚だよ」 か、どうかはともかく。 清四郎に先に相談することにする。とにかく、あの男は頼りになる。 菊正宗家にはすぐに着いた。 悠理は勝手知ったる他人の家の門を開ける。 ズカズカ玄関に向かう悠理の後ろで、少年は立ち止まった。家を見あげている。 「どうした?ほら、来いよ」 悠理は玄関の戸を開けた。 「おーい、清四郎ー!大変なんだ、ちょっとこいつ見てやって!」 大声で友人を呼ぶ。 なんなんですか、いったい、と、悠理の大声に呆れ顔で階段を降りてくる長身を待った。 しかし、スリッパを鳴らして玄関に現れたのは、顔見知りのお手伝いさんだけだった。 「こんちゃ。清四郎は?」 お手伝いさんは、は?と首を傾げる。 「清四郎坊ちゃまは…そこに」 「へ?」 悠理の背後の少年が、一歩中に入った。 「…やっぱり、ここは僕の家ですよね」 隣に並んだ少年と、ほとんど高さの変わらない悠理の目があう。 先ほどまでのぼんやりした様子は、その目にはもうなかった。 澄んだ知的な黒い瞳。 「僕が、清四郎です。菊正宗清四郎。やっと頭がはっきりしてきました」 悠理の目は点になる。 「へ?なんで、おまえが清四郎?だって、清四郎は…」 少年は困ったように首を傾げた。 しげしげと悠理の姿をつま先から順に見あげる。 「キミは…剣菱さんでしょう。どうして高等部の制服を着てるんです?」 「だ〜か〜ら〜、あたいは剣菱悠理だけど、正真正銘、高校三年なんだって!」 清四郎の部屋で。 我が物顔で椅子に座る少年に、悠理は頬を膨らませた。 「それよかおまえ、清四郎の従兄弟かなんかなんだろ。あいつとグルであたいをからかってんだよな?」 性格悪いとこまでそっくりだと、悠理は少年の肩を小突いた。 「あなたこそ、剣菱さんのご親戚なんですね?たしかにそっくりだ」 少年の物言いにカチンときた悠理は、鞄に入れっぱなしの生徒手帳を取り出した。 「ほら!確かめろ」 少年は難しい顔をして生徒手帳をめくっている。 「プレジデント学園の生徒手帳は偽造防止措置がなされているはずなんだが…」 「偽モンじゃねーよ」 「そのようですね」 少年は手を顎にあて、考え込んでいる。 「ったく、清四郎はどこ行ってんだよぉ。あたいにすぐ来いって言ったくせによ」 悠理は携帯を取り出し、清四郎の短縮ナンバーを押した。 だが、携帯はつながらない。 「あれ?ここって圏外だっけ」 携帯の画面を確かめ、悠理は首を傾げる。 「電話だったら、どうぞ」 少年は机の上のコードレスを悠理に手渡した。 「ああ…あんがと」 とりあえず、携帯のアドレスを見ながら清四郎の携帯に掛けてみる。 しかし、不通。 「無駄ですよ。だって、僕は携帯電話なんて持ってないから」 「まだ言ってんのか。おまえじゃねーよ。あたいが用があんのは、清・四・郎! 野梨子とどっか寄り道でもしてやがんのかな」 野梨子の携帯にも掛けてみたが、また不通。 「野梨子も、持ってませんよ。僕の知る限り」 「黙れ、ガキ」 少年は黙った。 「もういいよ。帰っちゃる」 しかし、自動車電話も、なぜか不通。 癇癪一歩手前の悠理は、自宅の番号を押した。やっと、通じた。 『はい、剣菱でございます』 「ああ、五代?あたい…」 悠理の言葉はそこで止まった。 『あっ、嬢ちゃま、およしなされ、五代は通話中ですぞ!ああ、し、失礼致しました、どちらさま…』 「……」 悠理はブチッと通話ボタンを切った。 「どうしたんです?」 黙っていた少年が、蒼白になった悠理に問う。 悠理はごくりと唾を飲み込んだ。 「…五代の後ろで、あたいの声がした…」 電話中の五代に抱きついたらしい少女の声は、『腹へったー、オヤツー!』と叫んでいた。 電話越しに聴く自分の声はよくわからないものの、剣菱邸であんな物言いを五代にするのは、悠理以外にない。 悠理は額から冷たい汗が吹き出し、流れるのを感じていた。 首の後ろがぞわぞわする。 この感じ。この嫌な感覚には覚えがあった。 霊体験のときほどではないにしろ、予知夢を見たり超常現象には慣れっこの悠理だ。 やっと、悪い冗談などではなく、悠理は自分が窮地に立たされていることを理解し始めた。 「…演技には見えないな」 真っ青になって電話を握りしめている悠理に、少年はつぶやいた。 「え、演技じゃないやい」 悠理は恐怖に襲われ、ペタンと座り込んだ。 「どうしよう…あたい、どこに帰ればいいんだ…?」 椅子の背を抱えて座る少年を、悠理は見上げる。 額にかかる前髪が幼いが、双眸はあの頼りになる友人にそっくりな、黒い瞳。 「どうしたら、いい?」 半ベソで、悠理は少年に問いかけた。 「本当に…本物の剣菱さんなんだね?高校三年の」 ”清四郎”は、目を輝かせた。 ――――ああ、こーゆー奴だよ、人の不幸を面白がって! 悠理は、認めざるを得なかった。ここにいるのは、まだ中学生の清四郎なのだと。 そして、自分はどうしたことか、過去に迷い込んでしまったのだと。 TOP |
キャンデーズの名曲にノッてお届けする、14歳の清四郎くんと19歳の悠理くんのお話です。
可愛らしいカップル物にしたかったんですが・・・別室連載ってことで、お察し下さい。(爆)
14歳って、かなりおこちゃまですもんねぇ。2年前まで、小学生。