3.「な、な、な、な、な、な」 顔から、火が吹くかと思った。 「なにすんだ、このヤロー!」 殴りつけようとした悠理の手は、強い力でつかまれて、動かせない。 「いけませんでしたか?」 いきなりキスしてきた強奪犯のくせに、少年は不思議そうな顔をしている。 「せ、清四郎の、清四郎のくせに…!」 そうだ。悠理は、華奢な体と幼い顔にごまかされてはいない。 悠理をベッドの上に押し倒しているこの中学生は、清四郎なのだ。 そして清四郎が、悠理にキスしたり”可愛い”などと言ったりするはずはない。 「清四郎のくせに、なにすんだぁっ」 悠理はパニックに陥った。 「清四郎のくせにって…キスしたから怒ってるんですか?」 悠理はますます顔を赤らめる。ぶんぶん首を縦に振った。肯定の意。 「悠理は僕の恋人なんでしょう?」 慌てて、首を横に振りなおす。否定の意。 「ええ?だって、婚約してるんでしょ?」 もう一度、首をぶんぶん横に振った。 あんまり力いっぱい振ったので、眩暈がした。 「部屋に寝間着まで置いてて?まさかコンニャクの大食い競争が真実だなんて、ごまかさないでくださいよ」 「こ、コンニャクはともかく、清四郎とは、公明正大きっぱりはっきり、ただのダチだぁ!」 悠理がそう叫ぶと、ようやく体の上から重みが退いた。 清四郎が離れたので、悠理はベッドの上に体を起こす。そのまま胡坐をかいて壁にもたれた。 清四郎もベッドに腰掛けたままだ。ゼイゼイ荒い息をつく悠理の肩のあたりを、憮然とした表情で見つめている。 「…僕は、”悠理”は、未来の”剣菱さん”なんだと思ってたんだけど」 「んあ?」 悠理は清四郎の沈んだ声に、伏せていた顔を上げた。 「僕と悠理は、まったく違う平行宇宙の人間かも知れないんだな」 清四郎は悲しげに、眉をよせた。 「ああ?宇宙人?わかるように言ってくれよ」 「だから、悠理は僕の知っている”剣菱さん”じゃなく、僕も悠理の知っている”清四郎”とは別人ってことです。 タイムスリップじゃなくて、パラレルワールドだったのかと」 「パラ…?」 悠理にはますますわからない。 「別人って。でも、おまえは清四郎だろ?」 悠理は首を傾げた。少年の悲しげな表情が気にかかる。 いきなりキスされて驚いたものの、なにやら落ち込んでいる清四郎の様子に、悠理も胸苦しくなってきた。 「…悠理は、僕と初めて会ったときのことを、憶えてますか?」 肩のあたりに視線を向けたまま、清四郎は問う。 悠理はうなずいた。 「幼稚舎の入園式だろ」 「野梨子と、喧嘩して」 「おまえは、腰を抜かしてた」 清四郎はやっと悠理の顔に目を向けた。 目と目が合って、悠理はプッと吹き出す。 「なんちゅー弱虫かと思ったぜ」 「僕は、あれをきっかけに武道を始めたんですよ」 「そうだってな。いつの間にか、あたいよか強くなっちまってよぉ」 暗く沈んでいた清四郎の目に、光が戻ってきた。 「小等部では、一度も同じクラスになりませんでしたね」 「ああ」 「でも、一度体育祭のリレーで、僕と走ったでしょう。お互いアンカーで」 「五年のときだっけ?あたいが、勝ったんだ」 ニカと笑う悠理に、清四郎は苦笑する。 「前走者の段階で、ウチのクラスはビリでしたからね」 「あたいのクラスだって、後ろから2番だったさ。前の奴らみんな、ぶっちぎりに抜いたもん」 「そうだった、ラスト一周は、僕らの争いになったよね」 「ああ、いつの間にかビリだったおまえが…」 記憶力にはあまり自信のない悠理でも、なぜか憶えている。まだ、友人ではなかった頃の、気に食わない優等生を。 走者を抜き去ってふりかえると、最後尾にいたはずの清四郎が、すぐ背後まで迫っていた。慌てて、渾身の力でゴールに駆け込んだ。 遠い日の、思い出。 ふと視線に気づいた。 先ほどまでとは打って変わった明るい顔で、清四郎が悠理を見つめていた。 「なんだよ?」 「…やっぱり、悠理は僕の知っている”剣菱さん”だ」 「?だから、そう言ってるだろ?」 清四郎は微笑する。はにかんだような、戸惑ったような、笑み。 清四郎はおだやかな優しい目で、悠理を見つめていた。 どきんと、悠理の胸の中で、何かが動いた。 見覚えのあるような、初めて見るような、清四郎の瞳。 悠理はその目から目をそらすことができない。 そういえば、こんな風に同じ高さから見つめあったことはなかった。 長身の清四郎とは、同じ高さで物を見ることができなかったから。 「悠理…」 座ったままの姿勢で、清四郎が悠理の頬に手を伸ばした。 悠理も、なぜか逃げなかった。 両手で包まれた頬が、熱く火照る。 悠理の知っている清四郎の大きな手とは、違うけれど。だけど、優しくあたたかなこの手は、やっぱり清四郎の手だった。 「僕は、ずっと悠理が好きだった」 ふたたび、唇にやわらかな感触。触れるだけのキス。 固まっていた悠理は、その感触でわれに返った。 「わぁぁっ」 狭いベッドの上でぴょんと飛び跳ね、背後の壁にはりつく。 「清四郎のくせに、なに、なに、なに、言いやがるっ」 「また、ですか?」 手をふり払われた清四郎は不満そうだ。 「だって、清四郎は…清四郎は、いっつもあたいのこと、バカだのアホだの言って、性格悪いし意地悪だし…」 真っ赤になりながらそう言うと、少年はガックリ肩を落とした。 「………。」 「ど、どした?」 清四郎は、はぁぁと大きくため息をついた。 「僕って、ものすご〜く、格好悪い男に、成長してるんだな…」 「え?そ、そんなことはないと思うぞ?」 悠理は落ち込んでいる少年をなぐさめた。 「そりゃ、服装の趣味はおじんくさいけど、そんな捨てたモンじゃないぞ?なんでもできるし、なんでも知ってるし」 「そういう意味じゃないです」 清四郎は上目遣いで悠理を見つめた。悠理に負けないくらい、頬が染まっている。 「好きな子に意地悪するって、小学生でももうちょっとマシですよ。悠理はそんなガキっぽい男は、嫌いですか? 僕もそりゃほんとにガキだけど、もうちょっとマシな男になるよう努力します」 「ど、どひーっ!」 「なんですか、そのリアクション?」 「清四郎の顔で、清四郎の声で、そーゆーコト、あたいに言うなー!」 とうとう脳味噌にまで熱が回った悠理は、ばふっと枕に突っ伏した。 「悠理の知っている”清四郎”も、僕も、きっと同じです。ずっと、悠理が好きだった。ずっと、友達になりたかった」 枕に顔を押し付けている悠理に、至近距離で清四郎の声がささやいた。 「そして、”僕”はとにかくも友達の位置には、いるわけなんだ?」 悠理はうなずいて、うつぶせたまま、顔だけ声の方に向けた。 悠理の隣には、清四郎も頬杖をついて横たわっている。 「悠理は、僕のこと、嫌いですか?」 真っ直ぐな幼い目でそう問われ、悠理は首を振った。 寝転がったまま、至近距離の少年の額に手を伸ばす。 サラサラの前髪を上に撫で付けると、やはり少年は清四郎の顔になった。 「おまえは、”清四郎”だもん。嫌いなわけ、ないだろ」 清四郎は、悠理が頬をのせている枕の端に、自分も顔を乗せた。 ベッドの上で二人寝転がって。額がぶつかりそうなほどの至近距離で、見つめあった。 「ほんとうは、悠理が僕を”清四郎”って呼ぶたび、ドキドキするんだ」 素直すぎる言葉が、胸にこそばゆい。 その真っ直ぐな目も、赤く染まった頬も、悠理の知る清四郎とは、少し違うけれど。 悠理はもう一度、少年の髪をすくい上げた。 「うん・・・あたいも、ドキドキする」 髪を撫で付ける悠理の手を、清四郎はつかんだ。 清四郎は枕から顔を上げ、上体を起こす。 「悠理、誘ってるの?」 「え?」 なに、と思うまもなく、またくちづけられていた。 清四郎の腕が、悠理の体を引き寄せる。 思いもかけないほどの力で、抱きしめられた。 同じ位置にある心臓が、ドキドキ激しく高鳴っている。 清四郎の部屋で、清四郎のベッドで、清四郎の服を着て、清四郎に抱きしめられて。 慣れた男の匂いに包まれ、悠理は目を閉じた。 合わせた唇から、舌がおずおずと侵入し、悠理の口内で吐息とからんだ。 三度目のキスは、とろけるような、甘いキスだった。 ゆっくりと唇が離れても、頭の中が霞みがかかったようにぼんやりしていた。 「・・・夢かな・・・」 少年が小さくつぶやいた。 「夢かもしれない」 悠理もそう口に出してみた。 清四郎は、清四郎じゃなくて。ここにいる悠理は、ほんとうは居ないはずの人間で。 「イヤだ」 清四郎はそう言って、ギュッと抱きしめる腕に力を込めた。 肩幅は、少し悠理より広い。体の厚みはあまりない。 5センチも変わらない身長差のため、足の指先が絡む。 抱き合っていると、また意識が眩んできた。 なぜか現実感がなかった。 あたたかい腕も胸も、触れ合わせた頬も、はっきりと感じることができるのに。 「・・・なに?コレ」 腰のあたりに異物感を感じ、悠理は疑問を口にした。 「!」 抱き合ったままの、少年の体が強張る。 「・・・ごめん」 耳まで真っ赤に染まった顔に謝られ、さすがの悠理も気づいた。 青少年の事情というやつだ。 悠理は女あつかいされた経験がない。 あまり男臭さを感じない今の清四郎が、そんな反応を示すのが不思議だった。 「あたいの、せい?」 唖然と問いかけると、こっくり清四郎はうなずいた。 「悠理・・・いい?」 潤んだ熱い目に見つめられ、さしもの悠理もその意味がわかった。 「ど、どひ〜!」 「そのリアクション、やめて下さい」 「だって、だって、だって・・・」 真っ赤になってアワアワしている悠理の鼻の頭に、少年はキスをした。 「僕、初めてなんです。教えてください、オネーサン」 「あ、あたいだって・・・」 「で、しょうね」 可愛かった少年が”清四郎”の顔をして、微笑んだ。 |