kiss kiss kiss 2
一週間だけの恋人<10>




【旅行一日目】


 





大阪行きの新幹線のぞみ号。
悠理、魅録、美童は三人でトランプ。清四郎と野梨子は読書。 可憐はトランプ組に話しかけつつ、ガイドブックをのぞいている。
男女同数のこの六人組で、誰と誰がカップルなのか、だれにもわからなかっただろう。

「わーい、快晴!遊ぶぞー!」
大きな地球議状のシンボルマークの前で悠理が叫んだ。
間違っても”趣味:映画鑑賞”と履歴書に書けない悠理だったが、 このハリウッド映画テーマパークのアトラクションは、大好きなSFアクション系が中心だ。
野梨子をのぞくほかの四人も、ほとんどが観た映画ばかり。
「私、この中ではETしか観てませんわ…」
ジョーズ、ジェラシックパークetc、恐ろしげな看板に、野梨子の顔色は悪い。
「おまえの知識って、偏ってるよな〜」
「悠理にだけは、言われたくありませんわ!」

青空の下、笑い声がはじける。

連休の晴天とあってそれなりに混んでいたものの、ディズニーランドや万作ランドに比べると狭い園内、 悠理は仲間たちをひっぱり、一日駆け回って楽しんだ。
カップルでまわるようなアトラクションがほとんどなかったことも、いまの彼らには幸いした。
「魅録、清四郎!次、スパイダーマン行こうよ、ほら、早く!」
「えー、またかよ。最後にもう一回入るなら、俺はウォーターワールドの方が」
「あれは、カンベンしてください。悠理が自分もマスト登りたがって、さっき押さえるの大変だったでしょう」
「悠理を押さえて引きずられたの、僕だろぉ。清四郎、おまえは笑ってただけじゃないか」
「あたしたちは、ゆっくりカフェでお茶しとくわ。日暮れ時の町並みも綺麗じゃないの」
「…私、さっきの恐竜で、気分が…」
悠理の笑顔が翳ることはなく、楽しい一日は過ぎていった。

夕焼けが大阪湾に沈む頃。
一行は、宿泊地の六甲有馬に移動した。
野梨子希望の温泉宿だ。
「ったく、ババ臭いんだからよー」
「悠理ご要望の中華街には、明日付き合いましてよ」
野梨子に憎まれ口を叩きながらも、悠理はご機嫌だ。
温泉宿の豪華な食事が約束されているためばかりではなかった。

まるで、ほんとうに以前の皆にもどったような、一日だった。
カップル達には無理をさせているんじゃないかと、悠理も気にしない事もない。
ガイドを熟読している可憐は、魅録と二人で買物に行きたそうだ。
美童だって、神戸の街を野梨子と歩きたいだろう。
でも、彼らにしても、つきあいだして初めての旅行。
いきなりの二人きりより、いつものように皆で騒ぐこんな一日から入るほうが、いいかも知れない。

(明日は、カップルにはそれぞれ自由行動させてやろう)
仲間たちが、今日一日悠理を喜ばせようと精一杯ふるまってくれたことは、わかっていた。
(あたいは、太極拳のおっちゃんとこにでも、行けばいい。…清四郎がかまわなければ)
そして、清四郎は。
清四郎はおだやかな笑みを浮かべて、いつものように悠理や魅録のペースに合わせて楽しんでいるようだった。
だけど、やはり清四郎から悠理には一度も触れなかった。
悠理が、ついいつもの調子で袖を引こうとしたときも。するりと、手はかわされた。
さりげない動きだったが、それは悠理に、確かにあの一週間の傷跡を思い出させた。
取り繕っても、消えていない。清四郎の中にも、まだ残る傷跡を。

あれから、清四郎と二人きりになったことはない。
本人達も避けているが、周りも気を遣ってくれている。
あの一週間はなかったものとして、誰の口にも上らない。
忘れたふりで。
なかったことに。
たいていは、成功している。
けれど、ふいをついてぶつかった視線。そらすのは、いつも清四郎の方だ。
それは、以前とは逆。
悠理はつい清四郎の目を覗き込んでしまう。探してしまう。
そこに、あの情熱的な色の欠片を。

彼の中にもまだあの一週間が残る事を確認するたび、安堵してしまう。
友達にもどろうと、清四郎に強制したのは悠理なのに。



*****





宿に着いたのは、もう夕食時間ぎりぎりだった。
湯につかる暇もなく、大きな宴会場で騒ぎながら食べる。
悠理は、久しぶりに大食ぶりを発揮して、皆をあきれさせた。
「ああ、食った食った」
そっくり返りながら、夕食後に野梨子にせかされ、湯に向かう。
脱衣場でパッパと勢いよく服を脱いでいると、可憐が唖然とした顔で悠理の体を凝視していることに気がついた。
「か、可憐…?」
下着姿の悠理は、ギクリと身を強張らせる。
慌てて、タオルで体を隠した。

「悠理…あんた」
顔色を失った悠理に、可憐がため息をついた。
「あんだけ食べ物詰め込んで、どうしてお腹出てないのぉ?あんたの胃は四次元ポケット?」
なにやら悩ましげにしっかりくびれたウエストを触っている可憐に、悠理は赤面した。
「あ、あたいはド○えもんかよっ」
悠理は怒ったふりをして顔をそむけた。
野梨子が不思議そうな顔をしている。 悠理の態度を不審に思ったのではなく、”ドラえ○んの四次元ポケット”がわからないだけだといいのだが。

あれから、二週間近く経つのだ。清四郎の付けた痕は、もう消えているはず。
心の中の痕跡を消せる時間ではなくても、肌に付いた痕は、消せる時間だ。
それでも、首にも胸にも腹にも散った目には見えない愛撫の痕は、いまでも悠理を悩ませる。

一週間だけの恋人が残した、痺れるような感覚。苦しくなるほどの疼き。

熱い温泉に体を沈める。
あの熱い目を、脳裏から消し去ってしまいたい。

「悠理、のぼせますわよ」
野梨子に言われて、よろよろと湯から上がった。
「顔真っ赤よぉ」
可憐がタオルを冷やし、額につけてくれる。
悠理はぼんやりと可憐に目を移した。
見事なプロポーション、白い肌。
「かれん・・・綺麗だなぁ」
言いながら、可憐に抱きついた。
「な、なによ!あたしはそんなシュミないわよっ」
そう言いつつも、可憐はのぼせた悠理の髪を拭き、ヨシヨシと支えてくれる。

不思議なくらい、可憐に嫉妬は感じなかった。
清四郎に抱かれているときは、あれほどつらかったのに。
”友達にもどろう”と言ったときから、清四郎は可憐を見ない。
完璧なポーカーフェイス。
悠理に対するときは、ときどき綻びるその顔に、胸がふるえる。

期待してしまう。夢見てしまう。
あの最悪だったはずの一週間を、違う目で見たくなる。

(少しでも、あたいのこと好きだった?)

何度も、清四郎は”好きだ”と言ってくれたけど。
強すぎるくらいの力で抱きしめてくれたけど。
どんどんどんどん、つらくなった。
清四郎を好きだと、気づいてしまったときから。
悠理を映さない清四郎の瞳の中に、恋の苦しみを見てしまったときから。

「ちょっと、涼んでから戻るよ」
風呂をあがり部屋に戻る野梨子と可憐と別れ、悠理は宿の中庭に出た。
ほてった体に、夜風が涼しい。
宿のエントランスに面した狭い日本庭園からは、明かりが強すぎて夜空が見えなかった。
神戸の街の100万ドルの夜景も、六甲山上のようには見えない。
悠理には、自分の心も見えなかった。
清四郎との間に生まれた距離に安堵する自分がいる一方で。
望んだはずの友人としての関係に、胸の傷痕が疼く。
同じ傷を清四郎の中に見つけ、残酷な喜びさえ感じて。
忘れないでと、どこかで願っている。
忘れなければ、友人にはもどれないのに。

悠理は自分の体を抱きしめた。
抑えつけなければ、あふれだしてしまいそうに思えた。
なんだか、わけのわからない衝動。
叫びだしたいのか、泣きだしたいのか、わからない。
ただ、清四郎が欲しくて、たまらなかった。
清四郎の心が。



*****





風呂上りにロビーでフルーツ牛乳を飲んでいた魅録は、中庭を歩く友人に気がついた。
悠理はぼんやりと夜空を見上げている。
浴衣の袖と悠理の髪が、風にやわらかく揺れていた。
「ゆ…」
声をかけようとして、魅録は言葉に詰まった。
悠理の瞳が濡れているように見えたからだ。

「どしたの、魅録」
立ちすくんでいる魅録の肩を、もう一人の友人が叩いた。
「あれ、フルーツ牛乳なんか飲んでんのぉ?」
こちらはビール片手。長い金髪をひとつに束ねた美童だ。
「ああ、いや、やっぱ風呂上りは、コレじゃなきゃっつうか…」
言いながらも、魅録は悠理から目が離せない。
「あ、悠理?」
美童も魅録の視線の先に気がついた。

悠理は少し寒いのか、自分の体を抱きしめていた。
外灯に照らされた顔には、涙は見えない。
だけど、やはり悠理は泣いているように見えた。
長いまつげの先が、ふるえていた。

「悠理…あいつ、今日一日すげぇ楽しそうだったけど。やっぱ、無理してたんだな」
「う…ん、ほんとに楽しかったんじゃない?遊んでる間は、さ」
美童は困ったように苦笑した。
「だけど、すごいよな。あの悠理が、あんなに色っぽくなるとはね。やっぱり女にされちゃったからだよな」
魅録はぎょっとして美童をふりかえった。
「って、おまえ!」
「魅録だって、見惚れてたんだろ。悠理があんまり綺麗だから」
魅録は赤面した。
思いきり図星だったからだ。
「あーあ、真っ赤になっちゃって。可憐に言っちゃおうかな〜」
「美童!」
照れ隠しで美童に拳を振りあげる。
笑いながら後ずさった美童は、背後の人物にぶつかった。
「なにしてるんですか?」
「せ、清四郎!」
風呂から上がった清四郎は、下ろした髪の下の目を細めている。
魅録の顔の赤色が、全身に広がった。
「カラスの行水で一番に上がったくせに、まさかのぼせたんですか、魅録?」
清四郎があきれ顔で、魅録の赤い顔に首を傾げた。
「違うよ。単にお子ちゃまなだけ。魅録ちゃんは」
「美童!」

騒いでいる彼らに、やっと悠理が気づいた。
「なにしてんだ、おまえら」
悠理は中庭から建物に、宿の下駄を脱いで入ってくる。
その表情は、いつもの無邪気な顔にもどっていた。
だが。
清四郎を見あげる瞳が、揺れたように見えたのは気のせいじゃないだろう。
明かるいところであらためて見ても、目を釘付けにされたあの艶は、消えていない。
悠理が近づいてきたことで、魅録はますます焦った。
「俺、俺もビール買ってくる!」
魅録は自動販売機コーナーに、スタコラと逃走した。

”悠理を抱きました。めちゃくちゃに、何度も”

そう言った清四郎の言葉を、魅録はあらためて理解したのだ。







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