卓球台を見つけたのは、悠理だった。
「あ、ピンポンやりたい〜!美童、やろうよ!」
「なんで、僕なんだよ。清四郎か魅録に頼みなよ」
倶楽部でアクティブ派は、悠理、魅録、清四郎だ。
しかし悠理はフロントでラケットを調達し、美童に渡した。
「だって、テニスはおまえが一番うまいじゃん」
「テニスと卓球は違うよぉ」
もちろん、間違っても女受けしない卓球など、美童はしたこともない。
助けをもとめるように、清四郎を見た美童だったが、すげない笑顔にぶつかった。
「テーブルテニスっていうくらいですから、似たようなものじゃないですか」
魅録も山ほど買い込んできた缶ビールを脇に置き、清四郎の隣でニヤニヤ笑っている。
美童はガクリと首を落とした。
「僕、ピンポンなんかやったことないのにぃ」
「あたいだって、初めてだよ。見よう見まねで、なんとかなるだろ」
悠理はそう言って、いきなりテニスばりのオーバーハンドサーブを台に叩き込んだ。
「や、やっぱりぃ〜!」
美童は悲鳴をあげる。
壁を背に立つ清四郎は、隣の魅録に微笑した。
「悠理は、特別ですからね」
魅録はビールに口をつける。
「・・・ああ」
卓球台を見つめている清四郎の横顔を、魅録は見あげた。
見慣れた友人の冷静で理性的な顔からは、その胸のうちが読み取れない。
魅録には、どうして清四郎と悠理がこじれたのか、まったく理解できなかった。
「清四郎、おまえらさ・・・」
(お互い、好きあってるんだろ?)
「なんです?」
「いや・・・」
恋愛初心者の魅録には、好きな相手を傷つけてしまう気持ちなんて、わからない。
そうして、自分もあれほど傷つくなんて。
「・・・もう、ダメなのか?」
余計な口出しだとは思いつつ、魅録は黙っていられなかった。
清四郎は魅録に顔を向けた。
口元は微笑みを浮かべていたが、目には深い苦悩の色があった。
「魅録は・・・・嫉妬をしたことがありますか?」
問い返されて、魅録は虚をつかれる。
「え…可憐に?」
「ええ」
魅録は天井を仰ぐ。
「えっとぉ・・・あいつが惚れっぽいのはよく知ってるし。過去を言ったら、キリねーし」
清四郎に顔をもどす。
「俺が好きになったのは、そういうアイツだし、しかたねぇじゃん」
魅録は頬を染めながらも、はっきり言った。
恋に浮かれる可憐を、魅録は現実に繋ぎとめる。ゆっくり、お互いと向き合って、一歩一歩一緒に歩く。
そんな二人の恋を、魅録の表情は言葉以上に語っていた。
「・・・魅録はやっぱり、いい男ですね」
清四郎がまぶしげに目を細めた。それは、悠理を見つめていた目と少し似ている。
「おまえは、違ったのか」
彼女を彼女のまま、好きになったはず。ありのままの悠理を、どうして大切にできなかったのか。
「・・・僕は、最低でした」
清四郎は一度目を伏せ、視線を卓球台の悠理にもどす。
悠理は美童を左右に翻弄し、大笑いしていた。
あの一週間、一度も見せなかった笑顔で。
「まだ、好きなんだろ?いいのか、このままで」
問いかけながら、魅録は清四郎の視線を追って悠理の笑顔を見た。
たしかに、悠理はのびやかな姿を取り戻している。
「僕は、彼女の望みに従うだけです」
悠理の望んだ、現状。以前のような、友情。
だけど、時はもどらない。どんなことも、なかったことにはできない。
先程、自分をとまどわせた悠理の姿を、清四郎に見せてやりたいと、魅録は思った。
悠理も忘れることなど、できていないのだということを。
*****
「あー、もうカンベンしてくれー!清四郎、タッチ!」
肩で息をしながら、美童が清四郎へ投げつけるようにラケットを渡した。
「だらしないぞー、美童!」
悠理は余裕で歯をむき出して笑っている。
「魅録、どうです?」
ラケットを差し出され、魅録は首をふった。
「俺、球技はイマイチ。次の犠牲者の座は、おまえに譲る」
清四郎は小さく肩をすくめた。
「よっしゃ、だいたいコツはつかんだぞ。やるかぁ、清四郎!」
悠理はぶんぶん素振りを見せる。
「ハイハイ、じゃ、やってみましょうかね」
”彼女の望みに従うだけです”
そう言った言葉通り、清四郎は浴衣の袖をめくって、卓球台に向かった。
清四郎はラケットとピンポン玉の感触を、台に転がして確認している。
「おまえも、初めてなんだ。卓球、似合うのに〜」
悠理は肩までめくりあげた浴衣の袖をなおも引き上げ、やる気満々。
「どういう意味ですか?」
ラケットの上で器用に玉をバウンドさせながら、悠理はほくそ笑んだ。
「イッシッシ。や〜〜っと、清四郎に一泡吹かせられそうだじょー!」
まだぜいぜい荒い息をつきながら、美童は魅録の隣にパイプ椅子を引きずりドサリと腰を下ろした。
「ああもう、また風呂入って来なきゃ」
「ご苦労さん」
魅録が差し出したビールを美童は一気に空ける。
「なんか、さっき清四郎と話してたね。悠理のこと?」
「見てたのか」
「そーゆー雰囲気は、わかんの」
ニッコリ微笑み、美童はビールの缶をつぶす。
「で?」
「うん・・・あいつ、なんか嫉妬してたらしいぜ」
「ええっ、あの悠理に?」
二人にとっては女のうちに入らない悠理に、そんな心配が生じるとは考えられない。
「・・・清四郎、恋は盲目を地で行ってるなぁ。わかってたけど」
「だろ?」
美童と魅録は顔を見あわせる。
「あいつら、どうにかなんねぇか?先生」
「こういうことは、周りがごちゃごちゃ口出しても、ねぇ」
「おまえは、この分野のプロだと思ってたけど」
「君らに比べればね。でもなぁ。あいつら、おたがい裸でぶつかって、 衝突事故状態で満身創痍になってんだから」
裸で、というところで赤くなった魅録にかまわず、美童は卓球台に目を向け、ため息をついた。
「なんか、誤解してんならともかく」
悩める友人達の眼前では、当の二人が卓球に興じている。
最初の数分は悠理の圧勝だった。しかし、だんだんラリーが続きだした。
「ふぅん、こうすればスライスが簡単に打てますねぇ」
などとぶつぶつ清四郎は探求モード。
余裕を見せていた悠理も、目が真剣になってきた。
どんなに打ち込んでも、清四郎は返してくるのだ。返球はヘナチョコなスローボールだが。
「なぁ、美童。なんで悠理の強打を清四郎はあんなスローボールで返せるんだ? 強打に当てるだけですごいのが返せそうなのによ」
魅録が首をひねった。
「あ・・・わかった」
美童は眉をひそめる。
「清四郎、あいつ変化つける練習してるんだ。悠理の球の勢い殺すのはもうできてるだろ。 見ててみろ、じきにすごいの見れるから」
美童の言葉通り、清四郎の打った球を、悠理が空振りする場面が増えだした。
「く、くそぉ、クネクネと!」
しかし、悠理もさすがの運動神経。回転の加わった変なバウンドに、無理やりラケットを当てる。
やがて、悠理は狭い卓球台の周りを横っ飛びに飛んだりジャンプさせられたり、 縦横無尽に走り回ることになった。
「思い出したよ。澤乃井カップのとき、実は清四郎とテニスやってみたんだよね。だって、いくら 僕がテニスが得意だって言っても、ペアを組むのがあの体力のバケモノ悠理だろ。本来悠理に体力で対抗 できるのは清四郎だけじゃないか」
「ああ、それで、おまえの方がやっぱり上手なんで、出ることになったんだろ」
「うーん、それはそうだったんだけど」
卓球台に落ちた清四郎の打った球は、ありえない方向に回転して悠理を振り回す。
「清四郎の球は、テニスでもあんなのばっかだったんだよ。テニスの場合、変化球のコントロールも できなかったみたいだし。シングルならともかく、ダブルスじゃ、まずいだろ。ちょっとやらせてみて、 野梨子が却下したんだ。戦術がたてられないって」
「な、なるほど・・・」
魅録がうなずいたとき、ボールを追って、悠理が二人に突っ込んできた。
「うわぁ!」
美童はパイプ椅子ごと転ぶ。
魅録のビールが、転がった悠理にふりかかった。
「お、おまえなぁ、限度ってもんを考えろ!」
浴衣をはだけて床に突っ伏している悠理に、魅録が泡を飛ばす。
「くくく・・・くっそぉ」
魅録の説教など悠理の耳には入っていないようだった。
悠理はむっくり起き上がって、清四郎をにらみつける。
「僕の勝ちですね」
清四郎の笑顔に、悠理の頭から湯気が立ちあがった。
「お、覚えてろ!明日はリベンジだっ!」
「明日は神戸港のホテルですよ。卓球なんかないでしょう」
「じゃ、じゃあ、テニス!そうだ、テニスなら、負けないぞっ!テニス勝負だ!」
悠理は清四郎にラケットを突きつけた。まるで、果たし状だ。
魅録が美童にこっそり耳打ちする。
「美童、悠理は清四郎のテニスは?」
「知らないんだろ、あの様子じゃ」
美童はふるふる首をふった。
「いいか、明日は朝一でテニス勝負に決定!」
「いいですけど。ここは山ですよ。コートなんかありますかねぇ?」
「探ーす!山を降りたらあるだろ!」
「悠理、明日は六甲牧場に行きたがってたんじゃないんですか」
「う・・・六甲牧場で羊と遊んでから、神戸でテニス!んでもって、その後中華街!いいな、清四郎!」
翌日の予定を決めはじめた悠理に、美童が慌てて手をあげた。
「ハ、ハーイ!明日の予定を勝手にそこだけで決めないでくれぇ。野梨子が異人館楽しみにしてるんだよぉ」
魅録も口をはさむ。
「俺はどっちでもいいんだけど、可憐も元町がどうとか言ってたぜ。あとで皆で相談しようや」
悠理は美童と魅録を、キッとふりかえった。
「おまえらは、それぞれカップルで行けばいいだろ。明日は晩飯まで自由行動! あたいは羊とテニスと太極拳!」
肩をいからせた憤怒の表情の悠理の迫力に押され、美童と魅録はうなずくしかなかった。
悠理はくるりと清四郎に向き直る。
「おまえも、いいよな、清四郎」
「ええ、僕は」
清四郎はくすくす笑いながら、悠理の頭に手を置いた。髪を指ですく。
「それよりおまえ、ビール臭いぞ。頭からかぶったんだから、早く風呂に…」
清四郎の言葉の語尾が消えた。
悠理の髪から手をそっと離す。
無意識の行為だったのだろう。清四郎は所在なげに手を引っ込め、眉を下げた。
「…僕も汗をかいたし、風呂に入りなおします。明日の話は、僕に異存はありませんが、また後で皆と決めましょう」
困った顔をした清四郎は、すぐに悠理から目をそらした。
悠理はポカンとしていたが、清四郎の触れた自分の頭に手をやる。一瞬、くしゃりと顔をゆがめた。
「…うん」
そして、泣きだしそうな笑顔。
清四郎が見逃したその笑みは、見るものを苦しくさせるほど、せつない綺麗な笑みだった。
悠理はパタパタ女湯へ走り去って行った。
その背を見送る男三人。
「…ときどき」
美童がぽつりとつぶやいた。
「ぎゅーって、抱きしめたくなるよね。悠理って」
「そうだな」
魅録が同意する。
清四郎は驚いて、友人二人をふりかえった。
「なんですって?」
魅録は清四郎に、スリッパの足を振りあげた。
「わかんなきゃ、おまえは馬鹿だってんだ」
怪訝な顔をしながらも、清四郎は魅録の蹴りをあっさりかわす。
だが、かまわず魅録はなおも罵った。
「バーカ、バーカ」
「は?」
「清四郎のバーカ!」
魅録はビールの袋を抱え、清四郎に背を向ける。そのまま部屋へと戻って行った。
「酔っ払ってんですか?魅録は」
呆れ顔で美童に同意をもとめた清四郎に、美童はため息で答えた。
「…おまえが馬鹿だってのは、僕も同感」
美童はタオルを肩に掛け、男湯に向かって歩き出した。
悠理にあんな顔をさせた男を、一人残して。
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